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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第一部 赤子CEO、長坂坡に放り出される

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13/86

第12話 羽扇を手放せない男

諸葛亮が、仕事を人に渡した。


翌朝、その仕事は終わっていた。


渡された本人が、まだ手をつけていないのに。



    ◆



建安(けんあん)十四年。


劉備(りゅうび)荊州(けいしゅう)南部の四郡を平らげ、公安(こうあん)に城を築いた。


そして諸葛亮(しょかつりょう)には、零陵(れいりょう)桂陽(けいよう)長沙(ちょうさ)の三郡を(とく)し、賦税(ふぜい)を集めて軍需に充てる役目が与えられた。


——三つの郡の、徴税と会計と監督。


現代で言えば、三つの支社の経理・監査・人事を、一人の執行役員が兼務している状態である。


しかも本社機能(軍議・外交・兵站)もそのまま担当している。


前世の俺なら、この組織図を見た瞬間に赤を入れる。


《特定個人への業務集中。当該人物の離脱時、複数機能が同時停止》


そして俺は、その赤を入れた本人が、まったく同じ死に方をしたことを知っている。



    ◆



俺は二歳になっていた。


歩ける。走れる。二語まで話せる。


そして最近、諸葛亮の執務室へ勝手に入り込む技術を習得した。


方法は簡単である。


扉の前で泣く。


「阿斗さま。孔明さまはお忙しく」


「わーん」


「若君、お待ちください」


「わーん」


三十秒で通る。


赤ん坊は、組織内で最も強力な交渉手段を持っている。二歳になっても、その効力はまだ切れていなかった。



    ◆



その日、執務室には先客がいた。


背の高い、若い男である。


歳は二十代の半ばだろうか。姿勢が良く、袖の折り目まで整っている。書を扱う人間の手をしていた。


そして——眉が、白かった。


左右とも、根元から先まで、白い。


俺が見つめると、視界に文字が浮かんだ。


```

【馬良 字・季常】


統率 52

武力 31

知略 88

政務 93

魅力 86


文書処理 95

実務精度 91

交渉   84

調整   92

自己主張 34

断る力  17


固有特性


【白眉】

 同族・同期の中で、最も優れていると評価される。

 常に「兄弟の中で一番」であることを求められる。


【頼まれると断れない】

 業務量が本人の限界を超えても引き受ける。


【上位者への献身】

 尊敬する相手のためなら、自分の評価を後回しにする。


総合評価 A+


組織上の危険

 過剰負荷/自己評価の低さ/代替不能化

