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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第九部 英雄がいなくても、明日は来る

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第148話 降伏してから国を取り戻す作戦は認めません


【景耀六年|成都】


西暦二六三年。


俺は、五十六歳になっていた。


——視界に、長年待っていた赤い表示が現れた。


【最終重大危機】


魏による蜀侵攻 開始


予測年 西暦二六三年 一致


主要敵将 鍾会(しょうかい)鄧艾(とうがい)諸葛緒(しょかつしょ)


敵兵力 大


危機

 ・漢中防衛線突破

 ・陰平間道

 ・成都侵攻

 ・国内講和派

 ・徹底抗戦派

 ・皇帝降伏判断


史実結果 蜀漢滅亡


——英雄たちのいない年に、最後の試験が始まった。


    ◆


姜維(きょうい)から、極秘書状が届いた。


《鍾会に野心あり》


司馬昭(しばしょう)を恐れ、魏軍内部でも孤立》


《表向き降伏し》


《鍾会を魏へ反乱させ》


《混乱の中で漢を復興することが可能》


——歴史どおりの策だった。


史実の姜維は、蜀が降伏した後、鍾会へ接近する。


鍾会の反乱を利用し、魏将たちを殺し、劉禅を復位させようとする。


だが、計画は失敗。


鍾会も、姜維も、鄧艾も死ぬ。


成都は混乱。


蜀は、戻らない。


「陛下」


——姜維は書状の最後に書いていた。


《正面から魏を破ることは困難》


《一度、降る姿勢を見せる必要があります》


——降伏。


だが、本当の降伏ではない。


後で取り戻すため、一度、国を渡す。


「認めません」


俺は、即答した。


使者が、困る。


「理由を」


——俺は、答えた。


「国は、盤上の駒ではありません」


    ◆


一度渡す。後で奪う。


——その間。


成都の民。官吏。兵。家族。


誰が、守る。


——鍾会が裏切る保証はない。


姜維が鍾会を制御できる保証もない。


魏軍の諸将が、反乱へ従う保証もない。


「伯約どのへ」


——俺は返書する。


《国を失ってから取り戻す計画は禁止》


《偽装降伏も認めない》


《鍾会との接触は、情報収集と停戦交渉に限定》


——姜維から、強い反論が来た。


《このままでは魏軍を退けても、国力差は残る》


《次の侵攻を防げない》


《司馬氏の内紛を利用すべき》


——正しい部分もある。


魏は、大きい。


人口。農地。兵。


蜀が一度防いでも、次が来る。


    ◆


俺は、執行評議(しっこうひょうぎ)を開いた。


議題——《魏侵攻後の国家戦略》


——徹底抗戦派。


剣閣(けんかく)で鍾会を止め、鄧艾を追い、魏軍が兵糧切れになるまで戦う。


可能性は、ある。


だが、漢中は既に魏軍支配下。


長期戦。農地。民の徴発。


損害が、増える。


——講和派。


領土の一部。貢納。皇帝称号。


譲歩し、魏軍を退かせる。


——降伏派。


国全体を司馬昭へ渡し、民の生命を守る。


「陛下」


董允(とういん)の後継侍中が言う。


「最終判断を」


    ◆


俺は、全ての報告を見る。


剣閣——守れる。少なくとも、今は。


鄧艾——撤退。


鍾会——兵站が伸びている。


魏軍内部——鄧艾と鍾会の功績争い。司馬昭からの監視。不安定。


蜀軍——疲労。


民間備蓄——減少。


南部と東部——まだ安定。


呉——魏侵攻を警戒。蜀支援の可能性。


ただし、大軍をすぐ送れない。


——完全な敗北では、ない。


完全な勝利でも、ない。


「降伏しません」


俺は決めた。


——広間の一部が、安堵。


一部が、不安。


「徹底抗戦もしません」


——全員が、俺を見る。


二択では、ない。


    ◆


「鍾会どのへ」


——停戦案を出す。


第一。魏軍は漢中の占領地を当面保持。


第二。剣閣以南へ進軍しない。


第三。蜀は魏へ形式上の朝貢を行う。


第四。蜀皇帝は称号を維持。


第五。魏軍捕虜と負傷者を返還。


第六。住民の移動。商取引。国境会合。


第七。三年間の休戦。


第八。司馬昭または魏帝との最終条約を後日協議。


「属国になるのですか」


——姜維派の将が反発する。


「形式です」


「屈辱です」


「父上も」


——俺は言った。


「面子を国の目的にして失敗しました」


——漢中の一部を、一時的に失う。


朝貢。名目上の上下。


屈辱である。


だが、国は残る。


軍も。制度も。民も。


    ◆


「鍾会が受けますか」


費禕(ひい)の後継外交官が問う。


「受ける理由を作ります」


——鍾会へ、個人的な利益も提示する。


《蜀を滅ぼした将》ではなく、《蜀を戦わず従わせ、民を救った将》。


司馬昭へ対して、大戦果として報告できる。


——兵糧の不足。冬。剣閣。鄧艾の失敗。


全てを隠し、自分の功績にできる。


——三十六年前、費禕は同じことをした。


孫権(そんけん)へ、こう書いた。


《同盟の八項》


そして、第八項に「相手国の君主・将を、公文書で侮辱しない」と入れた。


——相手が、顔を潰されずに済むようにする。


そして、あの人は、それを「損害がない」と言った。


    ◆


同時に、鍾会へ、余計な兵力を与えない。


蜀軍は、降伏しない。武器も渡さない。


姜維も、鍾会の指揮下へ入らない。


——反乱へ、利用できない。


「伯約どのは」


——俺は書く。


《剣閣を保持》


《交渉成立まで軍を動かさない》


《鍾会との個人的密約を禁止》


《違反時、指揮権を関平の子へ移譲》


——姜維の返書は、遅れた。


半日。一日。二日。


ようやく、来る。


《陛下の策では》


《漢中を失います》


《朝貢を受けます》


《漢の正統を傷つけます》


——俺は答える。


《正統は、土地と称号だけではありません》


《人が生き》


《法が残り》


《明日も国が動くことです》


    ◆


姜維。最後の抵抗。


《先帝と丞相の志は》


——胸が痛い。


父。諸葛亮(しょかつりょう)


