第38話 成功は新しい危機を連れてくる
【建安十九年|成都】
龐統が、生きていた。
それは、俺が七年かけて手に入れた、初めての勝利だった。
そして、その勝利が、次の人を殺しにかかった。
◆
建安十九年の夏。雒城が落ちて、我が軍は成都へ向かった。成都平原には、もう壁がない。劉璋は、城に籠もった。そして、馬超が来た。北から流れてきた、涼州の猛将である。この男が我が軍に加わったと知って、成都は震え上がった。
包囲、十数日。劉璋が、降った。
血を、ほとんど流さずに。
報せが荊州に届いたのは、秋だった。関羽が、竹簡を読み上げた。
「劉璋、降伏。成都、開城」
広間が、沸いた。糜竺が涙を流した。この人は、徐州の頃から二十年、この日を待っていた。
本拠地。帰る場所。逃げなくていい土地。
ようやく、手に入った。
俺も、嬉しかった。心の底から、嬉しかった。七年前、俺は木簡に書いた。
《五十五年後も、蜀を残す》
その「蜀」が、今日、できた。
俺は、視界を確認した。
【劉備軍 → 益州政権】
支配領域 荊州南部+益州
人口 推定 九十万戸
兵力規模 D → B
兵站能力 E+ → C
本拠地 成都(確定)
総合評価 B- → A-
A級である。七年前、Bマイナスだった。曹操軍が、Sだった。まだ、届かない。だが、Bマイナスから見れば、別の生き物になった。
そこで、一つだけ引っかかった。
人口、九十万戸。そして、荊州南部と益州である。三年前、龐統は言った。
《劉璋どのが治めておられるのは、益州の四割ほど》
四割である。そして、今日、九十万戸が我らのものになった、と表示された。
俺は、馬良に聞いた。
「きじょう」
「はい」
「きゅうじゅうまん」
「はい」
「かぞえた」
馬良は、少し困った顔をした。そして、答えた。
「……劉璋どのの簿を、そのまま引き継いでおります」
「あってる」
「——」
「分かりませぬ」
俺は、頷いた。そして、心の中で、こう思った。
四割しか治めていない人が作った簿を、そのまま受け取った。そして、それを「九十万戸」と呼んでいる。
前世で、俺が机に置きっぱなしにしていた本がある。偉大な会社が滅ぶまでを、五つの段階に分けた本だ。社長に三回貸そうとして、三回とも「うちは大丈夫だ」と返された。
第一段階は、負けたときには来ない。
勝ったときに、来る。成功から生まれる傲慢、と書いてあった。実力で勝ったのだと思い込み、なぜ勝てたのかを調べなくなる段階である。
俺は、その本を胸の上に載せて死んだ。
そして今日、我が軍は勝った。誰も、九十万という数の出所を調べていない。
三年後、俺はその差を知ることになる。犍為郡の、二千四百戸である。
◆
そして、その夜、書状が二通、届いた。一通は、諸葛亮から。もう一通は、龐統から。どちらも、俺宛てである。
七歳に、書状を送ってくる大人が、二人いる。
諸葛亮の書状は、長かった。この人の書状は、いつも長い。内容は、こうだった。益州の統治体制を、これから作る。旧劉璋配下の官吏を、どこまで残すか。豪族の私兵を、どう扱うか。税制を、どう変えるか。
そして、最後に、一行あった。
《若君のお考えを、お聞かせいただきたく》
七歳に、国家統治の意見を求めてきた。
……いや。この人は、去年の秋から、こうしている。評定に出られない距離になってから、書状で聞いてくるようになった。
《【主人公依存度】24% → 31%》
上がっている。六年前、十一パーセントだった。危険水準は、六十である。
そこで、一つ考えた。なぜ、上がったのか。俺が、何かをしたからではない。
遠くなったからである。
近くにいた頃、この人は俺に聞かなかった。袖を掴めば、それで済んだ。そして、四百里離れた途端、書いて聞いてくるようになった。
距離が、依存を作る。
前世で、俺は逆だと思っていた。近くにいる人ほど、頼ってくる、と。そして、違った。近くにいる人は、頼らなくても分かる。
遠くにいる人だけが、聞く。
龐統の書状は、相変わらず短かった。
《成都、開いた》
