第23話 関羽という最強の問題社員
龐統が、人事評価の制度を作った。
全員に、自分で自分の評価を書かせる方式である。
関羽の自己評価は、全項目、最高点だった。
◆
事の起こりは、益州である。
前の月、方針が決まった。
招かれるまで待つ。待つ間に準備する。
そして、その準備の第一が、人の割り振りだった。
「劉皇叔が西へ向かわれるとき、誰が荊州を守るのです」
龐統が、そう問うたのが始まりだった。
劉備は、当たり前のように答えた。
「雲長であろう」
——広間の誰も、それを疑わなかった。
俺以外は。
◆
「その前に」
龐統は、竹簡を配り始めた。
「一つ、やっていただきたいことがございます」
「なんだ」
「考課でございます」
諸葛亮が、羽扇を止めた。
「考課とは、官吏の勤めを評する制度でございますが」
「はい」
「将にも、それを?」
「兵を預ける以上、当然かと」
——人事評価である。
前世で、俺が何百回も設計したものだ。
そして、何百回も失敗したものでもある。
「まず、ご自身で書いていただきます」
龐統は、竹簡を掲げた。
「己の長所。短所。今後改めるべき点。以上三つ」
張飛が、顔をしかめた。
「なぜ自分で書く。上が決めればよかろう」
「上が知らぬことを、書いていただくためです」
「知らぬこととは」
「あなた方が、何を弱みだと思っているか」
◆
結果は、惨憺たるものだった。
糜竺。
長所——算術。短所——臆病。今後——精進いたします。
無難である。
そして、何の情報もない。
張飛。
竹簡が、白紙で戻ってきた。
「翼徳どの。書いておられません」
「字が下手なのだ!」
「口頭で結構です」
「長所は強いこと! 短所はない!」
「短所は」
「ない!」
「では、今後改めるべき点は」
「ないと言っておろう!」
```
【張飛】
自己認識 17
```
——十七。
感情制御八の次に低い数字を見た。
趙雲。
こちらは、逆だった。
長所——特にございません。
短所——判断が遅く、主公のご期待に応えられておりません。
今後——一層、精進いたします。
「……子龍どの」
龐統が、額を押さえた。
「長所が空白でございます」
「思い当たりませんので」
「単騎で敵陣を二度突破された方が、でございますか」
「それは、務めでございます」
```
【趙雲】
自己評価 31
実際の評価 S+
```
——乖離が、五十以上ある。
この人は、自分の価値を三分の一に見積もっている。
諸葛亮。
竹簡が、九本戻ってきた。
「孔明どの」
「はい」
「多うございます」
「三つの項目を、それぞれ職掌別に記しました。軍政、外交、法務、兵站、監察、教育、財務——」
「一本にまとめてください」
「まとめると、精度が落ちます」
「読む者のことを、お考えください」
——龐統が、諸葛亮に言った。
説明能力二十九の男が、である。
この評定は、地獄だ。
龐統。
こちらは、白紙で提出された。
「士元どの」
諸葛亮が言う。
「ご自身も書かれるはずでは」
「書きました」
「白紙でございますが」
「必要な項目がございません」
「では、何が必要だと」
龐統は、あっさり答えた。
「『この者を使うと、何が壊れるか』でございます」
——広間が、静かになった。
「長所と短所を書かせても、意味がありません。人は自分の短所を、害の少ないものに言い換えます」
「では」
「私を使うと、部下が減ります。それを書けばよい」
```
【龐統】
自己認識 94
```
——九十四。
この男は、自分の壊し方を正確に把握している。
それはそれで、恐ろしい。
◆
そして、関羽である。
竹簡が戻ってきた。
龐統が読み上げた。
「長所——武、統率、忠、義、威。いずれも欠くるところなし」
——全部、最高点である。
「短所——」
龐統は、そこで止まった。
「……何と書かれています」
諸葛亮が尋ねる。
龐統は、竹簡を掲げた。
そこには、一文字も書かれていなかった。
「今後改めるべき点——」
こちらも、空白。
張飛が笑い出した。
「雲長らしいわ!」
——笑い事ではない。
◆
俺は、関羽を見上げた。
「うんちょう」
「なんでしょう、若君」
「けってん」
「はい」
「なに」
関羽は、少し考えた。
そして、真面目な顔で答えた。
「……強いて申すなら、敵が弱すぎることであろうな」
——広間が、爆発した。
張飛が机を叩いて笑う。
