↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第九部 英雄がいなくても、明日は来る

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
171/174

外伝・羅憲伝 『永安、閉じず』 (〜270年)


   序 死亡記事


史書には、こう書かれるはずだった。


《憲、永安を保ち、呉軍を拒ぐこと六月余》


《城中、疫して大半死す》


——蜀が滅んだ年、羅憲(らけん)は永安(えいあん)の門を閉じ、攻め寄せる呉軍と半年戦った。城内には疫病が広がり、半数が死んだ。名将の武勇伝として、史書はこれを褒める。


    ◆


そうならなかった。


戦わなかったからである。


門を、開けたままで。


    ◆


この伝は、七十日囲まれて、矢の一本も飛ばず、一人も死ななかった籠城——いや、籠城ですらなかった何かの、記録である。


史書は、こういう戦いを書くのが、いちばん下手である。


   第1話 埃を払え


景耀元年、冬。羅憲は成都から帰り、巴東(はとう)太守に任じられた。四十である。


    ◆


巴東は、遠い。成都から東へ千三百里、長江を下った、三峡の入口である。


太守の席は、二年空いていた。誰も行きたがらなかったのではない。


——皇帝が、決められなかったのである。


    ◆


羅憲は、自ら望んだ。


古い衣を着て、殿へ上がった。洗ってある。繕ってもある。そして、新しくない。


理由を、三つ挙げた。


一つ。三峡の入口であること。


二つ。呉との境であること。


そして、三つ目。


——先帝が崩じられた城であること。


誰も、皇帝の前でその話をしない。三十五年、誰もしなかった。


羅憲は、した。


    ◆


皇帝は、しばらく黙り、聞いた。


「令則どの。なぜ、三つ目を言われましたか」


「言わねば、二つで足ります」


「はい」


「二つで足りる者は、他にもおります」


皇帝は、頷いた。


「三つ目は、あなただけです」


    ◆


命令は、三つだった。


報告は七日ごと。様式は十二項目。


そして、三つ目。


「白帝城(はくていじょう)の門を、開けておきなさい」


「敵が来ても、でございますか」


「来たら、閉じてください。……そして、来るまでは、開けておきなさい」


「理由を、伺ってよろしいですか」


皇帝は、少し考えた。


「数えたいのです。門が、閉じられなかった年数を。……今、三十五年です。三十六年にしてください」


「陛下。それは、軍の数字ではございませぬ」


「はい」


「では、何の数字でございましょう」


「国の数字です」


    ◆


もう一つ、命じられた。永安宮の埃を払うことである。


「三十五年、でございますか。……行っておられぬのですか」


「行っていません」


理由は、言わなかった。羅憲も、聞かなかった。三つ目を自分で言った者が、次に聞くのは礼に反する。


    ◆


永安宮は、城の北にある。建興元年から、誰も入っていない。


封を切ると、三十五年分の埃が落ちてきた。


寝台。机。燭台。


机の上に、竹簡が一本あった。


三行、線が引いてある。字は、一行目にだけあった。


《阿斗へ》


二行目——空白。三行目——空白。


——書きかけである。先帝が三行書こうとして、一行で止まった。


    ◆


羅憲は、報告に書いた。様式にない、十三項目目である。


《永安宮、埃を払い了る》


《机の上に、竹簡が一本ございました》


《一行目——阿斗へ。二行目、三行目——空白》


《お持ちいたしましょうか》


返書は三日かかり、一行だった。


《そのままにしておいてください》


    ◆


羅憲は、封をし直さなかった。払ったまま、置いた。


そして、毎年、払った。


    ◆


なお、日々の報告の一項目めは「城門」である。開いているものを、毎日「開」と書く。


十三年で、四千七百四十五回書いた。


意味がない、と言う部下がいた。羅憲は答えた。


