第20話 三か月の仕事を半日で終わらせる男
龐統へ最初に与えられた正式な仕事は、兵士名簿の整理だった。
任命から三日目。
その男は、机に突っ伏して眠っていた。
◆
完全な、人事ミスである。
いや、名簿そのものは重要だ。
死者。負傷者。逃亡者。所属部隊。出身地。家族。
正確に把握しなければ、兵力も配給量も分からない。
だが、仕事の中身の九割は、記録を確認し、重複を消し、書式を揃える作業である。
そして龐統の固有特性には、はっきりこう書かれている。
【退屈すると働かない】
——誰が任命した。
父である。
「まずは小さな仕事で、人柄を見るべきだと、古参の者が申してな」
劉備は、そう説明した。
——試用期間の考え方自体は、悪くない。
だが、排水工事で実務能力は既に確認している。
四時間で三つの問題を同時に解決した男に、書式統一を三か月やらせる理由がない。
前世で、俺は同じ光景を何度も見た。
中途採用の即戦力に、まず「全部署の業務フローを書き起こす」課題を与える会社。
半年後、その人は辞めている。
◆
俺が名簿管理所へ行くと、龐統は机に突っ伏していた。
周囲には竹簡が山積みである。
任命から、三日。
作業は、ほとんど進んでいない。
古参官吏の陳紀が、呆れた顔で立っていた。
「若君。ご覧ください」
「うん」
「天下の才と申しても、この程度でございます」
俺は、龐統の状態を見た。
```
【龐統】
退屈度 100
仕事意欲 1
能力発揮率 7%
現在の思考
なぜ人は、同じ名を何度も書く必要があるのか。
```
——予想どおりである。
そして、龐統を責めるだけでは解決しない。
本人にも問題はある。仕事を選り好みし、必要な定型業務を放置するのは、組織人として失格だ。
だが、能力に合わない仕事を任せた側にも、責任がある。
◆
俺は、龐統の髪を引いた。
「痛い」
龐統が顔を上げる。
頬に、竹簡の跡が付いていた。
「若君。人の髪を引くものではありません」
「ねる、だめ」
「眠っておりません」
「ついてる」
俺は、自分の頬を指した。
龐統は、自分の頬を触った。
「……考えておりました」
嘘をつけ。
「なに、かんがえた」
「人はなぜ、同じことを何度も書くのか」
——やはり、そこか。
◆
龐統は、竹簡を一本持ち上げた。
「同じ兵の名が、配給名簿、部隊名簿、武器貸与簿、負傷者名簿に、それぞれ別に書かれております」
「ひつよう」
「必要だから、問題なのです」
龐統は、起き上がった。
「一人の記載を変えるたび、四つの名簿を書き換えねばならない。どれか一つを忘れれば——」
彼は、竹簡を投げるように置いた。
「死んだ兵に米を配り、生きている兵を死者として扱うことになります」
——正しい。
データが、分散している。
同じ情報を複数箇所へ重複記録するから、必ず不一致が起きる。
前世で、俺が最初に手を付ける仕事がこれだった。
顧客マスターが営業と経理と物流で三つある会社。
三つとも、少しずつ違う。
そして誰も、どれが正しいか知らない。
◆
「どうする」
俺が尋ねた。
龐統の目に、少しだけ光が戻った。
```
退屈度 100 → 73
仕事意欲 1 → 24
```
「一人につき、一つの基本記録を作ります」
彼は、新しい竹簡を取り出した。
「名。年。出身。所属。家族。身体の特徴。これを一つにまとめ、固有の印を付ける」
——人事マスターである。
「配給、武器、負傷の記録には、名をすべて書かず、その印だけを記す」
「まちがい、へる?」
「同名の者を取り違えにくくなります」
「なくしたら?」
「基本記録を失えば、一大事です。ゆえに——複製を、別の場所へ保管します」
——控えまで考えている。
「さらに」
龐統は立ち上がった。
「部隊ごとではなく、十人単位で確認責任者を置く。月に一度、本人と記録を照合する」
「できる?」
「半日で、仕組みを作ります」
◆
陳紀が、鼻で笑った。
「名簿は、三か月かけても整理できておりません」
龐統は、振り向きもせずに答えた。
「三か月かけた方法が、間違っているのです」
——上司配慮、四。
もう少し、言い方がある。
陳紀の顔が、赤くなった。
