第46話 法正をCSOに任命する
この国の法を作る者が、五人、決まった。
その一人が、人を殺していた。
——私怨で、である。
◆
建安二十一年。
俺は、九つになった。
職掌表ができて、半年が過ぎていた。
そして、諸葛亮の十三項の一つ——「律の整備」が、動き出した。
蜀科。
——この国の、法典である。
劉璋の時代、益州の法は緩かった。
豪族が私兵を養い、税を出さず、それでも咎められなかった。
——「寛」である。
そして、寛は、力のある者だけを利する。
諸葛亮は、それを締めるつもりだった。
◆
起草は、五人と決まった。
諸葛亮。
法正。
劉巴。
李厳。
伊籍。
◆
李厳は、初めて見る顔だった。
字を正方という。
劉璋の臣で、綿竹で降った男である。
背が高く、身なりが整っている。
そして——話し方が、非常に上手い。
```
【李厳 字・正方】
統率 78
武力 66
知略 85
政務 91
魅力 82
実務 93
弁舌 88
自己顕示 79
序列意識 94
責任回避 71
固有特性
【降った者の焦り】
旧主から移った者として、実績を早く示そうとする。
【序列に敏感】
自分より上の者、下の者を、常に数えている。
【言い訳が上手い】
失敗の説明が、極めて巧みである。
総合評価 A
備考
この人物は、有能です。
そして、追い詰められたとき、記録を書き換えます。
```
——最後の一行が、赤かった。
記録を、書き換える。
——十五年後、この人は補給の失敗を隠すために、諸葛亮へ嘘の報告をする。
そして、失脚する。
……だが、今は、まだ何もしていない。
◆
伊籍は、荊州から来た古い人である。
字を機伯。
劉表の臣だった。
そして、この人は、口が異様に立つ。
俺が挨拶をすると、こう返してきた。
「若君におかれましては、日々ご成長のご様子、何よりでございます」
「はい」
「そのうち、私の背も追い越されましょう」
「……はい」
「そのときは、どうか、見下ろさぬようお願いいたします」
——
冗談である。
そして、皮肉でもある。
この人は、そういう喋り方しかしない。
```
【伊籍 字・機伯】
弁舌 97
機転 95
```
——後に、この人は孫権の前で、同じことをやる。
そして、孫権を黙らせる。
◆
そして、法正である。
この人が、法典の起草者の一人になった。
俺は、その名簿を見て、しばらく動けなかった。
——私怨、八十八。
自制、二十一。
この人が、法を書く。
◆
——そして、訴えが来た。
◆
その日、俺は文書庫で竹簡を読んでいた。
九つになって、俺は一日に三十本ほど読めるようになった。
——前世の癖である。
現場の書類を全部読む。
そこにしか、本当のことは書いていない。
そして、俺は一本の竹簡を見つけた。
蜀郡からの、訴えである。
そこには、こう書いてあった。
> 《郡の者、七名、死す》
——
俺は、次の行を読んだ。
> 《太守の命により》
——
蜀郡太守は、法正である。
◆
俺は、その竹簡を持って、陳紀のところへ行った。
去年、床に座り込んで震えていた男である。
今は、命令照合役をしている。
「陳紀どの」
「若君」
「これを、調べてください」
陳紀は、竹簡を読んだ。
そして、顔色を変えた。
「……若君」
「はい」
「これは、私の役目ではございませぬ」
「では、誰の」
「……」
「誰の役目ですか」
陳紀は、答えなかった。
そして、震える声で言った。
「この件は、既に、軍師将軍へ上がっております」
——
「そして」
「……」
「動いておりませぬ」
◆
俺は、諸葛亮のところへ行った。
この人は、いつもどおり、竹簡の山の中にいた。
「せんせい」
「はい、若君」
俺は、竹簡を置いた。
「これを、ご存じですか」
諸葛亮は、それを見た。
そして、表情を変えなかった。
「存じております」
「七人、死にました」
「はい」
「孝直どのの命令です」
