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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第三部 蜀漢役員会は今日も大炎上

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35/87

第34話 救えなかった二人目

その年、俺は二つの報せを受け取った。


一つは、江東から。


もう一つは、益州から。


——どちらも、俺が止められなかったものだった。



    ◆



建安(けんあん)十七年。


俺は、四つから五つになった。


そして、城から百一人が消えた。


(そん)夫人と、帯剣した侍女百人である。



    ◆



出立の朝は、雨だった。


冬の雨は、冷たい。


荷は、前の月のうちに運び終えていた。


あの日、長江の上で引き返した船が、そのまま岸に繋がれていた。


そして今度は、俺を乗せずに、出ていく。


俺は、趙雲(ちょううん)に抱かれて、それを見ていた。


孫夫人は、輿に乗る前に、一度だけ振り返った。


そして、何も言わなかった。


去年の冬、この人が来た日と、同じである。


あの日も、この人は名乗らなかった。


——だが、今の俺は、名前を知っている。


口には出さない。


約束したからだ。


俺は、心の中でだけ、その名を呼んだ。


——それで、十分だった。



    ◆



侍女たちが、列を作って続いていく。


一人。二人。五人。十人。


——去年、この人数を数えたときは、恐怖だった。


今は、違う。


百人が、一人ずつ、いなくなっていく。


それだけの光景である。


そして、この城の三分の一の音が、消える。



    ◆



列の一番後ろに、阿仙(あせん)がいた。


一年前、俺が名前を聞いた侍女である。


俺は、趙雲の腕から降ろしてもらった。


そして、走った。


五歳になったので、五歩は転ばずに走れる。


六歩目で転んだ。


「若君!」


阿仙が、駆け寄って抱き起こした。


この人も、上手くなった。



    ◆



「あせん」


「……はい」


「いくの」


「はい」


「うん」


俺は、それ以上、言葉が出なかった。


止める理由が、ない。


この人は侍女である。主が帰るなら、帰る。


当たり前だ。


阿仙は、しばらく黙っていた。


そして、小さな声で聞いた。


「若君」


「うん」


「私の名を、まだ持っておられますか」


——


俺は、帯から木簡を抜いた。


五歳の帯には、まだ木簡が挟まらない。


歩くたびに落ちる。


それでも、毎日持ち歩いている。


《名のない者》


一行目に、阿仙(あせん)とある。


四歳の字である。


歪んでいる。


そして、その下に、五十人以上の名前が続いている。


阿六(あろく)。排水路の二十人。糜芳(びほう)王阿三(おうあさん)