漢室復興。長安。中原。


達成できなかった。


「伯約どのへ」


——俺は自筆で書いた。


《父上は、最後に国を一人へ背負わせるなと言いました》


《丞相は、生きて帰りました》


《二人の志を》


《戦い続けることだけにしないでください》


——長い返事が来た。


最初。


攻める理由。鍾会を利用できる理由。司馬氏の弱点。漢室の正統。


全て、書かれている。


——最後の一行。


《承知しました》


    ◆


俺は、そこで、一つ数えた。


——返書が来るまでに、三日かかっている。


そして、この人は、三十五年前にこう言われた。


「三日は、迷っております」


——迷った。


そして、決めた。


【姜維】


鍾会利用意思 84% → 31%

偽装降伏計画 中止


新規特性

 【復興のためにも国を壊さない】


——三十一である。


零ではない。


そして、俺は、それでいいと思った。


零になれば、この人は、たぶん、生きていない。


    ◆


鍾会は、停戦案を受けた。


——最初、拒否した。


《魏の大軍は、蜀を滅ぼせる》


——外交使節は答えた。


《では、剣閣を越えてください》


——鍾会軍。兵糧不足。冬。鄧艾軍撤退。


背後の漢中でも、蜀の小部隊が輸送路を脅かす。


蜀は、降伏しない。


しかし、和平なら、鍾会は勝利者になれる。


——鍾会は、司馬昭へ上奏した。


《蜀主劉禅、朝貢と服属を申し出る》


《漢中を割譲》


《蜀軍、抵抗停止》


——実際より、大きな勝利として書いた。


司馬昭にとっても、悪くない。


大軍を山奥へ送り続ける必要がない。


蜀を、名目上の属国とする。


呉への圧力にも、使える。


——司馬昭から、条件付き承認。


三年間の停戦。


    ◆


蜀は、漢中北部の一部を失った。


魏へ、朝貢する。


だが——成都は落ちなかった。


劉禅は、降伏しなかった。


姜維も。鍾会も。鄧艾も。


生きている。


【西暦二六三年・魏蜀戦争】


史実

 蜀漢滅亡/劉禅降伏/姜維偽装降伏

 鍾会反乱/姜維・鍾会・鄧艾死亡


現在

 蜀漢存続/限定的領土喪失

 魏への形式的朝貢/三年休戦

 軍事組織維持/民間被害抑制


国家状態

 独立度 低下

 生存  継続


——勝利では、ない。


屈辱もある。土地も失った。


だが、国は残った。


    ◆


その夜、俺は一人で、父の最後の週報を読んだ。


《皇帝の面子を、国の目的にしない》


——守った。


関羽(かんう)の旗を見る。


《旗より人を選ぶ》


——守った。


諸葛亮の木簡。


《生きて帰る》


——守った。


——視界に、最後の選択肢が現れた。


【歴史目標】


蜀漢滅亡 西暦二六三年


結果 回避


システム主要任務 完了


終了しますか。


——俺は、すぐに選ばなかった。


国は、まだ続いている。


戦争も。外交も。人事も。


終わらない。


——だが、このシステムがなくても、国は動けるのか。


最後に、それを確かめる必要があった。


綿竹(めんちく)で、鄧艾を止めたのは、諸葛瞻(しょかつせん)だった。


