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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第九部 英雄がいなくても、明日は来る

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外伝・王平伝 『ぜんぶ よめる』 (〜248年)


   序 十の字


史書には、こう書かれている。


《平、生まれて戎旅に長じ、手づから書すること十字に及ばず》


——王平(おうへい)は軍中で育ち、自分で書ける字は十に満たなかった。


そして、こうも書かれている。


《口授する所、皆な義理有り》


——口で言わせれば、全て筋が通っていた。


    ◆


この二行は、史実でも、この世界でも、変わらない。


変わったのは、その十の字の使われ方である。


三十年後、漢中の教練所の壁に、絵が四十七枚並ぶことになる。


字は、一枚もない。


そして、全員が読めた。


   第1話 どの十ですか


建安二十四年、漢中。曹操が退いた後、王平は残った。三十を過ぎていた。


そして、降った。


理由を、劉備(りゅうび)に一度だけ聞かれている。


「なぜ降った」


「置いて行かれましたゆえ」


劉備は、少し笑った。


「わしも、よく置いて行かれた」


    ◆


降ってから三月、王平の職は決まらなかった。


理由は、一つ。文書が読めない。将は命令書を読む。読めなければ、将にならぬ。そして、兵に戻すには多すぎるものを知っている。漢中の道。水場。魏軍の癖。


宙ぶらりんのまま、三月である。


    ◆


四月目に、十二の子が来た。先触れがあった。


王平には、それが分からなかった。先触れの文書が、読めないからである。伝えに来た兵が口で言った。


「若君が来られます」


「……何をしに来られる」


「存じませぬ」


    ◆


翌日、子は来て、最初にこう聞いた。


「子均どの。字は、いくつ読めますか」


王平は、答えなかった。三月、誰も聞かず、皆が知っていたことである。


「……十でございます」


子は、頷いた。そして、こう聞いた。


「どの十ですか」


    ◆


王平は、顔を上げた。


——どの、と聞かれた。いくつ、ではない。


「……申してよろしいので」


「はい」


王平は、十を言った。


王。平。子。均。山。川。水。道。上。下。


子は、それを木簡に書いた。そして、言った。


「足りています」


「……足ります、とは」


「山、川、水、道。上、下。——六つあれば、地形は書けます」


そして、続けた。


「あとの四つは、名前です」


    ◆


王平は、返す言葉がなかった。


三十年、足りぬと言われてきた。足りていると言われたのは、初めてだった。


しかも、内訳まで示された。この子の目には、十の字が「不足」ではなく「地形六、名前四」という在庫に見えているのである。


    ◆


職は、すぐ決まった。地形と兵の練度を検分する役である。


報告は、口頭でよいとされた。書記が付き、王平の口述を書いた。


——読み書きのできぬ将のために書記を付ける。費用として、書記一人。得られるもの、漢中の地形が全部頭に入った将一人。


帳尻の合う話を、三月、誰も思いつかなかっただけである。


   第2話 三度、読ませる


王平には、有名な習慣があった。


命令書を、三度読ませるのである。


一度目——普通に。二度目——ゆっくり。三度目——最初から、一字も飛ばさずに。


三度目で、必ず何かが出てくる。


——読み上げる者は、要点を読む。要点とは、読み上げる者が要点だと思った部分である。そして、命令書の急所は、しばしば要点の外にある。


読めない男だけが、このことを三十年知っていた。読める者は、自分の目で「要点」を拾ってしまうからである。


    ◆


建興六年、街亭(がいてい)。王平は副将だった。


命令書を、三度読ませた。三度目で足りず、四度目を命じた。


「……三度目でございますが」


「もう一度だ」


四度目に、書記が声を上げた。


「あ」


「何だ」


「……水場、と書いてございます」


    ◆


王平は、それを馬謖(ばしょく)に言った。三度、言った。


「参軍。水場でございます」


「山上のほうが、有利である。兵法にも、そうある」


「兵法は、読めませぬ」


馬謖は、言葉に詰まった。読めない男に兵法を引いても、議論にならないのである。


「……では、なぜ反対する」


「命令書に、書いてございますゆえ」


    ◆


