第43話 彭羕は、抜擢されすぎた
龐統の寝床に、知らない男が寝ていた。
昼間である。
そして、その男は、二年後に処刑される。
◆
建安十九年の冬。
事の起こりは、龐統の家だった。
あの男は、客が多い。
上司配慮四だが、なぜか人は集まる。
そして、その日も来客中だった。
そこへ、一人の男が訪ねてきた。
◆
龐統本人から、後で聞いた話である。
「若君。私は、あの男を知りませぬ」
「しらない?」
「はい。名も、顔も」
「なんできた」
「分かりませぬ」
——
「そして、私が客と話しておりましたら」
「うん」
「勝手に、私の寝床に寝ました」
「……」
「そして、こう申しました」
龐統は、真顔で言った。
「『客が帰ったら、話そう』」
——
俺は、口を開けたまま固まった。
◆
「かえした?」
「返しませぬ」
「なんで」
龐統は、酒を飲んだ。
そして、あっさり言った。
「面白いではありませぬか」
——
この男である。
上司配慮四で、退屈すると働かない男が、面白いという理由で、寝床を占領した男と話した。
「そして、半刻ほど話しました」
「どうだった」
龐統は、少し考えた。
そして、言った。
「驚きました」
◆
その男は、彭羕といった。
字を永年という。
広漢の出。
身の丈、八尺。
——大きい。
関羽に近い。
そして、顔立ちが目立つ。
声が、よく通る。
——広間に入ると、視線が集まる種類の人間だった。
◆
俺が初めて会ったのは、その翌月である。
法正が連れてきた。
「若君。この者、彭羕と申します」
「ほうよう」
「はい」
彭羕は、拝礼した。
——礼は、正しかった。
だが、頭を下げている時間が、明らかに短い。
俺は、その男を見つめた。
```
【彭羕 字・永年】
統率 51
武力 44
知略 92
政務 81
魅力 73
弁舌 96
発想 94
記憶 89
自己評価 99
謙抑 7
危機察知 22
固有特性
【埋もれていた才】
長く低い地位に置かれ、能力を発揮する機会がなかった。
【徒隷の記憶】
過去に刑を受け、身分を剥奪されている。
その記憶が、現在の地位への執着を生んでいる。
【一足飛び】
段階を経ずに昇進したため、
自らの位置を正しく測れない。
【言えば、通る】
発言が受け入れられ続けた結果、
発言の重さを検討しなくなっている。
総合評価 A
重大危険
自己過信/不適切な発言/失脚後の暴走
```
——自己評価、九十九。
謙抑、七。
危機察知、二十二。
——孟達の危機察知は、九十一だった。
この人は、その四分の一である。
◆
そして、俺は、その経歴を聞いて、息を呑んだ。
「ほうようどの」
「はい」
「まえは、なにを?」
彭羕は、あっさり答えた。
「書佐でございました」
——書佐。
州の、下級書記である。
文書を写す仕事だ。
「そして——」
彭羕は、そこで笑った。
皮肉な笑いではない。
なぜか、誇らしげだった。
「髡鉗の刑を受け、徒隷に落とされました」
——
髡鉗。
髪を剃り、首に枷をはめる刑である。
そして徒隷は——
奴隷身分だ。
◆
俺は、法正を見た。
法正は、静かに言った。
「若君。永年は、劉璋どのの下で讒されました」
「ざん」
「告げ口でございます」
——
俺は、そこで、法正の顔を見た。
この人も、同じ目に遭った。
「素行が悪い」と書かれて、十五年、軍議校尉だった。
——だから、この人を推した。
同じ目に遭った人間を、見つけたからだ。
◆
そして、劉備は、彭羕を抜擢した。
治中従事。
——州の、実務の最高幹部である。
諸葛亮や法正の、すぐ下だ。
——
俺は、その辞令を聞いて、背筋が冷たくなった。
書佐から、治中従事。
——いや。
徒隷から、治中従事である。
間の段階が、一つもない。
前世で言えば——
懲戒解雇された契約社員が、翌月から執行役員になったようなものだ。
◆
能力は、ある。
それは、間違いない。
彭羕は、着任して三日で、益州の文書体系を把握した。
十日で、旧劉璋派の官吏の得意分野を整理した。
一月で、諸葛亮が半年かけていた文書処理の速度を、倍にした。
——本物である。
龐統が「驚いた」と言ったのは、正しい。
そして。
——変わり始めた。
◆
最初に気付いたのは、歩き方だった。
着任した月、この人は速く歩いていた。
三月後、ゆっくり歩くようになった。
——人は、地位が上がると、歩く速度が落ちる。
急ぐ必要がなくなるからだ。
そして、周りが待つようになるからだ。
次に気付いたのは、返事だった。
着任した月、この人は「はい」と言っていた。
三月後、「うむ」と言うようになった。
そして——
評定で、諸葛亮の案に、初めて反対した。
——反対すること自体は、いい。
むしろ、必要である。
問題は、言い方だった。
「軍師どのの案は、慎重に過ぎましょう」
——
広間の空気が、少し止まった。
諸葛亮は、羽扇を止めなかった。
「では、いかがいたしましょう」
「私なら、半分の時で終えます」
——
言っていることは、たぶん正しい。
