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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第九部 英雄がいなくても、明日は来る

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第143話 漢中を、一つの門で守りません


【延熙二十年|成都・漢中】


幼常どのが死んだのは、二年前である。七十であった。


越巂(えっすい)太守(たいしゅ)を、三十五年やった。そして、成都へは、戻らなかった。


    ◆


一度、戻すと言ったことがある。そして、断られた。理由を、覚えている。


「山へ登った者が、山のない所で働くべきではございませぬ」


残されたのは、簿である。敗因簿。三十五年分。


【越巂郡 敗因簿】


期間 三十五年

件数 千三百八十六


分類

 徴税   三百八十九

 水利   三百四十

 部族間  二百五十五

 疫    百九十四

 その他  二百八


備考

 筆頭に、三十二年前の一件があります。


筆頭である。俺は、それを開いた。一件目。


建興(けんこう)六年。街亭(がいてい)


《山へ登った》


《水を断たれた》


王平(おうへい)が三度諫めた》


《聞かなかった》


《理由——自分のほうが地形を知っていると思った》


《実際——王平は字が読めぬゆえ、軽んじた》


俺は、その最後の一行で、動けなくなった。


三十二年、この人はそれを書いていた。そして、誰にも言わなかった。


簿の最後に、一行あった。去年、書かれたものである。


《千三百八十六件》


《一件目が、一番役に立った》


俺は、そこで、郤正(げきせい)を呼んだ。


「令先どの」


「陛下」


「この簿を、写してください」


「何部でございましょう」


俺は、答えた。


「二十八部」


「はい」


「そして、一件目だけは」


「——」


「百部にしてください」


郤正は、少し驚いた顔をした。そして、こう聞いた。


「陛下」


「はい」


「一件目は、既に武備学舎(ぶびがくしゃ)にございます」


「はい」


「二十九年、教材でございます」


俺は、答えた。


「知っています」


「では」


「——」


「学舎以外にも、置きます」


「どちらへ」


俺は、答えた。


「郡です」


「——」


「全部の郡へ、一部ずつ」


郤正は、しばらく黙っていた。そして、こう聞いた。


「陛下」


「はい」


「郡の吏は、戦をいたしませぬ」


俺は、答えた。


「はい」


「……」


「そして、山へは登ります」


《渡したもの》


馬謖(ばしょく) 字・幼常 七十


《敗因簿 千三百八十六件》


《一件目は、自分のこと》


俺は、そこで、一つ書き足した。


《そして、三十五年、越巂を離れなかった》


三十二年前、俺はこの人を斬らなかった。そして、王平の下で水を運ばせた。


王平は、九年前に死んだ。この人のほうが、九年長く生きた。そして、九年、水の話を書き続けた。


    ◆


同じ年に、もう一人死んだ。夏侯覇(かこうは)である。六十四。降って、七年であった。


七年、姜維(きょうい)に従った。そして、この年、成都へ戻った。冬に、病に臥せった。


見舞いに行った。寝台の横に、竹簡(ちくかん)が一本置いてあった。魏の将の名である。七人。


「仲権どの」


「陛下」


「書かれましたか」


夏侯覇は、答えた。


「書きました」


「……」


「三年かかりました」


三年前、俺は郤正に命じた。魏で名簿から消えた七人の名を、書けと。そして、この人は自分で書いた。


「なぜ、三年かかりましたか」


夏侯覇は、答えた。


「字を、思い出せませなんだ」


「……」


「名は、覚えております」


「字が、出て参りませぬ」


七人のうち、五人は思い出した。残る二人は、出なかった。そして、竹簡には、こう書いてある。


《字——不明》


《理由——覚えている者が、おらぬ》


俺は、そこで、一つ聞いた。


「仲権どの」


「はい」


「二人の名は、書いてありますね」


「はい」


「では、それでよいのです」


夏侯覇は、首を振った。


「なりませぬ」


「なぜですか」


この人は、答えた。


「魏では、名で呼びませぬ」


「……」


「字で呼びます」


「——」


「名だけ書いても、誰も思い出せませぬ」


俺は、そこで、動けなくなった。


名は、簿の字である。そして、字は、呼ぶための字だ。


四十七年、俺は名を書いてきた。そして、呼ばれ方を書いたのは、南中(なんちゅう)の一件だけである。三十二年前だ。


《音のまま書き、横に呼ばれ方を書く》


関羽(かんう)が、そう言った。


「南の名は、こちらの字で書けませぬ」


