↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第九部 英雄がいなくても、明日は来る

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
153/174

外伝・諸葛亮伝 『臥龍は、二度留守にした』 (〜251年)


   序 死亡記事


史書には、こう書かれるはずだった。


《建興十二年 秋八月、亮、軍中に卒す》


《時に年五十四》


——諸葛亮(しょかつりょう)は五丈原(ごじょうげん)の陣中で死んだ。五十四だった。星が落ちた、と伝えられる。


    ◆


そうならなかった。


この男は、十七年、多く生きた。


理由を一言で言えば、こうなる。


——休まされたからである。


この国には、丞相に休みを取らせるために作られた制度がある。丞相は、生涯それに抵抗し、生涯それに敗け続けた。


敗け続けた記録が、そのまま十七年の寿命になった。


    ◆


この伝の題は『臥龍は、二度留守にした』という。


何を留守にしたのかは、終章までに分かる。


   第1話 三百まで数えて、やめた


徐州を、逃げた。十二歳である。


叔父の荷車に、弟と一緒に乗せられた。姉は、歩いた。父は、三年前に死んでいる。


道に、人が倒れていた。


亮は、数えた。理由は、自分でも分からない。荷車は遅く、見るものが他になかった。そして、数えていれば、考えずに済んだ。


一日目、四十一。二日目、百二十。


三日目、三百を超えたところで、やめた。


    ◆


疲れたからではない。


——数えても、何も変わらなかったからである。


三百人が三百一人になっても、荷車は同じ速さで進む。そして、明日も同じ数だけ倒れている。


やめたのは、自分で決めた。それだけは、覚えておこうと思った。


    ◆


荊州の隆中(りゅうちゅう)に落ち着いたのは、十五を過ぎてからである。山が近く、水があり、畑が安かった。


畝を、数えた。二十八である。


亮は、それを覚えた。そして、四十年、忘れなかった。


    ◆


耕しながら、一度だけ、書こうとしたことがある。


竹簡に、あの三百の線を引こうとした。そして、六十本でやめた。


理由は、二つある。一つ、竹が足りない。二つ。


——線には、名がない。


亮は、その竹簡を焼いた。そして、二度と数えなかった。


    ◆


——三十五年後。


亮は、一人の皇帝が同じことをするのを見る。


線を引こうとして、途中でやめた子である。二歳だった。


そして、この子は、焼かなかった。箱の底へ、しまった。


数えることを引き受ける者が、この世界には、いたのである。


    ◆


隆中で、亮は梁父吟を吟じた。


斉の三人の勇士が、二つの桃で殺された話である。宰相が桃を二つ置き、三人は争って死んだ。


亮は、この歌が好きだった。勇士に同情したからではない。


——宰相の側に、関心があった。


桃を三つ置けば、誰も死ななかった。そして、置かなかった。


人を殺すのは、剣ではない。置かれた桃の数である。畑で、亮はよくそれを考えた。


考える男のところへ、やがて、三度訪ねてくる人が現れる。


亮は、出た。


畑を、留守にした。


——一度目の留守である。この留守は、二十九年続くことになる。


   第2話 二歳の試験


建安十四年。亮は、主君の幼子に会った。


阿斗、二歳である。


    ◆


この子について、亮には確かめたいことがあった。確かめ方は、静かである。


同じ竹簡を、三日空けて、二度見せた。


二歳の子は、初めて見るものには初めての顔をする。二度目のものには、二度目の顔をする。それだけの試験である。


    ◆


子は、二度目のとき、竹簡を見なかった。


——亮の顔を、見た。


亮は、その夜、竹簡を一本おろした。表題を書いた。


《問わなかったこと》


一行目は、こうである。


《若君は、覚えておられる》


《そして、隠しておられる》


《なぜ隠すかは、問わぬ》


    ◆


二歳が、記憶を隠す。尋常ではない。尋常ではないと騒げば、この子はどうなるか。


亮は、問わないことに決めた。


——問えば、答えが出る。答えが出れば、名が付く。名が付けば、この子は「そういうもの」にされる。


