表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第一部 赤子CEO、長坂坡に放り出される

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/87

第15話 五人の死亡予定者

その夜、俺は生まれて初めて、五人が同時に笑っているところを見た。


劉備(りゅうび)関羽(かんう)張飛(ちょうひ)趙雲(ちょううん)諸葛亮(しょかつりょう)


——五人とも、死ぬ年を知っている。



    ◆



建安(けんあん)十四年。


劉備(りゅうび)が、荊州牧(けいしゅうぼく)に推された。


正式な任命ではない。劉琦(りゅうき)が病で世を去り、荊州に残った者たちが劉備を推した、という形である。


だが実質的には、創業以来はじめて、この男が「州」という単位の責任者になったということだ。


会社で言えば、無店舗の個人商店が、四つの支店を持つ企業になった。


祝わない理由がない。



    ◆



公安(こうあん)の広間に、明かりが灯された。


普段は薄暗い部屋が、この日だけは眩しかった。灯火を惜しまず並べたからだ。


炙った肉の匂いがした。魚を焼く煙。酒を温める甕。


長坂坡から一年と少し。


この人たちが、腹いっぱい食える夜は、久しぶりだった。


俺は(かん)夫人の膝の上にいた。


二歳の身体は、まだ人の輪の中では危険である。誰かの足に踏まれるからだ。実際、先月張飛(ちょうひ)に一度踏まれた。



    ◆



「主公! 荊州牧、おめでとうございます!」


張飛が杯を掲げた。


「まだ正式ではない」


劉備が苦笑する。


「同じことだ!」


「同じではない」


関羽が静かに言った。


「朝廷の任ではない。推されただけだ」


「雲長は堅い!」


「堅いのではない。事実を言っている」


——この人は、いつもそうだ。


自分に都合のいい話でも、事実でなければ認めない。


だからこそ、都合の悪い事実も、絶対に認めない。


十年後、それが荊州を失わせる。



    ◆



「まあ、飲め」


劉備が皆に杯を配った。


糜竺(びじく)が横で青ざめている。


「主公。酒はもう——」


「今夜だけだ」


「先月もそう仰せでした」


```

【劉備】

財務管理 31

```


数字は正直である。


諸葛亮が羽扇で口元を隠しながら言った。


「糜竺どの。本日の分は、私が別に手当てしております」


「まことですか」


「はい。三日前から、少しずつ」


——三日前から。


この男は、宴の準備まで一人でやっている。


権限委譲、三。


俺は膝の上で、静かに拳を握った。



    ◆



酒が回り始めた頃、話題が変な方向へ転がった。


きっかけは、馬良(ばりょう)だった。


「主公。恐れながら、記録のことでお尋ねしたく」


「うむ」


「宗族と将の生年を、簿に記しておきたく存じます」


——そうだ。


この時代の記録は、驚くほど雑である。


戸籍はある。だが軍中の将の生年など、誰も体系的に残していない。


馬良は真面目な男だ。荊州牧になったのだから、記録を整えようと考えたのだろう。


そして、その真面目さが、この夜を地獄に変えた。



    ◆



「主公は、おいくつになられました」


「四十九だ」


——四十九。


俺の頭の中で、勝手に計算が始まった。


二二三年。白帝城。


あと、十四年。


そのとき、この人は六十三。


そして俺は、十六だ。


「まだまだお若い」


張飛が笑う。


「阿斗が元服する頃も、兄者は矍鑠としておられよう」


——していない。


あなたも、そこにいない。



    ◆



「では、雲長どのは」


馬良が筆を構えた。


関羽は、杯を置いた。


そして、あっさりと言った。


「知らぬ」


馬良の筆が止まった。


「……は?」


「知らぬ」


「ご自身の、お歳を?」


「うむ」


——え。


俺は思わず身を起こした。


甘夫人が「どうしました」と言って、抱き直す。


張飛が大声で笑った。


「雲長は昔からそうだ! 歳を聞かれると必ず『知らぬ』と言う!」


「知らぬのだから、仕方あるまい」


「では適当に言え!」


「嘘は書かせぬ」


——この人らしい。


だが、俺は笑えなかった。


「なぜ、ご存じないので」


馬良が、遠慮がちに尋ねた。


関羽は、しばらく杯を見ていた。


そして、言った。


「郷を出るとき、記す者がおらなんだ」


    ◆


広間が、少し静かになった。


河東(かとう)解県(かいけん)を出たのは、若い頃だ。人を殺して逃げた」


関羽は、淡々と続けた。


「親も、族も、あの土地に残した。戻ってはおらぬ」


「では、どなたかご存じの方が」


「おらぬ」


関羽は、杯を干した。


「知っておった者は、皆、死んだ」


——俺は、母の衣を握った。


