第142話 二度、家を変えられた人
【延熙十六年 冬|成都】
一人の男が、呉へ帰ることになった。
二十五である。
そして、本人は、呉へ行ったことがない。
◆
延熙十六年の冬。費禕が刺されて、十月である。
呉から、報せが来た。
《諸葛恪、誅せらる》
《一族、尽く》
俺は、その二行を、長いこと見ていた。
五十一である。呉の太傅だった。そして、諸葛瑾の長男である。
郤正が、詳報を持ってきた。
「陛下」
「令先どの」
「三男まで、全てでございます」
「何人」
郤正は、答えた。
「数えられておりませぬ」
「……」
「呉の記録に、人数がございませぬ」
俺は、そこで、竹簡を置いた。
数えていない。一族を誅して、人数を書いていない。
俺は、そこで、木簡を出した。十五年前に作ったものである。
《止める人がいなかった国》
一行目——呉。延熙元年。《呂壱。八年》
二行目——呉。延熙八年。《太子と魯王。待遇が同じ》《陸遜、憤死》
そして、俺は、三行目を書いた。
呉 延熙十六年
《諸葛恪。一族、尽く》
そして、その下に。
《人数を、数えていない》
三行目を、書かずに済むかどうかは、五番目の規定にかかっている。八年前、俺はそう書いた。
そして、書くことになった。ただし——呉の三行目である。
「令先どの」
「はい」
「諸葛恪どのは、なぜ誅されましたか」
郤正は、竹簡を読んだ。そして、こう答えた。
「二年前、二十万で魏を攻められました」
「はい」
「そして、負けられました」
「損害は」
「——」
「数万」
「はい」
「——」
「そして、帰ってから、責める者を次々に退けられました」
俺は、そこで、一つ聞いた。
「令先どの」
「はい」
「止める者は、いましたか」
この人は、答えた。
「おりました」
「……」
「そして、退けられております」
「何人ですか」
「——」
「記録には、七人」
俺は、そこで、動けなくなった。
七人である。そして、その後、この人が誅された。
止める人を退けて、そして、退けられた。
◆
三月後、呉から、使者が来た。願いは、一つである。
《諸葛攀を、返されたし》
「令先どの」
「はい」
「諸葛攀とは」
郤正は、竹簡を開いた。そして、こう言った。
「伯松さまの、ご子息でございます」
俺は、そこで、手が止まった。
諸葛喬である。二十五年前、谷で死んだ。二十八だった。
「子が、おられましたか」
郤正は、答えた。
「おられます」
「……知りませんでした」
「二十五でございます」
「——」
「生まれたのは、伯松さまが亡くなられた翌年でございます」
俺は、そこで、動けなくなった。
父を、知らない。そして、二十五年、俺もこの子を知らなかった。
「令先どの」
「はい」
「なぜ、私は知らなかったのですか」
郤正は、しばらく黙っていた。そして、こう答えた。
「宗族の簿に、載っております」
「……」
「そして、丞相の簿でございます」
「——」
「陛下の簿では、ございませぬ」
俺は、そこで、竹簡を置いた。
四十六年、俺は簿を作ってきた。《名のない者》。《正しく呼ばれていない者》。《渡したもの》。
そして、丞相府の簿は、見ていなかった。
「令先どの」
「はい」
「他に、私が知らない人は」
この人は、答えた。
「多うございます」
「……」
「陛下は、四十六年で、千二百八十七人の名を書かれました」
「はい」
「——」
「この国の口は、九十四万でございます」
◆
呉の言い分は、筋が通っていた。
諸葛瑾の家が、絶えた。諸葛恪とその子が、全部死んだ。そして、諸葛攀は、血筋の上では諸葛瑾の孫である。
評定を開いた。姜維が、先に言った。
「断るべきでございます」
「理由を」
この人は、三つ挙げた。
「一つ。蜀の官でございます」
「はい」
「二つ。丞相の嗣でございます」
「三つ」
「——」
「返せば、次も求められます」
正しい。そして、俺は一つ聞いた。
「伯約どの」
「はい」
「本人に、聞きましたか」
広間が、静かになった。
諸葛攀を、呼んだ。二十五である。翊武将軍。そして、部屋へ入ってくると、拝礼した。
顔を見て、一つ分かった。似ている。諸葛亮にではない。諸葛喬に、である。
「諸葛攀どの」
「陛下」
「呉から、願いが来ています」
「存じております」
俺は、そこで、少し驚いた。
「どこで」
「噂でございます」
「どう思われますか」
この人は、しばらく黙っていた。そして、こう聞いた。
「陛下」
「はい」
「一つ、伺ってよろしいですか」
「どうぞ」
諸葛攀は、こう聞いた。
「父は、望んで蜀へ参りましたか」
俺は、答えられなかった。
二十五年前である。谷で、諸葛喬が死んだ。そして、俺は諸葛亮にこう聞いた。
「望まないと、聞かれましたか」