臥龍と呼ばれて名を付けられた男は、名を付けられる側の重さを知っていた。


竹簡《問わなかったこと》は、この日から四十四年、少しずつ行を増やしていく。


   第3話 休んだと、報告できます


さて、丞相になってからのこの男の生活について述べる。述べるだけで、医官が卒倒する。


眠り、一刻。食、日に三、四升。罰二十以上の案件は、すべて自ら閲す。


——国中の杖打ちの帳簿を、宰相が全部読んでいるのである。


    ◆


皇帝は、これと戦った。戦歴は、輝かしくない。


第一次攻勢——「休んでください」。効果、なし。「休んでおります」と返ってきた。執務の合間に茶を飲むことを、この人は休むと呼んでいた。


第二次攻勢——休沐制度の整備。効果、なし。丞相は休沐日に「たまたま」丞相府の前を通り、「たまたま」入り、「たまたま」決裁した。三回連続でたまたまである。


第三次攻勢——龐統(ほうとう)の投入。「孔明。休め」「士元こそ、働け」。丞相府名物の星取り表が生まれただけだった。


    ◆


転機は、発想の転換だった。


——休暇を、命令にする。


《丞相 諸葛亮に、休暇を命ずる》


《期間、三日》


《辞退は、認めない》


亮は、規定の穴を三つ探した。三つとも、塞いであった。塞いだ者の筆跡に、見覚えがあった。


    ◆


初めての休暇の一日目、亮は何をしていいか分からなかった。


これは誇張ではない。従者の記録が残っている。


《丞相、庭を三度往復》


《雑草を四本抜き、抜いた跡の土を均し、均した角度を直す》


《午後、書を読もうとされ、手が勝手に決裁の姿勢になる》


二日目、畑を借りて耕した。手が、覚えていた。隆中を出てから、初めて握る鍬である。


三日目、一日中、畑にいた。


    ◆


休暇明け、亮は報告書を提出した。


休暇に、報告は要らない。要らないのに、出した。この男は、報告の形式でしか一日を終えられないのである。


報告書は、一行だった。


《休んだと、報告できます》


皇帝は、それを長いこと見ていた。


——休んだ、ではない。休んだと報告できます、である。報告の形になったことを報告している。


重症だった。そして、一歩だった。


皇帝は、その一行を受理し、写しを取り、規定の末尾に貼らせた。以後この国では、休暇報告の模範文例として、丞相の一行が新任官吏に配られている。本人は、最後まで嫌がった。


   第4話 わしは、怖い


章武三年、白帝城(はくていじょう)。


亮は、七日で駆けつけた。馬を三度替え、二晩眠らなかった。


    ◆


先帝は、言った。


《君の才は、曹丕に十倍す》


《嗣子、輔くべくんば、これを輔けよ》


《如し其れ不才ならば、君自ら取るべし》


亮は、床に伏した。股肱の力を竭くし、忠貞の節を効し、これに継ぐに死を以てせん——涙が、出た。


そして、一つ聞こうとした。


——本気でございますか。


聞かなかった。本気でも、試しでも、答えは同じだからである。


その夜、《問わなかったこと》に三行目を書いた。


《自ら取れ、と仰せになった》


《試しか、本気かは、問わぬ》


《どちらでも、取らぬゆえ》


    ◆


そして、先帝はもう一つ言った。記録に残っていない。部屋には、二人しかいなかった。


「孔明。阿斗を、信じるか」


「信じております」


先帝は、天井を見ていた。そして、言った。


「わしは、怖い」


亮は、返す言葉がなかった。


——同じことを、十四年思っていた。そして、先に言われた。


二歳で記憶を隠した子。数えて、箱へしまう子。あの子が何なのか、二人とも、問わずにここまで来た。


「陛下。……私も、でございます」


先帝は、少し笑った。


「では、二人で怖がっておけばよい」


「……」


「怖いまま信じるのが、親であろう。……お前も、もう親のようなものだ」


これも、記録にない。亮が竹簡にすら書かなかった、数少ない言葉である。


   第5話 今度は、見ておる


建興十二年、五丈原の作戦が承認された。条件付きである。


条件とは、健康規定だった。期間、百八十日。一日の決裁上限、五十件。睡眠の下限、三刻半。医官の確認、毎日。そして——撤退の責任者は、諸葛亮ではない。王平(おうへい)である。