この人は、自分がいつ生まれたのかを知らない。


天下に名を知られた、(かん)寿亭侯(じゅていこう)になる男が。


誰も、記録しなかった。


第十四話で、俺は降兵の名を書き取れなかった。


——同じだ。


記録されない人間は、英雄でも記録されない。



    ◆



「まあ、五十は超えておろう」


張飛が言った。


「なぜ分かる」


「兄者と会うたとき、既に髭が立派だった」


「それは根拠になるのか」


「なる!」


ならない。


馬良が困った顔で筆を止めている。


「では、五十余と記します」


「よい」


関羽は頷いた。


——五十余。


二一九年。荊州。麦城。


あと、十年。


そのとき俺は、十二だ。


十二歳。


——十二の子供に、何ができる。


俺は、必死に考えた。


十二なら、字は書ける。読める。話せる。書状も出せる。


だが、命令はできない。


十二の子の言うことなど、この人は絶対に聞かない。



    ◆



「翼徳どのは」


「四十四だ!」


張飛が即答した。


「先月、四十五になったのではないか」


関羽が言う。


「四十四だ!」


「誕生の日は——」


「四十四だ!」


広間が笑いに包まれた。


——二二一年。閬中。


あと、十二年。


そのとき俺は、十四。


そして張飛は、部下に殺される。


俺は目の前の男を見た。


顔を真っ赤にして、歳を四十四だと言い張っている。


酒臭い。声が大きい。人の話を聞かない。


この人が、十二年後、寝首をかかれる。



    ◆



「子龍どのは」


趙雲は静かに答えた。


「三十を、少し」


「少し、とは」


「……数えておりませんでした」


——この人もか。


だが関羽とは理由が違う。


趙雲は、自分のことに関心がないだけだ。


```

【趙雲】

自己主張 21

```


「では、三十余と」


「お手数をおかけします」


——二二九年。


あと、二十年。


このとき俺は、二十二。


趙雲は、戦場では死なない。病で死ぬ。老いて死ぬ。


——この五人の中で、それが一番まともな死に方である。


そして俺は、それを「まともだ」と思っている自分に、少し吐き気がした。



    ◆



「孔明どのは」


「二十八にございます」


——二十八。


俺は、そこで完全に凍りついた。


若い。


若すぎる。


俺の前世の年齢より、十歳も下だ。


会社で言えば、入社六年目である。


その男が、いま国家の三郡の税務と、外交と、兵站と、軍議を、一人で回している。


「若いのう!」


張飛が笑う。


「孔明、嫁はおるのか」


「おります」


「では子は」


「まだにございます」


「作れ!」


セクハラである。


現代なら人事に通報される。


だが諸葛亮は、穏やかに笑っただけだった。


「そのうちに」


——そのうち。


俺は、その三文字を、頭の中で転がした。


そして、思い出そうとした。


——この人に、子はいたか。


……


思い出せなかった。


諸葛瞻(しょかつせん)という名を、知っている気はする。


だが、いつ生まれたのかは、覚えていない。


——覚えていないということは、たぶん、遅い。


早くに生まれた子なら、事績が長く残る。


長く残っていれば、俺は覚えている。


——覚えていないのだから、遅いのだ。


俺は、そこで、酒の匂いの中で、一つだけ確かなことに気付いた。


——この人は今、二十八である。


そして、まだ子がいない。


……


前世で、俺は同じ人を何人も見た。


「そのうちに」と言い続けた人たちである。


家を買うのも、旅に行くのも、子を持つのも、親に会いに行くのも。


みんな、「そのうちに」と言っていた。


——そして、その人たちの多くは、そのうちを、迎えなかった。


俺自身が、そうだった。


「そのうち、親と飯でも食う」


三十八年、そう思っていた。


——そして、深夜二時四十七分に、床へ倒れた。


二三四年。五丈原。


あと、二十五年。


そのとき、この人は五十三。


そして俺は、二十七だ。


——二十五年ある。


長い。


「そのうちに」を、二十五回言える長さだ。



    ◆



俺は、指を折り始めた。


二歳の手では、十までしか数えられない。


だが、頭の中では別のものを数えていた。


十二。関羽。


十四。張飛。


十六。父。


二十二。趙雲。


二十七。孔明。


——俺の人生は、既に予定が入っている。


十二歳で、憧れの人を失う。


十四歳で、可愛がってくれた人を失う。


十六歳で、父を失う。


二十二歳で、命を救ってくれた人を失う。


二十七歳で、先生を失う。


そして三十歳を過ぎた頃には、この広間で笑っている全員が、いなくなっている。



    ◆



俺は、広間を見回した。


張飛が、また歳のことで関羽と揉めている。


「四十四だと言っておろう!」


「では、なぜ去年も四十四だった」


