第22話 益州という買収案件
龐統は、翌朝までに益州獲得計画を作ってきた。
一晩である。
そして持ってきた資料が、四本しかなかった。
◆
地図が一枚。
人名を記した竹簡が三本。
兵糧と移動日数を記した竹簡が一本。
以上。
「少なすぎないか」
劉備が、不安そうに尋ねた。
龐統は、平然と答えた。
「必要なことは、すべてここにあります」
諸葛亮が、地図を確認する。
「説明が必要なことは、書かれておりません」
「説明は、今からします」
「後で、記録に残りません」
「記録は、孔明どのが作ればよい」
——羽扇が、止まった。
また始まりそうである。
◆
俺は、机を叩いた。
正確には、趙雲に抱え上げてもらってから、叩いた。
三つの脚では、立っても机の上に顔が出ない。
この評定には、威厳という概念が存在しない。
「はじめる」
劉備が苦笑した。
「阿斗が一番、評定を進めるのが上手くなってきたな」
——好きでやっているのではない。
大人が脱線するからである。
◆
龐統は、地図の益州を指した。
「益州は、豊かです」
山に囲まれ、守りやすい。成都平原は、農の実りが高い。人も多い。
北には漢中。東には長江。
劉備が安定した本拠地を得るなら、益州は極めて魅力的である。
現在の支配者は劉璋。
同じ劉氏。劉備とは、遠い親族にあたる。
「劉璋どのは、善良です」
劉備が頷く。
「悪い噂は聞かぬ」
「善良ですが、決断できません」
龐統は、淡々と続けた。
「臣下の意見をまとめられず、北の張魯を恐れ、内の豪族を抑えられない」
「それでも、人の領地だ」
劉備の声が、低くなった。
龐統は、気にしなかった。
「領地は、統治されて初めて領地でございます」
◆
——広間が、静かになった。
「統治されぬ土地は、地図の上の色にすぎません」
龐統は、地図の益州を、指の腹で撫でた。
「劉璋どのが治めておられるのは、成都平原とその周りだけ。北の漢中は、既に張魯のもの。南の南中は、在地の首領が実質支配。東の巴郡は、豪族が私兵を養い、税を出し渋っている」
「では、劉璋どのが治めているのは」
「面積で申せば、益州の四割ほど」
劉備が、唸った。
◆
俺は、視界を確認した。
```
【益州 統治実態】
名目支配 100%
実効支配 38%
未統制地域
漢中(張魯・実質独立)
南中(在地首領・名目従属)
巴郡東部(豪族割拠)
行政機能 C
徴税達成率 51%
軍事動員可能率 29%
豪族の忠誠 平均 34
```
——これは、帳簿を粉飾している会社の実態そのものだ。
名目の売上は立っている。実際に入っているのは半分。
子会社は言うことを聞かず、地方支社は本社を無視している。
前世で、何度も見た。
創業者が良い人で、誰も切れなかった会社は、必ずこうなる。
◆
「よくご存じですな、士元どの」
諸葛亮が言った。
声が、少し冷たい。
「昨日、主公の陣で、益州出身の兵を三人見つけました」
龐統は、平然と答えた。
「名簿を整えた際に、出身地の項目を作りましたので」
——俺は、思わず龐統を見た。
そこに、繋がるのか。
三日前に作った、人事の基本記録。
俺は「重複配給を減らすため」だと思っていた。
この男は、それを敵国調査に使った。
「若君」
龐統が、俺を見る。
「出身地の項目を作れと申されたのは、あなたさまですな」
「うん」
「何のためでした」
「かえるとき」
俺は、答えた。
「へいが、いえに、かえるとき」
「……道が分かる、と?」
「うん」
——除隊した兵を、故郷まで送り返すためだ。
前世で言えば、退職者の再就職支援である。
龐統が、声を出して笑った。
「なるほど。私は、その項目を敵国の調査に使いました」
「わるい?」
「いいえ」
龐統は、俺の頭に手を置いた。
「同じ帳が、二つの目的に使える。これを、良い制度と申します」
◆
「では、案を申します」
龐統は、指を三本立てた。
——来た。
```
【龐統】
固有特性【三案同時提示】発動
```
この男の三案は、必ず三番目が危険である。
「第一案。劉璋どのへ使者を送り、同盟を結ぶ。張魯への共同防衛を約し、荊州の後ろを固める」