龐統は天を仰いだ。
諸葛亮は羽扇で顔を隠した。
趙雲だけが、真顔で「なるほど」と呟いた。
この人も大概である。
◆
俺は、笑えなかった。
この場で、俺だけが笑えなかった。
なぜなら、この人の言っていることが——冗談ではないと分かったからだ。
俺は、関羽を見つめた。
視界に、文字が浮かんだ。
```
【関羽 字・雲長】
統率 97
武力 98
知略 79
政務 71
魅力 94
戦場判断 96
兵の掌握 93
威圧 100
忠義 100
名誉重視 100
外交適応 22
上位者への報告 18
同僚との協調 14
組織適応 12
弱みの開示 3
固有特性
【武神】
単独の武威によって、敵軍の戦意を削ぐ。
【義の一字】
一度受けた恩義を、生涯忘れない。
【士に驕らず、大夫に屈せず】
身分低き者には優しく、身分高き者には決して頭を下げない。
【自らの敗北を想定しない】
撤退・敗北を前提とした計画を立てられない。
【欠点を認めれば、部下が揺らぐ】
弱みを見せることを、指揮官の失格と考えている。
総合評価 S+
重大組織リスク
情報の孤立/同盟破壊/撤退不能
```
——弱みの開示、三。
組織適応、十二。
そして、最後の一つ。
【欠点を認めれば、部下が揺らぐ】
——ああ。
そういうことか。
◆
俺は、その一行を何度も読んだ。
この人は、驕っているのではない。
弱みを書かないことが、指揮官の職務だと思っている。
前世で、俺は同じ人を見たことがある。
三十年、現場を率いてきた工場長だった。
安全報告がゼロだった。事故がなかったのではない。部下が報告できなかったのだ。
その人は、悪人ではなかった。
部下を守るために、弱音を吐かない自分を演じ続けていた。
そして、その演技が、部下から「弱音を吐く権利」を奪っていた。
——関羽は、それの、天下最強版である。
◆
俺は、もう一つ気付いた。
この評価表には、「味方」の欄がない。
戦場判断九十六。兵の掌握九十三。威圧百。
全部、敵に対する項目である。
外交適応二十二。上位者への報告十八。同僚との協調十四。
全部、味方に対する項目である。
そして——この人は、前者しか自分の能力だと思っていない。
「敵が弱すぎる」という答えは、正確なのだ。
この人の物差しには、敵しか載っていない。
◆
「若君」
関羽が、俺を見ていた。
「先ほどから、私の顔をじっと」
「うんちょう」
「はい」
俺は、必死に三語を並べた。
「みかた、かいてない」
——関羽の眉が、動いた。
「味方?」
「うん」
俺は、竹簡を指した。
「てき、だけ」
「……」
「みかたは」
俺は、周りを指した。
諸葛亮。龐統。趙雲。張飛。父。
「どう?」
関羽は、答えなかった。
長い沈黙があった。
やがて、彼は言った。
「……考えたことが、ない」
```
【関羽】
自己認識に変化 —
劉禅への評価 主君の子 → 主君の子(要注意)
```
——変わらない。
「要注意」が付いただけだ。
◆
龐統が、話を戻した。
「では、荊州の件でございます」
——来た。
「劉皇叔が西へ発たれた後、荊州には誰を」
劉備が答える。
「雲長に頼む」
関羽が、当然のように頷いた。
「承知いたしました」
——それだけだった。
議論も、検討もなかった。
この軍で最も重要な人事が、三秒で決まった。
◆
俺は、必死に頭を回した。
——止めなければならない。
九年後、この人はここで死ぬ。
呉に背後を突かれ、糜芳と士仁に裏切られ、援軍は来ず、麦城で終わる。
その全部が、この人の「組織適応十二」から始まる。
だが。
——代案が、ない。
俺は、頭の中で候補を並べた。
諸葛亮。
——無理だ。 益州の統合には、この人が要る。それに、荊州に置けば、劉備の側に誰もいなくなる。
龐統。
——無理だ。 新領土の統合が役目である。それに、この男を単独で守りに置いたら、退屈して三日で何か始める。
張飛。
——絶対に無理だ。 部下を殴る。呉との外交など、一日で決裂する。
趙雲。
——
俺は、そこで止まった。
趙雲なら、できる。
外交適応も、報告も、協調も、この人は問題ない。
だが。
趙雲を荊州へ置けば——俺の護衛が、いなくなる。
そして、この人は自己主張二十一である。
関羽より格上に見られない。荊州の古参は、従わない。
俺は、拳を握った。
——ない。
代案が、ない。
