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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第一部 赤子CEO、長坂坡に放り出される

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14/79

第13話 魯粛は採用できない

その男を見た瞬間、俺は本気で頭を抱えた。


能力が高すぎたからではない。


高すぎたのに、絶対に採用できない相手だったからである。



    ◆



建安(けんあん)十四年の秋、江東から使者が来た。


魯粛(ろしゅく)。字を子敬(しけい)という。


赤壁(せきへき)のあと、周瑜(しゅうゆ)南郡(なんぐん)を攻め、曹仁(そうじん)を追い出した。その隙に劉備(りゅうび)は荊州南部の四郡を押さえている。


——きわめて、気まずい状況である。


呉から見れば、自分たちが血を流して曹操を追い払っている間に、同盟相手が横から土地を四つ持っていった格好だ。


企業で言えば、共同開発した製品の販路を、パートナー企業が黙って先に押さえたようなものである。


普通なら、訴訟である。



    ◆



俺は二歳になっていた。


会見の場には、当然のように連れていかれた。


理由は「阿斗を見せておけば場が和む」という、劉備(りゅうび)の非常に雑な判断である。


外交交渉に幼児を同席させるな。


いや、待て。


——効くかもしれない。


前世でも、緊迫した交渉の席に、相手方のCEOが飼い犬を連れてきたことがあった。あのとき、会議室の空気は確実に緩んだ。


俺は今、飼い犬と同じ役割を担っている。


屈辱だが、有効である。



    ◆



魯粛が入ってきた。


背が高い。肩幅が広い。武人にも見えるが、手は書を扱う者のそれだった。


そして、笑っていた。


——四郡を取られた側の人間が、である。


俺が見つめると、視界に文字が浮かんだ。


```

【魯粛 字・子敬】


統率 77

武力 61

知略 94

政務 92

魅力 93


戦略構想 97

外交   99

交渉   96

資産   100

胆力   95

長期思考 98

私欲   11


固有特性


指囷相贈しきんそうぞう

 価値を認めた相手へ、惜しみなく資産を投じる。見返りを求めない。


【天下二分】

 自国の限界を正確に把握し、無理をしない生存戦略を描く。


【同盟維持者】

 自国の短期利益より、同盟の存続を優先する。

 ※自国内で孤立しやすい。


【正直すぎる交渉】

 嘘をつかず、相手の利益も明示して交渉する。


総合評価 S


備考

 この人物は、あなたの勢力にとって最も重要な外部資産です。

