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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第九部 英雄がいなくても、明日は来る

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外伝・馬良伝 『断る力、十七』 (〜240年)


   序 死亡記事


史書には、こう書かれるはずだった。


《先主、夷陵に敗る》


《馬良もまた、害に遇う》


——馬良(ばりょう)は、夷陵の敗戦に巻き込まれて死んだ。三十六である。


    ◆


そうならなかった。


火が出たとき、四十余りの陣のうち三十三は、林を出ていたからである。


そして、陣を出させた命令書の中継を担ったのは、江州の趙雲(ちょううん)と——この男だった。


自分の命を運んでいたことを、本人は最後まで知らない。


    ◆


この伝の主題は、数字が二つある。


十七と、千四百六十五である。


十七は、この男の断る力。


千四百六十五は、この男が命じられた数より多く写した、竹簡の部数である。


   第1話 白い眉と、十四部


馬良は、白い眉で知られた。


兄弟が五人いて、四人とも字に「常」がつく。この人だけが「季常」である。


馬氏の五常、白眉最も良し——と郷里の者は言った。


馬良は、それを一度も自分で言わなかった。


    ◆


さて。この国の官界には、太子(当時)が付けたと噂される、奇妙な人物評の言葉がある。


「断る力」である。


そして馬良の断る力は、十七とされた。百点満点で、十七である。


後年、官吏たちはこの数字で酒が飲めた。


「権限を離さない上司の下に、断る力十七を置くとどうなるか」


「決まっておる。両方、倒れる」


「では断る力十七を守るには」


「頼む側が、数えるしかない」


——実際、そうなった。この国で最も頼まれた男の仕事量は、頼む側の帳簿で管理されていたのである。世にも珍しい労務管理であった。


    ◆


最初の仕事は、写しである。


「季常どの。これを、五部お願いします」


馬良は、受けた。そして、十四部作った。


子が、気付いた。


「十四部ございます」


「多うございましたか」


「多いです。……なぜ、十四ですか」


馬良は、詰まった。理由が、自分でも分からなかったのである。


「五部では、足りぬ気がいたしました」


「五部を、どこへ配りますか」


「丞相府。太守。校尉。文庫。そして、若君」


「そのうち、燃えるものはいくつですか」


    ◆


馬良は、顔を上げた。


——燃える。


考えたことがなかった。そして、考えると、五つとも燃える。同じ城の中にあるからだ。


「……九部は、外へ配りとうございます」


子は、頷いた。


「では、十四で足ります」


    ◆


三月後、子が言った。


「季常どの。一人が持っていると、その人が死んだ日に消えます」


「……何が、でございましょう」


「知っていること全部です。五人が持っていると、消えません」


馬良は、一つだけ返した。


「五人でも、五人が同じ日に死ねば消えます」


子は、しばらく黙り、答えた。


「そうです。……だから、離してください」


    ◆


馬良は、その日から竹簡を付け始めた。表題は四文字である。


《写した部数》


一行目——《五部を命ぜられ、十四部を作る》《九部は、外へ》


以後、命じられた数より多く写し、多い分を、遠くへ離した。漢中。江州。永安(えいあん)。南中。


二度だけ、蜀の外へも出している。一度は呉の建業。もう一度は、魏の許昌である。


敵国に写しを置く男を、この国は咎めなかった。


——燃えない場所を選んだら、そこが敵国だった。それだけのことである。


   第2話 断れない男の、使われ方


馬良は、断らない。


三十一年で、断ったのは四度である。


そして、頼む側の太子は、この男の使いどころを正確に知っていた。


——本人が後に「三度、断れない頼みで使った」と認めている頼みが、ある。


    ◆


一度目は、建安二十四年である。


樊城が崩れ、関羽(かんう)の退路が要った冬。使者に立ったのは、馬良だった。


行き先は、呉の呂蒙(りょもう)の陣である。


注文は、四十時間の停戦。


呂蒙は、商人のように応じた。すなわち、値切った。


「三十八時間」


馬良は、二時間分粘るべきか、一瞬考えた。そして、粘らなかった。報告書に、理由を一行書いている。


《まけさせた、という形が要るのです。呉にも、面子の帳簿がございますゆえ》


——断る力十七の男は、断られる側の呼吸を、誰よりも知っていた。値切られ方までが、交渉であった。


この三十八時間が何を買ったかは、関羽の伝に書いたとおりである。


    ◆


二度目は、章武元年。対呉交渉の使者である。


条件は三つ。三郡の返還。呉魏同盟の解消。そして、関羽への公式な謝辞。


出立前、太子が聞いた。


「三つ目は、通りますか」


馬良は、白い眉を下げた。言いにくいことを言うときの癖である。


「通りませぬ。孫権どのは、謝られませぬ」


分かっていて、行った。断れないからではない。


——断れる者が行けば、途中で切り上げる。断れない男は、最後まで座っている。座っている時間の長さだけ、持ち帰る言葉が増える。


太子は、それを知っていて頼んだのである。


    ◆


三度目は、章武二年の夏だった。


猇亭(おうてい)の火である。


馬良は、従軍していた。三十三の陣が林を出るのを見届け、七つの陣が焼けるのも、見た。


詳報を書いたのは、この男である。


《八月八日、夜》


《東風》


《敵、火矢を放つ》


《林、燃ゆ》


《陣、四十余所のうち、七所を焼く》


成都で読んだ十五歳は、後にこう記している。