夏侯覇は、一つ言った。


「陛下」


「はい」


「それがしの名は、残りましょうか」


俺は、答えた。


「残ります」


「……」


「四百十三人目です」


「そして、消しません」


夏侯覇は、少し笑った。そして、こう言った。


「損を、いたしました」


「……何をでございましょう」


「七年、この国におりました」


「そして、返せるものが、ございませぬ」


俺は、そこで一つ訂正した。


「返していただいています」


「……」


「魏の冬営の癖を、書かれました」


「三十七枚です」


夏侯覇は、しばらく黙っていた。そして、こう聞いた。


「お読みになりましたか」


俺は、答えた。


「読みました」


「……三十七枚、全部」


「全部です」


夏侯覇は、目を閉じた。そして、こう言った。


「魏では、読まれませなんだ」


俺は、そこで、一つ聞いた。


「仲権どの」


「はい」


「魏では、誰に出されましたか」


この人は、答えた。


司馬懿(しばい)どのに」


「はい」


「何枚ですか」


「——」


「十一枚でございます」


「返事は」


夏侯覇は、答えた。


「一度も」


俺は、そこで、動けなくなった。


十一枚である。そして、返事がない。


「仲権どの」


「はい」


「それでも、十一枚書かれましたか」


この人は、答えた。


「書きました」


「なぜですか」


「——」


「一枚目に、返事が来ると思っておりましたゆえ」


「——」


「そして、二枚目からは、癖でございます」


俺は、そこで、少し笑いそうになった。そして、笑えなかった。


十一枚である。そして、蜀では三十七枚だった。読まれると分かってから、三倍書いている。


翌月、死んだ。遺品は、竹簡が二本。一本は、七人の名。もう一本は、魏の冬営の癖である。


《渡したもの》


夏侯覇 字・仲権 六十四


《魏の冬営の癖——三十七枚》


そして、その横に、小さく書き足した。


《消えた七人の名》


そして、その下に、もう一行。


《うち二人は、字が分からない》


《ゆえに、魏では思い出せない》


    ◆


延熙(えんき)二十年。西暦二五七年である。俺は、五十になった。


漢中(かんちゅう)の守りを、変えることになった。言い出したのは、姜維である。五十五。


「陛下」


「伯約どの」


「漢中の兵が、多うございます」


俺は、そこで、少し驚いた。


減らせ、という話である。この人が、である。


「理由を」


姜維は、地図を広げた。そして、こう言った。


「関と城に、貼り付けております」


「はい」


「三万でございます」


「——」


「そして、三万は、動きませぬ」


俺は、その地図を見た。魏延(ぎえん)が作ったものである。十三年前に死んだ。そして、退き道が三十七本、書いてある。


「伯約どの」


「はい」


「文長どのの地図ですね」


この人は、答えた。


「はい」


「十三年、使っております」


「そして、こう書いてございます」


姜維は、地図の裏を見せた。そこに、一行あった。


《出る道は、十一》


《戻る道は、三十七》


「陛下」


「はい」


「我らは、十一を守っております」


「——」


「そして、三十七を使っておりませぬ」


俺は、そこで、理解した。


出口を守っている。十一の関と城に、兵を貼り付けている。そして、そこを破られれば、後がない。


「伯約どの」


「はい」


「破られたら、どうなりますか」


姜維は、答えた。


「漢中盆地が、開きます」


「はい」


「そして、剣閣(けんかく)まで、止まりませぬ」


俺は、そこで、竹簡を置いた。


一つの門である。そして、四十七年、俺はそれを見てきた。


荊州(けいしゅう)。関羽が、一人で守った。そして、樊城(はんじょう)へ出た日に、後ろが空いた。


夷陵(いりょう)。父が、七百里の陣を作った。そして、一箇所燃えて、全部燃えた。


街亭。山に、一万五千を置いた。そして、水を断たれた。


「伯約どの」


「はい」


「では、どうしますか」


姜維は、三つ挙げた。


「一つ。関と城の兵を、減らします」


「はい」


「二つ。減らした兵を、後ろへ置きます」


「三つ」


「——」


「敵を、盆地へ入れます」


広間が、ざわめいた。張翼(ちょうよく)が、立ち上がった。七十を超えている。そして、この人は三十年、出兵に反対してきた。


「伯約どの」


「はい」


「漢中を、捨てるのか」


姜維は、答えた。


「捨てませぬ」


「では、なぜ入れる」


「——」


「入れねば、疲れませぬゆえ」


俺は、そこで、一つ聞いた。


「伯約どの」


「はい」


「誰から、それを聞かれましたか」


姜維は、少し黙った。そして、こう答えた。


陸遜(りくそん)でございます」


俺は、そこで、顔を上げた。