「はい」
「なぜ、動かないのですか」
——
羽扇が、止まった。
◆
長い沈黙があった。
そして、諸葛亮は言った。
「若君」
「はい」
「その七人が、何をしたか、ご存じですか」
「……いいえ」
「孝直どのを、讒した者たちでございます」
——
俺は、そこで、息を呑んだ。
——十五年前。
「法正は、素行が悪い」
その話を、州の中に流した人間たち。
そして、この人は十五年、軍議校尉のままだった。
「……七人、全員が?」
「四人は、確実に。残る三人は、定かではございませぬ」
——
定かではない。
つまり——
三人は、無関係かもしれない。
◆
「せんせい」
「はい」
「それは、法ですか」
——
俺は、聞いた。
九つの声で、はっきりと聞いた。
「法ですか」
諸葛亮は、答えなかった。
しばらく、竹簡を見ていた。
そして、こう言った。
「……主公が公安におられたとき」
「はい」
「北に曹操を畏れ、東に孫権を憚り、近くは奥方さまを恐れておられました」
——
孫夫人のことである。
「あのとき、我らは進退きわまっておりました」
「はい」
「そこへ、孝直どのが参りました」
「……」
「あの方が羽翼となり、主公を飛翔させました」
——
「益州は、あの方がおられなければ、取れておりませぬ」
「……」
「どうして、あの方だけに、その意を行わせずにいられましょう」
——
羽扇が、動き出した。
——この人は、答えを出した。
そして、その答えは、法ではない。
◆
俺は、しばらく黙っていた。
そして、聞いた。
「せんせい」
「はい」
「あなたは今、何を書いていますか」
——
羽扇が、また止まった。
「……蜀科でございます」
「法典ですね」
「はい」
「その起草者の一人が、七人殺しました」
「……」
「そして、あなたは、それを咎めませんでした」
「……」
「同じ年に、です」
——
諸葛亮は、答えなかった。
◆
——
俺は、この人を追い詰めているのを、分かっていた。
そして、この人が正しくないことも、分かっていた。
——だが。
同時に、俺は知っていた。
この人の判断は、国家の安定という意味では、たぶん最適である。
法正を裁けば、この人は去る。
あるいは、荒れる。
そして、この国は、漢中を取れなくなる。
——前世で、俺は同じ場面を何度も見た。
「あの営業部長は、経費を私的に使っている」
「だが、売上の四割を一人で作っている」
——処分すると、四割が消える。
……そして、放置すると、二年後に組織全体が腐る。
どちらも、正しい。
どちらも、間違っている。
◆
俺は、法正のところへ行った。
この人は、庭にいた。
二年前の夜と、同じ場所である。
あのとき、俺は「だれが、ゆるせない?」と聞いた。
「若君」
法正は、俺を見て、いつものように笑った。
——演技の笑いではない。
この人は、俺の前では、笑い方を変えた。
「孝直どの」
「はい」
俺は、竹簡を出した。
「七人」
——法正の笑みが、消えた。
◆
「……お聞きになりましたか」
「はい」
「軍師将軍からで?」
「はい」
「あの方は、なんと」
俺は、答えた。
「羽翼だから、意のままにさせる、と」
法正は、少し笑った。
「……ありがたいことでございます」
「孝直どの」
「はい」
「四人は、あなたを讒した人ですね」
「はい」
「残る三人は」
——
法正は、答えなかった。
俺は、もう一度聞いた。
「残る三人は、何をしましたか」
法正は、月を見上げた。
そして、あっさりと言った。
「分かりませぬ」
——
「あの頃、私を笑った者は、多うございました」
「……」
「顔を、覚えておりました」
「……」
「名を、覚えていなかった者もおります」
——
俺は、そこに立ったまま、動けなかった。
◆
——顔を覚えていて、名を覚えていない人間を、殺した。
それは。
……
——それは、俺が最も嫌うものだ。
「削減対象二百四十名」
前世で、俺が書いた一行である。
