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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第九部 英雄がいなくても、明日は来る

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外伝・孟達伝 『去る前に、二百四十七回』 (〜247年)


   序 死亡記事


史書には、こう書かれるはずだった。


《達、魏に降る》


《後、また蜀に通ず》


《事、洩れて誅せらる》


——孟達(もうたつ)は蜀を裏切って魏へ降り、のちに魏を裏切って蜀へ通じ、露見して首を刎ねられた。二度裏切って、二度目で死ぬ男である。


    ◆


そうならなかった。


理由は、一つである。


——四歳の子が、一つ言った。


そして、孟達はそれを十五年覚えていた。


辞める者は、届けを一枚で書く。孟達は、七枚書いた。


その七枚の話を、これからする。


   第1話 さるまえに、いってください


建安十六年、涪城である。


孟達は、法正(ほうせい)と共に劉璋の命で劉備(りゅうび)を迎えに行き、兵二千ごと、そのまま劉備の下についた。


裏切りである。孟達は、それを否定しなかった。


    ◆


ここで、この男の生涯ついて回った災難を一つ述べておく。


名を、間違えられるのである。


孟達、字は子度。簡単な名である。それなのに、間違えられる。似た名の南蛮王がいるせいだと本人は主張したが、南蛮王が有名になる前から間違えられていたので、この説は立たない。