「呉の」


「はい」


「三十五年前、夷陵で」


「——」


「七百里、退いております」


そして、こう続けた。


「そして、司馬懿どのも」


「——」


「二十三年、出て参りませんでした」


俺は、そこで、少し笑った。


敵から、二人分習っている。そして、この人は、それを隠さない。


「伯約どの」


「はい」


「危ないですね」


姜維は、頷いた。


「危のうございます」


「どこが」


この人は、正直に答えた。


「入れた者を、出せませぬ」


「はい」


「そして、盆地には、人が住んでおります」


「——」


「その者らを、先に退かさねばなりませぬ」


「何戸ですか」


姜維は、答えた。


「二万八千でございます」


俺は、そこで、動けなくなった。


二万八千戸。そして、三十七年前、犍為(けんい)郡で二千四百戸が消えた。十倍である。


    ◆


俺は、三日考えた。そして、四日目に、こう言った。


「伯約どの」


「はい」


「案を、半分だけ採ります」


姜維は、顔を上げた。


「半分、でございますか」


「はい」


「どちらを」


俺は、答えた。


「兵を減らすほうです」


「——」


「入れるほうは、採りません」


俺は、説明した。


一つの門で守らない。そこまでは、正しい。そして、「入れる」というのは、一つの案でしかない。


「伯約どの」


「はい」


「あなたの案は、線が一本です」


「……」


「入れて、疲れさせて、剣閣で止める」


「はい」


「——」


「そして、剣閣が破られたら」


姜維は、答えなかった。俺は、続けた。


「一つの門を、後ろへ動かしただけです」


広間が、静かになった。そして、姜維は、しばらく黙っていた。やがて、こう言った。


「……陛下」


「はい」


「では、何本、要りますので」


俺は、答えた。


「五本です」


五日かかった。姜維。張翼。張嶷(ちょうぎょく)の後任。郤正。そして、関平(かんぺい)の子と、張苞(ちょうほう)の子である。


二人とも、四十を過ぎている。そして、二人とも、武備学舎を出ている。


【漢中防衛 五線】


第一線 斥候・烽火・小拠点

    敵を止めない。

    数・方向・補給・工兵を、確認する。


第二線 主要街道の遅滞

    橋。崖。狭路。

    ただし、撤退路を残す。


第三線 漢中盆地

    住民と物資の移送。

    倉庫を、一つに集めない。


第四線 剣閣

    主防御。


第五線 成都北方

    陰平。江油。複数の山道。

    小部隊と地元住民による監視。


備考

 第一線は、守るための線ではありません。

 数えるための線です。


備考を書いたのは、俺である。


「陛下」


姜維が聞いた。


「第一線で、兵が死にます」


俺は、答えた。


「死にます」


「……」


「そして、数を持って帰ってもらいます」


「持って帰れねば」


俺は、答えた。


「烽火です」


「——」


「三十七年前、荊州に七つ置きました」


「そして、一度も使われませんでした」


「陛下」


張翼が言った。


「一つ、伺ってよろしいか」


「どうぞ」


この人は、聞いた。


「五線は、どこまで退きますので」


俺は、答えた。


「決めていません」


「……」


「では、成都まで退きますか」


俺は、答えた。


「そのときは、成都で決めます」


張翼は、しばらく黙っていた。そして、こう言った。


「陛下」


「はい」


「それは、答えではございませぬ」


俺は、頷いた。


「はい」


「……」


「そして、いま決めれば、その通りに退きます」


「——」


「敵が、そこまで来なくても」


俺は、そこで、一つ足した。


「令先どの」


「はい」


「六つ目を、書いてください」


「何と、でございましょう」


俺は、答えた。


「『各線で、退く条件を、その線の将が書く』」


「——」


「そして、書いた者以外は、変えられない」


郤正は、筆を止めた。そして、こう聞いた。


「陛下」


「はい」


「五人が、別々に決めますので」


「はい」


「揃いませぬが」


俺は、答えた。


「揃わなくてよいのです」


「……」


「揃えば、一本になります」


五十年前、俺は滅んだ社会の記録を読んだ。木が一年に数本ずつ減り、誰も気付かないまま、百年で森がなくなる話である。


あの本には、もう一つ、繰り返し出てくる形があった。


一つのものに頼った土地から、消えていく。


一種類の作物。一つの水源。一本の交易路。効率がいい。管理も楽である。そして、その一つが崩れた年に、全部が終わる。


生き延びた土地は、たいてい、無駄が多かった。実りの少ない畑を残し、遠回りの道を捨てず、使わない井戸を埋めなかった。