二百四十人の顔を、俺は一人も知らなかった。
——この人は、逆だ。
顔は覚えていて、名を知らない。
そして、殺した。
……
——同じである。
どちらも、人を、人として数えていない。
◆
「孝直どの」
「はい」
俺は、帯から木簡を抜いた。
九つになって、ようやく帯に挟まるようになった。
歩いても、落ちない。
そして、開いた。
《法正 字 孝直》
《行い、悪くない》
——四つのときに書いた、歪んだ字である。
法正は、それを見た。
そして、動かなくなった。
「……若君」
「はい」
俺は、筆を出した。
そして、その下に、新しい一行を書き始めた。
「……何を、書かれます」
俺は、答えなかった。
ただ、書いた。
九つの字である。
まだ下手だが、読める。
——
《けんあん二十一年 七人を、ころした》
《うち、三人は、りゆうがわからない》
——
◆
法正は、その二行を、長いこと見ていた。
顔から、血の気が引いていた。
「……若君」
「はい」
「それを、消していただけませぬか」
「いいえ」
「……」
「消しません」
——
「なぜ、でございましょう」
俺は、答えた。
「本当だからです」
——
法正の手が、震えた。
◆
「若君」
「はい」
「私は、あなた様と取引をいたしました」
「はい」
「二年前でございます」
「はい」
「あなた様は私を正しく記される。ゆえに、私は記されるに値する働きをする」
「はい」
「——そう、申し上げました」
「はい」
俺は、頷いた。
そして、言った。
「だから、書きました」
——
「……」
「正しく、記しました」
——
法正は、そこで、膝から崩れた。
庭の土の上に、である。
二年前と、同じ場所だった。
あのとき、この人は、俺が「行いは悪くない」と書いたのを見て、手をついた。
——今度は、崩れた。
◆
```
【法正 字・孝直】
固有特性【誤って記された者】
→ 効果に変化が生じました
新規状態
【正しく記された者】
備考:訂正の余地がありません
```
——
俺は、その表示を見て、動けなくなった。
——馬超と、同じ特性だ。
先月、俺があの人の画面で見た、あの五文字。
——俺が、貼った。
この人に、俺が貼った。
◆
長い沈黙があった。
虫の音が、うるさかった。
やがて、法正が言った。
顔を、上げずに。
「……若君」
「はい」
「あなた様は、私を止めるおつもりですか」
俺は、答えた。
「止められません」
「……」
「あなたは、九つの言うことを聞く人ではありません」
「……」
「そして、軍師将軍も、止めません」
「……」
俺は、続けた。
「だから、書きます」
——
「あなたが誰かを殺すたびに、書きます」
「……」
「理由も、書きます」
「……」
「分からないときは、『分からない』と書きます」
——
法正は、答えなかった。
◆
——俺は、自分が何をしているか、分かっていた。
これは、脅しである。
この人が、十五年苦しんだものを使っている。
「間違って記録された」という傷。
それを、逆手に取っている。
——
前世で、俺はこれを「動機付け」と呼んでいた。
「その人が最も嫌がることを避けさせる」
——教科書に、そう書いてある。
……
——気持ちが、悪い。
自分の口から出た言葉が、気持ち悪かった。
◆
やがて、法正は立ち上がった。
衣の土を、払わなかった。
「若君」
「はい」
「一つ、お願いがございます」
「なんですか」
法正は、言った。
「書くときは、私に見せてください」
——
「……なぜですか」
「私は、読みたいのでございます」
「……」
「十五年、誰も見せてくれませんでした」
——
俺は、そこで、この人の全部を、また少し理解した。
——この人が耐えられなかったのは、悪く書かれたことではない。
書かれたものを、見せてもらえなかったことだ。
反論する機会が、なかったことだ。
「……分かりました」
