外伝・法正伝 『恩は一枚、怨みは五十八枚』 (〜236年)
序 死亡記事
史書には、こう書かれるはずだった。
《明年卒す。時に年四十五》
——法正は、劉備が帝位に就く前の年に死んだ。四十五である。劉備が涙を流すこと数日、と史書は書く。
◆
そうならなかった。
理由は、一枚の紙である。
《法正孝直・四十日間の職務停止》
——この国の歴史上、最初の強制休職命令であった。
受け取った本人は、死ぬより怒った。
第1話 恩簿と怨簿
まず、この男の帳簿について述べる。
法正の懐には、木簡の束が二つある。
右が、怨み。左が、恩。
書き方は、罪状書と同じである。何年何月、誰が、どこで、何をしたか。腹が立ったとは書かない。嬉しかったとも書かない。
——怒りは、変わる。事実は、変わらぬ。変わらぬものだけを書けば、三十年後に読める。
罪の記録を司った父の、教えである。
◆
建安十六年の時点で、右の束は五十八枚。
左の束は、一枚であった。
三十六年生きて、恩が、一枚である。
その一枚は、張松だった。理由の欄には、こうある。
《余の書を、最後まで読みたり》
——自分の書いたものを最後まで読んだ。それだけの理由で、この男は張松のために州を一つ動かした。
つまり、単価がおかしいのである。恩の在庫が少なすぎて、一枚あたりの価値が州に達している。
◆
この帳簿の存在は、益州の官界に知れ渡っていた。
知れ渡った結果、涙ぐましい営業活動が発生した。
法正に飯を奢ろうとする者が、列を成したのである。一飯の恩も必ず返す男だ、奢れば返ってくる、という理屈だった。
法正は、全部断った。
「奢られた飯は、恩簿に載る。載れば、返す。……返す相手を、私に選ばせぬ気か」
断られた側は震え上がった。奢ろうとしたことが怨簿に載ったのではないかと、夜も眠れなかった者もいる。
載っていない。法正の怨簿は、そこまで暇ではない。
◆
唯一、この帳簿で遊んだ男がいる。龐統である。
「孝直どの。それがし、怨簿に載ってみたい」
「……何のために」
「五十八人の顔ぶれに興味がござる。名士録より正直な名簿と見た」
「載せませぬ」
「なぜ」
「載せれば、貴公は喜ぶ。喜ぶ者を載せては、怨みの帳尻が合わぬ」
「では恩簿は」
「もっと載せませぬ」
この問答は宴のたびに繰り返され、周囲は「また帳簿の話が始まった」と酒を注ぎ足した。二人とも、席は端である。端が好きな男が二人並ぶと、上座が妙に寂しくなることも、益州の宴の風物詩であった。
◆
さて。建安十六年、涪城の会である。
法正は、宴の廊下で、四つの子に会った。
竹簡を持っていた。持ち方が、正しかった。巻いた端を左手で支え、開いた方を右手で押さえる。四つの子がやる持ち方ではない。
劉備の子である。阿斗という。
「若君でございますか」
子は、顔を上げて、言った。
「ほうせいどのですか」
◆
——名を、知っている。
州を売った男の名は、劉備の側では口に出しにくい名である。
「どこで、お聞きに」
「かいてあります」
竹簡には、四つの字で、こう書いてあった。
《ほうせい あざな こうちょく》
法正は、息を止めた。
——字。
名は、誰でも知っている。字を書く者は、少ない。字は、敬称である。悪しき者に、字は付けない。
「なぜ、字まで」
「なまえだけだと、たりないので」
◆
法正は、その夜、右の束を出した。書かなかった。左も出さなかった。恩ではない。
恩でも怨みでもないものが、この世にあるとは、思っていなかったのである。
三つ目の束を、作った。
白い木簡である。白いまま、一枚目を置いた。
——この白い束は、三十年で七枚になる。
七枚とも、同じ人の分である。
第2話 咳を数えられた男
建安二十一年、法正は蜀郡太守になった。
そして、七人殺した。旧怨である。
四人目から七人目までは、理由が薄かった。それは、本人が一番知っていた。罪状の欄が、四人目から短いのである。
◆
その冬、九つの子が来た。
五年前の竹簡の、二行目が増えていた。
《ほうせい あざな こうちょく》
《ぎょうい、わるくない》
「若君。私は、七人殺しました」