《劉璋は生きている》
《条件書は、守った》
そして、その下に、一行。
《次は、私が残る》
俺は、その五文字を、二度読んだ。
残る。益州に、龐統が残る。では——諸葛亮が、荊州へ戻れる。
俺は、書状を落とした。心臓が、跳ねた。
関羽が、一人でなくなる。
去年の冬、俺は評定でこう言った。《叔父上、ひとり》《きめるひとは、ひとり》——そして、誰も代案を出せなかった。
今度は、違う。龐統が、生きている。あの人が益州の統合を担えば、諸葛亮は荊州へ戻れる。荊州に、関羽と諸葛亮の二人がいれば——
【関羽】
荊州孤立危険度 12%
想定
諸葛亮が荊州へ帰任した場合 12% → 4%
四パーセント。十二から、四。
俺は、その数字を見て、震えた。
龐統を救ったことが、関羽を救うことに、繋がる。
七年前に投げた石が、いま、別の場所で跳ねた。
俺は、その夜、書状を書いた。七歳の字である。まだ歪んでいるが、去年よりは読める。宛先は、諸葛亮。内容は、一つだけだった。
《先生が、荊州へ、帰ってください》
理由も、書いた。
《雲長が、一人です》
《一人だと、いつか、困ります》
《士元どのが、益州を、できます》
三行。七歳が書ける限界だった。
そして、この三行に、俺は七年分を賭けた。
◆
返事は、二十日後に来た。長かった。
そして、俺は、その書状を読んで——動けなくなった。
諸葛亮は、こう書いていた。
《若君のご懸念、まことにもっともでございます》
《雲長どのを一人にすることの危うさは、私も存じております》
分かっている。この人は、分かっている。
《ゆえに、私も一度は、帰任を考えました》
《ですが、できませぬ》
「……」
《理由は、士元どのにございます》
俺は、次の行を読んだ。
《士元どのは、益州を治められませぬ》
《策は、私より優れております》
《速さは、比べものになりませぬ》
《実務も、四時間で溝を掘る方でございます》
《——ですが、あの方は、人を斬れます》
俺は、息を呑んだ。
《益州には、劉璋どのに仕えた官吏が、数千おります》
《その中に、無能な者、腐敗した者、我らを憎む者が、必ず混じっております》
《士元どのは、それを見つけます。私より、速く、正確に》
《そして——斬ります》
《斬るのが、間違いだとは申しません》
《斬らねば、進まぬこともございます》
《ですが、若君》
《斬られた者の一族は、三十年、覚えております》
俺は、その一行を、何度も読んだ。
三十年。
去年、趙雲が、まったく同じことを聞いた。張松が来た日の評定で。
《その鎮圧の記憶は、何年残りますか》
そして、龐統は答えられなかった。
答えられなかったのだ。知らなかったのではない。あの男は、その問いを、重要だと思っていない。
諸葛亮の書状は、続いていた。
《私は、士元どのより遅うございます》
《同じ仕事に、三倍の時を要します》
《そして、斬りませぬ》
《斬らずに済ませる方法を、探します。三倍の時をかけて》
《益州は、これから三十年、我らの国でございます》
《最初の一年で作った傷は、三十年、残ります》
《ゆえに、私が残ります》
そして、最後に、こうあった。
《雲長どののこと、申し訳なく存じます》
《私は、荊州を守ることより、益州を痛めぬことを選びました》
《これは、選択でございます》
《そして——若君に、これを選ばせるわけには参りませぬ》
《ゆえに、私が選びました》
俺は、その書状を握りしめた。
この人は、俺を庇った。七歳に、「関羽と益州のどちらを取るか」を選ばせないために、先に決めた。そして、その責めを、自分で負うと書いた。
俺は、書状を胸に抱えて、しばらく動けなかった。
そこで、一つ気付いた。
この書状は、返事ではない。報告である。
「帰ってください」と書いた。そして、「帰りません」と返ってきた。理由が、七行ある。そして、七行とも、正しい。
反論できない。
俺は、一つだけ確かめた。この書状に、《いかがでしょうか》と書いてあるか。
書いていない。