——馬良の字が、震えていた。この人の字が震えているのを、初めて見た。


    ◆


震えた理由を、馬良は誰にも言わなかった。


代わりに、帰還後、写しを一部だけ多く作っている。


焼けた七つの陣の、名簿の写しである。


命じられてはいない。配り先は、荊州。誰宛かは、書いていない。


《写した部数》の竹簡には、この種の行が四十七ある。


《配った先——不明の分》


四十七部とも、荊州へ送られていた。荊州には、離れたきりの弟が三人いる。


誰宛かは、最後まで書かれなかった。


    ◆


断らない理由を、一度だけ聞いた者がいる。蔣琬(しょうえん)である。


「なぜ、断られませぬ」


「断り方を、存じませぬ」


「断れば、よろしゅうございます」


馬良は、しばらく黙り、答えた。


「白眉と、呼ばれましたゆえ」


「……」


「四人の弟がおります。私だけが、呼ばれました。……呼ばれた者が断れば、呼ばれなかった者へ行きます」


蔣琬は、返す言葉がなかった。


   第3話 三部の行き先


建興六年、街亭(がいてい)の後である。


弟の幼常——馬謖(ばしょく)が、斬られるところだった。


斬られなかった。その経緯は、弟の伝に譲る。


    ◆


兄がしたことは、一つだけである。


その夜、《写した部数》に一行足した。


《建興六年 街亭 敗因——三部》


配り先——漢中。越巂(えっすい)。そして、建業。


敗因の記録を、写して、離したのである。よりによって一部は、敵になりかねない国へ。


    ◆


理由を、皇帝が後に聞いている。


「なぜ、建業へ」


馬良は、答えた。


「呉が読めば、呉は『蜀は敗因を書く国だ』と知ります」


「はい」


「敗因を書く国とは、同じ負け方を二度せぬ国でございます」


「……」


「攻めにくくなります」


皇帝は、しばらく黙った。


そして、こう言った。


「季常どの。それは、写しではありません」


「……何でございましょう」


「外交です」


    ◆


弟に言うべきか、馬良は一晩迷った。


言わなかった。


——言えば、恩になる。


弟はその後、越巂で敗因を集める職に就く。三十二年である。恩を返す暇など、ない方がよかった。


   終章 写し終える


延熙三年、馬良は死んだ。五十三である。


文書を写している途中だった。


    ◆


晩年、眉のことで一つ、やり取りがある。


白い眉が名の由来の男は、五十を過ぎて、髪も髭も眉も、全部白くなった。


死ぬ半年前、皇帝が聞いた。


「季常どの。眉が、分からなくなりましたね」


「分からなくなりました」


「困りますか」


馬良は、しばらく黙っていた。そして、答えた。


「困りませぬ。……白眉と、呼ばれなくなりました」


五十年、呼び名を背負って断れなかった男の、それが精一杯の白状だった。


皇帝は、それ以上聞かなかった。


    ◆


最後の年、馬良は三度目と四度目の「断り」をしている。


北伐の記録係と、後継者育成の一員である。


二つとも、他にやれる者がいることを確かめてから、断った。


三十一年で、四度。四度とも、理由は同じ字で書かれている。


《他の者が、できるゆえ》


断る力十七の男の断り方は、断る力百の男より、手間がかかった。


    ◆


死ぬ前の月に写していたのは、桟道の測量記録である。


命じられたのは、十二部。作るつもりだったのは、三十七部。


二十六部で、筆が止まった。


    ◆


遺品の《写した部数》を、皇帝が読んだ。


最後の頁で、手が止まった。


《命じられた部数 三百四十一》


《写した部数 千八百六》


《差 千四百六十五》


その下に、一行。三十一年前に、自分が言った言葉である。


《一人が持っていると、その人が死んだ日に消える》


——十二のときだった。そして、この人は三十一年、それを守った。


    ◆


郤正(げきせい)が、報告した。


「未完の分がございます。二十六部まで写して、止まっております」


「命じたのは」


「十二部でございます。……既に、超えております」


皇帝は、言った。


「残りを、写してください」


「三十七まで、でございますか。命じられておりませぬが」


「季常どのが、決めた数です」


    ◆


十一部が、写された。写したのは郤正である。


最後の一部に、自分の判断で一行足した。


《本書は、馬良季常の写しを継いだものである》


《二十六部までが、季常どのの筆》


《残る十一部は、郤正令先が写した》


皇帝は、それを読み、自分の木簡《渡したもの》に新しい行を書いた。


《馬良 字・季常 五十三》


《命じた数より、千四百六十五多く写した》


そして、横に小さく。


《継いだ者が、いた》


    ◆


行き先不明の四十七部は、後に一つだけ、居所が知れた。


延熙十一年、荊州から来た商人が、竹簡を一本持っていた。十七年前の、蜀の音写規定である。


「どこで手に入れました」


「江陵の、村の学舎でございます。毎年、写しているそうでございます」


「誰が、写しています」


「存じませぬ。……ですが、白い眉の方が、置いていかれたと。三十年前でございます」


    ◆


皇帝は、その竹簡を買い上げなかった。


村へ、返させた。


理由を問うた郤正に、皇帝はこう答えている。


「離してください、とお願いしたのは、私です」


「……」


「離れた先で写されているものを、手元へ集めては、あの方の三十一年が戻ってきてしまいます」


竹簡は、江陵の学舎へ帰った。


いまも毎年、写されているという。


写しの写しの、そのまた写しである。そして、一人も持っていないから——消えない。

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