「ありがとうございます」
```
【法正】
私怨 88 → 81
自制 21 → 34
新規行動制約
【記録される】
殺害・報復行為の前に、記録されることを想起します。
```
——十三、上がった。
自制が、二十一から三十四へ。
そして、私怨は、七しか下がらなかった。
◆
——そして、その半月後。
職掌表に、変更が入った。
◆
「法正を、軍議の首座に置きます」
諸葛亮が、評定で言った。
「敵情の見立て、戦の立案、そして——難しい交渉」
「難しい、とは」
劉備が問う。
「こちらが不利な交渉でございます」
「ふむ」
「あるいは、道理では通らぬ交渉」
——
龐統が、笑った。
「孔明どの。それは、汚れ仕事と申します」
「そうとも申します」
——
この二人は、こういうところで気が合う。
◆
俺は、その配置を聞いて、少し安心した。
——理由は、二つある。
一つ。この人の能力が、最も活きる場所である。
敵情分析百。機を見る力百。非情な決断九十七。
——味方に向けたら災厄だが、敵に向ければ最強だ。
二つ。——枠が、決まる。
「難しい交渉」という職掌には、
「難しくない相手には手を出すな」という意味が、含まれている。
◆
評定のあと、俺は法正に一つだけ、言っておくことにした。
二年前に、失敗した話である。
「孝直どの」
「はい」
「確認します」
「なんなりと」
俺は、言った。
「人を、殺してはいけません」
法正は、真面目な顔で頷いた。
「承知いたしました」
「牢に入れるのも、だめです」
「はい」
「財を取り上げるのも、だめです」
「はい」
「官を辞めさせるのも、だめです」
「はい」
「噂を流して、自分から辞めるように仕向けるのも、だめです」
「承知いたしました」
——
通った。
二年前は、ここで「それは、誰も傷ついておりませんが」と言われた。
成長である。
俺は、少し安心した。
そして、法正が、静かに言った。
「では、魏の者は、よろしゅうございますな」
——
「え」
「敵でございます」
「……」
「噂を流し、離間させ、疑わせ、勝手に殺し合わせる」
法正は、笑った。
あの、危険な笑い方だった。
「これが、私の新しい職掌でございましょう」
——
俺は、頭を抱えた。
——正しい。
完全に、正しい。
そして、俺は今、それを職掌表に書いたばかりだ。
◆
その夜、俺は木簡を出した。
《法正 字 孝直》
《行い、悪くない》
《けんあん二十一年 七人を、ころした》
《うち、三人は、りゆうがわからない》
俺は、その下に、もう一行、書き足した。
《それでも、要る》
——
この人は、必要である。
そして、この人は、七人殺した。
両方、本当だ。
——前世で、俺はこの矛盾を、何度も「割り切った」。
「彼は問題がある。しかし、成果を出している」
——そう書いて、次の頁へ進んだ。
……
今回は、割り切らない。
両方、書く。
そして、四年後、この人は死ぬ。
——そのとき、この木簡には、四行が並んでいる。
《行いは、悪くない》
《七人を、殺した》
《三人は、理由が分からない》
《それでも、要る》
——それが、この人の一生である。
史書には、たぶん、別のことが書かれる。
◆
最後に、俺は死亡年表を開いた。
二二〇——法正。四十五。丸。
——四年。
この人は、四年後に、病で死ぬ。
そして、その翌年、父が夷陵へ行く。
——後に、諸葛亮は言うだろう。
「孝直がおれば、主上を東へ行かせはしなかった」と。
——
俺は、その丸を、長いこと見ていた。
そして、今日、この人の自制を十三上げた。
……
——寿命には、関係がない。
病は、自制では治らない。
俺は、この人を、たぶん救えない。
それでも。
俺は、木簡の余白に、一行書いた。
《四ねんで、この人の一生を、ぜんぶ書く》
——救えないなら、記す。
それが、俺がこの人にできる、唯一のことだった。
次回 第47話「天才を二人置く方法」