「では、お一人でなさればよい!」
「一人ではできません」
——即答である。
陳紀が、勝ち誇った顔をした。
「やはり、口だけか」
「読み書きできる者が二十人。各部隊の事情を知る古参兵が十人。照合する書記が五人。必要です」
そして、龐統は陳紀を指した。
「あなたにも、働いていただきます」
「……私が?」
「三か月も作業をされたなら、どこに誤りがあるかを最もよくご存じでしょう」
——陳紀が、言葉に詰まった。
俺は、その顔を見ていた。
——失敗した人間だからこそ、改善に必要な知識を持っている。
去年、父は同じことをした。
鼠害を隠した倉庫番を処刑せず、損耗の確認役にした。
失敗を知る者だからこそ、次は防げる。
◆
そのとき、外が騒がしくなった。
「主公! 呉より書状が!」
——呉。
俺は、身を起こした。
孫乾が、竹簡を抱えて走ってくる。
劉備が受け取り、封を解いた。
そして、しばらく黙った。
「……どうされました」
諸葛亮が尋ねる。
劉備は、竹簡を差し出した。
「読め」
諸葛亮が読み上げた。
「魯粛より、劉皇叔へ」
——心臓が、跳ねた。
◆
文面は、短かった。
> 龐士元は、百里の才に非ず。
>
> 治中・別駕の任に処せしめば、始めて当にその驥足を展ぶべきのみ。
——百里の才ではない。
一県を治めるような器ではない。
州の中枢に置いて、初めてその足が伸びる。
——去年、俺が聞いたのと、同じ言葉だった。
去年の秋、あの人は庭で湯を飲みながら、なんでもないことのように言った。
「あれは、百里を治める才ではございません」
そして今、同じことを書状で送ってきた。
◆
室内が、静かになった。
関羽が、低く言った。
「呉の重臣が、我らの人事に口を出してきたのか」
「越権である」
張飛が唸る。
「無礼だ!」
——越権である。無礼である。
そして、完全に正しい。
俺は、竹簡を見つめていた。
顔が、熱い。
——去年、俺はこの人を「採ってはいけない」と判断した。
外にいるからこそ価値がある、と。
その判断は、間違っていなかった。
だが。
その人が今、俺たちの人事の誤りを、外から指摘してきた。
——悔しい。
非常に、悔しい。
なぜ俺が、先に言わなかった。
俺は、三日前から気付いていた。
気付いていて、言わなかった。
「父が決めたことだから」「古参の顔を潰すから」——そう思って、黙っていた。
——魯粛は、他国の君主に対して、黙らなかった。
◆
劉備が、竹簡を置いた。
「……子敬どのは、なぜこれを書いた」
諸葛亮が、静かに答えた。
「惜しいと、思われたのでしょう」
「敵国の人材をか」
「はい」
諸葛亮は、羽扇を止めた。
「あの方は、周瑜どのが亡くなられたあと、士元どのを呉へ留めることもできました。しかし、呉には士元どのの席がなかった」
「……」
「ゆえに、送り出された。そして、送り出した先で、また同じ扱いを受けていることを、知られた」
——恥ずかしい。
俺は、床を見つめていた。
劉備が、龐統を見た。
「士元。……すまぬ」
「なぜ、謝られます」
「名簿の任を、お前に与えた」
龐統は、竹簡の山を見た。
そして、意外なことを言った。
「この任は、無駄ではありませんでした」
「なに?」
「この三日で、御軍の兵籍がどれほど壊れているかが分かりました」
彼は、笑った。
「腹は立ちましたが、収穫でございます」
◆
人員が集められた。
龐統は、最初に仕事を細かく分けた。
・書記は、基本記録を作る
・古参兵は、本人確認をする
・部隊責任者は、生死と所属を確認する
・陳紀は、全体の誤りを点検する
・龐統自身は、判断が必要な記録だけを見る
——自分ですべてを処理しない。
諸葛亮とは、正反対である。
```
【龐統】
権限委譲 92
```
九十二。
諸葛亮の三と、分け合ってほしい。
ただし。
```
説明能力 29
部下満足度 34
```
——説明が、極端に短い。
「そこは違う」
「何が違うのでしょう」
「前の記録を見れば分かる」
「どの記録です」
「正しい記録だ」
——部下には、厳しい。
俺は、龐統の袖を引いた。
「しげん」
「はい」
「それ、わからない」
「何がです」