```


——外部資産。


俺は、その四文字を二度読んだ。



    ◆



採用したい。


心の底から、採用したい。


外交九十九。交渉九十六。長期思考九十八。


そして私欲十一。


うちの組織に、この項目が二桁の人間が何人いると思っているんだ。


法正(ほうせい)はまだ会っていないが、確実に八十を超える。張飛(ちょうひ)の感情制御は八だ。父の約束管理は二十二である。


前世の人材市場で言えば、この男は三社が争奪する候補者である。


しかも一つ、とんでもない特性がある。


【指囷相贈】。


——知っている。


まだ無名だった周瑜が兵糧を借りに来たとき、魯粛は米三千(こく)が入った倉を指差して、


「あれを、持っていけ」


と言った。


一つの倉を、丸ごとである。初対面に近い相手にだ。


現代の感覚で言えば、一度会っただけの起業家に、資産の半分を渡したようなものである。


普通なら「愚か」と言われる。


だが周瑜はそれを忘れず、後に孫権へ魯粛を推挙した。


この男は、人へ投資する。そして、その回収を自分の代で求めない。



    ◆



「劉皇叔。お久しゅうございます」


魯粛が礼をした。


劉備も応じる。


「子敬どの。此度は、遠路ご苦労であった」


「いえ。楽しい用件ではございませんが」


——いきなり切り込んできた。


【正直すぎる交渉】が発動している。


関羽の眉が動いた。


「楽しくない、とは」


「荊州南部四郡のことにございます」


魯粛は、まったく声を荒らげなかった。


「南郡を攻めましたのは、我が周瑜。一年をかけ、兵を失い、周瑜自身も矢を受けました」


事実である。


「その間に、劉皇叔は南の四郡をお取りになった」


それも事実である。


張飛が机を叩いた。


「文句があるのか!」


——机を割るな。今月三つ目だ。


魯粛は張飛を見て、にっこりと笑った。


「文句はございません」


「なに?」


「むしろ、ありがたく思っております」


室内が、静かになった。



    ◆



「……どういうことだ」


関羽が低く問う。


魯粛は、地図を広げた。


「北を、ご覧ください」


襄陽(じょうよう)樊城(はんじょう)。その先に、広大な曹操の領域が描かれている。


「赤壁で勝ったとはいえ、曹操はまだ北を握っております。天下の三分の二を、あの一人が持っている」


魯粛は指を動かした。


「もし荊州のすべてを我が呉が持てば、曹操と直に接するのは、我らだけとなります」


——そうだ。


「そうなれば、江東は北の圧力を一手に受けます。長江の守りは厚うございますが、守りが厚いということは、攻められ続けるということでもある」


「ゆえに?」


「荊州には、我ら以外の誰かに立っていてほしいのです」


魯粛は、劉備をまっすぐ見た。


「劉皇叔。あなた様に、曹操と我らの間に立っていただきたい」



    ◆



俺は、思わず息を呑んだ。


——これが、魯粛か。


正直すぎる。手の内を全部見せている。


普通の交渉なら、こう言う。「四郡は返していただきたい。ただし特別に、一部の駐留はお認めしよう」。


そして相手に恩を売る。


この男は、そうしない。


「あなたに立ってほしい。理由は、我々が矢面に立ちたくないからだ」と、最初に言う。


前世で、俺はこの手法を一度だけ見た。


シンガポールの、七十歳の交渉役だった。彼はこちらの資料を見る前に、自社の弱点を全部並べた。「うちは資金がない。技術もない。あるのは販路だけだ。だから条件はそちらが決めてくれ」。


