第18話 雛鳳、面接官を面接する
第二部 英雄だらけの人事評価会議
その男は、喪服で来た。
就職の面接に、である。
しかも、酒を飲んでいた。
◆
建安十五年。
俺は三つになった。
走れる。跳べる。三語まで話せる。文字も、少しなら書ける。
そして——この年、周瑜が死んだ。
◆
知らせは、突然だった。
巴丘で病を得て、そのまま。
三十六歳である。
劉備は、その報せを聞いたとき、しばらく何も言わなかった。
やがて、一言だけ言った。
「……惜しいな」
それだけだった。
周瑜は、劉備にとって恩人であり、同時に最大の障害だった。
赤壁で曹操を破ったのは、この男の判断である。
だが同時に、「劉備を蜀へ入れる前に、呉が先に取るべし」と主張し続けたのも、この男だ。
死んで喜ぶ者もいただろう。
だが劉備は、喜ばなかった。
——俺も、喜べなかった。
◆
その夜、俺は木簡を出した。
死亡年表。
二〇九——母。
二一九、二二一、二二三、二二九、二三四。
周瑜の名は、ない。
——知らなかったわけではない。
周瑜が若くして死ぬことは、知っていた。
だが俺は、それを書かなかった。
敵だからだ。
俺の年表は、俺が救いたい人間しか載っていない。
——母のときと、同じである。
俺は木簡を伏せた。
三十六。
前世の俺より、二つ下だ。
同じように、働きすぎて死んだ。
◆
その男が来たのは、それから二月ほど後のことだった。
◆
公安の広間に、宴の席が設けられていた。
荊南の郡から、新たに官吏が数名着任した。その顔合わせである。
俺は趙雲の隣に座っていた。
三歳になって、ようやく大人の宴に紛れ込めるようになった。
正確には——母がいなくなって、俺を止める人間がいなくなった。
侍女は「阿斗さま、お戻りください」と言う。
だが、泣けば通る。
そして、泣いた後で「もどらない」と言えば、もっと通る。
三語文は、便利である。
◆
「主公。客人がお見えです」
孫乾が慌てた様子で入ってきた。
「取り次ぎもなく、いきなり門に立たれまして」
「誰だ」
「それが——」
そのとき、広間の入口に、男が立った。
——粗末な衣。
まとまりのない髪。
眠そうな目。
酒を飲んでいるわけでもないのに、立ち姿が少し傾いている。
そして。
衣が、白かった。
——喪服である。
◆
「龐統。字を士元と申します」
男は、まったく緊張していない様子で名乗った。
「劉皇叔に、お目にかかりたく参りました」
——俺は、動きを止めた。
龐統。
その名を、俺は知っている。
去年の秋、魯粛が言った。
> 「江東にも、置き場所を間違えられておる者がおります」
> 「周瑜の下に、龐統と申す者が。功曹をしております」
> 「あれは、百里を治める才ではございません」
——来た。
魯粛が言っていた男が、自分から来た。
◆
「喪服か」
劉備が尋ねた。
龐統は、自分の衣を見下ろした。
そして、なんでもないことのように言った。
「前の勤め先が、なくなりましてな」
広間が、静かになった。
「周瑜どのの柩を、呉までお送りしてまいりました。葬儀も済ませ、そのまま西へ歩いて参りました」
「……着替えもせずにか」
「持っておりませぬ」
——転職活動の初日に、喪服で来る人間を、俺は前世でも見たことがなかった。
しかも本人は、まったく気にしていない。
張飛が、俺の耳元で囁いた。
「阿斗。あの男、大丈夫か」
声が全然小さくなっていない。
龐統が、こちらを向いた。
「聞こえております」
「聞こえるように言った!」
嘘をつけ。
◆
俺は、その男を見つめた。
視界に、文字が浮かんだ。
```
【龐統 字・士元】
統率 82
武力 41
知略 100
政務 91
魅力 63
戦略構想 100
革新性 100
情報統合 99
資源配分 98
実行管理 61
組織適応 9
上司配慮 4
固有特性
【雛鳳】
複雑な状況から、常識に反する最短経路を発見する。
【三案同時提示】
安全策・現実策・危険策を同時に提示する。危険策を最も好む。
【退屈すると働かない】
本人が価値を感じない業務では、能力が大幅に低下する。
【凡人の説明を省略する】
思考過程を共有せず、結論だけを述べる。
【見た目で損をする】
初対面の評価が低下する。
総合評価 S+
重大組織リスク
命令軽視/上司との衝突/単独行動/危険な賭け
```
——上司配慮、四。
諸葛亮の権限委譲三と、いい勝負である。
どうして蜀に集まる天才は、社会人として重要な項目だけ一桁なのだ。
そして俺は、最後の一行に目を留めた。
【見た目で損をする】
——そうか。
この人が功曹止まりだったのは、これか。
◆
龐統が、俺の視線に気付いた。
「若君」
目を細める。
「私の顔に、何か付いておりますかな」
——まずい。
俺は答えようとした。
言いたかったのは、こうだ。
「あなたは、顔で損をしている」
三歳の口は、頭より速い。