「『ただしいきろく』」
龐統が、口を開けた。
「……どれ、と申せばよろしいか」
「ゆびさす」
「指を?」
「うん」
龐統は、しばらく黙った。
そして、竹簡の山から一本抜いて、書記の前に置いた。
「これだ」
```
【龐統】
説明能力 29 → 33
部下満足度 34 → 41
```
——四、上がった。
指を差しただけで。
◆
昼を過ぎる頃、新しい名簿の形が完成した。
夕方には、所属不明だった兵の大半が整理された。
そして、数字が出た。
```
【兵籍整理結果】
死者として登録されていた生存者 二十三名
生存者として配給を受けていた死者 四十一名
二部隊へ重複登録 十八名
所在不明 百七名
```
——所在不明、百七。
俺は、その数字を見つめた。
百七人。
この軍にいたはずの人間が、今どこにいるか、誰も知らない。
死んだのか。逃げたのか。別の部隊にいるのか。故郷へ帰ったのか。
誰も、記録しなかった。
——関羽は、自分の生まれた年を知らなかった。
——母の諱は、簿に載っていなかった。
——そして、百七人。
俺は、その竹簡を握りしめた。
◆
そして、俺はもう一つ、探した。
「しげん」
「はい」
「ひとり、さがして」
「どなたを」
俺は、答えた。
「蘇路」
——龐統は、新しい名簿をめくった。
そして、しばらくして、言った。
「……おりませぬ」
「いない?」
「はい」
「しんだ?」
「いいえ」
龐統は、竹簡を閉じた。
「そもそも、載っておりませぬ」
——
「なんで」
「その者は、我が軍の兵でございますか」
「……ちがう」
「では、曹操の兵で」
「……もとは、劉表の」
——
龐統は、頷いた。
「では、どこにも載りませぬ」
「……」
「劉表どのの簿は、劉琮どのが曹操へ渡しました」
「はい」
「曹操の簿には、赤壁で降った者は載っておりませぬ」
「はい」
「そして、我らの簿にも、まだ載っておりませぬ」
——
「三つの国のどこにも、その者はおりませぬ」
——
俺は、その場に座り込んだ。
——一年半前である。
俺は、二歳だった。
字が書けなかった。
線を六百本引こうとして、木簡を真っ黒にした。
……
——そして今、名簿はできた。
七千人分、できた。
一人につき一つの記録。固有の印。十人単位の確認責任者。
——完璧である。
そして、蘇路は、そこにいない。
——
制度は、既にいる人を数える。
制度ができる前にいた人は、数えない。
……
——俺は、そのことを、今日まで考えたことがなかった。
◆
「若君?」
龐統が、俺を見ていた。
「……いかがなさいました」
「ひゃくなな」
「はい」
「さがす」
龐統は、少し驚いた顔をした。
「探す、と申されますか」
「うん」
「所在不明の者を、でございますか」
「うん」
「若君。兵は逃げるものです」
龐統は、静かに言った。
「多くは脱走でしょう。追えば、罰さねばなりません」
「ちがう」
俺は、首を振った。
「しんだか、しらべる」
——罰するためではない。
死んだのかどうかを、確かめる。
死んだなら、名を残す。生きているなら、それでいい。
龐統は、長いこと俺を見ていた。
そして、言った。
「……それは、国の利にはなりませぬ」
「うん」
「兵は増えません。銭も生みません」
「うん」
「それでも、なさいますか」
「する」
龐統は、ふ、と息を吐いた。
そして、書記へ命じた。
「所在不明者について、最後に確認された日付と場所を記せ。別簿を立てる」
「はっ」
「名は、必ず書け」
◆
そして、その日の最後に——思いがけないものが出てきた。
```
【潜在人材を発見しました】
元船大工 七名
鍛冶職人 十一名
読み書き可能者 三十四名
計算技能保有者 九名
荊州北部方言通訳 十六名
薬草知識保有者 四名
牛馬の扱いに長けた者 二十二名
```
——これは、大きい。
兵は、戦うだけの存在ではない。
一人ひとりが、異なる経験と技術を持っている。
これまでは、それを記録していなかった。
「兵」という一文字で、全員を同じ箱に入れていた。
俺は、その表示を見ながら、木簡のことを考えていた。
去年から、俺は名前を書き続けている。
