第19話 容貌で人材を捨てるな
翌朝、龐統が消えた。
昼過ぎ、案内役の孫乾だけが戻ってきた。
顔が、死んでいた。
◆
「士元どのは、どちらへ」
劉備が尋ねる。
「……分かりません」
「案内していたのではないのか」
孫乾は、額の汗を拭った。
「はい。最初は」
「最初は?」
「途中から、私が案内されているような状態になりまして」
——何があった。
孫乾は、指を折りながら報告した。
「倉庫。厩舎。船着場。負傷兵の寝所。台所。井戸」
「ふむ」
「それから、厠を」
「厠?」
「はい。四箇所、全部」
張飛が眉を上げた。
「厠を見て何になる」
——なる。
非常に、なる。
前世で、企業再生に入るとき、俺が最初に見る場所は決まっていた。
会議室ではない。
トイレと、倉庫と、喫煙所である。
会議室には、見せたいものしか置いていない。
倉庫と厠には、隠しようがない。
「そのあと、姿が見えなくなりました」
孫乾は、力なく座り込んだ。
「私は、質問に答えるだけで半日を使いました」
——半日で、この城の全部を見たのか。
◆
夕方になって、本人が戻ってきた。
腕に、竹簡を抱えている。
一本や二本ではない。
「劉皇叔」
「どこへ行っていた」
「御軍の問題点を、調べておりました」
張飛が腕を組んだ。
「一日見ただけで、何が分かる」
龐統は、竹簡を一本置いた。
「兵糧の在庫が、帳簿より八分少ない」
糜竺の表情が、変わった。
「……なぜ、それを」
「船着場の荷車の轍と、倉庫の空き方が一致しておりません」
——轍。
地面の跡だけで、在庫差異を当てた。
龐統は、二本目を置いた。
「馬の飼料は、五日後に尽きます」
三本目。
「負傷兵の二割が、治療後に元の部隊へ戻れず、所在不明となっております」
四本目。
「諸隊で矢の規格が異なり、部隊間で融通できません」
五本目。
「夜間の見張りが古参兵へ偏り、疲労が蓄積しております」
竹簡が、次々に積まれる。
「江夏出身の兵と、荊州北部出身の兵の間で、配給を巡る不満がございます」
「亡き劉琦どのの兵と、主公の兵とで、命令系統が重複しております」
「曹操軍の捕虜から得た話が、各将へ共有されておりません」
「船頭への支払いが、三日遅れております」
「陣の北側は排水が悪く、雨が降れば病が広がります」
——広間が、静まり返った。
◆
俺は、その中の一つに反応した。
劉琦どのの兵と、主公の兵で、命令系統が重複している。
——去年、俺は同じ話を聞いた。
赤壁の降兵が言っていた。
> 「わしらは劉表さまの兵でした。劉琮さまが降られたゆえ、そのまま曹公の兵に」
> 「従軍、四十日ほどかと」
曹操が赤壁で負けた理由の一つが、それだった。
統合していない兵を、そのまま戦場へ持っていった。
——そして今、うちが同じことをしている。
劉琦は去年死んだ。その兵は、そのまま劉備軍に組み込まれた。
名簿を作っただけで、統合はしていない。
俺は、思わず立ち上がった。
三歳の脚では、机の上まで顔が出ない。
趙雲が、当たり前のように抱え上げてくれた。
◆
視界に、表示が出ていた。
```
【龐統】
固有特性【雛鳳】発動中
組織診断能力 100
確認済み問題 三十七件
未報告問題 八十四件
```
——まだ、あるのか。
劉備が、竹簡の山を見て、顔を引きつらせた。
「……我が軍は、それほどひどいのか」
「人は、優秀です」
龐統が答える。
「人だけは」
——褒めていない。
「では、どう直す」
龐統は、即答した。
「すべてを同時に直す必要はありません」
諸葛亮が、羽扇を動かした。
「優先順位を、付けると?」
「第一に食料と水。第二に命令系統。第三に武器規格。その他は後回しです」
「負傷兵の管理は」
「重要ですが、食料が尽きれば負傷兵も健常兵も倒れます」
——冷たい。
しかし、正しい。
「江夏兵との不満は」
「反乱へ発展する兆候は、まだございません。担当者を置き、三日後に再評価すればよい」
「船頭への支払いは」
「直ちに半額を払い、残りの期日を書面で示す。全額払えぬなら、約束を明確にしたほうがよい」
——それだ。
前世で、資金繰りが詰まった会社に入ると、経営者は必ず取引先から逃げる。
電話に出なくなる。
それが一番、信用を殺す。
払えないなら、払えないと言って、いつ払うかを紙に書く。
それだけで、取引先の半分は待ってくれる。
◆
諸葛亮の質問が、止まらなくなった。
龐統も、止まらない。
「矢の規格統一には、時間がかかります」
「新規製造分だけ統一すればよい。既存在庫は隊ごとに管理する」
「命令系統の再編で、劉琦どのの将が反発します」
「形式上の上位職を与え、実務権限を別に設定する」
「権限と地位を、分けるのですか」
