第21話 龍と鳳凰は同じ籠に入らない
矢が、一本、机の上に置かれた。
その一本をめぐって、天下の知略百が二人、半刻にわたって睨み合った。
——矢一本である。
◆
龐統が加わって、劉備軍の仕事は目に見えて改善した。
兵籍。排水。武器の棚卸し。捕虜情報の整理。
この男は、問題を見つけると、短期間で仕組みを作る。
ただし——維持には、一切の興味を示さない。
「仕組みは作りました。あとは担当者が運用すればよい」
それが龐統の考えである。
一方、諸葛亮は違う。
「制度は、運用されて初めて意味があります」
担当者の仕事を確認する。
記録を見る。
誤りを直す。
改善点を書き込む。
そして最後には、担当者本人より詳しくなる。
——俺は、頭を抱えた。
片方は作って放置し、片方は全部引き取る。
両方とも、正しい。
そして、両方とも、組織を壊す。
◆
俺は三つになっていた。
評定の席に、正式に座らせてもらえるようになった。
正確には——座らせないと泣くからである。
趙雲は「若君は評定がお好きなのですね」と言った。
好きではない。
目を離すと、この人たちが変なことを決めるからだ。
◆
最初の本格的な衝突は、矢をめぐって起きた。
きっかけは、龐統の提案である。
「今後製造する矢を、三種に統一いたします」
彼は、矢を三本、机に並べた。
「短距離用。長距離用。火矢用。以上」
「理由は」
「部隊間で融通できるようになります」
——正しい。
前世の言葉で言えば、部品共通化である。
在庫が減る。調達が簡単になる。補給が回る。
諸葛亮が、羽扇を止めた。
「反対いたします」
——始まった。
◆
「弓の強さと、兵の体格によって、適する矢は異なります」
「すべてを個別に作るから、融通できないのです」
「三種のみでは、射程と精度が落ちます」
「多少落ちても、大量に準備できるほうがよい」
「多少とは、どの程度です」
「試せば分かる」
「試す前に、想定が必要です」
「想定だけで、戦はできない」
「試すにも、費用がかかります」
龐統は、笑った。
「失敗を恐れて何もしなければ、費用はかかりませんな」
——会議室の空気が、凍った。
◆
諸葛亮の羽扇が、止まったままになった。
龐統は、酒を飲んだ。
評定中である。
劉備は、困り果てた顔で二人を見ている。
張飛は、楽しそうだった。
「どちらが勝つと思う、雲長」
「勝ち負けの話ではない」
関羽は、そう答えながら——少し楽しそうだった。
趙雲だけが、いつでも俺を避難させられる位置に移動していた。
危機管理百は、こういうときに発動する。
俺の視界には、二人の状態が出ていた。
```
【諸葛亮】
正当性確信 96
相手理解 61
譲歩意思 18
【龐統】
正当性確信 98
相手理解 72
譲歩意思 7
会議決裂危険度 赤
```
——龐統のほうが、諸葛亮を理解している。
理解した上で、譲る気がない。
始末が悪い。
「二人とも」
劉備が止めようとした。
「まずは、落ち着いて」
諸葛亮と龐統が、同時に答えた。
「落ち着いております」
——落ち着いている人間の声ではない。
◆
俺は、机の上へ這い上がった。
三つになっても、立ったままでは机の上に顔が出ない。
這うほうが速い。
「くらべる」
二人が、俺を見た。
「何を比べるのです」
諸葛亮が尋ねる。
俺は、龐統の矢を指した。
「これ」
次に、従来の矢を指した。
「これ」
そして、両手を並べた。
「くらべる」
——議論だけで決まらないなら、実験する。
製造時間。費用。命中率。射程。兵の扱いやすさ。
測れるものは、測ればいい。
俺は、指を三本立てた。
「つくる。すこし」
「士元どのの三種を、少量作って?」
「うん」
「従来品と、射比べると」
「うん」
龐統が頷いた。
「合理的ですな」
諸葛亮も、少し考えてから言った。
「では、試験の条件を揃える必要があります」
——そして、すぐに設計を始めた。
「弓兵の技量を三段階に分け、各十名。風向と距離を三通り。矢の製造にかかった刻も記録し——」
龐統が、口を挟んだ。
「そこまで細かくする必要はない」
「比較するなら必要です」
