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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBA持ちの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第四部 関羽を死なせるな

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第52話 父と子の人事論


父と、三十日、喧嘩をした。


書状で、である。


——四百里、離れていた。



    ◆



建安(けんあん)二十三年の冬。


漢中(かんちゅう)の戦は、三年目に入っていた。


父は葭萌関(かぼうかん)


俺は成都。


——四百里。


書状が届くのに、十日かかる。


返事が来るのに、また十日。


一往復、二十日である。


……


前世で、俺は世界中と即日でやり取りしていた。


そして、この二十日という時間に、俺は救われることになる。


——怒ったまま返事を書いても、届く頃には、こちらが冷めているからだ。



    ◆



事の起こりは、論功行賞(ろんこうこうしょう)の予備案だった。


——戦の途中である。


だが、三年目だ。


功が積み上がっている。


誰を、いつ、どう上げるか。


それを、今から整理しておかないと、戦が終わった日に混乱する。


——前世で言えば、期末評価の下ごしらえである。


そして、俺は十一で、その原案を作った。



    ◆



俺は、三つの原則で作った。


一つ。功を、数で書く。


——「よく戦った」ではなく、「何を、いつ、どれだけ」と書く。


二つ。担当と職掌に合わせて上げる。


——功があっても、その人が務まらない職には上げない。


三つ。年功を、加点しない。


——


この三つ目で、揉めた。



    ◆



俺の原案は、こうだった。


```

【漢中戦 叙功原案(予備)】


第一等

 黄忠   前線の突破、三度

 法正   作戦立案、全期間

 趙雲   撤退支援、二度/損害最小


第二等

 張飛   瓦口の勝利

 馬超   武都方面の牽制

 魏延   守備、無失

 黄権   地形と補給の見立て


第三等

 諸葛亮  兵站統括

 劉巴   財政

```


——諸葛亮(しょかつりょう)が、第三等である。


理由は、単純だ。


この人は、戦っていない。


そして、輸送で四千人死なせた。


……


——本人が、そう書けと言った。


「若君」


「はい」


「私を、第一等に置かれますか」


「……はい」


「なぜでございます」


「兵站がなければ、戦えません」


「はい」


「それは、私の功でございましょうか」


「……」


「運んだのは、犍為(けんい)郡の女たちでございます」


——


この人は、そう言った。


そして、自分を三等へ下げた。



    ◆



原案を送って、十日。


返事が来た。


——短かった。


> 《阿斗へ》

>

> 《これは、通せぬ》

>

> 《簡雍(かんよう)が入っておらぬ》


——


簡雍(かんよう)