「そんなことは知らぬ!」


趙雲が、こぼれた酒を静かに拭いている。誰も頼んでいないのに。


糜竺が、まだ帳簿の心配をしている。


馬良が、真面目に竹簡へ筆を走らせている。


諸葛亮が、羽扇で口元を隠して笑っている。


そして父が——全員に酒を注いで回っている。


魅力百の男が、州牧に推された夜に、自分で酒を注いでいる。


誰も、それを不思議に思っていない。


この人は、そういう人だからだ。



    ◆



「阿斗」


劉備が俺の前へ来た。


「今日は、飲まぬのか」


「のまない」


「二つだからな」


「うん」


劉備は俺の頭を撫でた。


「阿斗。父は、荊州牧になった」


「うん」


「まだ、小さい国だ」


父は、灯火のほうを見た。


「だが、いつかお前に渡す。もっと大きくして、渡す」


——渡される。


十四年後に。


あなたが、白帝城で死ぬときに。


「とと」


「なんだ」


「……」


俺は、何も言えなかった。


言葉が出なかったのではない。


言ってはいけないと、分かっていた。



    ◆



その夜、俺は寝床で木簡を出した。


そして、五つの名前を書いた。


字は歪んでいる。二歳の手だ。誰も読めない。


それでいい。


劉備(りゅうび) 二二三 十六


関羽(かんう) 二一九 十二


張飛(ちょうひ) 二二一 十四


趙雲(ちょううん) 二二九 二十二


諸葛亮(しょかつりょう) 二三四 二十七


右の数字は、そのときの俺の歳である。


——五人。


五人の、死亡予定者。


俺は、その木簡を長いこと見ていた。


前世で、俺は再建計画を何十本も書いた。


期限を切り、担当を決め、進捗を管理した。


期限を守れなかったものは、一つもなかった。


——今度は、どうだ。


十年で、関羽。


十二年で、張飛。


十四年で、父。


守れる自信は、まったくなかった。



    ◆



扉が開いた。


「阿斗。まだ起きているのですか」


甘夫人だった。


俺は慌てて木簡を伏せた。


「うん」


「宴が騒がしくて、眠れませんか」


「ううん」


母は俺の隣に座った。


酒の匂いが少しした。今夜は、この人も飲んだのだろう。


「みんな、楽しそうでしたね」


「うん」


「父上が、あんなに嬉しそうなのは、久しぶりです」


——そうだろうな。


この人たちは、二十年以上、逃げ続けてきた。


徐州(じょしゅう)を失い、小沛(しょうはい)を失い、汝南(じょなん)を失い、新野(しんや)を捨てた。


やっと、逃げなくていい場所ができた。


「阿斗」


「うん」


「大きくなったら、皆を守ってあげてくださいね」


俺は、母の顔を見た。


「まもる」


「はい」


「ぜんぶ」


「まあ」


甘夫人は笑った。


「欲張りですね」


欲張りではない。


計画である。



    ◆



母は、俺を寝かしつけて出ていった。


灯火が消える。


暗闇の中で、俺は目を開けていた。


伏せた木簡に、五つの名前がある。


——五人。


この五人を、俺は救わなければならない。


そう思ったとき、ふと、あることに気付いた。


——母上の名は、ない。


俺は暗闇の中で、木簡へ手を伸ばした。


指でなぞる。


劉備(りゅうび)関羽(かんう)張飛(ちょうひ)趙雲(ちょううん)諸葛亮(しょかつりょう)


五人。


甘夫人は、いない。


——当たり前だ。


俺は、この人の没年を覚えていない。


三国志を、何度も読んだ。関羽が死んだ年は、月まで覚えている。諸葛亮が死んだ日も知っている。


だが、甘夫人がいつ死んだかは、覚えていない。


なぜか。


理由は、簡単だった。


——史書に、大きく書かれていなかったからだ。


俺の頭の中の年表には、歴史に名を残した人間しか載っていない。



    ◆



俺は、木簡を胸に抱えて、目を閉じた。


——年表にない。


だから、大丈夫だ。


俺は、そう思った。


年表にないということは、近いうちに死なないということだ。


少なくとも、俺が気にしなければならない期限ではない。


優先順位は、五人にある。


十年で関羽。十二年で張飛。十四年で父。


時間は、限られている。


母上のことは、後でいい。


——俺は、確かにそう考えた。


そして、安心して眠った。


この判断を、俺は生涯、忘れない。



    ◆



広間からは、まだ笑い声が聞こえていた。


張飛の声。関羽の低い返事。趙雲の困ったような相槌。諸葛亮の静かな笑い。そして、父の大きな笑い声。


みんな、笑っていた。


だから俺だけは、笑えなかった。


——このとき俺は、まだ知らない。


この夜から数えて、母が笑う日は、あと何日も残っていなかった。



次回 第16話「大丈夫です、と母は言った」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