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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第一部 赤子CEO、長坂坡に放り出される

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第7話 趙雲だけは絶対に手放さない

趙雲は、三日間、目を覚まさなかった。


傷は深かった。肩に刺さった矢だけではない。腕、脇腹、腿。古い傷跡の上に、新しい傷が幾重にも重なっていた。


医官は「命に別状はない」と言った。


しかし、熱が下がらない。


    ◆


感染症という言葉すら存在しない時代である。


傷口から菌が入れば、英雄でも簡単に死ぬ。


前世なら、抗生剤を三日打てば終わる話だ。


だが俺には、抗生剤を作る知識がない。ペニシリンが青カビから採れることは知っている。だがそれは「青カビを塗れば治る」という意味ではない。培養も、精製も、濃度の調整も、この時代の技術ではどうにもならない。


未来知識は、使える形になっていなければ、ただの記憶である。


俺にできるのは、そばにいることだけだった。


    ◆


俺は毎日、甘夫人に頼んで趙雲の寝所へ連れていってもらった。


一歳児なので、要求の表現は単純である。


「しりゅ」


これを繰り返せばよい。


「しりゅ」


「阿斗。子龍さまはお休みです」


「しりゅ」


「また明日にしましょう」


「しりゅ!」


泣けば、ほぼすべての要求が通った。


赤ん坊は、組織内で最も強力な交渉手段を持っている。


論理ではない。騒音で相手を屈服させる。


張飛と同じである。


甘夫人は根負けし、俺を趙雲のもとへ連れていった。


    ◆


趙雲は、粗末な寝台に横たわっていた。


顔色が悪い。額に汗が浮いている。部屋には、薬草を煮詰めた匂いと、膿の匂いが混ざっていた。


【趙雲】


身体疲労 100

発熱 高

意識状態 低下

生命危険度 黄


固有状態【任務未完了感】


——任務は、完了している。


俺も母も生きている。


それなのに、この男の中では終わっていないらしい。


「若君を、主公のもとへ戻す」


そこまでが任務だった。


しかし劉備軍自体が、まだ敗走を続けている。安全な場所などない。


だからこの男の中では、任務がまだ終わっていない。


趙雲は意識を失ったまま、時折うわ言を漏らした。


「奥方さまを……」


「若君を……」


「道を……」


甘夫人が口元を押さえた。


「眠っていても、私たちのことを」


    ◆


俺は寝台の横へ下ろしてもらい、趙雲の手を掴んだ。


熱かった。


あれほど強く槍を握っていた手が、今はまったく動かない。


俺には能力値が見える。死亡危険度も見える。


だが、治療する力はない。


「しりゅ」


返事はない。


「な」


長坂坡で言ったのと同じ、一音である。


俺はそれを、何度も繰り返した。


「な」


「な」


趙雲の指が、わずかに動いた。


気のせいかもしれない。


俺はさらに強く手を握った。


趙雲の生存意思 61 → 64


——変わった。


わずか三。


それでも、変化した。


言葉は、数値を動かす。


人との関係は、人の生き方に影響する。


俺が人材を評価するだけではない。俺の言葉や態度によって、相手も変わる。


これは便利な力である。


同時に、恐ろしい力だった。


誤った言葉をかければ、数値を下げることもある。信頼を損なうこともある。


人材登用など、お手のものだと思っていた。


だが、人を採用するということは、その人の人生に責任を負うことである。


俺は趙雲の手を握ったまま、眠った。


    ◆


翌朝。


頬を何かに触れられて、目を覚ました。


趙雲の指だった。


「若君」


掠れた声。


俺は顔を上げた。


趙雲が、目を開けていた。


「しりゅ」


「ここにおります」


俺は言葉が出なかった。


代わりに、握っていた手を、二度、強く握った。


趙雲がわずかに笑った。


「……若君のご命令でしたので」


俺の目から、涙が出た。


泣くつもりはなかった。


安心すると、赤ん坊の身体は勝手に泣くらしい。


趙雲は困ったように、俺の頭を撫でた。


「ご心配を、おかけしました」


甘夫人が医官を呼びに走る。


俺は趙雲の手を離さなかった。


    ◆


その日から、俺と趙雲の労使交渉が始まった。


趙雲は、目を覚ました翌日には起き上がろうとした。


「兵の配置を確認せねばなりません」


俺は寝台の前へ立ちはだかった。


「だめ」


「若君。もう熱も下がりました」


身体疲労 83

傷口治癒 31%

任務復帰意思 100


「だめ」


「歩くくらいなら」


「ねる」


「しかし」


「ねる」


趙雲は困った顔をした。


俺には正式な命令権がない。


それでも「若君の仰せ」という言葉には弱いらしい。


「では、三日だけ休みます」


趙雲が交渉してきた。


三日では足りない。


だが俺は「三日」と言い返せない。一歳の口では、数を言えないのだ。


——ならば、指で示せばよい。


俺は片手を広げた。


五本。


「五日でございますか」


俺は首を横に振った。


もう片方の手も広げる。


十本。


趙雲の眉が上がった。


「十日は、長すぎます」


俺は両手を握り、もう一度開いた。


十。


そしてもう一度、握って、開いた。


十、十。


「……二十日と仰せですか」


「う」


「若君」


「う」


「増えております」


「うー」


「先ほどより増えております」


交渉とはそういうものである。


前世では、これを「アンカリング」と呼んだ。


最初に極端な数字を置けば、相手はその近辺で妥協する。


趙雲は、しばらく俺の両手を見つめていた。


そして、深い息を吐いた。


「……七日で、いかがでしょう」


俺は指を七本立てようとして、うまくいかず、六本と八本の間を行き来した。


趙雲が微笑んだ。


「七日、承りました」


初めての労使交渉は、俺の勝利に終わった。


正確には、俺が指を数えられなかったことで、相手が折れた。


    ◆


張飛が見舞いに来ると、寝台の趙雲を見て笑い転げた。


「子龍が阿斗に負けたか!」


趙雲は苦笑した。


「翼徳どのも、若君のご命令には逆らえますまい」


「俺は逆らえる!」


張飛が胸を張る。


俺は張飛を見上げた。


そして、一語だけ言った。


「さけ」


張飛の顔が固まった。


「……酒がどうした」


「だめ」


「なぜだ!」


「けが」


「俺は怪我などしておらぬ!」


「いつも」


「いつも駄目なのか!」


「う」


張飛は、この世の終わりのような顔をした。


趙雲が、傷に響かないよう声を抑えて笑った。


俺も笑った。


長坂坡を生き延びてから、初めて心の底から笑った気がした。


    ◆


——この人たちを、死なせたくない。


それはもう、歴史改変のためだけではなかった。


彼らが笑っている時間を、少しでも長くしたい。


そのためなら、俺は嫌われてもいい。


酒を取り上げる。休ませる。報告書を書かせる。権限を分ける。必要なら、英雄たちを叱る。


趙雲だけは、絶対に手放さない。


いや。


趙雲だけではない。


誰一人、簡単には手放さない。


    ◆


俺がそう決意したとき、寝所の外から兵の声が聞こえた。


「曹操軍が、江陵へ進軍しております!」


趙雲が起き上がろうとした。


俺は、その額を押した。


「ねる」


「しかし、若君」


「ねる!」


英雄を休ませる戦いが、始まった。



次回 第8話「曹操は悪役ではなく、完成された組織だった」


次回 第8話「曹操は悪役ではなく、完成された組織だった」

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