答えは、なかった。
俺は、答えた。
「聞かれていません」
「……」
「先生は、聞きませんでした」
「そして、二十三年、後悔しておられました」
諸葛攀は、長いこと黙っていた。そして、こう言った。
「字も、変えられたと伺っております」
「はい」
「仲慎から、伯松へ」
「説明は、なかったと」
「そのとおりです」
俺は、答えた。
「理由は、礼です」
「はい」
「嗣子になった以上、長男の字にせねばならない」
「正しいです」
そして、こう続けた。
「正しくて、説明しない」
「はい」
「それが、一番悪い形です」
諸葛攀は、顔を上げた。そして、こう聞いた。
「陛下は、説明されますので」
俺は、答えた。
「説明します」
「……」
「そして、決めていただきます」
俺は、三つ並べた。
一つ。残れば、蜀の将のままである。丞相の嗣として、家が続く。
二つ。戻れば、呉の諸葛家を継ぐ。絶えた家である。
三つ。どちらを選んでも、もう一方が絶える。
「諸葛攀どの」
「はい」
「残れば、呉の諸葛が絶えます」
「はい」
「戻れば、丞相の嗣が絶えます」
「そして」
俺は、そこで、一つ付け足した。
「丞相には、実の子がおられます」
「はい」
「諸葛瞻。二十七」
「そして、子もおります」
諸葛攀は、少し笑った。諸葛喬に、似た笑い方だった。そして、こう言った。
「存じております」
「三日、考えてください」
俺は、言った。
「三日で、よろしいですか」
諸葛攀は、答えた。
「要りませぬ」
俺は、そこで、首を振った。
「要ります」
「……」
「父上は、三日もらえませんでした」
諸葛攀は、そこで、動きを止めた。そして、拝礼した。
俺は、そこで、もう一つ言った。
「諸葛攀どの」
「はい」
「三日というのは、この国では意味があります」
「……」
「一日は、恨みです」
「十日は、打算です」
「——」
「三日は、迷っています」
「誰が、そう申されましたか」
俺は、答えた。
「あなたの、祖父です」
◆
三日後。この人は、戻ってきた。そして、竹簡を一本持っていた。
「陛下」
「はい」
「呉へ参ります」
「理由を、伺ってよろしいですか」
諸葛攀は、答えた。
「三つ、書いて参りました」
俺は、竹簡を開いた。
《一つ。呉の家は、絶えております》
《蜀の家は、絶えておりませぬ》
《二つ。父は、呉の生まれでございます》
《一度も、戻っておりませぬ》
《三つ》
三つ目を読んで、俺は手が止まった。
《私が決めました》
俺は、その六文字を、長いこと見ていた。
理由では、ない。そして、一番大きい理由である。
「諸葛攀どの」
「はい」
「三日、要りましたか」
この人は、答えた。
「要りました」
「……」
「一日目と三日目で、答えが同じでございました」
「そして、理由が違っております」
俺は、そこで、一つ聞いた。
「一日目は、何でしたか」
諸葛攀は、答えた。
「『祖父の家が、絶えますゆえ』」
「はい」
「——」
「三日目は、『私が決めました』でございます」
俺は、そこで、頷いた。
一日目は、家の話である。そして、三日目は、自分の話だった。
◆
出立は、春である。俺は、門まで行った。
「諸葛攀どの」
「陛下」
「字は、変えられますか」
この人は、答えた。
「変えませぬ」
「呉の家を継がれますが」
「継ぎます」
「……」
「そして、字は、父が付けたものではございませぬ」
「祖父が、付けました」
俺は、そこで、一つ聞いた。
「どちらの祖父ですか」
諸葛攀は、少し笑った。そして、こう答えた。
「分かりませぬ」
諸葛瑾か。諸葛亮か。二十五年前に付けられ、誰も記録していない。
「諸葛攀どの」
「はい」
「調べますか」
この人は、首を振った。
「調べませぬ」
「なぜですか」
「——」
「分かれば、どちらかの家の字になりますゆえ」
俺は、そこで、動けなくなった。
四十六年、俺は名を書いてきた。そして、この人は、書かないことを選んだ。理由が、同じである。
俺は、最後に一つ渡した。木簡である。古い。そして、二十五年前の字だった。
《としが、わからない》
「これは」
俺は、答えた。
「父上の歳です」
「……」
「私は、調べました」
「そして、分かりませんでした」
諸葛攀は、それを受け取った。そして、こう言った。
「二十八でございます」
俺は、そこで、顔を上げた。
「なぜ、分かるのですか」
この人は、答えた。
「母が、覚えておりました」
俺は、そこで、何も言えなくなった。
二十五年である。俺は記録を探した。諸葛亮も、探した。そして、覚えていた人が、いた。
「諸葛攀どの」
「はい」
「母君は」
この人は、答えた。
「十二年前に、亡くなりました」
「……」
「そして、死ぬ前に、一つだけ申しました」