「人は、実利より面子で怒ることがあります」
諸葛亮が、少し笑った。
「士元どのは、人の感情を軽視される方かと思いました」
「軽視はしません」
龐統は、平然と言った。
「面倒だと思っているだけです」
——組織適応、九。
間違いない。
◆
劉備は感心していた。
だが、周りの反応は違った。
「口で言うだけなら、誰でもできる」
古参の官吏の一人が、小さく呟いた。
「一日見ただけで、長年働く者の何が分かる」
別の者も頷く。
「そもそも、礼儀がなっておらぬ」
「主公の御前で、あの態度は」
そして、最後の一言が出た。
「風采も、上がらぬ」
——俺は、そこで顔を上げた。
能力ではない。
態度ですらない。
顔と身なりで、評価している。
龐統の表情は、変わらなかった。
慣れているのだろう。
それが、余計に腹立たしかった。
◆
俺は、その官吏を見つめた。
```
【陳紀 地方属吏】
政務 67
計算 72
調整 58
文書 74
改革意思 12
上司迎合 91
失敗回避 95
固有特性
【前例どおり】
過去に行われた方法を踏襲する。失敗を避けるが、改善も行わない。
【新参への警戒】
外部から来た人物の提案を、まず疑う。
【誤りを見逃さない】
文書上の齟齬・計算違いを高い確率で発見する。
総合評価 C+
```
——悪い人材では、ない。
改革意思十二。
日常業務には、必要な人間である。
書類の誤りを見つける能力は、九十を超えている。
だが——龐統の価値を判断できる人間ではない。
前世でも、こういう人は必ずいた。
そして、そういう人が新しい人材を潰す。
悪意ではない。「前例にないから」というだけの理由で。
◆
劉備も、迷っていた。
```
【劉備】
龐統への評価
知性 高
実務能力 未確認
礼儀 低
外見印象 低
採用意思 61%
認知上の偏り 諸葛亮との比較
```
——諸葛亮と、比較している。
諸葛亮は姿勢が美しい。言葉が丁寧だ。説明が分かりやすい。
龐統は、その全部が逆である。
同じ知略百でも、見せ方が違う。
人材登用百の劉備でさえ、第一印象に引きずられている。
◆
俺は、龐統を指差した。
「しごと」
劉備が俺を見る。
「士元に、仕事を任せよと?」
「うん」
陳紀が、苦笑した。
「若君。国の仕事は、遊びではございません」
——分かっている。
お前よりは。
だが、俺は感情で反論しなかった。
ここで大事なのは、龐統を庇うことではない。
——測れる仕事を渡すことである。
前世で、俺は何度も採用の失敗を見た。
「あの人は優秀そうだ」で採る。「なんとなく合わない」で落とす。
どちらも、印象である。
印象を潰す方法は、一つしかない。
期限と成果が測れる、小さな仕事を渡すことだ。
◆
俺は、条件を考えた。
龐統の実行管理は、六十一。
戦略構想百に比べると、著しく低い。
そのうえ【退屈すると働かない】。
つまり——
・適度に難しい(退屈させない)
・成果が数字か目で分かる(印象論を封じる)
・失敗しても致命傷にならない(賭けにしない)
この三つを満たす仕事。
俺は、陣の北側を指差した。
「みず」
「水?」
「みず、たまる」
——排水である。
雨が降れば、北側の陣が泥濘になる。病が広がる。
工事、人員配置、現場調整が必要。
小さいが、確実に効く。
◆
龐統は、俺の意図を、即座に理解した。
「北側陣地の排水を、改善せよと?」
「うん」
陳紀が、鼻で笑った。
「天下の才を名乗る御方に、溝掘りですか」
——広間の空気が、悪くなった。
だが。
龐統は、怒らなかった。
むしろ、楽しそうだった。
「よろしい」
「士元どの」
諸葛亮が声をかける。
「必要な人員と物資は」
龐統は、間を置かず答えた。
「兵二十人。農具。古い木材。半日」
官吏たちが、ざわめいた。
「半日でできるはずがない」
「北側全体だぞ」
「地面を見ただけで、何が分かる」
龐統は、彼らを見た。
そして、静かに言った。
「では——半日後に、判断されればよい」
◆
俺も、現場を見に行った。
危険だからと止められたが、泣いたら通った。
三歳の交渉力は、まだ有効である。
趙雲が抱えて連れていってくれた。
「若君。土がぬかるんでおります。お足元を」
「だっこ」
「はい」
この人は、俺のやることを止めない。
止めないが、必ず隣にいる。
◆
龐統は、兵士たちへ長い説明をしなかった。
地面に、線を引く。
「ここを掘る」
木材を示す。
「これを組む」
別の場所を指す。
「土は、そこへ積む」
以上である。
——【凡人の説明を省略する】。
兵の一人が、恐る恐る尋ねた。
「なぜ、こちらへ水路を作らないのです」
「低いからだ」
「しかし、見た目では、反対側のほうが」
龐統は、水を一杯、地面へ流した。