——三十六である。


父が死んだ年より、三十四年、若い。


そして、生きて帰ってきた。


息子の尚も、生きていた。


——理由は、簡単だった。


退路が、あったからである。


三十四年前、趙雲(ちょううん)が「失敗したときのこと」を書き始めた。


その簿が、まだ続いていた。


    ◆


「陛下」


諸葛瞻が、膝をついた。


「父の書を、お返しいたします」


——誡子書である。


父が、八つの息子に宛てて書いた、短い文。


俺は、それを開いた。


そして、最後の一節を読んだ。


《年は時と馳せ、意は日と去り、遂に枯落と成る》


《多くは世に接せず、悲しみて窮廬を守る》


《將た復た何ぞ及ばん》


——歳月は過ぎ、志は日々失われ、やがて枯れ落ちる。


世に用いられぬまま、みすぼらしい廬で悲しむ。


そのとき、悔いても、もう間に合わない。


——これを、あの人は書いた。


八つの息子に宛てて。


そして——間に合った。


三十六歳の、諸葛瞻。


生きている。


    ◆


俺は、そこで、一つ聞いた。


「思遠どの」


「はい」


「その書を、何度読まれましたか」


——この人は、答えた。


「存じませぬ」


「……」


「そして、二十八年、持っております」


「一番、覚えている一行は」


——諸葛瞻は、少し黙った。


そして、こう答えた。


「『年は時と馳せ』でございます」


「なぜですか」


——この人は、こう言った。


「父が、いちばん急いだ人でございましたゆえ」


「はい」


「——」


「そして、七十まで生きました」


「——」


「書いたとおりには、なりませなんだ」


    ◆


成都の門の前に、民が集まっていた。


誰も、何も聞かなかった。


ただ、俺を見ていた。


——五十六である。


母が死んだ歳の、倍を超えた。


俺は、口を開いた。


そして、生まれて初めて、その言葉を言った。


「大丈夫です」


——五十四年、俺はこの言葉を否定してきた。


母が言うたびに、心の中で「大丈夫ではない」と言い返した。


長坂坡(ちょうはんは)で、母は七回言った。


俺は、七回、否定した。


——今日、初めて、俺が言った。


そして、たぶん、これも嘘である。


母上と、同じように。


——そして、二十五年前、皇后にも同じことを言った。


あのときも、嘘だった。


そして、あの人は「存じております」と答えた。


——今日は、誰も、そう言わなかった。


代わりに、民が、少し散った。


家へ帰る者から、順に。


巴東(はとう)から、報告が来たのは、三日後である。


羅憲(らけん)の字だった。


——四十五になっている。


そして、五年前から、永安(えいあん)にいる。


《巴東、異常あり》


——俺は、その四文字を見て、手を止めた。


異常あり。


四十四年前、荊州(けいしゅう)から同じ書き方で報告が来た。


《荊州、異常あり。されど、兵はまだ立っている》


——様式が、残っている。


報告は、十二項目だった。


《呉軍、西へ動く》


《名目——蜀の救援》


《兵、推定三万》


《将——歩協(ほきょう)。後方に陸抗(りくこう)


