第68話 裏切り者は、もういなかった
【建安二十四年 冬|南郡・公安】
呂蒙から糜芳へ届いた提案は、丁寧だった。
《城を開けば、民と兵の生命を守る》
《糜芳殿の官位と財産も保証する》
《劉備殿へ長年仕えた功績を、呉は軽んじない》
《関羽殿の怒りを恐れる必要もなくなる》
最後の一文が、最も危険だった。呂蒙は糜芳の心を理解している。関羽への恐怖。失敗を隠した罪。劉備へ戻っても処罰されるかもしれない不安。
歴史では、この提案が糜芳を動かした。
この人は、こちらの内部の数字を読んでいる。そして、たぶん、俺より正確に読んでいた時期がある。
だが、今の糜芳には別の道があった。辞表は受理されている。引き継ぎを終えれば、成都の商業調達部門へ移る。失敗も報告した。処分内容も決まっている。
戻る場所が、ある。
◆
糜芳は呂蒙へ返書を書いた。
《ご配慮に感謝する》
《しかし、既に劉備様のもとで別の職務を与えられている》
《関羽将軍の下から離れるために、国まで替える必要はない》
《南郡の城門を開く意思はない》
俺は報告書を読み、しばらく動けなかった。
英雄的な文章では、ない。「劉備様への忠義ゆえ、死ぬまで戦う」とも書いていない。関羽への不満も消えていない。ただ、国を替える必要が、なくなった。それだけだった。
三行目が、全部である。
《関羽将軍の下から離れるために、国まで替える必要はない》
十二年前、この人は言った。「私は、雲長さまの下で、うまくやれておりません」「申し上げると、兄に迷惑がかかります」——同じことを言っている。違うのは、行き先だけである。
【糜芳】
呉への降伏意思 0
離反危険度 2% → 0%
新規特性
【辞められる者は、裏切らない】
人を縛れば忠誠が高まるとは限らない。辞める道があるから、最後まで働けることもある。
十二年前、俺は四つで「おれに、いって」と言った。そして、八年、何も来なかった。窓口は、作った日には効かない。使えると分かった日に、効く。
呂蒙は糜芳の返答を受け取ると、すぐに攻撃を命じなかった。代わりに、城内へ使者を送った。
《呉軍は略奪しない》
《城内の民が望むなら、安全に退去させる》
《戦えば、城壁と市場が焼ける》
糜芳は城門を閉じたまま、城内の民へ説明した。呉軍の条件。蜀軍の兵力。食料。救援までの見込み。
以前なら、関羽の命令だけを示したかもしれない。今回は違う。民へ情報を出した。
「残りたい者は残る」
「西へ逃れたい者には、船と道を用意する」
「呉へ従うことを選んだ者を、裏切り者とは呼ばない」
糜芳自身が、裏切り者と呼ばれる恐怖を知っていた。
救われた人は、次に、誰かを救う言葉を持っている。そして、その言葉は、救った側には作れない。
南郡の民は分かれた。蜀軍と共に西へ向かう者。故郷へ残る者。呉の保護を受ける者。全員を連れていくことは、できない。全員へ同じ選択を強制することも、できない。
潘濬は民の名簿を作った。家族が分かれた場合、誰がどこへ行ったか記録する。後で探せるようにする。
十二年前、俺は《名のない者》の簿を作った。そして今日、この人は、離ればなれになった家族の簿を作っている。同じ道具である。そして、使い道は、俺が思いつかなかったほうだった。
◆
一方。公安では士仁が呉軍と向かい合っていた。呉の使者は言った。
「南郡が落ちれば、公安だけでは持ちこたえられない」
「まだ落ちていない」
士仁が答える。
「糜芳殿も、いずれ賢明な判断をする」
「賢明とは、降伏か」
「生きることだ」
士仁は黙った。
【士仁】
関羽への恐怖 91
劉備への忠誠 76
部下生存責任 88
降伏意思 21
撤退意思 72
士仁は、死ぬまで城を守りたいわけでは、ない。部下を連れて逃げたい。
事前に定めた撤退条件では。呉軍が城を包囲。関羽軍の到着見込みが二日以上ない。民間人の避難が完了。この三つが成立した場合、公安を放棄できる。
一つ目。成立。二つ目。関羽軍の位置から見て成立。三つ目。あと半日。
士仁は城門を守り続けた。歴史では、呂蒙の説得を受けて降伏した男。今は、降伏ではなく撤退の準備をしている。
この二つは、外から見ると同じである。城を出る。違うのは、次にどこへ行くかだけだ。
民間人の最後の船が出た。士仁は倉庫を確認した。持ち出せない食料には、毒を入れない。燃やさない。呉軍が得る。敵へ物資を渡すことになる。しかし城内に残る民も食べる。軍事的利益と、民の生活。
士仁は迷った。最後に、軍用武器だけを破壊した。食料と井戸は残した。橋へ火をかける。部下を率い、西へ撤退。