そして、順番を間違える。
「かお」
「はい」
「へん」
◆
——広間が、凍った。
張飛が、酒を盛大に噴いた。
龐統の顔が、固まる。
```
龐統から劉禅への第一印象
興味深い幼児 → 失礼な幼児
友好度 10 → 3
```
——三。
人材登用の第一歩で、容貌を攻撃した。
「阿斗!」
劉備が慌てる。
母がいれば、ここで俺は叱られていた。
だが、もういない。
誰も止めてくれない。
——自分で、なんとかするしかない。
◆
俺は、必死に言い直した。
「ちがう」
「何が違うのです」
「かおで、そんしてる」
——龐統の動きが、止まった。
さっきとは、止まり方が違った。
広間の空気も、変わった。
張飛が笑うのをやめた。
関羽が、俺を見た。
龐統は、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「……もう一度、仰せいただけますか」
「かおで、そんしてる」
「私が、でございますか」
「うん」
「なぜ、そうお思いに」
俺は、言葉を選んだ。
三語しか並べられない。
「さいのう、みえてない」
◆
——広間が、しんとした。
龐統は、俺の前へ進んだ。
そして、突然、床へ座った。
目線が、俺と同じ高さになる。
「若君」
「うん」
「私の才が、見えるのですか」
——しまった。
俺は慌てて首を振った。
「みえない」
「では、なぜ」
「……こない、から」
「参らない?」
「呉から」
俺は、必死に続けた。
「呉、つよい」
「はい」
「なのに、こうそう」
——功曹。
郡の人事を扱う実務職である。
決して低い職ではない。
だが、知略百の人間が就く職ではない。
龐統の目が、細くなった。
「……若君は、私の官職をご存じで」
——やってしまった。
俺は、魯粛から聞いていた。
だが、それを言うわけにはいかない。
呉の重臣から、他国の人事について情報をもらっていたことになる。
俺は黙った。
龐統は、しばらく俺を見ていた。
そして——笑った。
```
龐統から劉禅への友好度 3 → 27
興味度 21 → 68
```
「劉皇叔」
「な、なにかな」
「若君のほうが、ここにおられる大人たちより、話が早いようですな」
◆
張飛が立ち上がった。
机が揺れる。
「どういう意味だ!」
「言葉どおりです」
「俺たちが阿斗より劣ると言うのか!」
「すべてとは申しません」
龐統は、張飛を上から下まで眺めた。
「腕力では、明らかに翼徳どのが上でしょう」
「当たり前だ!」
「酒量も」
「当然だ!」
「声の大きさも」
「それは褒めているのか?」
「事実を述べております」
——組織適応、九。
上司配慮、四。
数字が、正確すぎる。
◆
劉備が、苦笑しながら尋ねた。
「士元。私に会いたいとのことだったな」
「はい」
「何用だ」
龐統は、あっさりと答えた。
「劉皇叔が、天下を争うに足る人物かを、見に参りました」
——広間の空気が、止まった。
採用面接に来た人間が、社長を評価すると宣言した。
張飛が剣へ手をかける。
関羽の目も鋭くなる。
趙雲は、俺と龐統の間へ、静かに位置を変えた。
危機管理百の行動である。
劉備だけが、笑っていた。
「面白い。私を見定めるか」
「人材を求めておられるのは、劉皇叔だけではありません」
龐統は言った。
「仕えるに値する主を、人材のほうも探しております」
——正しい。
採用は、一方的な選抜ではない。
会社が人材を評価するように、人材も会社を評価している。
特に、この男ほどの能力があれば、選択肢は多い。
前世で、俺は何度も逆を見た。
「採ってやる」という顔で面接をした会社は、いい人材を全部逃した。
◆
劉備は、杯を置いた。
「では、何を見たい」
「三つ、お尋ねします」
龐統は、指を一本立てた。
「一つ。劉皇叔は、漢室を再興したいのか。自らが天下を取りたいのか」
——いきなり核心である。
劉備は、少し黙った。
「漢室を、再興したい」
「では——漢室の皇帝が、劉皇叔へ『兵を置き、民へ戻れ』と命じた場合は?」
張飛が怒鳴った。
「そのような命令、曹操が皇帝に書かせるに決まっている!」
龐統は、張飛を見なかった。
劉備だけを見ている。
劉備は、答えた。
「皇帝の意思か、曹操の意思かを、確かめる」
「確かめられなければ?」
「民を守るために必要なら、命令へ背く」
龐統が、わずかに頷いた。
◆
二本目の指を立てる。
「二つ。長年仕えた臣と、新たに得た有能な臣が、同じ役職を求めた場合。どちらを選びます」
——劉備にとって、最も難しい質問である。
```
【劉備】
固有特性【人情経営】
長年仕えた人物の処分を決断できない。
```
劉備は、俺を見た。
——答えを求めるな。
あなたの面接である。
「役目に、適したほうを選ぶ」
龐統は、追及した。
「長年仕えた臣が、不満を抱けば?」
「私が謝る」
「有能な臣が、謝罪ではなく古参の解任を求めれば?」