「安全だな」
劉備が頷く。
「はい。そして、益州は手に入りません」
龐統は、続けた。
「劉璋どのは決断できぬ方です。同盟は結ばれますが、実は伴わない。数年後、曹操が漢中を取れば、劉璋どのは曹操へ降ります」
——その通りだ。
史実では、二一五年に曹操が漢中を平定する。
もし益州が劉璋のままなら、蜀漢は成立しない。
◆
「第二案。」
龐統は、二本目を立てた。
「劉璋どのの招きを待つ。北に張魯、東に我らという状況で、劉璋どのが不安を募らせれば、必ず助力を求めてきます」
「時はかかるか」
「一年。あるいは、二年」
「それまで待てるか」
「曹操が漢中へ動く前であれば」
——俺は、内心で頷いた。
史実は、この第二案で動く。
来年、張松という男が来て、劉備は招かれて益州へ入る。
つまり——龐統は、現実に起きることを、事前に組み立てている。
この男は未来知識を持っていない。
情報だけで、そこまで行く。
——俺の未来知識より、よほど信用できる。
◆
「第三案は」
劉備が、尋ねた。
龐統は、三本目の指を立てた。
そして、あっさりと言った。
「精兵を率いて成都へ直行し、劉璋どのを捕らえます」
——誰も、何も言わなかった。
張飛が、最初に口を開いた。
「……できるのか」
「できます」
「兵は」
「一万で足ります」
「一万で益州を取ると申すか」
「益州を取るのではありません。劉璋どの一人を取るのです」
龐統は、淡々と言った。
「城を落とす必要はない。軍を破る必要もない。指揮する者がいなくなれば、軍は動きません。豪族は既に劉璋どのを支持していない。首を挿げ替えるだけなら、一万で足ります」
——正しい。
恐ろしいほど、正しい。
企業買収で言えば、全株式を取得する必要はない。取締役会を押さえればよい。
◆
「士元」
劉備の声は、低かった。
「それは、招かれてもおらぬ家へ押し入り、主を縛るということだ」
「はい」
「私は、それをせぬ」
「存じております」
龐統は、少しも動じなかった。
「ゆえに、第三案でございます」
「では、なぜ出した」
「選ばぬ案を知らねば、選んだ案の値打ちが分かりませぬ」
——俺は、息を呑んだ。
この男は、劉備を試したのではない。
第三案は、採用させるために出したのではない。
「自分が何を捨てたか」を、劉備に自覚させるために出した。
第二案を選ぶと決めた瞬間、劉備は「一年か二年、待つ」という代償を選んだことになる。
その間に曹操が動けば、すべて失う。
その責任を、後から「他に道がなかった」と言い訳させないためだ。
——前世で、俺も同じことをしていた。
取締役会には、必ず三案出した。
B案が本命でも、C案の「即時全員解雇」を必ず入れた。
それを見せないと、経営陣は「うちは温情的な会社だ」と自己満足したまま、B案の痛みから目を逸らすからだ。
この男は、それを独学でやっている。
◆
「阿斗」
劉備が、俺を見た。
「お前は、どう思う」
——三歳児に国家戦略を聞くな。
だが、聞かれた以上は答える。
俺は、趙雲に抱え上げてもらい、地図を見た。
第一案。安全。益州は手に入らない。
第二案。招かれて入る。時がかかる。
第三案。速い。汚い。
俺は、指を二本立てた。
「にばん」
龐統が頷いた。
「理由は」
「まつ、あいだに」
俺は、言葉を探した。
三歳の口では、三語が限界だ。
「じゅんび、できる」
「何の準備を」
俺は、地図の益州を指した。
それから、公安を指した。
そして、その間の道を、指でなぞった。
「みち」
諸葛亮が、反応した。
「若君は、益州へ至る経路と、その補給を先に整えよと仰せです」
「うん」
「一年か二年待つのであれば」
諸葛亮の羽扇が、動き出した。
「その間に、荊南の兵糧集積、船の増設、道の測量、益州出身者からの地理聴取が可能でございます」
「そして」
俺は、続けた。
「まねかれた、とき」
「はい」
「すぐ、いける」
——広間の空気が、変わった。
龐統が、初めて感心した顔をした。
「……若君」
「なに」
「あなたさまは、待つことを、作業に変えられますな」