迷った、と記録に残っている。そして、迷ったことを書いたのは、本人である。十二年前、この国の報告書には、迷いを書く欄がなかった。
呉軍が城へ入ったとき。士仁も、民もいなかった。略奪する対象もない。市場は閉じている。井戸は使える。倉庫には、三日分の食料が残されている。
呂蒙は城内を見回し、呟いたという。
「逃げたか」
陸遜が答えた。
「事前に逃げる権限を与えられていたのでしょう」
「以前の士仁なら、降った」
「今は戻る場所があります」
呂蒙は少し笑った。
「殿下に、先を越されたな」
十二年かけて作ったものを、この人は一日で言い当てる。そして、たぶん、来年には対策を作ってくる。
公安は失った。だが、士仁と守備兵は生きた。
【公安】
領有 蜀 → 呉
城内戦闘 回避
民間人死者 最小
士仁
離反危険度 38% → 0%
新規状態 【命令された撤退】
関羽軍生還予測 59% → 63%
四ポイント上昇。城を一つ失って、四ポイント。
土地を失うことが、常に失敗とは限らない。そして、この一行を、俺は父に言えるだろうか。たぶん、言えない。
士仁は西への街道を進み、関羽軍のために橋と休憩地点を確保した。撤退した兵が、次の撤退を助ける。
◆
糜芳も、南郡を永遠に守れるとは考えていなかった。
南郡の倉庫を開く。関羽軍へ送る食料。負傷者を乗せる船。残る民のための食料。三つに分けた。自分が隠した過去の火災記録も、全て後任と潘濬へ渡した。
「糜芳様」
部下が尋ねた。
「城を捨てるのですか」
糜芳は答えた。
「城は、動かせぬ」
「では」
「人を動かす」
関羽の軍が帰ってくる。そのための食料と船を用意する。民を逃がす。記録を残す。それが終われば、南郡を放棄する。
「関将軍は、お許しになるでしょうか」
糜芳の顔が、少し引きつる。まだ怖い。
「許さぬかもしれぬ」
正直に答えた。
「だが、殿下と主公が決めた撤退条件だ」
関羽一人の感情ではなく、組織の決定に従う。
恐怖は、消えていない。消えたのは、恐怖に一人で耐える必要のほうである。
糜芳は城門へ立った。遠くに呉軍の旗が見える。背後では、最後の船へ負傷者が運ばれている。
「以前の私なら」
糜芳は小さく言った。
「呉の旗を見た瞬間、門を開けていたかもしれぬ」
部下は何も言わない。
「今も怖い」
糜芳は続けた。
「だが、怖いと言ってよいと知った」
怖い。辞めたい。できない。助けてほしい。それを言えるだけで、人は裏切らずに済むことがある。
十二年、俺が作ってきた制度の、全部の答えが、この一行である。そして、書いたのは俺ではない。
◆
糜芳から最終報告が届いた。
《南郡の避難と物資移送を完了》
《城を放棄する》
《呉軍とは戦わず、西へ退く》
《責任は私が負う》
俺は返信した。
《責任は、決定した全員が負います》
《糜芳殿一人へ負わせません》
城を捨てる決定は、執行評議と現地責任者が作った。失敗した場合も。成功した場合も。誰か一人のせいにしない。
四年前、俺は成都で「きめなかった人の責任です」と言った。そして今日は、決めた人の責任を、全員で持つ番である。
南郡の城門が開いた。糜芳は呉へ降伏するためでは、なく。最後の蜀軍と民を、外へ出すために。
呂蒙軍が入城した頃。城内には糜芳の姿はなかった。
【南郡】
領有 蜀 → 呉
糜芳 撤退成功
民間避難 多数成功
軍用物資 大部分を移送
呉軍の追撃余力 低下
荊州の城が、次々に呉へ渡る。領土画面は、赤くなっていく。
それでも。裏切り者は、一人も生まれなかった。
十二年前、俺は木簡に書いた。
《裏切りの半分は、組織が製造している》
そして今日、製造を止めた。止めたぶんだけ、土地を失った。
この取引が正しかったかどうかは、たぶん、三十年後に分かる。
その夜。関羽軍から報告が届いた。
徐晃軍の攻撃により、前衛が崩れた。関平は父を守りながら後退。周倉の部隊が川岸へ向かっている。趙雲は、関羽軍まであと一日。
しかし呂蒙は。南郡と公安を得たことで、西への街道へ兵を進め始めた。
関羽の退路は、再び狭くなっていた。
〈あとがき〉
「関羽将軍の下から離れるために、国まで替える必要はない」——糜芳の返書の三行目が、この物語の主題そのものです。
「怖いと言ってよいと知った」。十二年かけて作った制度の答えを、主人公ではなく、救われた本人が言いました。
そして「裏切り者は、一人も生まれなかった」。代わりに、城を二つ失っています。この取引の正否は、まだ出ません。
次回、第69話「呂蒙との取引」。四十時間を、買いに行きます。




