外伝・羅憲伝 『永安、閉じず』 (〜270年)
序 死亡記事
史書には、こう書かれるはずだった。
《憲、永安を保ち、呉軍を拒ぐこと六月余》
《城中、疫して大半死す》
——蜀が滅んだ年、羅憲は永安の門を閉じ、攻め寄せる呉軍と半年戦った。城内には疫病が広がり、半数が死んだ。名将の武勇伝として、史書はこれを褒める。
◆
そうならなかった。
戦わなかったからである。
門を、開けたままで。
◆
この伝は、七十日囲まれて、矢の一本も飛ばず、一人も死ななかった籠城——いや、籠城ですらなかった何かの、記録である。
史書は、こういう戦いを書くのが、いちばん下手である。
第1話 埃を払え
景耀元年、冬。羅憲は成都から帰り、巴東太守に任じられた。四十である。
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巴東は、遠い。成都から東へ千三百里、長江を下った、三峡の入口である。
太守の席は、二年空いていた。誰も行きたがらなかったのではない。
——皇帝が、決められなかったのである。
◆
羅憲は、自ら望んだ。
古い衣を着て、殿へ上がった。洗ってある。繕ってもある。そして、新しくない。
理由を、三つ挙げた。
一つ。三峡の入口であること。
二つ。呉との境であること。
そして、三つ目。
——先帝が崩じられた城であること。
誰も、皇帝の前でその話をしない。三十五年、誰もしなかった。
羅憲は、した。
◆
皇帝は、しばらく黙り、聞いた。
「令則どの。なぜ、三つ目を言われましたか」
「言わねば、二つで足ります」
「はい」
「二つで足りる者は、他にもおります」
皇帝は、頷いた。
「三つ目は、あなただけです」
◆
命令は、三つだった。
報告は七日ごと。様式は十二項目。
そして、三つ目。
「白帝城の門を、開けておきなさい」
「敵が来ても、でございますか」
「来たら、閉じてください。……そして、来るまでは、開けておきなさい」
「理由を、伺ってよろしいですか」
皇帝は、少し考えた。
「数えたいのです。門が、閉じられなかった年数を。……今、三十五年です。三十六年にしてください」
「陛下。それは、軍の数字ではございませぬ」
「はい」
「では、何の数字でございましょう」
「国の数字です」
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もう一つ、命じられた。永安宮の埃を払うことである。
「三十五年、でございますか。……行っておられぬのですか」
「行っていません」
理由は、言わなかった。羅憲も、聞かなかった。三つ目を自分で言った者が、次に聞くのは礼に反する。
◆
永安宮は、城の北にある。建興元年から、誰も入っていない。
封を切ると、三十五年分の埃が落ちてきた。
寝台。机。燭台。
机の上に、竹簡が一本あった。
三行、線が引いてある。字は、一行目にだけあった。
《阿斗へ》
二行目——空白。三行目——空白。
——書きかけである。先帝が三行書こうとして、一行で止まった。
◆
羅憲は、報告に書いた。様式にない、十三項目目である。
《永安宮、埃を払い了る》
《机の上に、竹簡が一本ございました》
《一行目——阿斗へ。二行目、三行目——空白》
《お持ちいたしましょうか》
返書は三日かかり、一行だった。
《そのままにしておいてください》
◆
羅憲は、封をし直さなかった。払ったまま、置いた。
そして、毎年、払った。
◆
なお、日々の報告の一項目めは「城門」である。開いているものを、毎日「開」と書く。
十三年で、四千七百四十五回書いた。
意味がない、と言う部下がいた。羅憲は答えた。
「閉じた日が、分かる」
部下は、開いた口が塞がらなかった。塞がらない口を指して、羅憲は「それも開けておけ」と言ったという。巴東で唯一記録された、太守の冗談である。
第2話 三度、来た
景耀六年。魏が三方から来た年である。
綿竹で鄧艾は止められ、降伏の議は退けられ、成都は落ちなかった。
羅憲は、それを十日で知った。
十日目の夜、今度は東から報せが来た。
——呉の軍、三万、巫を過ぎる。将は歩協。名目は、救援。
◆
城の兵は、二千である。
参軍の楊宗が、走ってきた。口が悪く、走るのが速い男である。
「太守どの。門を、閉じますか」
羅憲は、答えず、城壁へ上った。呉軍は三里の地点に布陣し、旗は動かない。
「楊宗。五年、考えていたことがある」
「何を、でございましょう」
「陛下が、開けておけと仰せになった。軍の数字ではない、とも仰せであった。……五年かけて、意味が分かった」
「何でございます」
「開いている門へ入れば、それは侵攻だ」
◆
楊宗は、首をひねった。
「閉じていれば、『開けさせた』と言える。開いていれば、『入った』としか言えぬ」
「……理屈は、分かりました」
「うむ」
「で、飯はどうします」
羅憲は、少し笑った。十三年、この男はこれである。
「百八十日ある」
「籠れば、でございますな」
「籠らぬ」
「籠らずに、どうされます」
「開けておく」
「三万が、入って参りますが」
「入らぬ」
「入りましたら」
羅憲は、そこで初めて黙った。そして、言った。
「そのときは、閉じる」
◆
呉の使者が、来た。一度目である。
使者は門の前で止まり、上を見た。閂が外れ、扉が開いている。
羅憲は、門の内側に立っていた。甲は着ていない。官の衣である。古い。
「呉は、盟いに従い、救援に参った」
羅憲は、答えた。
「開いております」
使者の動きが、止まった。