阿仙。阿六。排水路を掘った二十人。
役に立たないと思っていた。
数値上の利点は、ない、と表示された。
——違った。
名前を書いたら、船大工が七人出てきた。
この軍は、七人の船大工を持っていながら、それを知らずに船を買っていた。
◆
劉備が、完成した記録を見て驚いた。
「本当に、半日で」
「すべてが終わったわけではありません」
龐統は言った。
「仕組みを作っただけです。維持する者が要ります」
視線が、陳紀へ向いた。
陳紀は、複雑な顔をした。
「……私に、任せると?」
「あなたは、細かな誤りを見つけることに長けておられる」
——陳紀が、驚いた。
これまで龐統は、この男を否定し続けていた。
「改革は好まれぬようですが、仕組みが決まった後の運用には向いている」
俺は、陳紀の画面を見た。
```
【陳紀】
定型業務 89
誤記発見 91
改革意思 12
制度維持 94
推奨職務 記録監査責任者
```
——適材適所である。
この男は、欠点だけを見られてきた。
龐統は、使いどころを見ていた。
「お引き受けいただけますか」
陳紀は、龐統を見た。
長い沈黙のあと、頭を下げた。
「……承知いたしました」
```
【人事記録制度が成立しました】
兵力把握精度 上昇
重複配給 減少
潜在人材発見率 上昇
組織能力
人事制度 D → C
【龐統】
部下満足度 41 → 51
組織適応 9 → 11
```
——組織適応、十一。
関羽の十二まで、あと一である。
◆
「若君。これでよろしいですか」
龐統が言った。
「よくできました」
俺が褒めると、龐統は渋い顔をした。
「……子供に褒められるというのは、妙な気分です」
「つぎ」
「もう次の仕事ですか」
「うん」
「少し休ませていただきたい」
——え。
俺は、思わず動きを止めた。
```
【龐統】
休養意思 88
```
八十八。
諸葛亮の、二。
——分けてやってくれ。
心の底から、分けてやってほしい。
「やすんで、いい」
「ありがたい」
龐統は、酒甕を指差した。
「働いた後の酒は、認められますかな」
張飛が、即座に立ち上がった。
「士元! ようやく分かり合える男が来た!」
——不安である。
知略百と武力九十九が、酒で結び付く。
危険な未来しか見えない。
◆
その夜、俺は木簡を出した。
《名のない者》
阿仙。阿六。そして、二十人。
俺は、その下に、新しい行を作った。
《所在不明 百七》
——名前は、まだ分からない。
だが、別簿はできた。
いつか、埋まる。
——そして、俺はそこで、自分の字を見た。
三歳の字である。
歪んでいる。
そして——半分が、仮名だった。
漢字が、書けない。
……
——七千人のうち、読み書きできるのが三十四人。
そして、その三十四人の中に、俺は入っていない。
……
俺は、諸葛亮のところへ行った。
「せんせい」
「はい」
「字を、教えてください」
——
羽扇が、止まった。
「……先月から、教えております」
「もっと」
「もっと、でございますか」
「一日、十字」
——
諸葛亮は、少し黙った。
そして、聞いた。
「若君。なぜ、急がれます」
——
俺は、答えた。
「書けないと、書けません」
「……」
「名前も」
——
諸葛亮は、しばらく俺を見ていた。
そして、羽扇を膝に置いた。
「……一日、十字」
「はい」
「三年で、一万でございます」
「はい」
「多すぎます」
「やります」
——
この人は、少し笑った。
「では、二十字にいたしましょう」
「え」
「若君は、私が申した数より多くやろうとなさいます」
「……」
「ゆえに、先に多く申します」
——
権限委譲三の男である。
そして、人の使い方は知っている。
◆
そして、俺はもう一枚の木簡を出した。
《採ってはいけない人材》
一行目に、魯粛と書いてある。
俺は、その横に、一行足した。
《ただし、この人は外から仕事をする》
——あの人は、こちらへ来ない。
それでも、こちらの人事を直した。
——それを、何と呼べばいいのか、俺はまだ知らない。
三歳の語彙にも、前世の経営用語にも、当てはまる言葉がなかった。
次回 第21話「龍と鳳凰は同じ籠に入らない」