「日が暮れます」
「誤った結論を出すよりよい」
——また、始まった。
◆
俺は、二人を指差した。
「いっしょ」
「……は?」
「ふたりで、つくる」
諸葛亮が、瞬きをした。
「私と士元どので、試験を設計せよと?」
「うん」
```
共同作業受容度
諸葛亮 31
龐統 14
```
——低い。
特に龐統。
俺は、首を傾げた。
そして、言った。
「できない?」
——幼児の顔を利用した、挑発である。
前世では使えなかった手だ。三十八歳の男が同じ顔をしたら、ただの嫌味になる。
諸葛亮が、先に反応した。
「……できないとは、申しません」
龐統も、杯を置いた。
「この程度、半日で終わります」
——負けず嫌いが、二人。
扱いやすい。
◆
実験は、翌日に行われた。
荊南の郡から矢職人を呼び、三種の矢を三十本ずつ作らせる。
的は、三つの距離に立てた。
風は、朝と昼と夕で違う。
弓兵は、技量ごとに三十人。
——諸葛亮の設計である。
そして、記録の様式は龐統が決めた。
「余計な項目は書かせるな。書く手間で、時が減る」
「では、必要な項目だけを」
「そうだ」
「その必要を、誰が決めます」
「……」
「そこを決めておかねば、後から加えられません」
「……なるほど」
——おや。
俺は、その一瞬を見逃さなかった。
```
龐統から諸葛亮への評価 68 → 74
```
上がった。
議論の途中で、初めて上がった。
◆
結果は、どちらか一方の完全勝利ではなかった。
統一矢は、製造にかかる時間が三割短い。
部隊間で共有できる。
しかし——熟練の弓兵が使うと、命中率が落ちた。
一方、未熟な弓兵では、ほとんど差がなかった。
諸葛亮が、記録を見た。
「……精鋭の弓兵には、従来品を残すべきです」
龐統も、頷いた。
「一般の兵には統一矢を配る。火矢も規格を揃える」
——二種類の制度を、併用する。
どちらか一人では、出なかった答えである。
```
【共同意思決定が成立しました】
諸葛亮 相手評価 72 → 81
龐統 相手評価 74 → 84
共同作業受容度
諸葛亮 31 → 47
龐統 14 → 29
```
——まだ低い。
だが、上がった。
◆
劉備が、満足そうに二人を見た。
「臥龍と雛鳳が揃えば、天下も夢ではないな」
——その瞬間だった。
俺の視界に、赤い文字が走った。
```
【組織構造警告】
高能力人材の職務重複を確認
諸葛亮
戦略/政務/兵站/外交/法務
龐統
戦略/改革/資源配分/組織設計
職務重複率 71%
予測される問題
権限争い
二重命令
部下の派閥化
責任所在の曖昧化
備考
現時点では、両者の人格により表面化していません。
人格に依存した状態は、制度とは呼びません。
```
——最後の一行が、刺さった。
人格に依存した状態は、制度とは呼ばない。
その通りだ。
今、この二人が破滅的に衝突していないのは、両方が優秀で、両方が国のことを考えているからである。
運がいいだけだ。
明日、どちらかの機嫌が悪ければ、終わる。
◆
そして、既に兆候はあった。
人事名簿の書式を、龐統は簡略化しようとする。
諸葛亮は、監査項目を追加する。
倉庫の責任者に、二人から別々の指示が届いている。
弓矢の担当者は、どちらの規格を採用すべきか分からず、両方作っていた。
——天才が二人いるために、現場が混乱している。
前世で、俺はこれを何度も見た。
買収後、両社の役員をそのまま残した会社。
肩書は同じ。担当も曖昧。
現場は、どちらの言うことを聞けばいいか分からない。
そして半年後、優秀なほうが辞める。
◆
俺は、劉備の袖を引いた。
「とと」
「なんだ」
「わける」
「何を分ける」
俺は、諸葛亮と龐統を、順に指差した。
「しごと」
諸葛亮が、羽扇を動かした。
「我々の職務を、分けるのですか」
「うん」
龐統が尋ねた。
「若君は、どのように分けます」
——そこである。
俺は、考えた。
諸葛亮は、既にある組織を回すことに優れる。
制度を確実に動かす。細部を管理する。外交を調整する。
龐統は、まだない組織を作ることに優れる。
新しい領土。新しい制度。新しい作戦。