結果、彼は最良の条件を取っていった。


嘘をつかない人間の要求は、断りにくい。


```

【魯粛】外交 99

```


数字は、正しい。



    ◆



「では、四郡はどうなる」


劉備が尋ねた。


魯粛は、静かに言った。


「お貸しいたします」


その瞬間、室内の空気が変わった。


関羽が腕を組む。


張飛が眉を上げる。


そして——劉備の目が、わずかに泳いだ。


```

【劉備】

約束管理 22

```


——始まる。


「うむ。では、預かろう」


「お貸し、いたします」


「うむ。預かる」


「お借りいただく、ということでよろしいか」


「うむ。しかと預かった」


「劉皇叔」


「なんだ」


「借りる、と仰せいただけますか」


「……大切に、預かる」


——この人は、絶対に「借りる」と言わない。


「借りる」と言えば、返す義務が発生する。「預かる」なら、預かったままにできる。


約束管理二十二の本領である。


前世で、俺はこういう契約書を何十本も見た。「貸与」を「共同利用」と書き換えたがるクライアント。「返還期限」を「協議のうえ定める」にしたがるクライアント。


全部、返さない。


魯粛は、しばらく劉備を見つめていた。


そして、笑った。


「……承知いたしました」


「うむ」


「預かっていただきましょう」


折れた。


魯粛は、この時点で理解したのだ。


言葉をどう書こうと、劉備は返さない。


だが、それでも構わない。曹操の前に立ってさえくれれば。


——恐ろしい男である。


自分が損をすることを承知で、それより大きな利益を取りに来ている。



    ◆



会見が終わったあと、俺は魯粛のところへ走った。


正確には、走って、三歩で転んだ。


趙雲(ちょううん)が抱き上げた。


「若君。どちらへ」


「しけい」


「魯粛どのですか」


「うん」


趙雲は少し迷ってから、俺を連れていってくれた。


この人は、俺のやることを止めない。


止めないが、必ず隣にいる。危機管理百とは、そういうものらしい。



    ◆


魯粛は、庭で茶——ではなく、湯を飲んでいた。


「おや。若君」


「しけい」


「私の字をご存じで」


「うん」


俺は、彼の前に座った。


正確には、座ろうとして尻もちをついた。


魯粛が笑った。


「よい座り方でございます」


慰めるな。


俺は、聞きたかったことを聞いた。


「なんで、たすける」


「たすける?」


「ちち、うえ」


魯粛は、湯の椀を置いた。


「助けてはおりません」


「うそ」


「……ほう」


彼は、面白そうに俺を見た。


「なぜ、嘘だとお思いか」


「そんが、してる」


——四郡を渡し、南郡まで貸そうとしている。


呉の側から見れば、明確な損である。


魯粛の眉が、上がった。


そして、こう言った。


「若君。今、いくつでいらっしゃる」


「ふたつ」


「二つ」


「うん」


魯粛は、天を仰いだ。


「……江東に帰って、この話をしても、誰も信じますまい」



    ◆



「若君。損得というものは、どこで区切るかで変わります」


魯粛は、地面に指で線を引いた。


「今年で区切れば、我らは四郡を失いました。損にございます」


線を伸ばす。


「十年で区切れば、我らは北の圧力を分け合う相手を得ました。得にございます」


さらに伸ばす。


「三十年で区切れば——」


そこで、彼は手を止めた。


「三十年先は、分かりませぬ」


「わからない?」


「はい。ゆえに私は、十年で区切って考えます」


——正しい。


前世で、俺が最も苦労したのが、これだった。


投資判断は、期間で結論が変わる。三年で見れば赤字の事業が、十年で見れば黒字になる。逆もある。


そして、多くの人間は「今年」で区切る。


今年の数字が悪ければ、十年後に化ける事業を潰す。


この男は、十年で区切っている。


しかも、その先は「分からない」と正直に言う。


——分からないと言える人間が、一番信用できる。



    ◆



俺は、決断した。


この人を、採用する。


俺は魯粛の袖を掴んだ。


「しけい」


「はい」


「うちに、こない?」


魯粛の動きが、完全に止まった。


背後で、趙雲が咳き込んだ。


「わ、若君。それは——」


「こないの?」


魯粛は、しばらく俺を見つめていた。


そして——声を上げて笑った。


腹を抱えて笑った。


「これは、これは」


彼は目尻を拭った。


「生涯で最も光栄な勧誘を、二つの子から受けました」


「くる?」


「参りません」


即答である。


「なんで」


魯粛は、笑いを収めた。


そして、真面目な顔で言った。


「若君。私が蜀へ参れば、その日に同盟は終わります」



    ◆



俺は、動きを止めた。


「江東で、劉皇叔と手を組むべしと申しておるのは、私一人でございます」


魯粛は、静かに続けた。


周瑜(しゅうゆ)は、荊州を取って蜀を攻めよと言う。他の重臣も同じ。孫権さまは、その間で揺れておられる」