《当城の兵——二千》


——そして、十二項目目。


《判断を、仰ぎます》


——俺は、そこで、地図を開いた。


呉である。


四十四年、戦っていない。


そして、魏が来た月に、西へ動いた。


——救援では、ない。


来るのは、蜀が落ちた後である。


「令先どの」


「陛下」


「呉とは、何年、戦っていませんか」


——郤正(げきせい)は、記録を見ずに答えた。


「四十一年でございます」


「はい」


「そして、白帝城(はくていじょう)の門が閉じられなかった年数と」


「一年の違いも、ございませぬ」


——俺は、返書を書いた。


一行である。


《来ました》


《閉じてください》


返ってきたのは、十日後である。


そして、羅憲の返書は、三行だった。


《閉じませぬ》


《閉じれば、滅びたと認めたことになります》


《蜀は、まだ滅びておりませぬ》


——俺は、その三行を、長いこと見ていた。


命令違反である。


五年前、俺が「来たら閉じよ」と命じた。


そして、この人は閉じないと書いてきた。


理由を、添えて。


    ◆


「令先どの」


「はい」


「これは、命令違反ですか」


——郤正は、少し黙った。


そして、こう答えた。


「違反でございます」


「はい」


「そして、理由が書いてございます」


——俺は、そこで、五十四年前を思い出した。


夏口(かこう)である。


一歳だった。


そして、倉庫番が鼠害を隠した。


俺は、あのとき決めた。


——そして、五十四年。


理由を書いて命令に逆らう将が、出た。


俺は、返書を書いた。


二行である。


《承知しました》


《そちらで決めてください》


——そして、その下に、一行足した。


《門が閉じられなかった年数は、今、四十一年です》


    ◆


報告は、七日ごとに来た。


様式は、十二項目である。


そして、一項目だけ、毎回同じ数字が並んだ。


《城門——開》


——十月。


呉軍が、()を過ぎた。


そして、永安の前で、止まった。


「令先どの」


「陛下」


「止まりましたか」


——郤正は、報告を読み上げた。


「三里の地点で、布陣」


「はい」


「そして、七日、動いておりませぬ」


——俺は、そこで、地図を見た。


三万である。


そして、城の兵は二千。


七日あれば、落ちる。


    ◆


「令先どの」


「はい」


「なぜ、攻めないのですか」


——郤正は、答えなかった。


そして、次の報告が来た。


羅憲の字である。


十三項目目——様式に、ない。


《呉の使者、三度参りました》


《一度目——救援に来た、と》


《二度目——城を預かる、と》


《三度目——開けよ、と》


《三度とも、門は開いておりました》


——俺は、そこで、息を呑んだ。


開いている。


閉じていない。


そして、呉の使者は、三度来て、三度帰った。


報告は、続いていた。


《使者に、こう申しました》


《「開いております」》


《「入られますか」》


——俺は、その二行を、長いこと見ていた。


入れない。


——開いている門へ入れば、それは侵攻である。


救援では、なくなる。


閉じていれば、「開けさせた」と言える。


開いていれば、「入った」としか言えない。


——羅憲は、それを知っていた。


そして、五年前、俺は知らなかった。


    ◆


俺は、返書を書いた。


一行である。


《なぜ、分かりましたか》


——返ってきたのは、十日後である。


そして、三行だった。


《陛下が、開けておけと仰せになりました》


《理由を、五年、考えました》


《軍の数字ではない、と仰せでしたゆえ》


——俺は、そこで、竹簡を置いた。


五年である。