揃っていない、というのは、そういうことである。


揃えれば、速い。手順が一つになり、判断が一つになり、伝令が一本で足りる。


そして、その一本が切れた日に、何も動かなくなる。


三十五年前、俺は関羽に「二倍になったら送れ」と決めた。あの数字は、一度も使われなかった。二割で始まった戦に、二倍の基準は届かなかったからである。


基準を一つにする、というのは、そういうことだった。


    ◆


住民の移送を、先に決めた。二万八千戸である。そして、これは戦の話ではない。


「令先どの」


「はい」


「移す先を、決めます」


「はい」


「そして、村ごとです」


四十七年前、俺は同じことをした。隴右(ろんゆう)から三千二百戸が来たとき、村の名を記録させた。


「郡では、帰れません」


そう言った。


今度は、逆である。出ていくほうだ。


「令先どの」


「はい」


「戻る先も、書いてください」


郤正は、少し驚いた顔をした。


「戻る、でございますか」


「はい」


「まだ、出てもおりませぬが」


俺は、答えた。


「出る前に、書きます」


「……」


「出た後では、書けません」


俺は、そこで、一つ思い出した。


三十七年前である。犍為郡から、二千四百戸が消えた。そして、どこへ行ったか、分からなかった。名前も、分からなかった。


理由は、一つである。出ていくときに、誰も書かなかった。


「令先どの」


「はい」


「二万八千戸、全部書いてください」


「戸主の名だけでも、四月かかります」


俺は、答えた。


「戸主では、足りません」


「……」


「中に、何人いるかを書いてください」


郤正は、筆を止めた。そして、こう聞いた。


「陛下」


「はい」


「錦の件と、同じでございますな」


俺は、頷いた。


一年前である。千二百戸を数えたら、三千百四十一人いた。そして、九割が女だった。


一年かかった。


【漢中盆地 移送準備】


戸数 二万八千

人数 十一万四千二百


内訳

 男   五万一千

 女   六万三千二百


年齢

 十五未満 二万九千

 十五〜五十九 六万八千

 六十以上  一万七千二百


移送先 登録済み

戻り先 登録済み


十一万四千二百である。そして、漢中の兵は、三万だった。


「令先どの」


「はい」


「兵より、多いですね」


郤正は、答えた。


「三倍を、超えております」


俺は、そこで、竹簡を置いた。


三万を、どう置くかを五日議論した。そして、十一万四千二百のほうは、一年かかった。


たぶん、順序が逆である。


    ◆


その夜、俺は木簡(もくかん)を出した。そして、書いた。


《一つの門で、守らない》


そして、その下に。


《荊州。夷陵。街亭》


《三度とも、一つの門だった》


俺は、そこで、筆を止めた。そして、もう一行足した。


《そして、三度とも、守っていた人は正しかった》


関羽は、樊城を落としかけた。父は、七百里を進んだ。馬謖は、高所を取った。


全部、兵法に合っている。


俺は、最後に一行書いた。


《正しい一本より、正しくない五本のほうが、たぶん長くもつ》


最後に、俺は別の木簡を出した。


《渡したもの》


そして、魏延の行を探した。


魏延 字・文長 六十四


《漢中から戻る道 三十七本》


《出る道は、十一》


俺は、その横に、一行書き足した。


《十三年後に、使われた》


そして、その下に。


《使ったのは、この人が嫌っていた側でもない》


《この人を、猪と呼んだ側でもない》


《どちらでもない者が、読んだ》


姜維である。そして、この人は、魏延とほとんど口をきいたことがない。



〈あとがき〉


「郡の吏は、戦をいたしませぬ」「はい。そして、山へは登ります」——街亭の一件だけ、全部の郡へ一部ずつ置きました。


「名だけ書いても、誰も思い出せませぬ」——魏では字で呼びます。四十七年、名を書いてきて、呼ばれ方を書いたのは南中の一件だけでした。


司馬懿へは十一枚。返事は一度もありません。「一枚目に、返事が来ると思っておりましたゆえ。そして、二枚目からは、癖でございます」。読まれると分かってから、三倍書きました。


「入れねば、疲れませぬゆえ」「誰から、それを聞かれましたか」「陸遜でございます。そして、司馬懿どのも」——敵から、二人分習っています。


「一つの門を、後ろへ動かしただけです」。


「揃いませぬが」「揃わなくてよいのです。揃えば、一本になります」。


三万をどう置くかは五日、十一万四千二百のほうは一年かかりました。たぶん、順序が逆です。


《劉禅文庫 再読『文明崩壊』——一つのものに頼った土地から、消えていく。生き延びた土地は、たいてい、無駄が多かった》


次回、第144話「次の蔣琬を、誰が止めますか」。


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