「ひとり?」


「一人でございます」


——【同盟維持者】。


※自国内で孤立しやすい。


そういう意味か。


「ゆえに、私がここへ来れば、同盟を守る者が江東からいなくなります」


魯粛は、湯を飲んだ。


「私は、呉におらねば価値がないのです」



    ◆



俺は、雷に打たれたような気がした。


——そうだ。


取ってはいけない人材が、いる。


前世で、俺は逆をやった。


買収先の重要な取引先に、極めて優秀な担当者がいた。俺はその人物を引き抜いた。年俸を倍にして、こちらへ迎えた。


そして、その取引先との関係は、半年で切れた。


彼が価値を持っていたのは、あちら側にいたからだ。


こちらへ来た瞬間、彼はただの優秀な社員になった。そして、彼が繋いでいた関係は、丸ごと消えた。


——あのとき、俺は何を買ったつもりだったんだろう。


「しけい」


「はい」


「ごめん」


魯粛が、目を丸くした。


「なぜ、謝られます」


「とったら、こわれる」


——取ったら、壊れる。


魯粛は、長いこと黙っていた。


それから、深く息を吐いた。


「……若君」


「うん」


「あなた様は、恐ろしい方になられます」


```

魯粛から劉禅への評価

   主君の幼児 → 記録すべき人物

興味度 4 → 71

```



    ◆



別れ際、魯粛が言った。


「劉皇叔の陣を、二日見せていただきました」


「どう?」


「人が、よろしい」


「うん」


関羽(かんう)どの、張飛どの、趙雲どの。あれほどの将が三人。文では諸葛亮(しょかつりょう)どの。江東でも、これだけ揃えるのは難しゅうございます」


魯粛は、そこで少し首を傾げた。


「ただ——一つだけ、申し上げてよろしいか」


「うん」


「人を見る目はおありだ。だが、置き方をご存じない」


俺は、顔を上げた。


「置き方?」


「はい」


魯粛は、地面の線を指した。


「たとえば、諸葛亮どの。あの方に三郡の賦税を任せるのは、もったいのうございます」


「もったいない?」


「あれは、国の形を描く人でございましょう。帳簿を数える人ではない」


——その通りだ。


「同じことが、他にもございます」


魯粛は、なぜか少し楽しそうに言った。


「江東にも、置き場所を間違えられておる者がおります」


「だれ」


周瑜(しゅうゆ)の下に、龐統(ほうとう)と申す者が」


——心臓が、止まりかけた。


功曹(こうそう)をしております。事務は完璧にこなす。まったく向いておりませんが」


魯粛は苦笑した。


「あれは、百里を治める才ではございません。小さな器に大きな水を注げば、こぼれるだけにございます」


——覚えた。


俺はその言葉を、一字も違えずに覚えた。


百里の才ではない。


一年後、俺はこの言葉を、書状の形でもう一度読むことになる。


だがこのときの俺は、まだ知らない。



    ◆



魯粛が去ったあと、俺は木簡を出した。


そして、新しい行を作った。


《採ってはいけない人材》


一行目に、魯粛と書いた。


——生涯で初めて、採用しないと決めた優秀な人材である。


その下に、もう一行。


《置き場所を間違えている者》


龐統、と書いた。


書いてから、俺は少し考えて、《呉》と付け足した。


まだ、こちらにはいない。


だが——周瑜は、二一〇年に死ぬ。


その後、この男はどこへ行くのだろうか。



    ◆



俺は、その二行を見ながら、一つ、気になったことがあった。


——この人は、いつ死ぬのだろう。


……


思い出せなかった。


魯粛(ろしゅく)


三国志を、何度も読んだ。


赤壁で主戦を説いた男。


周瑜(しゅうゆ)の後を継いだ男。


——それなのに、没年を覚えていない。


……


——(かん)夫人のときと、同じである。


覚えていないということは、たぶん、大きく書かれていない。


大きく書かれていないということは、劇的に死んでいない。


——病だ。


たぶん、病である。


……


俺は、死亡年表を出した。


そして、書こうとして——手が止まった。


書く場所が、ない。


二一九。二二一。二二三。二二九。二三四。


——どこにも、当てはまらない。


俺は、筆を置いた。


そして、年表の余白に、一行だけ書いた。


《しけいどの いつか》


——それだけである。


年が、書けなかった。



    ◆



眠る前、俺はもう一つのことを思い出していた。


魯粛の字は、子敬である。


俺はその二文字を、木簡の隅に書いてみた。


子敬。


きれいな字だと思った。


——このとき俺は、まだ知らない。


五年後、まったく別の男が、この二文字を捨てさせられることを。


同じ字を持ちながら、魯粛は変えずに済み、その男は変えねばならなかった。


理由は、能力でも、功績でも、忠誠でもない。


片方が、外にいたからである。



次回 第14話「赤壁は火計だけで勝ったのではない」


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