関羽以上に荊州を守れる人間が、この軍に存在しない。
◆
前世で、俺は何度もこの壁に当たった。
「あの部長は問題がある」
——では、誰に替えますか。
……いません。
その瞬間、議論は終わる。
正しいことを言っても、代案がなければ、何も動かない。
そして、代案がない状態を放置したのは、誰でもない。
——人を育ててこなかった、経営陣である。
◆
「若君?」
諸葛亮が、俺を見ていた。
「いかがなさいました」
俺は、顔を上げた。
そして、言った。
「ひとりは、だめ」
「……荊州を、雲長どのお一人に任せてはならぬと?」
「うん」
関羽が、静かに言った。
「若君。私が荊州を守れぬと?」
——違う。
俺は、首を振った。
「まもれる」
「では、なぜ」
「まもれるから」
——広間が、静かになった。
諸葛亮の羽扇が、止まった。
「……もう一度、仰せいただけますか」
「まもれるから」
俺は、続けた。
「ひとりに、なる」
◆
——言いたかったのは、こうだ。
この人は強い。だから、誰も手伝わない。
この人は負けない。だから、誰も心配しない。
この人は弱みを見せない。だから、誰も気付かない。
——強さそのものが、孤立を作る。
三歳の口では、そこまで言えなかった。
◆
諸葛亮が、長いこと黙っていた。
そして、劉備へ向き直った。
「主公。若君の仰せには、理がございます」
「ほう」
「雲長どのお一人ではなく、副の者と、定期の連絡を置くべきかと」
関羽の眉が、動いた。
「監視か」
「いいえ」
「では何だ」
諸葛亮は、静かに答えた。
「連絡でございます」
「同じことであろう」
「違います」
「どう違う」
諸葛亮は、答えられなかった。
——正確には、答えを持っていた。
だが、関羽には通じないと分かっていた。
俺は、そのとき理解した。
この人たちは、既に諦め始めている。
関羽に説明することを、諦めている。
◆
評定が終わったあと、俺は関羽のところへ行った。
三歩で転んだ。
関羽が、拾い上げた。
「若君は、よく転ばれる」
「うん」
「脚が短いゆえでしょう」
——事実である。
だが、もう少し言い方がある。
関羽は、俺を抱えたまま歩き出した。
この人の腕は、父より硬く、趙雲より高い。
「若君」
「なに」
「先ほどのお言葉、少し考えました」
「うん」
「味方の欄が、ない、と」
俺は、頷いた。
関羽は、庭の木を見ながら言った。
「私は、解県を出てから、二十年以上、兄者についてきた」
「うん」
「その間、味方に助けを求めたことが、一度もない」
「……」
「求める前に、片づいたからだ」
——そうだろう。
この人は、本当に強い。
だから、二十年、助けを求める必要がなかった。
そして、助けの求め方を、覚えないまま五十を超えた。
「若君」
「うん」
「求め方が、分からぬのだ」
——
俺は、顔を上げた。
この人は、今、弱みを言った。
```
【関羽】
弱みの開示 3 → 4
```
——一。
一だけ、上がった。
◆
「うんちょう」
「はい」
「おれに、いって」
「若君に?」
「うん」
「三つの御方に、何を申し上げるのです」
俺は、答えた。
「こまった、とき」
関羽は、しばらく黙った。
そして——笑った。
初めて見る、優しい笑い方だった。
「……承知した」
社交辞令である。
この人は、絶対に言ってこない。
それでも、俺は頷いた。
◆
その夜、俺は木簡を出した。
死亡年表。
二〇九——母。
二一九。二二一。二二三。二二九。二三四。
俺は、二一九の横に、名前を書いた。
関羽。
そして——記号を描こうとして、手が止まった。
先月、龐統には四角を描いた。
四角は、まだ何も決まっていない印だ。
危険度を五十九から四十八まで下げた。趙雲を危機評価役に置いた。防具を着せる約束もした。
だから、四角にできた。
——関羽は。
俺は、筆を持ったまま、動けなかった。
代案が、ない。
荊州に置かないという選択肢が、ない。
この人の性格を変える方法が、ない。
そして——この人は、俺に助けを求めない。
俺は、筆を下ろした。
そして、丸を描いた。
線が、歪んだ。
——士元には、四角を描いた。
雲長には、丸しか、描けなかった。
あと、九年ある。
九年で、この丸を四角に変える。
——それが、俺の次の仕事だ。
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