第2話 父は魅力百の無計画CEOだった
次回 第3話「この国は五十五年後に潰れる」
劉備軍は、国家ではなかった。
会社ですらなかった。
強いて言うなら、社長の人柄だけで人が集まっている、住所不定のベンチャー企業である。
◆
本社がない。安定収益がない。土地が少ない。人材は異様に豪華だが、給与の原資がない。
しかも競合企業は曹操である。
曹操は後漢の皇帝を「保護」という名目で押さえ、北方の大部分を支配している。兵力、人口、農地、官僚、情報網。すべてにおいて劉備軍を上回っている。
一方の劉備は、劉表のもとに身を寄せ、新野という小さな城を預かっているにすぎない。
会社にたとえるなら、売上も資産もない創業者が、大企業の地方営業所を間借りしている状態である。
普通なら、とっくに倒産している。
それでも劉備の周りには、人が集まっていた。
理由は単純だった。
劉備は、人の名前を覚えている。下級兵士にも声をかける。負傷者の家族を気遣う。食料が減れば、自分も同じ薄い粥を食う。泣いている民がいれば、足を止める。
効率は悪い。意思決定は遅い。
だが、人はこの男についていきたくなる。
◆
俺は乳母の腕の中から、劉備の仕事ぶりを観察していた。
この頃には、人物を数秒見つめると能力画面が出ることが分かっていた。
ただし、誰にでも見えるわけではない。
一定以上の接触時間が必要だった。遠くを歩いている人物には、名前しか表示されない。会話や行動を観察すると、情報が増える。関係が深まると、隠された能力や特性が判明する。
つまり単なる万能鑑定ではない。
人間関係を築かなければ、本当の情報にはアクセスできない仕様らしい。
俺は、その仕様を好ましく思った。
人材評価は履歴書だけではできない。面接だけでも分からない。仕事を任せ、失敗を見て、困難な場面での行動を観察して、初めてその人間の本質が見える。
問題は、俺がまだ話せないことだった。
優秀な人材を見つけても、採用できない。役割も与えられない。
せいぜい、気になる人物をじっと見つめて泣く程度である。
最初、周囲は俺を神童だと思った。
その後、俺が中年男性ばかり凝視するため、不思議な趣味の赤ん坊だと思い始めた。
心外である。
◆
「阿斗さまは、また趙将軍をご覧になっています」
侍女が言った。
視線の先には、白い衣をまとった若い武将がいた。
趙雲である。
まだ長坂坡の英雄になる前だ。
若い。姿勢がいい。周囲の兵に、分け隔てなく声をかけている。誰かが落とした荷を、当たり前のように拾って渡していた。
俺が見つめると、画面が現れた。
【趙雲 字・子龍】
統率 93
武力 97
知略 84
政務 73
魅力 96
忠義 100
危機管理 100
組織適応 98
倫理性 100
自己主張 21
固有特性
【単騎救出】
護衛・救出任務時、全能力が上昇する。
【無欲】
功績を他者へ譲る。適切な評価を受けにくい。
【最後まで残る者】
組織崩壊時、最も危険な場所へ自発的に向かう。
総合評価 S+
——すごい。
ほぼ欠点がない。
自己主張二十一だけが気になるが、他の連中の問題に比べれば誤差である。
やっと、普通の人がいた。
俺が心の底から安堵していると、趙雲がこちらに気付いた。歩み寄ってくる。
「若君は、私の顔に何か付いておりますか」
乳母が笑った。
「阿斗さまは、子龍将軍がお好きなのです」
そうだ。
非常に、好きだ。
内定を出したい。できれば終身雇用したい。ストックオプションも出す。この国にはまだ株式がないが。
趙雲が指を差し出した。俺はそれを両手で掴んだ。
「おや」
趙雲が目を細める。
「強い力です」
当然だ。
絶対に逃がさない。
あなたは蜀漢の危機管理部門を担う予定である。辞表は受理しない。
趙雲からの親愛度 18 → 21
——上がった。
これなら赤ん坊でも人材登用が可能かもしれない。
俺が手を離さずにいると、趙雲が少し困った顔をした。
「若君。そろそろ、軍議へ参らねばなりません」
行くな。まだ待遇条件を伝えていない。
「阿斗さま」
乳母が俺の手を外そうとする。俺は全力で握った。
趙雲からの親愛度 21 → 24
「ずいぶんと、気に入られておりますな」
◆
そこへ、地面を揺らすような声が響いた。
「阿斗は子龍が好きなのか!」
大柄な男が歩いてきた。
張飛である。
酒の匂いがした。
昼である。
なぜ飲んでいる。
張飛は俺を軽々と抱き上げた。
抱き方が乱暴だ。首を支えろ。この軍には乳幼児安全研修が必要である。
【張飛 字・益徳】
統率 92
武力 99
知略 70
政務 29
魅力 83
現場判断 96
突破力 100
部下育成 42
感情制御 8
飲酒耐性 97
固有特性
【一喝】
大声によって、敵味方双方へ強い心理的影響を与える。
【愛情表現不能】
対象を大切に思うほど、強い言葉と態度を用いる。
【酔中人事】
飲酒中、重要な任命や処分を決定する可能性がある。
組織上の危険
部下への暴力/感情的処分/暗殺危険
——暗殺危険。
赤い文字が、不気味に点滅している。
そうだ。
張飛は関羽の仇討ちへ向かう直前、部下の范彊と張達に殺される。
理由は、無理な命令と、日常的な暴力である。
敵に討たれるのではない。部下に寝首をかかれる。
目の前の張飛は、そんな未来を知らずに笑っている。
「阿斗! 俺と子龍、どちらが好きだ!」
比較するな。
それに顔が近い。声が大きい。酒臭い。
俺は全力で顔を背けた。
趙雲が咳払いした。
「翼徳どの。若君が怖がっておられます」
「何だと! 俺の顔が怖いというのか!」
声量を下げろ。
感情制御八が、あり得ないほどの説得力を持っている。
俺は張飛の髭を掴んだ。
「痛い、痛い! 阿斗、離せ!」
親愛度を下げたかと思った。
だが表示は逆だった。
張飛からの親愛度 25 → 39
——なぜ上がる。
張飛は髭を引かれながら、嬉しそうに笑った。
「見ろ、子龍! この力! さすが兄者の子だ!」
この組織には、正常なコミュニケーションが存在しないらしい。
俺は趙雲を見た。趙雲は苦笑していた。
その後ろから、劉備がやってきた。
「翼徳。阿斗を落とすなよ」
あなたもだ。
全員だ。
まず新生児を安全に抱くところから研修を始めよう。
◆
父は魅力百。趙雲は倫理百。張飛は武力九十九。
確かに、一流の人材が揃っている。
だが俺は、このとき初めて理解した。
蜀が滅んだ理由は、人材不足ではない。
人材が、尖りすぎているのだ。
そして、その尖った英雄たちを束ねられる人間が、一人もいない。
——ならば、俺がやるしかない。
今は赤ん坊だ。言葉も話せない。
だが、いずれ俺は皇太子になり、皇帝になる。
それまでに、この怪物たちを、一つの組織として働かせる。
俺が決意を固めたとき、張飛が俺を高々と持ち上げた。
「見よ! 阿斗が笑ったぞ!」
笑っていない。
決意しているのだ。
それに、高い。降ろせ。
視界の端で、赤い文字が点滅した。
危険行動を検知しました
対象 劉禅
危険内容 落下
推奨対応 泣いてください。
「おぎゃああああ!」
俺は推奨対応に従った。
蜀再建への道は、まず自分の安全確保から始まるらしい。
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