練兵場で殴られた兵たち。


厨房の老女。


薬を煎じた医官。


——去年から、増え続けている。


阿仙は、その一行目を、長いこと見ていた。


そして、泣いた。



    ◆



「……申し訳ございません」


「いい」


「はしたなく」


「いい」


阿仙は、袖で目を拭った。


そして、言った。


「若君」


「うん」


「私は、呉へ帰ります」


「うん」


「帰れば、また侍女でございます」


「うん」


「名など、誰も呼びませぬ」


——


「……ですが」


阿仙は、木簡を見た。


「私は、名を呼ばれた者でございます」


彼女は、深く頭を下げた。


「それは、誰にも取れませぬ」


```

【阿仙】

劉禅への信頼 71 → 100

```


——百。


この物語で、初めて見る数字だった。


——趙雲(ちょううん)の忠義でさえ、劉備に対して百である。


俺に対しては、まだ違う。


一年間、俺がこの人にしたことは、名前を呼んだことだけだ。



    ◆



阿仙は、列へ戻っていった。


雨の中を、歩いていった。


振り返らなかった。


俺は、その背中を見送った。


```

【阿仙】


離脱 確定

再来訪確率 0%


備考

 この人物は、あなたの名を、生涯覚えています。

```


——


役に立たない備考である。


国家経営には、何一つ寄与しない。


俺は、それを読んで、しばらく動けなかった。



    ◆



城は、静かになった。


去年の暮れ、父が発ったときも静かになった。


今度は、その半分の音が、また減った。


張飛(ちょうひ)が、廊下でぼやいた。


「城が広くなったな」


「ひろくなってない」


「そうか?」


「ひとが、へった」


張飛は、少し考えた。


そして、こう言った。


「……同じことではないか」


——


同じである。


この人は、時々、こういうことを言う。



    ◆



諸葛亮(しょかつりょう)は、何も言わなかった。


ただ、その日から、評定に一つ、議題が増えた。


《呉との連絡経路の再構築について》


「奥方さまが去られたことで、江東との非公式な経路が、失われました」


——非公式な経路。


そんなものが、あったのか。


「あったのですか」


糜竺(びじく)が尋ねる。


「ございました」


諸葛亮は、静かに答えた。


「侍女百人のうち、少なくとも十数名は、江東と文をやり取りしておりました」


「それは、危険では」


「危険でした。同時に、有用でもございました」


「……」


「呉が何を考えているかを知る、最も速い経路でございました」


——


俺は、そこで気付いた。


この男は、知っていた。


知っていて、放置していた。


そして今、それを失った。


```

【荊州】

呉に関する情報取得速度 低下

```


——去年、俺は思った。


帯剣した侍女百人は、壁である、と。


壁でもあり、窓でもあったのだ。


そして、壁を煙たがっているうちに、窓ごと閉まった。



    ◆



それから、半年が過ぎた。


建安(けんあん)十七年の冬。


益州(えきしゅう)から、急報が来た。



    ◆



伝令が、泥だらけで転がり込んできた。


——馬を三頭潰したという。


葭萌関(かぼうかん)より、報せにございます」


「申せ」


諸葛亮が言った。


伝令は、荒い息のまま、こう言った。


「主公と劉璋(りゅうしょう)どのが、決裂いたしました」


——広間が、静まり返った。


「経緯を」


張松(ちょうしょう)どのが、露見いたしました」


——


俺の身体が、固まった。



    ◆



「露見、とは」


「張松どのが、我が主公と通じていたことが、劉璋どのに知れました」


「誰が」


「……」


伝令は、言いにくそうにした。


そして、言った。


「兄君でございます」


——


張粛(ちょうしゅく)