先月の書状には、あった。《若君のお考えを、お聞かせいただきたく》——統治体制のことは、聞いた。
そして、自分がどこにいるかは、聞かなかった。
俺は、返事を書こうとした。そして、書けなかった。書くことが、ない。「分かりました」では、負けである。「それでも帰ってください」では、駄目である。理由が、七行あるからだ。
俺は、三日、書けなかった。そして、四日目に、一行だけ書いた。
《なんねん、ですか》
それだけである。
十日後、返事が来た。一行だった。
《三年で、目処を立てます》
三年。俺は、その二文字を、木簡へ書き写した。そして、その横に、こう書いた。
《かんうまで、あと五年》
二年、余る。
理屈の上では。
◆
翌朝、俺は関羽のところへ行った。この人は、月に三度、公安へ来る。その日が、たまたま、来る日だった。
「叔父上」
「うむ」
「せんせいは、かえってこない」
関羽は、少し驚いた顔をした。
「そうか」
「うん」
「益州が要るからであろう」
「……うん」
「当然だ」
この人は、即座に納得した。理由も聞かず、恨みもせず。
それが、余計に、きつかった。
「叔父上」
「うむ」
「さびしくない」
関羽は、俺を見た。そして、こう言った。
「若君がおられる」
俺は、何も言えなくなった。
七歳である。この人が持っている「味方」は、七歳の子供と、断る力十七の文官一人である。そして、この人はそれで足りると思っている。
《【関羽】荊州孤立危険度 12% → 13%》
一、上がった。諸葛亮が戻らないと確定しただけで、一。
俺はそこで、一つ聞いた。
「叔父上」
「うむ」
「さんねん、まてる」
関羽は、少し考えた。そして、答えた。
「待てる」
「なんで」
「——」
「呉が、動かぬゆえだ」
俺は、聞いた。
「うごいたら」
関羽は、答えた。
「そのときは、待たぬ」
「どうする」
「——」
「戦う」
俺は、動きを止めた。そして、こう聞いた。
「まけたら」
長い沈黙があった。そして、この人は、こう言った。
「……その問いは、去年、そなたにされた」
「うん」
「そして、私は答えなんだ」
「うん」
「——」
「今も、答えられぬ」
◆
その夜、俺は木簡を出した。そして、一行書いた。
《士元どのを、助けた》
その下に。
《雲長は、助からなかった》
七年前、俺は思っていた。未来を知っている。能力値が見える。前世の経験もある。だから、全部救える、と。
そして、去年、張松を失った。確率を五十八まで下げて、失った。今年、龐統を救った。四十一のところで、救った。だが、救った代償に、二十三歳の男が一人死んだ。
そして、諸葛亮は益州に残ることになった。
関羽は、一人のままだ。
俺は、筆を置いた。そして、気付いた。
資源は、有限である。
当たり前のことだ。前世で、俺は毎日それを言っていた。「予算は有限です」「人員は有限です」「時間は有限です」——そして、優先順位をつけろ、と。優先順位をつけるというのは、何かを捨てるということである。俺は、それを、部下に何百回も言った。
そして今、俺自身が、それをやっている。
龐統を取った。関羽を、後回しにした。
いや。違う。俺は、選んでいない。
選ばせてもらえなかった。
諸葛亮が、先に選んだ。そして、それを「若君に選ばせるわけには参りませぬ」と書いてきた。
それは、優しさだ。
そして——それは、俺をこの決定から外したということでもある。
俺は、視界を開いた。
《【主人公依存度】31%》
三十一。上がり続けている。そして、今回。最も重要な決定から、俺は外された。
依存度が上がっているのに、俺は決められない。おかしい。依存されているなら、決められるはずだ。
いや。違う。この数字は、「俺に依存している度合い」ではない。
「俺がいないと止まる度合い」である。
周りは、俺を頼る。意見を聞く。書状を送ってくる。そして、本当に重い決定は、大人が勝手に決める。
七歳だからだ。当たり前だ。
当たり前だが。
十年後、俺は十七になる。そのとき、この構造は、逆になる。大人が、俺に決めさせるようになる。