あのとき、俺は数えたかっただけだった。


門が閉じられなかった年数を。


——そして、この人は、五年かけて、それを武器に変えた。


    ◆


十二月。


呉軍が、退いた。


理由は、三つあった。


一つ。魏が、綿竹で敗れた。


鄧艾が止められ、成都が落ちなかった。


二つ。蜀が、降らなかった。


救援の名目が、消えた。


そして、三つ目。


——羅憲の報告に、こうあった。


《陸抗より、書が参りました》


《一行でございます》


《貴城の門、閉じられよ》


——俺は、その一行で、思わず笑った。


閉じてくれ、と言っている。


攻める側が、である。


《返書を、出しました》


《一行でございます》


《閉じる理由が、ございませぬ》


——そして、呉軍は退いた。


一つの城も落ちず、一つの矢も射られなかった。


    ◆


俺は、そこで、一つ聞いた。


「令先どの」


「はい」


「陸抗とは」


——郤正は、答えた。


陸遜(りくそん)の子でございます」


——俺は、そこで、動きを止めた。


四十一年前、夷陵(いりょう)である。


そして、あの人は、追撃しなかった。


「令先どの」


「はい」


「歳は」


「三十七でございます」


——俺は、そこで、一つ思った。


——親子で、二度、退いた。


一度目は、勝ってから。


二度目は、戦わずに。


後に、郤正が記録へこう書いた。


景耀(けいよう)六年、呉軍、巴東に至る》


《七十日対峙し、退く》


《死者、なし》


《城門、終始開く》


——俺は、その四行を、長いこと見ていた。


戦記である。


そして、戦っていない。


五十四年前、赤壁の戦記は四行だった。


そして、俺は敗因簿を作らせた。


——今度の四行には、書くべき敗因がない。


    ◆


その夜、俺は木簡(もくかん)を出した。


《門が、閉じられなかった年数》


一行目——白帝城 三十六年。


五年前、書いた。


俺は、そこへ書き足した。


《四十一年》


——そして、その下に。


《敵が、来た年も》


——俺は、そこで、筆を止めた。


この簿は、誰にも評価されない。


戦果が、書けないからだ。


五年前、俺はそう書いた。


——そして、今、訂正する。


俺は、もう一行書いた。


《これが、戦果である》


    ◆


——そして、三日後。


執行評議を開いた。


議題は、一つである。


《魏侵攻後の国家戦略》


四十人、集まった。


そして、降伏派の中心に、一人の学者がいた。



〈あとがき〉


「国は、盤上の駒ではありません」——一度渡して、後で奪う。その間、成都の民を誰が守るのか。


《正統は、土地と称号だけではありません》《人が生き》《法が残り》《明日も国が動くことです》。


「三日は、迷っております」——三十五年前に丞相が言った言葉のとおり、返書に三日かかりました。そして、鍾会利用意思は三十一で止まりました。零ではありません。零になれば、この人はたぶん生きていません。


「父が、いちばん急いだ人でございましたゆえ。そして、七十まで生きました。書いたとおりには、なりませなんだ」。


「大丈夫です」——五十四年、否定し続けた言葉です。誰も「存じております」とは言いませんでした。代わりに、民が家へ帰っていきました。


「開いております」「入られますか」——開いた門に入れば、それは侵攻です。救援ではなくなります。


「陛下が、開けておけと仰せになりました。理由を、五年、考えました」。


そして陸抗。父子で、二度退きました。一度目は勝ってから、二度目は戦わずに。


次回、第149話「四つは事実で、一つは願望でした」。


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