——言われてみれば、そうだ。
前世で、待機期間を「何もしない時間」だと思っている経営者は多かった。
買収案件では、交渉が止まっている数か月にこそ、調査と統合計画を仕込む。
待ち時間は、準備時間である。
◆
「劉皇叔」
龐統が、劉備へ向き直った。
「第二案を、修正いたします」
「どう修正する」
「待つのではなく、招かれる状況を作ります」
「……作る、とは」
「劉璋どのが不安になるよう、こちらから不安を届けます」
「何をする気だ」
龐統は、笑った。
「北の張魯へ、使者を出します」
諸葛亮の羽扇が、止まった。
「敵と通じるおつもりか」
「通じません。噂を作るだけです」
龐統は、地図の漢中を指した。
「張魯が南下を検討している、という話が成都へ届けばよい。真偽は問いません。劉璋どのは決断できぬ方ゆえ、不安になれば、必ず誰かに頼ります」
「そして、頼る相手は」
「同じ漢室の血を引き、荊州で名を上げた劉皇叔でございます」
◆
——俺は、背筋が冷たくなった。
危険な提案だ。
正しい。効率的だ。
だが、これは工作である。
相手の不安を人為的に作り出して、こちらへ依存させる。
前世でも、見た手だ。
買収したい会社の取引先に、その会社の資金繰りが危ういという噂を流す。
取引先が引き揚げる。会社が困る。こちらが救済者として現れる。
——違法である。少なくとも、褒められた手ではない。
「だめ」
俺は、言った。
全員が、俺を見た。
「若君?」
龐統が、眉を上げる。
「それ、だめ」
「なぜでございましょう」
——倫理を説明できない。
三歳の口では、無理だ。
だから俺は、別の言い方をした。
「うそ、ばれる」
——龐統の動きが、止まった。
「……ばれた場合」
「劉璋、しんじない」
俺は、続けた。
「まねかれない」
そして、最後に言った。
「ずっと、まねかれない」
◆
長い沈黙があった。
諸葛亮が、静かに言った。
「若君の仰せのとおりです。噂の出所が知れれば、劉璋どのは二度と我らを頼りません」
「……」
「一度の工作で、二度目の機会を失います」
龐統は、しばらく地図を見ていた。
そして、意外なことを言った。
「……私は、それを考えておりませんでした」
——素直だった。
「私は、成功した場合しか考えておりませんでした」
そして龐統は、俺を見た。
「若君。私の欠点は、何だとお考えです」
——三歳児に自己分析を求めるな。
だが俺は、答えを持っていた。
視界には、ずっと表示されている。
```
【龐統 字・士元】
実行管理 72/組織適応 11/上司配慮 4
【三案同時提示】危険策を最も好む
```
俺は、言った。
「しっぱい、かんがえない」
龐統が、頷いた。
「そのようです」
◆
「だから」
俺は、指を一本立てた。
「よにんめ」
「四人目?」
俺は、龐統を指した。「ひとり」
諸葛亮を指した。「ふたり」
劉備を指した。「さんにん」
そして、空いた場所を指した。
「よにん」
諸葛亮が、理解した。
「案を出す者が三人。失敗したときのことだけを考える者を、もう一人置けと」
「うん」
劉備が、腕を組んだ。
「誰を置く」
俺は、迷わず部屋の隅を指した。
趙雲が、立っていた。
「……私でございますか」
「うん」
「若君。私は、策を考える器ではございません」
「かんがえなくて、いい」
俺は、言った。
「しっぱい、したら、どうなる」
「……」
「それだけ、いう」
◆
趙雲が、黙った。
龐統が、笑い出した。
「危機管理でございますな」
諸葛亮も、同意した。
「子龍どのなら、適任です。士元どのの案に、子龍どのが『それで兵は何人死にますか』と問う。それだけで、案の質が変わります」
——そして俺は、もう一つ思い出していた。
去年、赤壁の戦記を作ったとき、諸葛亮が敗因簿を立てた。
負けた後に、なぜ負けたかだけを書く簿である。
「せんせい」
「はい」
「はいいんぼ」
「はい」
「まえに、かく」
諸葛亮の目が、大きくなった。
「……負ける前に、敗因を書くのですか」
「うん」
「それは——」
諸葛亮は、羽扇を握り直した。