そして、そのときには——この人たちの半分が、もういない。
俺は、そこで、一つ書き足した。
《いま、きめられない》
そして、その下に。
《きめられるように、なったとき》
そして、その下に。
《きめるあいてが、いない》
俺は、しばらく動けなかった。
そして、一つだけ、思いついた。
いま、決められないなら。いま、決めなくていいものを、増やしておけばいい。
制度である。制度は、決める人がいなくても動く。そして、俺が決められるようになった頃には、既に動いている。
俺は、木簡へもう一行書いた。
《いま、つくる》
《あとで、つかう》
◆
俺は、死亡年表を開いた。
二〇九——母。丸。
二一二——張松。丸。
二一四——龐統。四角。(生存確定)
二一九——関羽。丸。
二二〇——法正。丸。
二二一。二二三。二二八——孟達。四角。
二二九。二三四。
五年。関羽まで、あと五年。
そして、諸葛亮は来ない。趙雲も、張飛も、益州にいる。父も、益州にいる。
荊州にいるのは、関羽と、俺と、馬良である。
俺は、その木簡を睨んだ。そして、書いた。
《一人で、やる》
七歳が書く言葉ではない。だが、事実だった。
そして、俺は、そこで手を止めた。書いてから、気付いた。
これは、関羽と同じ言葉である。去年、この人は言った。
《一人で、十分でござる》
俺は、その一行を、削り取った。竹が、白く毛羽立った。そして、書き直した。
《ひとりに、ならない》
一人でやる、ではない。一人にならない、である。
同じ状況で、違うことを書く。そして、それだけが、あの人との違いだ。
そして、翌月。成都から、俺を呼ぶ書状が来た。父からである。短かった。
《成都へ参れ》
《父は、お前に見せたいものがある》
俺は、荊州を離れることになった。
関羽を、置いて。
発つ前、俺は関羽に一つだけ渡した。木簡である。
《まだ、てのないもの》
去年、作った簿だ。一行目に、こう書いてある。
《かんうどのに、いう ひと》
関羽は、それを読んだ。そして、長いこと黙っていた。やがて、こう聞いた。
「若君」
「うん」
「これは、私が読んでよいものか」
俺は、答えた。
「うん」
「……なぜ」
俺は、こう言った。
「かいたの、おれだから」
関羽は、木簡を返そうとした。俺は、受け取らなかった。そして、こう言った。
「もってて」
「なぜでござる」
「——」
「おれが、いないあいだ」
「——」
「よめる ひとが、ひとりも いない」
〈あとがき〉
九十万戸は、劉璋の簿をそのまま引き継いだ数です。「四割しか治めていない人が作った簿を、そのまま受け取った」——三年後、犍為郡の二千四百戸で、その差を知ります。
依存度が上がった理由——「距離が、依存を作る。……近くにいる人は、頼らなくても分かる。遠くにいる人だけが、聞く」。
「この書状は、返事ではない。報告である」。先月は《お聞かせいただきたく》とありました。「統治体制のことは、聞いた。そして、自分がどこにいるかは、聞かなかった」。
三日書けず、四日目に一行だけ——《なんねん、ですか》。《三年で、目処を立てます》。そして《かんうまで、あと五年》。
「さんねん、まてる」「待てる。呉が、動かぬゆえだ」「うごいたら」「そのときは、待たぬ」「まけたら」「……その問いは、去年、そなたにされた。そして、私は答えなんだ。——今も、答えられぬ」。
《いま、きめられない》《きめられるように、なったとき》《きめるあいてが、いない》——そして《いま、つくる》《あとで、つかう》。
《一人で、やる》を削って、《ひとりに、ならない》に書き直しました。「同じ状況で、違うことを書く。そして、それだけが、あの人との違いだ」。
そして《まだ、てのないもの》を、本人に預けました。「よめる ひとが、ひとりも いない」。
《劉禅文庫 再読『衰退の五段階』——第一段階は、負けたときには来ない。勝ったときに来る。そして今日、誰も九十万という数の出所を調べていない》
次回 第39話「成都買収後の百日計画」