戦の計画書に、丞相の睡眠時間が書いてある国は、古今この国だけであろう。


    ◆


出発の日、皇帝は丞相へ木簡を一枚渡した。


表——《百八十日》


裏——《生きて帰る》


亮は、苦笑した。


「陛下は、私を信用しておられませんな」


「信用しています」


「では」


「信用している人ほど、書いて渡します。……口約束は、忙しい人から順に忘れますゆえ」


    ◆


五丈原。対峙、百余日。


司馬懿(しばい)は、出てこなかった。


史実では諸葛亮が婦人の衣を送って挑発し、司馬懿は笑って受け取った。


今回は、司馬懿、女性用の衣服を諸葛亮に送ってきた。


《戦わず陣へ籠もるのは、女子と同じ》


面子を刺激し、判断力を鈍らせ、心身の状態を不安定にさせる策である。


亮は、衣を受け取った。怒らなかった。広げて、縫製を見た。


「よい布です」


「丞相」


「兵士の防寒具へ使いましょう」


挑発は、布資源に変えられた。


——挑発する側は、相手が同じ物差しを持っていると思っている。この人の物差しから面子の欄を削るのに、皇帝は十二年かけていた。


    ◆


亮は、屯田を始めた。渭水のほとりに、兵と民を混ぜて麦を蒔いた。


畝を、数えた。六百四十である。隆中の、二十倍。


そして、自分では耕さなかった。耕す時間があれば、決裁をした。


——この配分の狂いが、やがて身体に来る。


    ◆


百日を過ぎて、食が細った。粥半杯。粥三口。果物と湯。


規定の四項目を超え、前線の指揮は王平へ移された。成都には、赤い報告が届いた。


勅が、出た。帰還命令である。


返書は、十日後に来た。


《承りました》


《ただし、麦が実るまで》


麦が実るまで、二月。医官の見立ては、一月だった。


条件を付けて承る。この人は、二十七年こうである。そして今回だけは、その条件が命取りだった。


    ◆


皇帝は、関羽(かんう)を呼んだ。七十五である。


「五丈原へ、行っていただけますか。——旗を、降ろさせてください」


「勅では、退きません」と皇帝は言った。「降ろしたことのある人でなければ、言えません」


関羽は、馬で発った。八日かかった。七日では、なかった。


同行したのは、糜芳(びほう)である。出がけに、この人は一つだけ言った。


「祭酒は、落ちませぬ。落ちる前に、降りられます。……降りたことのある方でございますゆえ」


    ◆


関羽は、陣の床几に三日、何も言わずに座った。


三日目の夜、亮は筆を置いた。


「雲長どの。何か、仰せになってください」


「言わぬ。……言えば、お前は理で返す。そして、私は理で勝てぬ」


「では、なぜ来られました」


「見に来た」


「……」


「十五年前、お前は荊州に来なんだ。私は、一人で降ろした。誰も、見ておらなんだ」


そして、この人は言った。


「今度は、見ておる」


    ◆


亮は、泣いた。仕えて二十七年、初めてである。


翌朝、退却が始まった。麦は、刈らなかった。


蜀軍は、すぐには消えなかった。朝の太鼓。旗。炊煙。夜ごと、小さな集団が順に発つ。魏延(ぎえん)が後衛に立ち、追える敵を追わずに言った。


「我らの目的は、丞相を帰すことだ」


一人も、走らなかった。


    ◆


護送の車が漢中へ入る日、皇帝が城門に立っていた。皇帝は前線へ出ない約束なので、後方の漢中まで、である。


その漢中でも、董允(とういん)は言った。


「陛下の休沐日が、二日遅れております」


「丞相が危険です」


「帰還後に、三日取得してください」


「増えています」


「規則違反分です」


丞相が生き残る国は、皇帝の休みにも容赦がなかった。


    ◆


車の中で、亮は木簡の裏を長いこと見ていたという。


《生きて帰る》


——条件は、満たされた。百八十日には、まだ間があった。


   第6話 二度、留守にいたしました


生還後、職掌は三項に減らされ、決裁は一日六つになった。


眠りは、一刻から三刻になった。二十年ぶりの水準である。医官は祝杯を挙げた。本人のいないところで、であるが。


    ◆


そして建興十四年、皇帝が一つ命じた。


《隆中へ、行ってきなさい》