「閉じた日が、分かる」


部下は、開いた口が塞がらなかった。塞がらない口を指して、羅憲は「それも開けておけ」と言ったという。巴東で唯一記録された、太守の冗談である。


   第2話 三度、来た


景耀六年。魏が三方から来た年である。


綿竹で鄧艾(とうがい)は止められ、降伏の議は退けられ、成都は落ちなかった。


羅憲は、それを十日で知った。


十日目の夜、今度は東から報せが来た。


——呉の軍、三万、巫を過ぎる。将は歩協。名目は、救援。


    ◆


城の兵は、二千である。


参軍の楊宗(ようそう)が、走ってきた。口が悪く、走るのが速い男である。


「太守どの。門を、閉じますか」


羅憲は、答えず、城壁へ上った。呉軍は三里の地点に布陣し、旗は動かない。


「楊宗。五年、考えていたことがある」


「何を、でございましょう」


「陛下が、開けておけと仰せになった。軍の数字ではない、とも仰せであった。……五年かけて、意味が分かった」


「何でございます」


「開いている門へ入れば、それは侵攻だ」


    ◆


楊宗は、首をひねった。


「閉じていれば、『開けさせた』と言える。開いていれば、『入った』としか言えぬ」


「……理屈は、分かりました」


「うむ」


「で、飯はどうします」


羅憲は、少し笑った。十三年、この男はこれである。


「百八十日ある」


「籠れば、でございますな」


「籠らぬ」


「籠らずに、どうされます」


「開けておく」


「三万が、入って参りますが」


「入らぬ」


「入りましたら」


羅憲は、そこで初めて黙った。そして、言った。


「そのときは、閉じる」


    ◆


呉の使者が、来た。一度目である。


使者は門の前で止まり、上を見た。閂が外れ、扉が開いている。


羅憲は、門の内側に立っていた。甲は着ていない。官の衣である。古い。


「呉は、盟いに従い、救援に参った」


羅憲は、答えた。


「開いております」


使者の動きが、止まった。


「入られますか」


使者は、答えなかった。そして、帰った。


    ◆


二度目は、三日後。口上が変わっていた。


「城を、預かる」


「開いております。……入られますか」


「……なぜ、閉じぬ」


「閉じる理由が、ございませぬ」


「三万おるぞ」


「はい」


「それでも、理由にならぬか」


「三万が、まだ入っておられませぬゆえ」


    ◆


三度目は、十日後。口上は一言になっていた。


「開けよ」


羅憲は、初めて一つ付け足した。


「開いております。……十三年、開いております」


使者は、三度とも帰った。三万は、動かなかった。


    ◆


楊宗が、聞いた。


「なぜ、攻めませぬ」


「攻めれば、救援でなくなる」


「それだけで、三万が止まりますか」


羅憲は、首を振った。


「止まらぬ。……止まっているのは、別の理由だ」


「何でございましょう」


羅憲は、答えなかった。


分からなかったからである。


   第3話 閉じられよ


六十日目、陸抗(りくこう)が着いた。三十八。陸遜の子である。


——四十一年前、猇亭(おうてい)で先帝の陣を焼いた男の、子である。


翌日、矢文が来た。一行だった。


《貴城の門、閉じられよ》


楊宗が読んで、言った。


「太守どの。攻める側が、閉じろと申しております」


古今の戦史に、例のない要求である。


    ◆


羅憲は、長いことその一行を見ていた。


——向こうも、分かっている。


開いた門へ入れば、史に残る。同盟国の、開いた門へ入った、と。


閉じてくれれば、「開けさせた」と書ける。だから、閉じろと言ってきた。


    ◆


楊宗が、聞いた。


「閉じては、いけませぬか。閉じれば、向こうは攻めて参ります。攻めて参れば、こちらは守れます。守れば——死にます」


羅憲は、顔を上げた。


「何人だ」


「二千のうち、八百でございましょう」


「民は」


「三千ほど」


「数えたか」


「数えました。昨夜でございます」