——現在を動かす者と、未来を作る者。
同じ「軍師」という一言で括るから、ぶつかる。
◆
俺は、諸葛亮を指した。
そして、足元の床——この城、この陣、この荊州を指した。
「いま」
次に、龐統を指した。
そして、遠くの壁——まだ見ぬどこかを指した。
「つぎ」
——広間が、静かになった。
諸葛亮が、ゆっくりと言った。
「……私は、今ある軍と政を」
龐統も、続けた。
「私は、次の戦略と、新たな制度を」
「うん」
劉備が、腕を組んだ。
「孔明は軍師中郎将として、軍政と外交を担う。士元には、新たな領地の統合と、戦略の立案を任せる。……そういうことか」
——現時点で、新しい領地はない。
しかし、いずれ必要になる。
龐統が、笑った。
「まだ得てもいない領地の役職ですか」
「とる」
俺は、言った。
龐統の目が、細くなる。
「どこを」
◆
俺は、西を指した。
——益州。
劉璋が治める、豊かな土地。
やがて蜀漢の本拠地となる場所。
諸葛亮と龐統の視線が、同時に動いた。
二人とも、俺の意図を理解したらしい。
劉備だけが、困惑している。
「西に、何がある」
龐統が、地図を広げた。
「益州です」
諸葛亮は、黙って地図を見た。
そして龐統の口元に——危険な笑みが浮かんだ。
「若君。ようやく、面白い話になってきましたな」
```
【龐統】
固有特性【三案同時提示】発動準備
危険な投資提案が予測されます
```
——俺は、少し後悔した。
鳳凰へ、西を示してしまった。
次に出てくるのは、平和な提案ではない。
◆
その夜、俺は木簡を出した。
そして、手が止まった。
視界に、表示が出ていたからだ。
```
【龐統 字・士元】
役割 新領土統合・戦略立案(新設)
備考
当職務は、前線視察を伴います。
死亡危険度 橙 → 橙(上昇傾向)
主要変動要因
・西方遠征への従軍確率 31% → 78%
```
——上がった。
七十八パーセント。
この男が、益州へ行く確率である。
——俺が、上げた。
俺は、木簡を落とした。
二人を分けるために、片方に「未来を作る役」を与えた。
未来を作る役は、必ず前線へ出る。
新しい土地は、行かなければ統合できないからだ。
——組織の問題は、解いた。
その解が、一人を死に近づけた。
◆
俺は、部屋の隅にある古い木簡を引っ張り出した。
《置き場所を間違えている者》
そこには、龐統と書いてある。
一年前、魯粛の言葉を聞いて作った行だ。
——置き場所を、間違えていた。
だから俺は、正しい場所に置いた。
そして、その正しい場所が、あの人を殺しかけている。
俺は、その木簡を睨んだ。
——魯粛は、こうも言った。
> 「人を見る目はおありだ。だが、置き方をご存じない」
……知らなかったわけじゃない。
知っていて、この結果になった。
「置き方を知る」というのは、「正しい場所を知る」ことではないのかもしれない。
「その場所に置いたとき、何が起きるかまで知る」ことなのかもしれない。
◆
俺は、新しい木簡を出した。
そして、震える手で書いた。
《士元/落鳳坡》
——地名は、覚えていた。
雛鳳が、落ちる場所。
いつ、どこで、どうやって死ぬのか。
そこまでは、覚えていない。
演義で読んだ「落鳳坡」という三文字と、「流れ矢」という言葉だけ。
それだけが、俺の持っている全部だ。
俺は、その横に、丸を描こうとして——やめた。
丸は、死ぬ年の印である。
まだ、決まっていない。
代わりに、四角を描いた。
——四角は、まだ何も決まっていない印だ。
そう決めた。
今、決めた。
◆
灯火を消す前、俺は窓の外を見た。
書斎の明かりが、まだ点いている。
——だが、今夜は二つあった。
一つは諸葛亮の部屋。
もう一つは、龐統に与えられた部屋である。
この城には今、夜中に働く男が二人いる。
片方は、休養意思二。
もう片方は、休養意思八十八。
——なぜ、八十八のほうも点いている。
俺は、窓から身を乗り出した。
その部屋から、張飛の笑い声が聞こえてきた。
——飲んでいる。
心配して損をした。
次回 第22話「益州という買収案件」