広漢(こうかん)の太守。


張松の、兄。


「弟の書状を見つけ、己に累が及ぶことを恐れて、劉璋どのへ差し出したとのこと」



    ◆



「張松どのは」


諸葛亮が、静かに尋ねた。


伝令は、床に額をつけた。


そして、言った。


「処刑されました」


「……」


「一族もろとも、でございます」


——広間が、動かなかった。


俺は、その場に座り込んだ。


転んだのではない。


脚に、力が入らなかった。



    ◆



——去年の冬、俺はこの人に言った。


「だれにも、いわないで」


「ぜんぶ」


そして、家族のことを聞いた。


「かぞく、いる?」


「妻と、子が二人。あとは——兄が、一人」


そのとき、俺は言った。


「あにうえに、いわないで」


「ぜったい」


——そして、あの人は笑った。


「承知いたしました」と。


社交辞令だと、俺は思った。


この人は、たぶん言う、と。


兄弟なのだから、と。


——そのとおりに、なった。



    ◆



俺は、視界を確認した。


去年の記録が、まだ残っている。


```

【張松 字・子喬】


兄への情報開示確率 71% → 58%

```


——五十八パーセント。


俺が、下げた数字である。


七十一から、五十八へ。


十三、下げた。


——下げた。


下げて、起きた。


……


——五十八パーセントとは、そういう意味だ。


十回のうち、六回は起きる。


下げても、起きる。


確率を下げるというのは、起きないということではない。


——起きたときに、「やれることはやった」と言えるようになる、というだけである。


そして、その言葉は、死んだ人には何の意味もない。



    ◆



諸葛亮(しょかつりょう)が、俺を見ていた。


「若君」


「……」


「立てますか」


「……」


俺は、答えられなかった。


趙雲が、抱き上げた。


「若君。お部屋へ」


「やだ」


「しかし」


「やだ」


俺は、趙雲の袍を掴んだ。


——ここにいたい。


この話を、最後まで聞きたい。


逃げたら、二度と聞けない気がした。



    ◆



伝令は、続けた。


「劉璋どのは、直ちに関を封じ、我が軍を撃つよう命じられました」


「主公は」


涪城(ふじょう)を取られました」


「……早いな」


龐統(ほうとう)どのの策にございます」


——龐統。


俺は、顔を上げた。


「しげんは」


「は?」


「しげんは、ぶじ?」


伝令は、少し困った顔をした。


「……は。ご無事でございます」


「かぶと」


「は?」


「かぶと、かぶってた?」


伝令は、完全に混乱した顔をした。


そして、答えた。


「……はい。妙に重そうな兜を、かぶっておられました」


——


俺は、そこで、少しだけ息ができた。



    ◆



その夜、俺は木簡を出した。


死亡年表である。


二〇九——母。丸。


二一二——張松(ちょうしょう)。四角。


俺は、その四角を、長いこと見ていた。


——去年、俺はこの記号を発明した。


丸は、死ぬ年の印。


四角は、まだ何も決まっていない印。


「まだ決まっていない」というのは、「救える」という意味だと、俺は思っていた。


——違った。


四角は、保証ではない。


「俺が、やれることをやった」という印にすぎない。


そして、やれることをやっても、人は死ぬ。



    ◆



俺は、筆を取った。


そして、その四角の上から、丸を描いた。


線が、震えた。


何度も、なぞった。


四角の角が、丸の中に消えていった。


——書き換えるのに、四角を描いたときの三倍の時間がかかった。



    ◆



俺は、木簡をめくった。


二一四——龐統(ほうとう)。四角。


——三十三パーセント。


去年、七十一から下げた。


斥候を二倍にした。別働隊を先行させた。鎧を着せた。兜も着せた。


——三十三。


三回に一回は、起きる。


張松は、五十八だった。


そして、起きた。


俺は、その四角を見つめた。


——足りない。


あと二年ある。


三十三を、いくつまで下げれば、「起きない」と言えるのか。


——答えは、知っている。


ゼロにしない限り、起きうる。


そして、ゼロにはできない。


人は、いつか死ぬからだ。



    ◆



俺は、もう一枚の木簡を出した。


《救えなかった者》


一行目、甘夫人。


二行目、孫夫人。(名前の欄は、空白)


俺は、三行目に書いた。


張松(ちょうしょう) 字・子喬(しきょう)


——名前も、字も、両方書いた。


この人は、史書に載る。


「益州を売った男」として、載る。


だが、俺の簿には、別のことを書いておく。


俺は、その下に一行足した。


《ちずじゃなくて、このひとが、ほしかった》


——去年、俺が言った言葉である。


この人は、それを聞いて、泣きそうな顔をした。


「四つの子に、生まれて初めて、正しく値踏みされました」と言った。


——一年しか、なかった。


一年前に会って、一年後に死んだ。


その一年で、俺がしたことは、値踏みを一回、正しくやっただけだ。



    ◆



俺は、木簡を閉じた。


そして、気付いた。


この一年で、俺は三人を失った。


母は、二年前だ。


この一年で失ったのは——


(そん)夫人。


阿仙(あせん)


そして、張松(ちょうしょう)


——一人は、生きたまま去った。


一人は、名前だけ持って去った。


一人は、死んだ。


そして俺は、三人とも、止められなかった。


能力値が見える。


未来を知っている。


制度も作った。趙雲を危機評価役に置いた。報告制度も直した。名簿も整えた。


——五歳の実績としては、異常なほど良い。


そして、人は、三人減った。



    ◆



灯火を消す前、俺は窓の外を見た。


諸葛亮(しょかつりょう)の書斎の明かりが、点いている。


——今夜は、行かない。


行っても、袖を掴んで座り込むだけの力が、今日はなかった。


俺は、寝床に入った。


そして、暗闇の中で、一度だけ、声に出した。


孫夫人の、名前を。


誰にも聞こえない声で。


——覚えている。


まだ、覚えている。



次回 第35話「劉璋との決裂」


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