そして孟達は、訂正しなかった。「お気になさらず」と答え続けた。訂正すれば角が立つ。角を立てぬのが、この男の生き方だった。


——角を立てぬ男の中で、何が積もっていくかを、当時は誰も考えなかった。


    ◆


宴の翌日、廊下で四歳の子に会った。


子は、竹簡を持っていた。そして、孟達を見て、言った。


「もうたつどの」


孟達は、足を止めた。


——名を、間違えられなかった。


「若君でございますか。……私の名を、ご存じで」


「かいてあります」


竹簡に、歪んだ字が四つあった。


《もうたつ あざな しどう》


    ◆


「若君。私は、主君を裏切った男でございます」


「しっています」


「では、なぜ字まで」


「なまえだけだと、たりないので」


孟達は、返す言葉がなかった。


三十年、足りぬと言われてきた。家が。忠が。義が。


名が足りぬ、と言われたのは初めてで——足りぬから字まで書いた、と言われたのは、なおさら初めてだった。


    ◆


子は、もう一つ言った。


「もうたつどの。おねがいが、あります」


「何でございましょう」


「さるまえに、いってください」


「……去る前、でございますか。どこを、でございましょう」


「ここを」


そして、続けた。


「もういちど、うらぎるときです」


    ◆


孟達は、動きを止めた。


——四歳である。そして、二度目があると言った。


「若君。私は、二度裏切ると思われますか」


子は、答えなかった。代わりに、こう言った。


「ふまんを、いってください」


「……」


「いえば、かんがえます」


    ◆


孟達は、拝礼して去った。そして、その言葉を十五年覚えた。


覚えていた理由を、後に一度だけ書いている。


——不満を言え、と言われたのは初めてであった。そして、言えば考えると言われたのも、初めてであった。


   第2話 十五年、書かなかった


新城へ移ったのは、四十を過ぎてからである。上庸・房陵・西城の三郡。魏と蜀と呉の、境目だった。


上司は、劉封(りゅうほう)である。劉備の養子で、孟達より二十近く若い。


    ◆


最初の年、劉封は孟達の鼓吹——軍楽の道具を奪った。理由は、言わなかった。


孟達は、何も言わなかった。そして、竹簡に一行書いた。


《建安二十四年 鼓吹を奪わる》


《理由——なし》


二年目、戦功の報告から孟達の名が三度抜けた。何も言わず、三行書いた。


七年で、二十九行になった。全部、劉封のものである。


そして、一度も文書を出さなかった。


——言えば、告げ口になる。それに、去る前に言えと言われた。まだ、去っていない。


不満を「去るときに言うもの」と定義した男は、去る日まで、几帳面に貯め続けたのである。貯め方まで角が立たなかった。


    ◆


七年目の夜、魏の使者が来た。


条件を三つ出した。官位。領地。家族の保護。


孟達は、断らなかった。受けもしなかった。こう言った。


「三月、待たれよ」


「なぜでござる」


「一つ、書くものがある」


    ◆


その夜から、書き始めた。七枚である。


一枚目——現在の職務を続けられない理由。


二枚目——未報告の問題(二十九行が、ここで初めて日の目を見た)。


三枚目——本人の希望。


四枚目——魏へ移る場合の条件。


五枚目——蜀へ残る場合の条件。


五枚目に、二月かかった。


——残る場合の条件を、考えたことがなかった。七年、去ることばかり考えていた。そして、残る条件を書けとは、誰にも言われていない。


自分で、欄を作った。


裏切りの届け出に「残留希望条件」の欄を自作した男は、古今この人だけであろう。


    ◆


六枚目に、こう書いた。


《私は、忠臣と呼ばれるほど立派ではありません》


《しかし、裏切り者と呼ばれる前に相談したいと思いました》


そして、七枚目。


《陛下が昔、去る前に報告せよと申されたことを覚えております》


    ◆


書き終えて、迷った。


送れば、捕らえられる。魏と通じたと、自分で書いてあるからだ。送らなければ、ただ去るだけである。去るのは簡単だった。七年、その準備をしてきた。


三日、迷った。


そして、送った。理由を、後に一度だけ言っている。


「四歳の子が、言えば考えると申された。そして、十五年経った。……考えると申された方が、まだ生きておられる」


   第3話 引き留められた


返書は、二十日で来た。


孟達は、開く前に数えた。七枚出した。返ってきたのは、何枚か。


——九枚だった。


出した数より、多い。この国は、こういう国である。


    ◆


返書の中身を要約すると、こうなる。


二十九行の件は、調査する。劉封は、調査の間、指揮権を分離する。孟達の望んだ配置換えは、認める。魏の条件との比較表が添えてあり(向こうで作ったのである)、末尾に一行あった。


《去るのであれば、止めません。ただし、五枚目の条件は、全て呑めます》


孟達は、五枚目を読み返した。二月かけて自作した「残る場合の条件」である。


全部、呑まれていた。


    ◆


孟達は、残った。


そして、二十一年、新城にいた。


    ◆


残ってからの孟達は、書く男になった。


不満。提案。報告。二十一年で、二百四十七件。


うち百九十件に、回答が来た。残り五十七件は、来なかった。孟達はそれも数え、一つの束にして表題を付けた。


《まだ、答えが来ておらぬ》


——催促はしない。ただ、束が育っていく。役所への抗議として、これ以上に効く形式を、私は知らない。


    ◆


魏の使者は、その後も来た。二十一年で、九度である。


孟達は九度とも、同じことをした。その日のうちに、書いて出すのである。


《本日、魏の使者が参りました》


《条件は、以下のとおりでございます》


そして、必ず最後に一行。


《断りました》


    ◆


九度目の使者——司馬懿(しばい)の使いが、聞いた。


「なぜ、断られる」


「損だからだ」


「条件は、蜀より良うござろう」


「良い」


「では」


「そして、向こうでは、不満が書けぬ」


使者は、意味が分からなかった。孟達は、続けた。


「二十年、二百四十七件書いた。百九十件、答えが来た。……魏で、それができるか」


使者は、答えずに帰った。


十度目は、来なかった。


   終章 二十一年、去らなんだ


孟達は、延熙十年に死んだ。六十八である。新城で、である。


    ◆


死ぬ前の月、成都から郤正(げきせい)が来た。


「記録の写しを、頂きに参りました」


孟達は、二百四十七件の束を出した。そして、もう一つ出した。


《まだ、答えが来ておらぬ》——五十七件の束である。


「これも、お持ちいたしますか」


「持って行け」


「……よろしいので」


「答えが来ておらぬ。そして、二十一年待った。……わしは、待てなくなる」


    ◆


皇帝は、五十七件を三日かけて読んだ。四十である。


そして、言った。


「五十七件、全部答えを出します」


「二十年前のものもございますが」


「出します」


答えが出るまで、二年かかった。うち二十二件の答えは、こうである。


《本件、記録が残っておりません》


《当時の担当者は、既に死んでおります》


《分かりません》


——分からない、を正式な回答として発行した。ごまかしの回答を一件も混ぜなかった。混ぜれば、二百四十七件の重みが消えるからである。


    ◆


孟達は、それを読まずに死んだ。答えが出たのは、死んだ二年後である。


皇帝はそれを新城へ送り、受け取ったのは孟達の子だった。


    ◆


遺品に、竹簡が二つあった。


一つは、二百四十七件の控え。


もう一つは、古い木簡である。四つの歪んだ字。


《もうたつ あざな しどう》


裏に、孟達の字で三行。


《四つの子に、書かれた》


《字まで、書かれた》


《去る前に言え、と言われた》


そして、四行目。字が、震えている。死ぬ前の日に書いたものである。


《二十一年、去らなんだ》


    ◆


皇帝は、木簡を出した。


《渡したもの》


新しい行を、書いた。


《孟達 字・子度 六十八》


《二百四十七件。うち五十七件、答えを待っていた》


そして、横に小さく。


《去る前に、二百四十七回言った》


    ◆


なお、名を間違えられる災難は、最後まで続いた。


葬儀の弔辞で、成都から来た若い官が一度、読み間違えた。列席の古参たちが青くなる中、孟達の子だけが笑ったという。


「父が申しておりました。——直すな。四十年で、正しく呼んだのは二人だけだ。四つの子と、その子の書いた竹簡だけだ、と」

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