外伝・諸葛亮伝 『臥龍は、二度留守にした』 (〜251年)
序 死亡記事
史書には、こう書かれるはずだった。
《建興十二年 秋八月、亮、軍中に卒す》
《時に年五十四》
——諸葛亮は五丈原の陣中で死んだ。五十四だった。星が落ちた、と伝えられる。
◆
そうならなかった。
この男は、十七年、多く生きた。
理由を一言で言えば、こうなる。
——休まされたからである。
この国には、丞相に休みを取らせるために作られた制度がある。丞相は、生涯それに抵抗し、生涯それに敗け続けた。
敗け続けた記録が、そのまま十七年の寿命になった。
◆
この伝の題は『臥龍は、二度留守にした』という。
何を留守にしたのかは、終章までに分かる。
第1話 三百まで数えて、やめた
徐州を、逃げた。十二歳である。
叔父の荷車に、弟と一緒に乗せられた。姉は、歩いた。父は、三年前に死んでいる。
道に、人が倒れていた。
亮は、数えた。理由は、自分でも分からない。荷車は遅く、見るものが他になかった。そして、数えていれば、考えずに済んだ。
一日目、四十一。二日目、百二十。
三日目、三百を超えたところで、やめた。
◆
疲れたからではない。
——数えても、何も変わらなかったからである。
三百人が三百一人になっても、荷車は同じ速さで進む。そして、明日も同じ数だけ倒れている。
やめたのは、自分で決めた。それだけは、覚えておこうと思った。
◆
荊州の隆中に落ち着いたのは、十五を過ぎてからである。山が近く、水があり、畑が安かった。
畝を、数えた。二十八である。
亮は、それを覚えた。そして、四十年、忘れなかった。
◆
耕しながら、一度だけ、書こうとしたことがある。
竹簡に、あの三百の線を引こうとした。そして、六十本でやめた。
理由は、二つある。一つ、竹が足りない。二つ。
——線には、名がない。
亮は、その竹簡を焼いた。そして、二度と数えなかった。
◆
——三十五年後。
亮は、一人の皇帝が同じことをするのを見る。
線を引こうとして、途中でやめた子である。二歳だった。
そして、この子は、焼かなかった。箱の底へ、しまった。
数えることを引き受ける者が、この世界には、いたのである。
◆
隆中で、亮は梁父吟を吟じた。
斉の三人の勇士が、二つの桃で殺された話である。宰相が桃を二つ置き、三人は争って死んだ。
亮は、この歌が好きだった。勇士に同情したからではない。
——宰相の側に、関心があった。
桃を三つ置けば、誰も死ななかった。そして、置かなかった。
人を殺すのは、剣ではない。置かれた桃の数である。畑で、亮はよくそれを考えた。
考える男のところへ、やがて、三度訪ねてくる人が現れる。
亮は、出た。
畑を、留守にした。
——一度目の留守である。この留守は、二十九年続くことになる。
第2話 二歳の試験
建安十四年。亮は、主君の幼子に会った。
阿斗、二歳である。
◆
この子について、亮には確かめたいことがあった。確かめ方は、静かである。
同じ竹簡を、三日空けて、二度見せた。
二歳の子は、初めて見るものには初めての顔をする。二度目のものには、二度目の顔をする。それだけの試験である。
◆
子は、二度目のとき、竹簡を見なかった。
——亮の顔を、見た。
亮は、その夜、竹簡を一本おろした。表題を書いた。
《問わなかったこと》
一行目は、こうである。
《若君は、覚えておられる》
《そして、隠しておられる》
《なぜ隠すかは、問わぬ》
◆
二歳が、記憶を隠す。尋常ではない。尋常ではないと騒げば、この子はどうなるか。
亮は、問わないことに決めた。
——問えば、答えが出る。答えが出れば、名が付く。名が付けば、この子は「そういうもの」にされる。
臥龍と呼ばれて名を付けられた男は、名を付けられる側の重さを知っていた。