亮は、断ろうとした。規定を読んだ。


《辞退は、認めない》


——またこの一行である。この一行に、この人は生涯勝てなかった。


    ◆


隆中は、変わっていなかった。山が近く、水がある。そして、畑があった。


亮は、畝を数えた。


三十二である。


——二十九年前、二十八だった。


「四つ、増えておる」


思わず、口に出た。


    ◆


畑に、男がいた。四十を過ぎている。


「先生」


顔に、見覚えがあった。名が、出てこなかった。昔、隣の畑にいた家の子である。


「……覚えておるか」


「覚えております。……畝は、奥方さまが増やされました」


「家内が」


「はい。先生が出られてから、毎年少しずつ。四つ増えたところで、止められました」


「なぜだ」


男は、答えた。


「『これ以上増やすと、帰ってきたとき、うちの畑と分からなくなります』と」


    ◆


亮は、畝の間に、長いこと立っていた。


二十九年、留守にした畑である。留守の間、耕し続けた人がいて、増やしすぎないでいてくれた人がいた。


三日いて、成都へ帰った。


帰りの荷に、隆中の土が一袋あった。理由を問うた従者に、亮はこう答えている。


「土が、良うございますゆえ」


丞相の公用の荷に、私物の土。この国の記録官は律儀なので、これも書いてある。


《丞相、土を持ち帰る。一袋》


    ◆


成都で、皇帝に復命した。


「隆中は、いかがでしたか」


亮は、少し考えて、答えた。


「陛下。私は、二度、留守にいたしました」


「……」


「一度目は、畑を。二十九年でございます」


「二度目は」


「成都を。二十日でございます」


そして、こう続けた。


「二度目の留守の間、国は、遅れなく動いておりました」


皇帝は、頷いた。


「はい。……それが、褒め言葉だと分かるまで、私は二十年かかりました」


臥龍は、二度留守にした。


一度目の留守で、国を作った。


二度目の留守で、国が自分なしで動くことを、確かめさせられたのである。


   第7話 一行だけ、問うた


延熙十四年。七十である。臥せって、三月になる。


亮は、竹簡を出した。《問わなかったこと》——十行、書いてある。


そして、焼こうとした。


——問わなかったことを残せば、次の者が問う。問えば、答えねばならない。


    ◆


火を、呼ばせた。黄氏(こうし)が、来なかった。


四半刻待って、呼びに行かせた。黄氏は、庭で粟を刈っていた。七十である。


「奥方。火を、と申しました」


黄氏は、手を止めなかった。


「刈り終わりましたら」


「……いつでございましょう」


「明日でございます」


亮は、それ以上言わなかった。


——四十五年、この人はこうである。急がない。そして、忘れない。明日には、必ず持ってくる。


    ◆


そして、その日のうちに、皇帝が来た。四十四である。


亮は、竹簡を布団の下へ入れた。


——三十一年前、法正(ほうせい)が同じことをした。見ていた子が、今、そこにいる。


皇帝は、それを見た。そして、何も言わなかった。


    ◆


話は、国のことだった。


「先生。私がいなくても動きますか」


「動きます」


「私より遅く」


「少し」


「間違いも」


「少し多く」


「それでも」


「直せます」


    ◆


亮は、そこで一つ決めた。


——四十四年である。一行だけ、問う。


「陛下。一つ、伺ってよろしいか」


皇帝は、少し驚いた顔をした。四十四年で、この人がそう言ったのは、数えるほどしかない。


「どうぞ」


    ◆


亮は、聞いた。


「なぜ、二歳のとき、隠されましたか」


部屋が、静かになった。四十二年前の試験の話だと、皇帝にはすぐ分かった。


「覚えておられましたか」


「覚えております」


「……どこを」


「同じ竹簡を、三日空けて見せました。二度目に、先生の顔を見られました」


皇帝は、頷いた。


「見ました。……先生が、どういう顔をされるか。それを、見たかったのです」


    ◆


「どういう顔を、しておりましたか」


皇帝は、答えた。


「嬉しそうでした」


亮は、動けなくなった。覚えていない。そして、否定できない。