```


——断る力、十七。


俺は天を仰いだ。


この組織は、人材を採用するときに何を基準にしているんだ。


権限委譲三の男の下に、断る力十七の男を配置した。


前世で言えば、仕事を抱え込む部長の下に、断れない課長を置いたようなものである。


結果は決まっている。


両方が倒れる。



    ◆


「若君。ご紹介いたします」


諸葛亮が言った。


馬良(ばりょう)。字を季常(きじょう)と申します。襄陽(じょうよう)の出で、この度、従事(じゅうじ)として仕えることとなりました」


馬良が、床に手をついた。


「馬良にございます。以後、お見知りおきを」


「はくび」


俺は言った。


馬良の動きが、止まった。


「……若君は、いま何と」


しまった。


初対面で外見に言及した。龐統(ほうとう)のときも同じ失敗をする気がする。


だが馬良は、笑った。


「よくご存じで。郷里では、こう申します」


彼は自分の眉を指した。


「馬氏の五常、白眉最も良し」


「ごじょう?」


「兄弟が五人おりまして、みな字に『常』の一字が入ります。その中で、私が最も良いと」


——知っている。


有名な故事だ。


しかし本人の口から聞くと、印象がまったく違った。


『最も良い』。


それは、褒め言葉であると同時に、逃げ場のない評価である。


```

【馬良】

兄弟間比較への疲労 71

```


——ほら見ろ。


この人は、生涯ずっと「一番でなければならない」と言われ続けてきたのだ。



    ◆



諸葛亮が、竹簡の束を馬良の前へ置いた。


「季常。零陵の賦税簿を、明朝までに整えてください」


「承知いたしました」


「戸数、耕作面積、昨年の収穫、今年の見込み。四つを突き合わせ、齟齬があれば印を」


「はい」


——妥当な指示である。


内容も明確だ。期限も切ってある。


さすが制度設計百。


俺は少し安心して、部屋の隅で木簡に落書きを始めた。


その夜、馬良は残って作業をした。


灯火が、遅くまで点いていた。



    ◆



翌朝。


俺がまた泣いて執務室へ侵入すると、諸葛亮が竹簡を巻き終えたところだった。


「おはようございます、若君」


「こうめい」


「はい」


「ねた?」


「休みました」


——嘘だ。


```

睡眠時間 直近一日 半刻

```


一時間である。


俺は机の上を見た。


零陵の賦税簿が、美しく整っていた。


——美しすぎる。


昨夜、馬良が書いていた字とは違う。


もっと細く、もっと均等で、一字たりとも傾いていない。


俺は諸葛亮を見上げた。


「これ」


「はい」


「きじょう?」


諸葛亮は、当たり前のように答えた。


「季常が仕上げたものを、私が確認し、整えました」


「なおした?」


「三十四箇所ほど」


三十四。


「まちがい?」


「いえ」


諸葛亮は、少し首を傾げた。


「誤りは、二つでした。残りの三十二は、書き方の統一でございます」


——出た。


俺の背筋が、冷たくなった。


【完全主義】——小さな誤りを放置できない。


誤字が二つ。あとは全部、この人の好みである。



    ◆



馬良が入ってきた。


「孔明さま。零陵の簿ですが——」


そこで、彼は机の上を見た。


言葉が、途切れた。


「……お直しくださったのですか」


「大したことはしておりません」


諸葛亮は微笑んだ。


「よくできておりました」


——それが、一番いけない。


俺は視界の数字を見ていた。


```

【馬良】

提案意欲 71 → 58

```


——十三、下がった。


馬良は、頭を下げた。


「ありがとうございます。次からは、書式を揃えます」


「お気になさらず」


「いえ。孔明さまのお手を煩わせました」


そして、彼は出ていった。


穏やかな、丁寧な会話だった。


誰も怒っていない。誰も傷つけていない。


そして、何かが確実に、壊れた。



    ◆



俺は、諸葛亮の袖を引いた。


「こうめい」


「はい」


「なんで、いわない」


諸葛亮の羽扇が、止まった。


「……何を、でございましょう」


「なおす、まえ」


俺は必死に言葉を選んだ。二歳の口では、二語しか続かない。


「いって、から」


——直す前に、本人に言え。


「ここが違う」「ここは書式を揃えてくれ」と、先に本人へ伝えろ。


黙って直すな。


諸葛亮は、しばらく黙っていた。


そして、静かに答えた。


「申し上げれば、季常は傷つきます」


「うそ」


「若君?」


「もう、きずついた」


——部屋の空気が、変わった。


諸葛亮の表情から、あの穏やかな笑みが消えた。



    ◆