竹簡《問わなかったこと》は、この日から四十四年、少しずつ行を増やしていく。
第3話 休んだと、報告できます
さて、丞相になってからのこの男の生活について述べる。述べるだけで、医官が卒倒する。
眠り、一刻。食、日に三、四升。罰二十以上の案件は、すべて自ら閲す。
——国中の杖打ちの帳簿を、宰相が全部読んでいるのである。
◆
皇帝は、これと戦った。戦歴は、輝かしくない。
第一次攻勢——「休んでください」。効果、なし。「休んでおります」と返ってきた。執務の合間に茶を飲むことを、この人は休むと呼んでいた。
第二次攻勢——休沐制度の整備。効果、なし。丞相は休沐日に「たまたま」丞相府の前を通り、「たまたま」入り、「たまたま」決裁した。三回連続でたまたまである。
第三次攻勢——龐統の投入。「孔明。休め」「士元こそ、働け」。丞相府名物の星取り表が生まれただけだった。
◆
転機は、発想の転換だった。
——休暇を、命令にする。
《丞相 諸葛亮に、休暇を命ずる》
《期間、三日》
《辞退は、認めない》
亮は、規定の穴を三つ探した。三つとも、塞いであった。塞いだ者の筆跡に、見覚えがあった。
◆
初めての休暇の一日目、亮は何をしていいか分からなかった。
これは誇張ではない。従者の記録が残っている。
《丞相、庭を三度往復》
《雑草を四本抜き、抜いた跡の土を均し、均した角度を直す》
《午後、書を読もうとされ、手が勝手に決裁の姿勢になる》
二日目、畑を借りて耕した。手が、覚えていた。隆中を出てから、初めて握る鍬である。
三日目、一日中、畑にいた。
◆
休暇明け、亮は報告書を提出した。
休暇に、報告は要らない。要らないのに、出した。この男は、報告の形式でしか一日を終えられないのである。
報告書は、一行だった。
《休んだと、報告できます》
皇帝は、それを長いこと見ていた。
——休んだ、ではない。休んだと報告できます、である。報告の形になったことを報告している。
重症だった。そして、一歩だった。
皇帝は、その一行を受理し、写しを取り、規定の末尾に貼らせた。以後この国では、休暇報告の模範文例として、丞相の一行が新任官吏に配られている。本人は、最後まで嫌がった。
第4話 わしは、怖い
章武三年、白帝城。
亮は、七日で駆けつけた。馬を三度替え、二晩眠らなかった。
◆
先帝は、言った。
《君の才は、曹丕に十倍す》
《嗣子、輔くべくんば、これを輔けよ》
《如し其れ不才ならば、君自ら取るべし》
亮は、床に伏した。股肱の力を竭くし、忠貞の節を効し、これに継ぐに死を以てせん——涙が、出た。
そして、一つ聞こうとした。
——本気でございますか。
聞かなかった。本気でも、試しでも、答えは同じだからである。
その夜、《問わなかったこと》に三行目を書いた。
《自ら取れ、と仰せになった》
《試しか、本気かは、問わぬ》
《どちらでも、取らぬゆえ》
◆
そして、先帝はもう一つ言った。記録に残っていない。部屋には、二人しかいなかった。
「孔明。阿斗を、信じるか」
「信じております」
先帝は、天井を見ていた。そして、言った。
「わしは、怖い」
亮は、返す言葉がなかった。
——同じことを、十四年思っていた。そして、先に言われた。
二歳で記憶を隠した子。数えて、箱へしまう子。あの子が何なのか、二人とも、問わずにここまで来た。
「陛下。……私も、でございます」
先帝は、少し笑った。
「では、二人で怖がっておけばよい」
「……」
「怖いまま信じるのが、親であろう。……お前も、もう親のようなものだ」
これも、記録にない。亮が竹簡にすら書かなかった、数少ない言葉である。
第5話 今度は、見ておる
建興十二年、五丈原の作戦が承認された。条件付きである。