父の、最古参である。


涿郡(たくぐん)で、少年の頃から一緒にいた男だ。


——そして、漢中では、何もしていない。


成都で、酒を飲んでいた。



    ◆



俺は、返事を書いた。


十一の字である。


もう、崩れない。


> 《父上へ》

>

> 《簡雍どのは、漢中の功がございません》

>

> 《叙功は、漢中の戦の功に対して行います》

>

> 《別の功があるなら、別の簿に書きます》


——


論理的である。


そして、たぶん、この書き方が、いちばん父を怒らせた。



    ◆



十日後、返事が来た。


長かった。


——父の書状が長いのは、久しぶりである。


> 《阿斗へ》

>

> 《憲和は、二十七年、私といる》

>

> 《徐州で財を失い、小沛で家を失い、汝南で妻を失った》

>

> 《漢中の功はない》

>

> 《当然だ。あの者は、もう馬に乗れぬ》


——


> 《だが、あの者がいなければ、私は五度、死んでいた》


——


> 《それは、何等に書く》



    ◆



俺は、その一行の前で、三日、止まった。


——書けない。


「二十七年前に、五度救った」という功を、どの欄に書けばいいのか。


……


——前世で、俺はこの問題を何度も見た。


創業期の社員である。


十年、二十年、会社を支えた。


そして、今は、仕事がない。


——時代が変わった。技術が変わった。この人の得意なことが、要らなくなった。


評価表に書く欄が、ない。


そして、会社は、この人を切る。


……


——俺は、それを何度も設計した。


そのたびに、こう言った。


「過去の貢献と、現在の職務は、分けて考えるべきです」


——正しい。


そして、切られた人は、全員、同じ顔をした。



    ◆



俺は、四日目に、返事を書いた。


> 《父上へ》

>

> 《書く欄が、ありません》

>

> 《ですから、作ります》


——


> 《漢中の簿とは、別に、もう一つ作ります》

>

> 《表題は、まだ決めていません》


——


そして、その下に、一行足した。


> 《ですが、漢中の簿には、入れません》



    ◆



返事は、二十日後に来た。


——いつもより、遅かった。


父も、迷ったのだろう。


> 《阿斗へ》

>

> 《よかろう》


——


> 《ただし、一つ聞く》


——


> 《なぜ、分ける》



    ◆



俺は、その問いに、答えを持っていた。


——十年、考えてきたことである。


俺は、書いた。


> 《混ぜると、両方が腐るからです》


——


> 《漢中の簿に古い功を入れると、今戦っている者が、「戦っても無駄だ」と思います》

>

> 《古い功を書かないと、長く仕えた者が、「捨てられた」と思います》


——


> 《ですから、二つ作ります》

>

> 《そして、両方、読み上げます》


——


そして、最後に、こう書いた。


> 《同じ日に、同じ場所で》



    ◆



返事は、来なかった。


代わりに、年が明けてから、父が帰ってきた。



    ◆



建安(けんあん)二十四年の正月。


父は、一度だけ成都へ戻った。


——十日だけである。


そして、その十日目に、俺を呼んだ。



    ◆



「阿斗」


「はい」


「大きくなったな」


「十二になりました」


「うむ」


——父は、痩せていた。


去年より、明らかに痩せている。


そして、白髪が増えていた。


……


——五十八である。


そして、四年後に死ぬ。



    ◆



「阿斗」


「はい」


「書状のことだ」


「はい」


父は、机の上に、二本の竹簡を置いた。


——俺が送った原案と、父が書いた返書である。


両方、擦り切れていた。


何度も、読み返した跡だった。


「お前の申すことは、正しい」


「……はい」


「そして、私は、それでも憲和を第一等に入れたかった」


「はい」


「理由が、分かるか」


——


俺は、答えた。


「古いからです」


「違う」


——即答だった。


「では」


父は、言った。


「あの者は、もう、書く欄がないと知っておるからだ」


——


俺は、顔を上げた。



    ◆



「憲和は、去年、私に言った」


父は、続けた。


「『そろそろ、名簿から外してくれ』と」


「……」


「『役に立っておらぬのに、禄をもらうのは、居心地(いごこち)が悪い』と」


——


俺は、そこで、言葉が出なくなった。


「私は、断った」


「はい」


「そして、それきり、あの者は何も言わぬ」


——


「阿斗」


「はい」


「お前の簿は、正しい」


「……」


「そして、正しい簿を作ると、憲和のような者は、自分から出ていく」


「……」


「誰も追い出しておらぬのに、だ」



    ◆



俺は、その日、聞いた。


——十二年、聞けなかったことである。


「ちちうえ」


「うむ」


「父上は、なぜ、人を切らないのですか」


——


父は、しばらく黙っていた。


そして、言った。


「切ったことは、ある」


「え」


「二度」


——


俺は、その数字に驚いた。


二十七年で、二度。


……


——前世の俺は、一年で四十人切った。


そして、それを能力だと思っていた。



    ◆



「一度目は、徐州(じょしゅう)だ」


父は、言った。


「糧が尽きた。兵を減らさねば、全員飢えた」


「はい」


「三百人、帰らせた」


「はい」


「三日後、そのうち八十人が戻ってきた」


「……」


「帰る場所が、なかったのだ」


——


「二度目は、新野(しんや)だ」


「はい」


「曹操が来る前に、老いた者と病んだ者を、先に南へ送った」


「はい」


「守るためだ」


「はい」


「そして、長坂坡(ちょうはんは)で、その者らが最初に死んだ」


——


俺は、そこで、息を呑んだ。


——長坂坡。


十一年前である。


俺は、母の腕の中にいた。


そして、走っていた姿勢のまま前へ倒れた男を見た。


膝が地面に当たる音を、聞いた。


……


——あれは、父が「守るために先に送った」人たちだった。



    ◆



「阿斗」


「はい」


「私は、二度とも、正しい判断をした」


「……はい」


「そして、二度とも、人が死んだ」


「……」


「それから、私は、切れなくなった」


——


「それが、弱さだと分かっておる」


「……」


「財が足りぬ。人が余る。国が傾く。全部、私のせいだ」


——


父は、そこで、俺を見た。


「だから、お前が切れ」


——


「……え」


「私は、切れぬ」


「……」


「お前は、切れる」


——


「そして、切るときに、一つだけ覚えておけ」


——



    ◆



俺は、その一行を、生涯忘れなかった。


父は、言った。


「人は、評価表(ひょうかひょう)のために命を懸けるのではない」


——


俺は、動けなかった。


「憲和は、二十七年、私についてきた」


「はい」


「評価されたからではない」


「……」


「一度も、評価しておらぬ」


「……」


「私は、あの者に、何も渡しておらぬ」


——


「それでも、来た」


——


父は、竹簡を巻いた。


「お前の簿は、正しい。作れ。私も従う」


「はい」


「だが、簿だけでは、人は残らぬ」


——


「残る理由を、私は説明できぬ」


「……」


「二十七年、考えて、分からなかった」



    ◆



その夜、俺は木簡を出した。


そして、新しい一枚を、おろした。


表題を、書いた。


《ふるい功》


一行目に、書いた。


簡雍(かんよう) 字・憲和(けんわ)


《二十七年》


《五度、父上を救った》


《漢中の功は、なし》


——


そして、その下に、一行足した。


《だから、こちらに書く》


```

【制度が成立しました】


功労記録簿(旧功簿)


 叙功簿とは別に、過去の功を記録する

 現在の職務・俸禄と連動しない

 叙功の際、同日に読み上げる


【簡雍】

 劉禅への評価 主君の子 → ?

```


——龐統(ほうとう)のときと、同じ表示だった。


疑問符である。



    ◆



最後に、俺は死亡年表を開いた。


二二三——劉備(りゅうび)


丸。


——四年である。


……


俺は、その丸を、長いこと見ていた。


そして、記号を書き換えようとして——


筆を、置いた。


——書き換えられない。


この人は、戦で死ぬのではない。


病でもない。


……


——分からない。


十二年、俺はこの人の死因を、一度も特定できていない。


「白帝城で死ぬ」ということしか、知らない。


そして、白帝城は、夷陵の後である。


……


——夷陵を止めれば、変わるのか。


……


分からない。


俺は、木簡の余白に、一行書いた。


《父上の、死に方が分からない》


——


そして、その下に。


《ほかの人は、わかる》


《この人だけ、わからない》



次回 第53話「定軍山では、高いほうが勝つ」


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