馬謖は、命令書を確かめた。


「これは、水場を確保せよとは書いておらぬ。街亭を守れ、とある。守り方は、書いておらぬ」


「では、書いた方に伺いましょう」


「間に合わぬ」


そのとおりだった。漢中まで往復十日。魏軍は三日で来る。


王平は、それ以上言わなかった。三度言った。それが、自分の職掌である。


    ◆


馬謖は、登った。そして、水を断たれた。


王平は、麓に千人で残った。理由は二つ。一つ、命じられた。二つ——登れば、四千二百が退けない。


    ◆


退却の日、王平は太鼓を打たせた。


十一打である。


追ってきた張郃(ちょうこう)が、止まった。伏兵を疑ったのである。麓の千人は、旗を多く立て、太鼓を叩き、大軍のふりをした。


四千二百が、退いた。


    ◆


後年、費禕(ひい)がこの十一打について聞いている。


「十一で、張郃どのが止まりました」


「はい」


「十二打てば、多すぎます。……十打てば、届きませぬ」


「今回は、何度でございましたか」


「打っておりませぬ。……山でございますゆえ。山では、旗が見えます」


音の数まで在庫管理する男であった。読めない男の頭の中では、太鼓の打数も、旗の本数も、全部「字」なのである。


   第3話 壁の絵


漢中の教練所に、王平は絵を描かせた。


水場の見つけ方。斜面の登り方。退き方。合図。


字は、一枚もない。


——無当飛軍には、夷の兵が多い。漢語の読める者は三割。そして、絵は、十割が読める。


王平自身が描いたのは、十枚である。画才は、なかった。山がおにぎりに見えた。それでも、通じた。通じる絵と上手い絵が別物であることを、この教練所は最初から知っていた。


    ◆


絵は、増えた。


兵が、自分たちで描き足すのである。誰も命じていない。


王平は、それを止めなかった。検分だけした。間違った絵は、一枚だけあった。それも消させず、隣に正しい絵を描かせた。


「消せば、なぜ間違いかが消える」


    ◆


街亭の四千二百の中に、後の無当飛軍の古参が大勢いた。


彼らにとって、あの太鼓の十一打は、耳で聞いた「読める命令」だった。


読めない将の軍は、こうして、字を使わずに全部読める軍になっていった。


   終章 四十七


王平は、延熙十一年に死んだ。五十八である。漢中で、死んだ。


    ◆


前の日、教練所へ出ている。壁の絵を、数えた。


四十七あった。自分が描いたのは、十。残る三十七は、兵が描いた。


意味の分からぬものが、九つあった。近くの若い兵に聞いた。


「これは何だ」


「都督どのがご存じないので」


「知らぬ」


「三年前に、増えました」


「誰が描いた」


「……存じませぬ」


王平は、一つだけ確かめた。


「意味は、通じておるか」


「通じております」


それで、よしとした。自分に読めぬ絵が増えていることを、この男は喜んでいたのである。


    ◆


その夜、竹簡を出させた。書記に、口で言った。


「絵を、写せ」


「四十七、でございますか」


「四十七だ」


「字は」


「要らぬ」


「意味も、書きませぬので」


「書けば、変えられなくなる」


    ◆


竹簡は、二日でできた。王平は、最後にそれを見た。


そして、裏に何か書かせようとした。書記が筆を用意した。


「何と、書きましょう」


王平は、しばらく黙っていた。そして、言った。


「わしが書く」


    ◆


四文字である。


書けるのは三つだと言われた男が、四つ書いた。字は大きく、傾いていた。


《ぜんぶ よめる》


    ◆


翌朝、王平は起きてこなかった。


    ◆


竹簡は、成都へ送られた。皇帝が開いた。四十一である。


絵が、四十七。字は、裏の四文字だけ。


皇帝は、長いことそれを見ていた。そして、郤正(げきせい)に聞いた。


「三十七枚は、誰が描きましたか」


「無当飛軍でございます」


「一人ですか」


「……存じませぬ。二十三年、自分たちで足しております」


    ◆


皇帝は、木簡に書いた。


《王平 字・子均 五十八》


《十が、四十七になった》


そして、横に。


《字は、四つ書けた》


    ◆


教練所の壁は、そのままにされた。


そして、増え続けた。十五年後、六十一枚になった。


字は、一つもない。


裏の四文字だけが、そのままである。


《ぜんぶ よめる》


——十の字しか読めなかった男の遺した軍は、字のない六十一枚を、今日も全員が読んでいる。

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