羅憲は、少し黙った。そして、言った。


「よく数えた。……そして、閉じぬ」


    ◆


羅憲は、筆を取り、一行書いて返した。


《閉じる理由が、ございませぬ》


返しは、なかった。


そして、七十日目。呉軍は、退いた。


    ◆


理由は、三つあった。


一つ。成都が落ちなかった。救援の名目が消えた。


二つ。魏が西で動いた。後ろが危なくなった。


三つ目を、羅憲は知らなかった。


一年後、楊宗が呉の商人から聞いてきた。


「陸抗どのが、幕僚に申されたそうでございます。——『あの門を入れば、わしの名は、門を開けさせられなかった将ではなく、開いた門へ入った将になる』」


羅憲は、何も言わなかった。


——同じことを、考えていた。五年かけて、である。向こうは、六十日で辿り着いた。


「悔しゅうございますか」と楊宗が聞いた。


「悔しゅうない。……五年かけて分かったことを、向こうも分かったということだ」


「はい」


「分かる者が二人おれば、それは理屈になる。一人なら、思い込みだ」


   終章 閉じず


戦後、成都からの返書に、記録の写しが添えてあった。郤正(げきせい)の字で、四行である。


《景耀六年、呉軍、巴東に至る》


《七十日対峙し、退く》


《死者、なし》


《城門、終始開く》


楊宗が覗き込んで、言った。


「太守どの。これでは、手柄になりませぬな」


「ならぬ。……そして、二万が生きておる」


城内の数である。兵二千、民一万八千。一人も、死ななかった。


囲まれた城の名簿に、線が一本も引かれていない。普通は、戦わずとも疫で引かれる。それが、一本もない。


楊宗は、しばらく黙り、言った。


「飯の帳尻を、検めて参ります。七十日分、溜まっておりますゆえ」


戦のない戦の後始末は、経理であった。


    ◆


陳寿は、後に二行書いた。三国志の、羅憲の項である。


《憲、永安を守ること十二年》


《城門、終に閉じず》


それだけである。


そして、それだけを、羅憲は望んだ。


    ◆


羅憲は、二七〇年に死んだ。五十二である。


巴東で十二年。一度も、成都へ戻らなかった。


死ぬ前の年、一つだけ問い合わせをしている。永安宮の、書きかけの竹簡についてである。


《いつまで、そのままにいたしますか》


返書は、六十三になった皇帝の字で、二行だった。


《書きかけの文書は、終わっておりません》


《終わっていないものは、捨てないでください》


    ◆


羅憲は、それを読んで、遺言を書いた。


《永安宮の埃を、毎年払え》


《机の竹簡は、動かすな》


《期限——定めず》


子の羅襲(らしゅう)が、継いだ。そして、払い続けた。


    ◆


後年、晋の官が巴東へ来て、羅襲に聞いた。


「なぜ、閉じぬ」


「父が、閉じませなんだ。……そして父は、陛下に命じられました。『来るまでは、開けておきなさい』と」


「来たであろう」


「来ました。七十日、三里の地点に布陣しております」


「では、閉じるべきであった」


羅襲は、答えた。


「入って参りませなんだ。……来るというのは、入ってくることでございましょう」


官は、答えられなかった。そして、記録に一行書いて帰った。


《巴東の門、開く》


《理由——問うたが、要領を得ず》


要領を得ないまま、門は今日も開いている。


    ◆


羅襲は、父の机の引き出しから、木簡を一枚見つけた。


古い。一行だけ書いてある。


《門が閉じられなかった年数——四十八年》


羅襲は、数字を一つ書き直した。


《四十九年》


そして、毎年、書き直した。


    ◆


永安の門は、閉じなかった。


羅襲の代も。その次の代も。


——閉じる理由が、なかったからである。


そして、北の宮では、書きかけの竹簡が、埃を払われて待っている。


一行目——阿斗へ。


二行目と三行目は、まだ空白のままだ。


終わっていないものは、この国では、捨てられない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。