「両者の話を聞く」
「時間がなければ?」
——劉備が、詰まった。
いつもの「全員の意見を聞く」方式では、間に合わない場合がある。
長い沈黙のあと、劉備は言った。
「私が決め、恨まれる」
龐統の表情が、少し変わった。
◆
三本目の指を立てる。
「三つ。天下を取るために、一万人を見捨てれば十万人を救えるとします。見捨てますか」
——広間が、静まり返った。
長坂坡で、劉備は民を見捨てなかった。
その結果、軍は崩壊した。
一万人を見捨てれば、十万人を救える。
数字だけなら、答えは明らかである。
しかし、見捨てられる一万人にとって、自分たちの命は、十万人分より軽くない。
劉備は、長いあいだ答えなかった。
灯火の芯が、ぱち、と鳴った。
やがて、言った。
「分からぬ」
龐統が、眉を上げた。
「答えになっておりません」
「その場にならねば、分からぬ」
劉備は、率直に言った。
「私は、一万人を見捨てられぬかもしれない。そのために十万人を危うくするかもしれぬ」
そして、自分の手を見た。
「だが——最初から一万人を数字として切り捨てられる人間には、なりたくない」
◆
——俺は、息を呑んだ。
前世の俺なら、この答えを「意思決定者として不十分」と評価した。
数字に基づき、冷静に選択すべきだ、と。
だが、今は違う。
俺は、二百四十人を数字にした人間である。
そして、目の前で咳をしていた一人を、数字が黄色だからと後回しにした人間である。
——父の答えは、非効率だ。
だが、俺が失ったものを、この人はまだ失っていない。
◆
龐統は、劉備を見つめた。
「甘い」
「そうだろうな」
「迷いが多い」
「否定できぬ」
「天下を取るには、不向きかもしれない」
張飛が再び立ち上がりかける。
龐統は、続けた。
「しかし——」
彼は、広間を見回した。
関羽。張飛。趙雲。諸葛亮。
そして、扉の外に控えている兵たち。
「その甘さのために、集まる者がおります」
龐統は、深く頭を下げた。
「もう少し、近くで見てみたくなりました」
```
龐統
劉備への興味度 43 → 76
登用可能性 28% → 57%
```
——まだ、五十七パーセント。
完全には、決めていない。
◆
劉備が笑った。
「では、我が軍へ加わるか」
「まだです」
張飛が、机を叩いた。
——今度こそ、完全に割れた。
「まだなのか!」
龐統は、割れた机を見下ろした。
そして、静かに言った。
「……少なくとも、家具の費用が潤沢な組織ではなさそうですな」
「貴様!」
張飛が詰め寄る。
龐統は、一歩も退かない。
俺の視界に、警告が出た。
```
人材損失危険
対象 龐統
原因 採用面接中の暴力
```
——冗談ではない。
俺は叫んだ。
「よくとく!」
張飛が止まる。
「なんだ、阿斗」
「すわる」
「しかし、この男が」
「すわる!」
張飛は、渋々座った。
椅子ではない。
椅子は、先ほど机と一緒に壊れている。
龐統が、俺を見て笑った。
「若君は、既に翼徳どのを動かせるのですな」
「たいへん」
「そのようで」
```
龐統から劉禅への友好度 27 → 34
```
◆
俺は、龐統の袖を引いた。
「しげん」
「はい」
「なまえ、きく」
「私の名は、先ほど申し上げましたが」
「ちがう」
俺は、首を振った。
そして、扉の外を指した。
「あのひと」
——龐統と一緒に、一人の男が来ていた。
荷を背負った、痩せた男である。
道中、この人の荷物を運んできたのだろう。
誰も、その男に声をかけていない。
龐統は、少し驚いた顔をした。
そして、振り返った。
「……そういえば」
彼は、その男を呼んだ。
「そなた、名は」
——本人も、知らなかったらしい。
男は、慌てて頭を下げた。
「周の、阿六と申します。巴丘から荷を」
「あろく」
俺は繰り返した。
「おぼえた」
男は、目を丸くした。
龐統も、俺を見ていた。
さっきまでとは、違う目だった。
```
龐統から劉禅への評価
妙に鋭い幼児 → ?
興味度 68 → 89
```
——疑問符が出た。
初めて見る表示である。
◆
龐統は、しばらく黙っていた。
そして、宴席の酒を一杯取り、俺へ掲げた。
「若君」
「うん」
「次は、私があなたを見定めましょう」
——また、俺が面接されるのか。
蜀漢の人材登用は、入社希望者のほうが強すぎる。
◆
その夜、俺は木簡を出した。
《置き場所を間違えている者》
一年前、魯粛の言葉を聞いて作った行である。
そこには龐統と書いてあり、その横に《呉》と付け足してあった。
俺は、《呉》の二文字を、削り取った。
そして、書き直した。
《ここ》
——まだ、五十七パーセントだ。
だが、来た。
俺は、もう一つの木簡を出した。
《名のない者》
阿仙。
その下に、書き足す。
阿六。
三歳の手で書いた字は、相変わらず歪んでいた。
それでも、二人になった。
次回 第19話「容貌で人材を捨てるな」