条件とは、健康規定だった。期間、百八十日。一日の決裁上限、五十件。睡眠の下限、三刻半。医官の確認、毎日。そして——撤退の責任者は、諸葛亮ではない。王平である。
戦の計画書に、丞相の睡眠時間が書いてある国は、古今この国だけであろう。
◆
出発の日、皇帝は丞相へ木簡を一枚渡した。
表——《百八十日》
裏——《生きて帰る》
亮は、苦笑した。
「陛下は、私を信用しておられませんな」
「信用しています」
「では」
「信用している人ほど、書いて渡します。……口約束は、忙しい人から順に忘れますゆえ」
◆
五丈原。対峙、百余日。
司馬懿は、出てこなかった。
史実では諸葛亮が婦人の衣を送って挑発し、司馬懿は笑って受け取った。
今回は、司馬懿、女性用の衣服を諸葛亮に送ってきた。
《戦わず陣へ籠もるのは、女子と同じ》
面子を刺激し、判断力を鈍らせ、心身の状態を不安定にさせる策である。
亮は、衣を受け取った。怒らなかった。広げて、縫製を見た。
「よい布です」
「丞相」
「兵士の防寒具へ使いましょう」
挑発は、布資源に変えられた。
——挑発する側は、相手が同じ物差しを持っていると思っている。この人の物差しから面子の欄を削るのに、皇帝は十二年かけていた。
◆
亮は、屯田を始めた。渭水のほとりに、兵と民を混ぜて麦を蒔いた。
畝を、数えた。六百四十である。隆中の、二十倍。
そして、自分では耕さなかった。耕す時間があれば、決裁をした。
——この配分の狂いが、やがて身体に来る。
◆
百日を過ぎて、食が細った。粥半杯。粥三口。果物と湯。
規定の四項目を超え、前線の指揮は王平へ移された。成都には、赤い報告が届いた。
勅が、出た。帰還命令である。
返書は、十日後に来た。
《承りました》
《ただし、麦が実るまで》
麦が実るまで、二月。医官の見立ては、一月だった。
条件を付けて承る。この人は、二十七年こうである。そして今回だけは、その条件が命取りだった。
◆
皇帝は、関羽を呼んだ。七十五である。
「五丈原へ、行っていただけますか。——旗を、降ろさせてください」
「勅では、退きません」と皇帝は言った。「降ろしたことのある人でなければ、言えません」
関羽は、馬で発った。八日かかった。七日では、なかった。
同行したのは、糜芳である。出がけに、この人は一つだけ言った。
「祭酒は、落ちませぬ。落ちる前に、降りられます。……降りたことのある方でございますゆえ」
◆
関羽は、陣の床几に三日、何も言わずに座った。
三日目の夜、亮は筆を置いた。
「雲長どの。何か、仰せになってください」
「言わぬ。……言えば、お前は理で返す。そして、私は理で勝てぬ」
「では、なぜ来られました」
「見に来た」
「……」
「十五年前、お前は荊州に来なんだ。私は、一人で降ろした。誰も、見ておらなんだ」
そして、この人は言った。
「今度は、見ておる」
◆
亮は、泣いた。仕えて二十七年、初めてである。
翌朝、退却が始まった。麦は、刈らなかった。
蜀軍は、すぐには消えなかった。朝の太鼓。旗。炊煙。夜ごと、小さな集団が順に発つ。魏延が後衛に立ち、追える敵を追わずに言った。
「我らの目的は、丞相を帰すことだ」
一人も、走らなかった。
◆
護送の車が漢中へ入る日、皇帝が城門に立っていた。皇帝は前線へ出ない約束なので、後方の漢中まで、である。
その漢中でも、董允は言った。
「陛下の休沐日が、二日遅れております」
「丞相が危険です」
「帰還後に、三日取得してください」
「増えています」
「規則違反分です」
丞相が生き残る国は、皇帝の休みにも容赦がなかった。
◆
車の中で、亮は木簡の裏を長いこと見ていたという。
《生きて帰る》
——条件は、満たされた。百八十日には、まだ間があった。
第6話 二度、留守にいたしました
生還後、職掌は三項に減らされ、決裁は一日六つになった。