前世で、俺は同じことを何百回もやった。


部下の資料に赤を入れる時間より、自分で書き直す時間のほうが短い。だから書き直した。


そして「よくできていたよ」と言った。


嘘ではない。実際よくできていた。八割は。


だが、部下は分かる。


自分の書いた文章が、一行も残っていないことに。


そして次から、彼らは「叩き台」しか作らなくなる。


どうせ全部書き直されるなら、時間をかけるだけ無駄だからだ。


俺は、部下の手を抜かせるために、自分の睡眠時間を削っていた。


それに気付いたのは、死ぬ半年前だった。


気付いても、直せなかった。


——だから俺は、死んだ。



    ◆



「若君」


諸葛亮が言った。


「一つ、お尋ねしてよろしいですか」


「うん」


「なぜ、そこまでお分かりになるのです」


答えられない。


前世で同じことをして死にました、とは言えない。


俺は黙った。


諸葛亮は、それ以上追及しなかった。


代わりに、こう言った。


「……確かに、私は直しすぎるのかもしれません」


「うん」


「ですが、季常はまだ日が浅い。誤りが上へ届けば、あの者の評価が下がります」


「まもってる?」


「そう、お考えいただければ」


——それが一番厄介なのだ。


この男は、善意で組織を壊す。


悪意なら止められる。だが善意は止まらない。本人が正しいと思っているからだ。


俺は、別の角度から攻めることにした。



    ◆



俺は手を伸ばした。


諸葛亮の羽扇へ、である。


「若君?」


「かして」


諸葛亮は、少し驚いた顔をした。


そして——あっさりと、渡した。


「どうぞ」


——え。


俺は拍子抜けした。


前回、俺はこの扇を根拠に「あなたは物も仕事も預けられない」と言った。張飛がその解釈を叫び、諸葛亮は「耳が痛い」と笑った。


だから今回も渋ると思っていた。


渡された。


俺は羽扇を両手で抱えた。


思ったより重い。柄は白木で、汗が染みて色が変わっている。羽は白鳥のものだろうか。長く使い込まれて、先が少し擦り切れていた。


——そして、柄の端に、細い糸が巻いてあった。


擦り切れた箇所を、誰かが繕った跡である。


糸の色が、二種類あった。


——二度、繕われている。


三年で、二度。


この人は、三年で二度しか帰っていない。


そして、帰るたびに、誰かがこの扇を繕った。


「重うございましょう」


「うん」


俺は羽扇を振ってみた。


風は起きなかった。二歳の腕では、振ることすらできない。


諸葛亮が笑った。


「まだ、若君には早うございます」


——そして俺は、見た。


諸葛亮の右手が、何も持っていないのに、扇ぐ動作をしていた。


指が、二度、空を撫でた。


本人は気付いていない。



    ◆



俺は、羽扇を見た。


そして、諸葛亮の空の手を見た。


——渡せるのは、物だけだ。


この人は扇を人に渡せる。筆も渡せる。竹簡も渡せる。


だが、手が覚えている動作は、渡せない。


仕事も同じだ。


紙の上では、確かに馬良へ渡した。指示も明確だった。期限も切った。


だが、この人の頭の中では、一度も手放していない。


だから深夜に確認し、三十四箇所を直し、一時間しか眠らない。


——過労は、結果である。


原因は、これだ。


俺は、ようやく理解した。


諸葛亮を休ませるだけでは、意味がない。


温泉へ送っても、書類を隠しても、この人は治らない。


「渡した」と本人が思える状態を、作らなければならない。


そのためには——


渡した相手が、自分より下手でも構わない、と思えなければならない。



    ◆



「こうめい」


「はい」


「これ」


俺は羽扇を持ち上げた。


「だれの」


諸葛亮の動きが、止まった。


長い沈黙があった。


灯火の芯が、ぱち、と鳴った。


「……ある者から、贈られました」


「だれ」


「若君には、まだ早いお話です」


逃げた。


だが、逃げ方で分かった。


俺は諸葛亮の顔を見上げた。


この人は、隆中(りゅうちゅう)に家がある。畑があり、書斎があり、妻がいる。


そして三年前、劉備が三度訪ねてきたとき、それを全部置いて出てきた。


それきり、ほとんど帰っていない。


——この扇は、家から持ってきた唯一の物なのではないか。


だから手放さない。


だから何も持っていないときも、手が扇を探す。


「こうめい」


「はい」


「かえりたい?」


諸葛亮は、答えなかった。


俺は、もう一つ聞いた。


「だれか、いる?」


——諸葛亮の指が、止まった。


「……おります」


「だれ」


「若君には、まだ早いお話です」


——二度目である。


この人は、同じ台詞で、二度逃げた。