「怖かったからです」


皇帝は、続けた。


「何が」


「捨てられることが」


    ◆


亮は、息を呑んだ。


——二歳である。化物と思われれば、捨てられる。捨てられれば、死ぬ。


そこまで数えて、この子は隠した。そして、隠しながら、たった一つだけ確かめたのである。見抜いた大人が、どんな顔をするかを。


嬉しそうな顔が、そこにあった。だからこの子は、この国で生きることにした。


——四十四年前の自分の顔が、すべての始まりだったと、亮はこの日知った。


    ◆


その夜、亮は竹簡に十一行目を書いた。字が、震えている。


《一行、問うた》


《四十四年で、一度である》


《答えは、怖かった、であった》


そして、その下に一行。


《問えばよかった》


   終章 焼かなかった


翌朝、諸葛亮は死んだ。


竹簡は、布団の下にあった。焼いていない。


黄氏が火を持ってきたのは、昼である。約束どおりだった。そして、間に合わなかった。


    ◆


黄氏は、竹簡を見つけた。開いた。十一行目を読んだ。


そして、焼かなかった。


火は、持っている。使わなかった。理由を、後に一度だけ言っている。


「焼けと、仰せでございました。そして、昨日、焼かれませなんだ。……焼こうと思えば、焼けました」


黄氏は、こう言った。


「置いておかれたのだと、思いました」


    ◆


竹簡は、皇帝へ届けられた。


皇帝は、読んだ。十一行である。そして、一行目で手が止まった。


《若君は、覚えておられる》


《そして、隠しておられる》


《なぜ隠すかは、問わぬ》


建安十四年。阿斗は、二つだった。


——二つのときから、見抜かれていた。見抜いた人は、四十四年、問わなかった。


    ◆


皇帝は、竹簡を巻いた。焼かなかった。


木簡を一枚おろし、書いた。


《問われなかった四十四年》


《そのあいだ、私は隠し続けた》


《上手くならなかった》


そして、その下に。


《上手くならぬよう、聞かれなかったのだと、今、分かった》


——問われれば、人は隠し方が上手くなる。問われなければ、隠し方は下手なままである。下手なままの隠しごとは、いつか、こぼれる。


四十四年かけて、こぼれる先を用意していた人が、昨日までいたのである。


    ◆


竹簡は、丞相府の書庫へ入れられた。表題は、変えなかった。


《問わなかったこと》


目録に、一行足された。


《閲覧——可》


《ただし、問わぬこと》


    ◆


最後に、帳尻の話をする。この国の伝は、帳尻で終わることになっている。


丞相の生涯の休暇取得日数を、後に書記官が集計した。


《取得——四十一日》


《うち、隆中——二十三日》


《うち、報告書を提出した休暇——四十一日》


全部である。休んだ日の数だけ、休んだという報告書がある。最後の一枚まで、一行だった。


《休んだと、報告できます》


    ◆


皇帝は、木簡《渡したもの》に、新しい行を書いた。


《諸葛亮 字・孔明 七十》


《五丈原から、十七年》


そして、横に小さく、書き足した。


《十七年ぶんの報告書が、ある》


    ◆


三百まで数えて、やめた子供がいた。


その子は、数えない大人になった。線には名がないと知っていたからである。


数える方は、別の子が引き受けた。名を書く方も、その子が引き受けた。


数えない男は、その子の国で、問わないことを引き受けた。


そして最後の夜に一行だけ問い、一行だけ悔いて、報告書を四十一枚残して、留守にした。


——三度目の留守である。


畑は、隆中にある。畝は、三十二のままである。


黄氏が、四つ増やして、止めたままにしてある。


帰ってきたとき、分かるように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
以前の五丈原では司馬懿の方が婦人服送ってきて、逆じゃん!?ってなったのですが、今回は諸葛亮が送ってますね 一体何をどうすればこんな事になるのか不思議でしょうがありません ◆ あと、自身の奥さんのこ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。