眠りは、一刻から三刻になった。二十年ぶりの水準である。医官は祝杯を挙げた。本人のいないところで、であるが。
◆
そして建興十四年、皇帝が一つ命じた。
《隆中へ、行ってきなさい》
亮は、断ろうとした。規定を読んだ。
《辞退は、認めない》
——またこの一行である。この一行に、この人は生涯勝てなかった。
◆
隆中は、変わっていなかった。山が近く、水がある。そして、畑があった。
亮は、畝を数えた。
三十二である。
——二十九年前、二十八だった。
「四つ、増えておる」
思わず、口に出た。
◆
畑に、男がいた。四十を過ぎている。
「先生」
顔に、見覚えがあった。名が、出てこなかった。昔、隣の畑にいた家の子である。
「……覚えておるか」
「覚えております。……畝は、奥方さまが増やされました」
「家内が」
「はい。先生が出られてから、毎年少しずつ。四つ増えたところで、止められました」
「なぜだ」
男は、答えた。
「『これ以上増やすと、帰ってきたとき、うちの畑と分からなくなります』と」
◆
亮は、畝の間に、長いこと立っていた。
二十九年、留守にした畑である。留守の間、耕し続けた人がいて、増やしすぎないでいてくれた人がいた。
三日いて、成都へ帰った。
帰りの荷に、隆中の土が一袋あった。理由を問うた従者に、亮はこう答えている。
「土が、良うございますゆえ」
丞相の公用の荷に、私物の土。この国の記録官は律儀なので、これも書いてある。
《丞相、土を持ち帰る。一袋》
◆
成都で、皇帝に復命した。
「隆中は、いかがでしたか」
亮は、少し考えて、答えた。
「陛下。私は、二度、留守にいたしました」
「……」
「一度目は、畑を。二十九年でございます」
「二度目は」
「成都を。二十日でございます」
そして、こう続けた。
「二度目の留守の間、国は、遅れなく動いておりました」
皇帝は、頷いた。
「はい。……それが、褒め言葉だと分かるまで、私は二十年かかりました」
臥龍は、二度留守にした。
一度目の留守で、国を作った。
二度目の留守で、国が自分なしで動くことを、確かめさせられたのである。
第7話 一行だけ、問うた
延熙十四年。七十である。臥せって、三月になる。
亮は、竹簡を出した。《問わなかったこと》——十行、書いてある。
そして、焼こうとした。
——問わなかったことを残せば、次の者が問う。問えば、答えねばならない。
◆
火を、呼ばせた。黄氏が、来なかった。
四半刻待って、呼びに行かせた。黄氏は、庭で粟を刈っていた。七十である。
「奥方。火を、と申しました」
黄氏は、手を止めなかった。
「刈り終わりましたら」
「……いつでございましょう」
「明日でございます」
亮は、それ以上言わなかった。
——四十五年、この人はこうである。急がない。そして、忘れない。明日には、必ず持ってくる。
◆
そして、その日のうちに、皇帝が来た。四十四である。
亮は、竹簡を布団の下へ入れた。
——三十一年前、法正が同じことをした。見ていた子が、今、そこにいる。
皇帝は、それを見た。そして、何も言わなかった。
◆
話は、国のことだった。
「先生。私がいなくても動きますか」
「動きます」
「私より遅く」
「少し」
「間違いも」
「少し多く」
「それでも」
「直せます」
◆
亮は、そこで一つ決めた。
——四十四年である。一行だけ、問う。
「陛下。一つ、伺ってよろしいか」
皇帝は、少し驚いた顔をした。四十四年で、この人がそう言ったのは、数えるほどしかない。
「どうぞ」
◆
亮は、聞いた。
「なぜ、二歳のとき、隠されましたか」
部屋が、静かになった。四十二年前の試験の話だと、皇帝にはすぐ分かった。
「覚えておられましたか」
「覚えております」
「……どこを」
「同じ竹簡を、三日空けて見せました。二度目に、先生の顔を見られました」