この人なら、できるだろう。
——だが。
俺は、視界を見た。
```
【彭羕】
発言後の周囲の評価 —12
本人の認識 変化なし
```
——本人の認識、変化なし。
この人は、今、自分が何をしたか、分かっていない。
◆
その夜、諸葛亮が父のところへ来た。
俺は、たまたま隣の間にいた。
——盗み聞きである。
七歳の特権だ。
「主公」
「なんだ、孔明」
「彭羕のことでございます」
「よく働いておるではないか」
「はい」
羽扇の音がした。
「働いております。ゆえに、申し上げます」
「……」
「彭羕は、心大にして志広し」
「うむ」
「保つべからず、と存じます」
——
俺は、そこで、息を止めた。
◆
「保てぬとは」
「あの者は、自らの位置を測れておりませぬ」
「若いゆえであろう」
「歳は、三十を過ぎております」
「……」
「主公。あの者は、徒隷から治中従事に、一足で参りました」
「うむ。私が抜擢した」
「その間の段が、ございませぬ」
——
諸葛亮は、続けた。
「人は、一段ずつ上がる間に、自分がどれほどの者かを知ります」
「……」
「県令を務め、失敗し、叱られ、また上がる」
「うむ」
「その繰り返しの中で、己の丈を測ります」
「……」
「彭羕には、それがございませぬ」
◆
父は、しばらく黙っていた。
そして、こう言った。
「……では、どうせよと」
「外へ出されるのが、よろしいかと」
「左遷か」
「いえ」
諸葛亮は、静かに言った。
「一段、下から積ませるのでございます」
「本人は、罰と受け取ろう」
「……受け取りましょう」
——
「それでも、今のうちでございます」
◆
俺は、隣の間で、動けなくなっていた。
——理由は、諸葛亮の話ではない。
自分のことだった。
◆
俺は、七歳である。
評定の隅に、座っている。
発言権はない。
——建前では。
実際には、諸葛亮は俺に意見を求める。
龐統は俺に書状を送る。
法正は俺と取引した。
劉巴は俺の質問に答えた。
馬超は俺に頭を下げた。
——
```
【主人公依存度】
33%
```
——三十三パーセント。
七年前、十一だった。
危険水準は、六十である。
——
そして俺は、一段ずつ上がっていない。
県令をやったことがない。
失敗して叱られたことも、ない。
——
俺には、前世がある。
MBAがある。
三十八年分の経験がある。
——だから、大丈夫だと思っていた。
……
——本当か。
前世の俺は、部門長までしかやっていない。
国家を、経営したことはない。
そして、この七年、俺は一度も、大きく失敗していない。
——いや。
失敗している。
張松は死んだ。
孫夫人は帰った。
楊阿七は死んだ。
——だが、誰も、俺を叱らなかった。
一度も、である。
「若君のせいではございません」と、全員が言った。
——
俺は、そこで、初めて怖くなった。
——彭羕と、俺の違いは、何だ。
……
俺は、そこで、あることを試した。
——自分を、見た。
手を見た。
足を見た。
盥の水に、顔を映した。
……
何も、出なかった。
——八年、一度も出たことがない。
他人は、全部見える。
兵も、侍女も、老女も、敵兵も、粥を炊く婆さんも。
そして——自分だけ、出ない。
……
——たぶん、これは、そういう仕組みなのだろう。
人を測る者は、自分を測れない。
……
——だから、俺は簿を書いているのかもしれない。
自分が見えないから、外に書く。
書いたものだけが、俺の代わりに俺を測る。
……
そして、俺の簿には、俺のことが一行も書いていない。
◆
能力か。
……違う。
あの人にも、能力はある。
——違いは、時間だ。
あの人は、三十過ぎで一足飛びに上がった。
俺は、七歳から、少しずつ上がっている。
そして、俺には——
まだ、三十年ある。
……
——三十年、誰も叱らなかったら。
俺は、どうなる。
◆
翌朝、俺は彭羕を探した。
文書庫にいた。
竹簡を、恐ろしい速さで処理していた。
「ほうようどの」
「おお、若君」
——「おお」である。
三月前は「これは若君、ご機嫌よろしゅう」だった。
「いそがしい?」
「忙しゅうございますな。私しかできぬ仕事が多い」
——
```
【彭羕】
「私しかできない」発言 月間 17回
```
——十七回。
前世で、俺はこの台詞を何百回も聞いた。
そして、その人たちの半分は、二年以内に潰れた。
残りの半分は、周りを潰した。
◆
「ほうようどの」
「はい」
俺は、聞いた。
「しっぱい、した?」
——彭羕の手が、止まった。
「は?」
「こっちにきてから、しっぱい、した?」
彭羕は、少し考えた。
そして、笑った。
「ございませぬな」
「うん」
「一つも、ございませぬ」
——
誇らしげだった。
そして、俺は、それが一番怖かった。
◆
「ほうようどの」
「はい」
「しかられた?」
「……は?」
「だれかに、しかられた?」
——彭羕の顔から、笑みが消えた。
「……主公は、私を認めてくださっております」
「うん」