「何と、ですか」
諸葛攀は、答えた。
「『父上は、二十八でございました』」
「——」
「そして、『それだけは、覚えておけ』と」
俺は、そこで、動けなくなった。
歳である。名でも、功でもない。そして、この人は、それを十二年持っていた。
「諸葛攀どの」
「はい」
「なぜ、歳だけですか」
この人は、答えた。
「母は、こう申しました」
「はい」
「——」
「『名は、簿にある』」
「——」
「『歳は、どこにもない』」
◆
その夜、俺は木簡を出した。
《名のない者》
四十六年で、百二十二人である。
俺は、そこへ書こうとして、止めた。
名は、ある。諸葛喬。字は伯松。旧・仲慎。そして、歳が分からなかった。
俺は、別の木簡を出した。
《渡したもの》
そして、二十五年前に空欄のままにした行を探した。
諸葛喬 字・伯松 二十八
そして、その横に、書いた。
《子が、一人いた》
俺は、そこで、筆を止めた。
渡す時間が、なかった一人である。二十五年、そう書いてきた。そして、渡していた。
俺は、もう一行書いた。
《歳を、母が覚えていた》
そして、その下に。
《俺は、記録を探していた》
俺は、そこで、郤正を呼んだ。
「令先どの」
「はい」
「簿に、欄を一つ足します」
「何を、でございましょう」
俺は、答えた。
「歳です」
「——」
「戦死者名簿には、ございますが」
「はい」
「——」
「そして、宗族の簿には、ありません」
郤正は、しばらく黙っていた。そして、こう聞いた。
「陛下」
「はい」
「宗族の簿は、生年を書きます」
「はい」
「——」
「歳は、数えれば出ますが」
俺は、答えた。
「生年が、分からない人がいます」
「……」
「そして、そういう人ほど、誰かが歳を覚えています」
郤正は、筆を取った。そして、こう書いた。
《歳の欄を、設ける》
《生年が不明の場合、覚えている者の名を併記する》
そして、こう聞いた。
「陛下」
「はい」
「覚えている者の名を、なぜ書きますので」
俺は、答えた。
「その人が死ねば、消えるからです」
「……」
「そして、消える前に、誰かが写します」
四十六年前、関羽は自分の歳を知らなかった。
「記す者が、おらなんだ」と言った。そして、五十余と記録された。
四十四年後、七十七で死んだ。
俺は、そこで、一つ数えた。
五十余のまま、七十七まで生きた。そして、この人の生年は、いまも分からない。
俺は、木簡へ一行足した。
《雲長叔父上の歳を、覚えている人は、いない》
そして、その下に。
《翼徳叔父上が、四十四だと言い張った》
《そして、あれは、たぶん本気だった》
◆
春に、諸葛攀は発った。門を出るとき、一度だけ振り返った。そして、こう言った。
「陛下」
「はい」
「一つ、伺ってよろしいですか」
「どうぞ」
この人は、聞いた。
「父は、谷で何をしておりましたか」
俺は、答えた。
「糧を運んでいました」
「はい」
「十年、です」
「——」
「そして、一度も戻りませんでした」
諸葛攀は、しばらく黙っていた。そして、こう聞いた。
「何人、運びましたか」
俺は、答えられなかった。そして、郤正が、答えた。
「延べ、四万七千でございます」
「——」
「伯松さまの隊が、十年で運んだ数でございます」
諸葛攀は、そこで、頷いた。そして、こう言った。
「では、書いておいてください」
「何を、ですか」
「——」
「四万七千と」
「——」
「そして、二十八と」
俺は、その日、簿に二行書いた。
諸葛喬 字・伯松(旧・仲慎) 二十八
《十年で、延べ四万七千を運んだ》
そして、その下に、小さく足した。
《歳を覚えていたのは、妻である》
《名は、分からない》
俺は、そこで、筆を止めた。
六人目である。そして、この人の名を、俺は聞かなかった。聞く機会が、なかった。
十二年前に、死んでいる。
〈あとがき〉
「数えられておりませぬ」「呉の記録に、人数がございませぬ」——一族を誅して、人数を書いていません。
「止める者は、いましたか」「おりました。そして、退けられております。記録には、七人」——止める人を退けて、そして、退けられました。
「陛下の簿では、ございませぬ」——四十六年で千二百八十七人の名を書き、この国の口は九十四万です。
「一日は、恨みです。十日は、打算です。三日は、迷っています」「誰が、そう申されましたか」「あなたの、祖父です」。
「分かれば、どちらかの家の字になりますゆえ」——四十六年、名を書いてきた人の前で、書かないことを選びました。理由が同じです。
「『名は、簿にある』」「『歳は、どこにもない』」。
そして四万七千。十年で、父が運んだ数です。
次回、第143話「漢中を、一つの門で守りません」。