水は、ゆっくりと、彼の示した方向へ流れた。
——目では分からない傾斜を、見抜いている。
兵が、黙った。
◆
作業が始まった。
龐統は、自分でも土を掘った。
喪服のまま、である。裾が泥だらけになった。
指示だけではない。
兵が疲れると、配置を変える。
掘った土で、寝床の地面を高くする。
古い木材で、簡単な排水口を作る。
◆
昼過ぎ。
空が曇った。
雨が、降り始めた。
俺は、趙雲の腕の中から、それを見ていた。
——間に合ったのか。
水が、龐統の掘った溝へ流れ込む。
溝を伝い、陣の外へ抜けていく。
北側の陣地には、水が溜まらなかった。
それだけではない。
掘った土で作った高台に、負傷兵の寝床を移せる。
排水路の出口には水甕が置かれ、洗浄用の水を一時的に貯める構造になっていた。
——一つの工事で、三つの問題を同時に解決している。
```
【試用任務完了】
対象 龐統
任務 北側陣営排水改善
予定期間 三日
実績 四時間
追加成果
負傷兵寝床改善
洗浄用水確保
兵士動線短縮
実行管理 61 → 72
評価修正
主人公は龐統の実行能力を過小評価していました。
```
——俺の評価が、間違っていた。
システムの数値も、観察によって変わる。
この男は、戦略を考えるだけの人間ではない。
価値を感じる仕事なら、泥の中でも動く。
◆
雨の中、古参の官吏たちは、黙って排水路を見ていた。
陳紀も、その中にいた。
何も言わなかった。
劉備が、龐統へ近づいた。
「見事だ」
「溝を掘っただけです」
「その溝を、我々は誰も作れなかった」
そして——劉備は、頭を下げた。
「初めに、見た目と態度でお前を疑った。許してほしい」
——周囲が、驚いた。
君主が、まだ配下でもない人物に謝った。
龐統も、一瞬、言葉を失った。
```
龐統の劉備への興味度 76 → 89
登用可能性 57% → 81%
```
「劉皇叔」
龐統が言った。
「人の上に立つ者が、容易に頭を下げるものではありません」
「間違えたなら、謝る」
「臣下の前でも?」
「必要なら」
龐統は、小さく笑った。
「なるほど。甘いだけでは、ないらしい」
◆
俺は、龐統の衣を引いた。
泥だらけの、喪服である。
「しげん」
「はい」
「くる?」
龐統が、俺を見下ろした。
「若君は、まだ私が欲しいのですか」
俺は、首を振った。
そして、言った。
「もの、じゃない」
——去年、魯粛から学んだ言葉だ。
人は、獲得する資産ではない。
「では、何でございましょう」
「いっしょに、やる」
「何をです」
「くに」
「どのような国を」
俺は、答えた。
去年、諸葛亮へ言ったのと、同じ言葉である。
「むだに、しなない」
◆
龐統は、雨に濡れた陣地を見た。
負傷兵。泥を運ぶ兵士。水路を確認する官吏。
そして、言った。
「人は、無駄でなくても死にます」
——冷たい言葉だった。
だが、嘘ではない。
「戦略上、必要な犠牲もございます」
「へらす」
俺は答えた。
ゼロにできなくても、減らす。
龐統の顔から、少しだけ皮肉な笑みが消えた。
「できると?」
「みんなで」
◆
龐統は、諸葛亮を見た。
諸葛亮も、見返した。
——龍と、鳳凰。
同じ主君のもとへ、二人の天才が集まろうとしている。
龐統は、劉備へ頭を下げた。
「しばらく、御軍で働かせていただきたい」
劉備の顔が、明るくなった。
「歓迎する」
```
【重要人材が加入しました】
龐統 字・士元
所属 劉備軍
暫定職務 組織改善担当
推奨事項
定型業務を与えないでください
目的と裁量を明確にしてください
諸葛亮との職務重複を避けてください
重大警告
諸葛亮との同時運用には、役割設計が必要です
```
——採用には、成功した。
だが、最後の一行が赤く光っている。
俺は、諸葛亮と龐統を交互に見た。
二人とも、笑っている。
それが、余計に怖かった。
◆
その夜、俺は木簡を出した。
《名のない者》
阿仙。阿六。
そこへ、二十人分の名前を書き足した。
排水路を掘った兵たちである。
一人ずつ、名前を聞いた。
三歳の口で「なまえ」と言うと、皆、最初は驚いた顔をした。
それから、少し照れくさそうに名乗った。
——書けない字が、半分あった。
俺は、書けない分は、○を描いておいた。
いつか、書き直す。
```
【組織能力が変化しました】
陣営衛生 E → D+
疫病発生確率 低下
```
——数字が動いた。
溝を掘っただけで、である。
戦っていない。敵を一人も倒していない。
それでも、来年の冬に死ぬはずだった誰かが、死なずに済む。
名前は、分からない。
だが、その人の名前も、いつか俺の木簡に載る。
次回 第20話「三か月の仕事を半日で終わらせる男」