「敗因簿は、負けたあとに書きます。子龍どのは、負ける前に書く」
「うん」
「同じものでございますな」
「うん」
——同じである。
ただ、書く時期が違うだけだ。
そして、前に書けば、負けずに済むことがある。
◆
劉備が、頷いた。
「よかろう。子龍、これよりお前は評定へ出よ」
「はっ」
趙雲が拱手する。
そして、小さな声で俺に言った。
「若君。私は、また仕事が増えました」
「ごめん」
「いえ」
趙雲は、少し笑った。
「若君に増やされる仕事は、悪くありません」
◆
その日、益州に関する方針が定まった。
一つ。工作は行わない。招かれるまで待つ。
二つ。待つ間に、経路・兵糧・船・地理情報を整える。
三つ。益州出身者との関係を、今から作る。
四つ。すべての案に、趙雲が「失敗した場合」を付す。
```
【益州方針が決定しました】
方式 招請待機型
準備期間 推定 十二〜二十四か月
工作 実施しない
新設 危機評価役
担当 趙雲
権限 全案への失敗想定付記
【龐統】
危険策採用率 62% → 41%
落鳳坡死亡危険度 71% → 59%
```
——五十九パーセント。
まだ高い。
だが、十二、下がった。
◆
その夜、龐統が俺の部屋へ来た。
酒甕を抱えている。
三歳児の部屋へ酒を持ってくるな。
「若君。まだ起きておいでか」
「うん」
「何をしておられます」
俺は、木簡を隠した。
死亡年表である。
そして、その端に描いた四角。
《士元/落鳳坡》
「……見せてはいただけませぬか」
「だめ」
「けちでございますな」
龐統は笑って、床に座った。
そして、思いがけないことを言った。
「若君。私は、長く生きられぬと思うております」
——俺は、顔を上げた。
「なんで」
「性分でございます」
龐統は、酒を一口飲んだ。
「私は、危ないところへ行きます。行かねば、分からぬからです」
彼は、天井を見た。
「遠くから見て分かることなど、たかが知れております」
——それだ。
それが、この人を殺す。
雒城の城壁の下。流れ矢。三十六歳。
——周瑜と、同じ歳だ。
◆
「しげん」
「はい」
「しなない、で」
龐統は、少し驚いた顔をした。
それから、笑った。
「若君は、皆にそう仰せですな。子龍どのにも、孔明どのにも」
「うん」
「なぜでございます」
——答えられない。
三歳の語彙では、「あなたたち全員の死亡年を知っている」とは言えない。
言えたとしても、言わない。
俺は、代わりに——木簡を差し出した。
隠していたほうではない。
別の一枚である。
そこには、去年から書き続けている行があった。
《救えるかもしれない者》
その下に、書かれた名前は、一つだけ。
龐統。
◆
龐統は、それを見た。
長いあいだ、何も言わなかった。
「……私の名でございますな」
「うん」
「なぜ、『救える』ではなく、『救えるかもしれない』と」
俺は、正直に答えた。
「わからない、から」
龐統は、酒甕を置いた。
そして、初めて——本当に初めて、この男が真面目な顔をした。
「若君」
「なに」
「私は、この一行のために働きます」
「え」
「劉皇叔のためでも、天下のためでもございません」
龐統は、立ち上がった。
「三つの子に『かもしれない』と書かれて、そのまま死ぬわけには参りませぬ」
そして、部屋を出ていった。
```
【龐統 字・士元】
劉禅への忠誠 31 → 74
危険行動選好 高 → 中
危険策採用率 41% → 33%
落鳳坡死亡危険度 59% → 48%
```
——四十八パーセント。
半分を、切った。
◆
俺は、木簡を胸に抱えて、天井を見上げた。
——あと、四年。
二一四年。雒城。
俺は、そのとき七つになっている。
七つの俺に、この男を救えるだろうか。
分からない。
——だから俺は、「かもしれない」と書いたのだ。
俺は、もう一枚の木簡を出した。
《士元/落鳳坡》の横に描いた、四角。
丸は、死ぬ年の印。
四角は、まだ何も決まっていない印。
俺は、その四角を、指でなぞった。
まだ、四角のままだ。
——このまま、四角で終わらせる。
次回 第23話「関羽という最強の問題社員」