「軍師どのも、私の速さを認めておられます」
「うん」
「誰も、叱りませぬ」
「……」
彭羕は、そこで、少しだけ声を落とした。
「若君。私は、劉璋どのの下で、十年、叱られ続けました」
「うん」
「そして、髪を剃られ、枷をはめられました」
「うん」
「あれが、叱るということでございましょう」
——
「今は、誰も叱りませぬ。ゆえに——私は、間違えておりませぬ」
——
俺は、そこで、この人の全部が見えた。
◆
——この人にとって、「叱られる」と「罰される」は、同じことなのだ。
十年、区別を教わらなかった。
間違いを指摘されることと、髪を剃られて奴隷にされることが、同じ引き出しに入っている。
だから——
誰も叱らない今を、「正しい」と読んでいる。
そして、周りは、叱らない。
理由は、二つある。
一つ。この人は、優秀だからだ。
二つ。——徒隷から上がってきた人を、叱りにくいからだ。
——法正が推した。
龐統が面白がった。
劉備が抜擢した。
そして、誰も、後始末を考えていない。
◆
俺は、必死に考えた。
——何が、できる。
「叱る」ことか。
七歳が叱っても、意味がない。
——「段を作る」ことか。
それは、諸葛亮が既に提案している。
そして、本人は罰と受け取る。
……
——違う。
この人に足りないのは、叱られることではない。
——
測るものだ。
◆
「ほうようどの」
「はい」
「ひとつ、おねがい」
「何なりと」
俺は、木簡を出した。
七歳の帯には、まだ挟まらない。
歩くたびに落ちる。
それでも、持ち歩いている。
「これ、かいて」
「何をでございます」
俺は、言った。
「きょう、やったこと」
「……は?」
「まいにち。やったこと、ぜんぶ」
彭羕は、怪訝な顔をした。
「若君。私は、日に百を超える文書を——」
「ぜんぶ」
「……時がかかります」
「それと」
俺は、続けた。
「できなかったこと、も」
——彭羕の動きが、止まった。
◆
「……できなかったこと」
「うん」
「私は、できぬ仕事を受けておりませぬ」
「うん」
「では、書くことがございませぬ」
俺は、言った。
「じゃあ、なにも、してない」
——
彭羕が、俺を見た。
「……は?」
「できることだけ、やってる」
「……」
「それは、あたらしいこと、してない」
——
広い文書庫が、静かになった。
◆
——言いたかったのは、こうだ。
「一つも失敗していない」というのは、優秀の証明ではない。
——挑戦していない証明である。
前世で、俺はこれを何度も言った。
部下の評価面談で。
「失敗ゼロの人は、二種類しかいない。何もしていない人か、失敗を隠している人だ」
——
この人は、たぶん、前者である。
そして、本人は、それに気付いていない。
——なぜなら、周りが「よくやっている」と言い続けるからだ。
◆
彭羕は、しばらく黙っていた。
そして、木簡を受け取った。
「……承知いたしました」
「うん」
「書きます」
そして、少し笑った。
「若君は、私を叱っておられるのですか」
俺は、答えた。
「しかってない」
「では」
「はかってる」
```
【彭羕 字・永年】
自己評価 99 → 96
危機察知 22 → 27
【一足飛び】効果に、わずかな変化
将来失脚危険度 88% → 79%
```
——七十九パーセント。
九、下がった。
そして、まだ八十近い。
◆
その夜、俺は死亡年表を開いた。
そして、二二〇の行を見た。
法正。四十五。丸。
俺は、その下に、書き足した。
彭羕 三十七
——
覚えていた。
この人は、六年後に処刑される。
理由は、馬超に、言ってはならないことを言ったからだ。
——
俺は、そこで、手が止まった。
馬超。
——先月、俺が馬岱の名を書いた人である。
他者信頼、十二。
帰属意識、七。
壁を背にして座り、扉の位置を確認する人。
——そして、六年後。
この人が、彭羕の言葉を聞いて、密告する。
理由は、簡単だ。
——自分が疑われないためである。
疑われ続けた人間が、疑われないために、他人を売る。
——
俺は、その二つの名前を、並べて見た。
馬超。他者信頼十二。
彭羕。危機察知二十七。
——
信じない人と、警戒しない人。
この二人を、同じ部屋に入れてはいけない。
それだけで、二人とも死ぬ。
◆
俺は、木簡の余白に、一行書いた。
《孟起どのと、永年どのを、会わせない》
——劉巴と張飛のときと、同じ手である。
あのとき、俺は「なかよく、しなくていい」と言った。
今度は、違う。
——今度は、「近づけたら、死ぬ」である。
俺は、記号を描こうとした。
丸か。四角か。
そして——
四角を、描いた。
理由は、一つだけだ。
——今日、九下げた。
そして、「会わせない」という手が、まだ残っている。
六年ある。
六年で、七十九をゼロに近づける。
……
——できるだろうか。
この人の自己評価は、九十六である。
そして、まだ上がる。
上がるたびに、俺の手は減っていく。
次回 第44話「誰が何を決めるのか」