「入られますか」
使者は、答えなかった。そして、帰った。
◆
二度目は、三日後。口上が変わっていた。
「城を、預かる」
「開いております。……入られますか」
「……なぜ、閉じぬ」
「閉じる理由が、ございませぬ」
「三万おるぞ」
「はい」
「それでも、理由にならぬか」
「三万が、まだ入っておられませぬゆえ」
◆
三度目は、十日後。口上は一言になっていた。
「開けよ」
羅憲は、初めて一つ付け足した。
「開いております。……十三年、開いております」
使者は、三度とも帰った。三万は、動かなかった。
◆
楊宗が、聞いた。
「なぜ、攻めませぬ」
「攻めれば、救援でなくなる」
「それだけで、三万が止まりますか」
羅憲は、首を振った。
「止まらぬ。……止まっているのは、別の理由だ」
「何でございましょう」
羅憲は、答えなかった。
分からなかったからである。
第3話 閉じられよ
六十日目、陸抗が着いた。三十八。陸遜の子である。
——四十一年前、猇亭で先帝の陣を焼いた男の、子である。
翌日、矢文が来た。一行だった。
《貴城の門、閉じられよ》
楊宗が読んで、言った。
「太守どの。攻める側が、閉じろと申しております」
古今の戦史に、例のない要求である。
◆
羅憲は、長いことその一行を見ていた。
——向こうも、分かっている。
開いた門へ入れば、史に残る。同盟国の、開いた門へ入った、と。
閉じてくれれば、「開けさせた」と書ける。だから、閉じろと言ってきた。
◆
楊宗が、聞いた。
「閉じては、いけませぬか。閉じれば、向こうは攻めて参ります。攻めて参れば、こちらは守れます。守れば——死にます」
羅憲は、顔を上げた。
「何人だ」
「二千のうち、八百でございましょう」
「民は」
「三千ほど」
「数えたか」
「数えました。昨夜でございます」
羅憲は、少し黙った。そして、言った。
「よく数えた。……そして、閉じぬ」
◆
羅憲は、筆を取り、一行書いて返した。
《閉じる理由が、ございませぬ》
返しは、なかった。
そして、七十日目。呉軍は、退いた。
◆
理由は、三つあった。
一つ。成都が落ちなかった。救援の名目が消えた。
二つ。魏が西で動いた。後ろが危なくなった。
三つ目を、羅憲は知らなかった。
一年後、楊宗が呉の商人から聞いてきた。
「陸抗どのが、幕僚に申されたそうでございます。——『あの門を入れば、わしの名は、門を開けさせられなかった将ではなく、開いた門へ入った将になる』」
羅憲は、何も言わなかった。
——同じことを、考えていた。五年かけて、である。向こうは、六十日で辿り着いた。
「悔しゅうございますか」と楊宗が聞いた。
「悔しゅうない。……五年かけて分かったことを、向こうも分かったということだ」
「はい」
「分かる者が二人おれば、それは理屈になる。一人なら、思い込みだ」
終章 閉じず
戦後、成都からの返書に、記録の写しが添えてあった。郤正の字で、四行である。
《景耀六年、呉軍、巴東に至る》
《七十日対峙し、退く》
《死者、なし》
《城門、終始開く》
楊宗が覗き込んで、言った。
「太守どの。これでは、手柄になりませぬな」
「ならぬ。……そして、二万が生きておる」
城内の数である。兵二千、民一万八千。一人も、死ななかった。
囲まれた城の名簿に、線が一本も引かれていない。普通は、戦わずとも疫で引かれる。それが、一本もない。
楊宗は、しばらく黙り、言った。
「飯の帳尻を、検めて参ります。七十日分、溜まっておりますゆえ」
戦のない戦の後始末は、経理であった。
◆
陳寿は、後に二行書いた。三国志の、羅憲の項である。
《憲、永安を守ること十二年》
《城門、終に閉じず》
それだけである。
そして、それだけを、羅憲は望んだ。
◆
羅憲は、二七〇年に死んだ。五十二である。
巴東で十二年。一度も、成都へ戻らなかった。
死ぬ前の年、一つだけ問い合わせをしている。永安宮の、書きかけの竹簡についてである。
《いつまで、そのままにいたしますか》
返書は、六十三になった皇帝の字で、二行だった。
《書きかけの文書は、終わっておりません》
《終わっていないものは、捨てないでください》
◆
羅憲は、それを読んで、遺言を書いた。
《永安宮の埃を、毎年払え》
《机の竹簡は、動かすな》
《期限——定めず》
子の羅襲が、継いだ。そして、払い続けた。
◆
後年、晋の官が巴東へ来て、羅襲に聞いた。
「なぜ、閉じぬ」
「父が、閉じませなんだ。……そして父は、陛下に命じられました。『来るまでは、開けておきなさい』と」
「来たであろう」
「来ました。七十日、三里の地点に布陣しております」
「では、閉じるべきであった」
羅襲は、答えた。
「入って参りませなんだ。……来るというのは、入ってくることでございましょう」
官は、答えられなかった。そして、記録に一行書いて帰った。
《巴東の門、開く》
《理由——問うたが、要領を得ず》
要領を得ないまま、門は今日も開いている。
◆
羅襲は、父の机の引き出しから、木簡を一枚見つけた。
古い。一行だけ書いてある。
《門が閉じられなかった年数——四十八年》
羅襲は、数字を一つ書き直した。
《四十九年》
そして、毎年、書き直した。
◆
永安の門は、閉じなかった。
羅襲の代も。その次の代も。
——閉じる理由が、なかったからである。
そして、北の宮では、書きかけの竹簡が、埃を払われて待っている。
一行目——阿斗へ。
二行目と三行目は、まだ空白のままだ。
終わっていないものは、この国では、捨てられない。