代わりに、羽扇へ手を伸ばした。


俺は、渡した。


諸葛亮はそれを受け取り、膝の上に置いた。


そして、初めて——扇がなくても、手を動かさなかった。


「若君」


「うん」


「私は、帰るために働いております」


——嘘だ。


この人は、帰らない。


俺は知っている。


二十五年後、この男は五丈原の陣中で倒れる。


隆中へは、帰らない。畑も、書斎も、二度と見ない。


「こうめい」


「はい」


「かえって」


「はい?」


「いちど、かえって」


諸葛亮は、俺を見た。


そして、ゆっくりと微笑んだ。


「天下が定まりましたら」


——それでは、遅い。


天下は定まらない。少なくとも、この人が生きているうちには。



    ◆



その日の午後、俺は馬良を探した。


彼は倉庫の裏で、竹簡を運んでいた。


「若君? どうなさいました」


「きじょう」


「はい」


俺は、地面に落ちていた小枝を拾った。


そして、土の上に線を引いた。


三十四本。


「なに、これ」


「……三十四?」


「なおされた、かず」


馬良の表情が、固まった。


「若君は、それを」


「うん」


彼はしばらく黙り、それから困ったように笑った。


「孔明さまは、私のために直してくださったのです」


「きく」


「は?」


「つぎ、きく」


——次は、聞け。


なぜ直したのか、三十四箇所全部、本人に聞け。


黙って「次から書式を揃えます」と言うな。


あなたが聞かなければ、あの人は永遠に黙って直し続ける。


馬良は、俺を見つめた。


そして、白い眉を少しだけ上げた。


「……お尋ねしても、よろしいのでしょうか」


「うん」


「孔明さまのお時間を、頂くことになります」


「とる」


俺は言った。


「時間を、取ってよいと?」


「うん」


「しかし」


「とらないと、しぬ」


馬良が、息を呑んだ。


「……誰が、でございますか」


俺は答えられなかった。


二歳の口では、「あの人が二十五年後に過労で死ぬ」とは言えない。


言えたとしても、言わない。


俺は代わりに、地面の三十四本の線を、足で消した。


そして言った。


「みんな」


```

【馬良】

提案意欲 58 → 66

```


——八、戻った。


十三下がって、八戻った。


まだ五、足りない。


俺は木簡を出して、書き足した。


《一度下がった意欲は、下がった分だけ戻らない》



    ◆



別れ際、馬良が言った。


「若君。実は、弟がおります」


「おとうと」


「はい。馬謖(ばしょく)と申します。まだ二十歳ですが、いずれ荊州へ呼び寄せたいと」


俺の身体が、固まった。


馬謖。


「あの子は、私よりずっと弁が立ちます。兵法を語らせれば、私など足元にも及びません」


馬良は、心底嬉しそうに笑っていた。


「よく、喋る?」


「ええ。よく喋ります」


「あにうえ、より?」


「私より、ずっと」


——説明能力と、現場能力は、別物である。


前世で、俺はそれで何度も人事を誤った。


会議室で最も理路整然と話す人間が、現場で最も指示を出せない、ということが本当にある。


そして俺は知っている。


十九年後、この弟が街亭で敗れる。


そして諸葛亮が、泣いて彼を斬る。


俺は馬良を見上げた。


この人は、その八年前に夷陵(いりょう)で死ぬ。


だから弟の最期を、知らずに済む。


それが救いなのか、それとも一番の残酷さなのか、俺には分からなかった。



    ◆



その夜、俺は木簡へ二行、書き足した。


《孔明を止められる者を、増やす》


その下に、《今のところ、一人》とある。


俺はそこへ、線を足した。


《一人と、半分》


——馬良は、まだ半分だ。


質問はできるようになった。だが、断れない。断る力十七のままでは、遠からずこの人も潰れる。


そして俺は、もう一行書いた。


《馬謖/二二八年/街亭》


書いてから、少し迷って、その横に丸を描かなかった。


——まだ、決まっていない。


死ぬと決まったわけではない。


俺が変えれば、変わるかもしれない。


そう思いたかった。



    ◆



灯火を消す前、俺は窓の外を見た。


執務室の明かりが、まだ点いていた。


——


俺は木簡を胸に抱えたまま、その光を見ていた。


あの人は、二十五年後に死ぬ。


原因は、魏でも、司馬懿でも、病でもない。


今、あの部屋で三十四箇所を直している、その手だ。


残り、二十五年。


長いようで、短い。


そして俺は、まだ、二つである。



次回 第13話「魯粛は採用できない」


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