皇帝は、頷いた。
「見ました。……先生が、どういう顔をされるか。それを、見たかったのです」
◆
「どういう顔を、しておりましたか」
皇帝は、答えた。
「嬉しそうでした」
亮は、動けなくなった。覚えていない。そして、否定できない。
「怖かったからです」
皇帝は、続けた。
「何が」
「捨てられることが」
◆
亮は、息を呑んだ。
——二歳である。化物と思われれば、捨てられる。捨てられれば、死ぬ。
そこまで数えて、この子は隠した。そして、隠しながら、たった一つだけ確かめたのである。見抜いた大人が、どんな顔をするかを。
嬉しそうな顔が、そこにあった。だからこの子は、この国で生きることにした。
——四十四年前の自分の顔が、すべての始まりだったと、亮はこの日知った。
◆
その夜、亮は竹簡に十一行目を書いた。字が、震えている。
《一行、問うた》
《四十四年で、一度である》
《答えは、怖かった、であった》
そして、その下に一行。
《問えばよかった》
終章 焼かなかった
翌朝、諸葛亮は死んだ。
竹簡は、布団の下にあった。焼いていない。
黄氏が火を持ってきたのは、昼である。約束どおりだった。そして、間に合わなかった。
◆
黄氏は、竹簡を見つけた。開いた。十一行目を読んだ。
そして、焼かなかった。
火は、持っている。使わなかった。理由を、後に一度だけ言っている。
「焼けと、仰せでございました。そして、昨日、焼かれませなんだ。……焼こうと思えば、焼けました」
黄氏は、こう言った。
「置いておかれたのだと、思いました」
◆
竹簡は、皇帝へ届けられた。
皇帝は、読んだ。十一行である。そして、一行目で手が止まった。
《若君は、覚えておられる》
《そして、隠しておられる》
《なぜ隠すかは、問わぬ》
建安十四年。阿斗は、二つだった。
——二つのときから、見抜かれていた。見抜いた人は、四十四年、問わなかった。
◆
皇帝は、竹簡を巻いた。焼かなかった。
木簡を一枚おろし、書いた。
《問われなかった四十四年》
《そのあいだ、私は隠し続けた》
《上手くならなかった》
そして、その下に。
《上手くならぬよう、聞かれなかったのだと、今、分かった》
——問われれば、人は隠し方が上手くなる。問われなければ、隠し方は下手なままである。下手なままの隠しごとは、いつか、こぼれる。
四十四年かけて、こぼれる先を用意していた人が、昨日までいたのである。
◆
竹簡は、丞相府の書庫へ入れられた。表題は、変えなかった。
《問わなかったこと》
目録に、一行足された。
《閲覧——可》
《ただし、問わぬこと》
◆
最後に、帳尻の話をする。この国の伝は、帳尻で終わることになっている。
丞相の生涯の休暇取得日数を、後に書記官が集計した。
《取得——四十一日》
《うち、隆中——二十三日》
《うち、報告書を提出した休暇——四十一日》
全部である。休んだ日の数だけ、休んだという報告書がある。最後の一枚まで、一行だった。
《休んだと、報告できます》
◆
皇帝は、木簡《渡したもの》に、新しい行を書いた。
《諸葛亮 字・孔明 七十》
《五丈原から、十七年》
そして、横に小さく、書き足した。
《十七年ぶんの報告書が、ある》
◆
三百まで数えて、やめた子供がいた。
その子は、数えない大人になった。線には名がないと知っていたからである。
数える方は、別の子が引き受けた。名を書く方も、その子が引き受けた。
数えない男は、その子の国で、問わないことを引き受けた。
そして最後の夜に一行だけ問い、一行だけ悔いて、報告書を四十一枚残して、留守にした。
——三度目の留守である。
畑は、隆中にある。畝は、三十二のままである。
黄氏が、四つ増やして、止めたままにしてある。
帰ってきたとき、分かるように。