「存じております」
「ご存じで、これを」
「かきました。りょうほう、ほんとうだからです」
法正は、一つ試した。試すのは、癖である。
「四人目から七人目は、理由が薄うございます」
「しっています。……よにんめから、りゆうがうすくなりました。それは、こうかいしているからだと、おもいます」
法正は、動けなくなった。
——後悔。そんな言葉は、自分の簿にない。書いたことがない。
そして、四人目から罪状が短いのは、書けなかったからである。
その夜、白い簡が二枚になった。
◆
建安二十四年、漢中である。
定軍山で夏侯淵が落ち、黄忠の鼓が鳴った。合図を出したのは、法正である。
戦勝の報が成都へ届いた後、十の子が竹簡を持って来た。
数字が、並んでいた。
法正の睡眠——平均、二刻。
食った量——一日、数升。
熱の出た日数——百二十七日。
咳——一日、平均四十一。
◆
「若君。どこで、これを」
「ししんに、かかせました」
法正は、自分の侍臣の顔を思い浮かべた。
——あの男、いつの間に。
後に判明したところでは、報酬は饅頭であった。この国の機密は、饅頭で回っている。
法正は、数える男である。関の数。倉の実数。敵将の癖。だが、数えられているとは、思っていなかった。
竹簡の裏に、一行あった。
《いちねんまえは、にじゅうさんでした》
——咳が、一年で倍近くになっている。
◆
「なぜ、数えられますか」
「かんじょうが、あわないので」
「何と、何が」
「はたらいたりょうと、いきているねんすうです」
法正は、長く黙った。
三十六年、この男は合わぬ数字を放っておいたことがない。一つも、ない。
そして、自分の分だけ、合わせていなかった。
「合わぬ数字は、どうなさいます」
「あわせます」
「どちらに、合わせますので」
長い間があった。
「ねんすうのほうに」
◆
法正は、一つだけ抵抗した。抵抗は、性分である。
「若君。私は、四十五で死にます。医師が申しました。そして、私も数えました」
子の顔が、変わった。驚いたのではない。知っていた者の顔である。
そして、子は言った。
「なおしません」
「……何を、でございましょう」
「ししゃの、みたてを」
——見立てを、直さない。つまり、数字の方を動かす気でいる。
その夜、白い簡は三枚になった。
第3話 四十日間の職務停止
建安二十五年、法正は床に就いた。
医師は、春までと言った。四十五である。
◆
臥せってからも、法正は働いた。
働くというより、密輸である。見舞いに来る官吏の袖に決裁を忍ばせ、返す袖で次の案件を受け取る。見舞客の出入りが、市場より活発になった。
発覚は、早かった。
咳の数を報告していた侍臣が、袖の出入りも数えていたのである。
《本日の来客、九。うち袖に木簡、七》
——密輸の実数が、成都に筒抜けであった。
◆
法正は、報告をやめさせようとした。
「もう、書かずともよい」
「申し訳ございませぬ。命じられております」
「誰にだ」
「申し上げるなと、命じられております」
法正は、少し笑った。
——命じられている。そして、命じた者の名を言わない。
三十九年、彼はそういう部下を持てなかった。理由も分かっている。自分は返す男である。言えば、返す。良きにつけ、悪しきにつけ。返す男の下では、誰も口を閉じられない。
◆
数日後、太子が来た。十三である。
寝台の脇に立ち、法正の手から木簡を取り上げた。
「本日より、孝直どのの執務を禁止します」
「殿下に、その権限は」
「執行評議へ提案済みです」
法正は、目を細めた。
「いつの間に」
「孝直どのが寝ている間です」
「私は寝ておりません」
「存じています」
太子は、竹簡を差し出した。
《法孝直・四十日間の職務停止》
署名が、並んでいる。劉備。諸葛亮。龐統。董和。蔣琬。費禕。全員である。
◆
「職務停止……処罰ですか」
「はい」
法正の目に、危険な光が宿った。自尊心である。
「私が、何を犯したと」
「医師の命令違反」
「軍法ではありません」
「執行評議の決定違反」
「私は評議へ参加していない」
「病欠です」
法正は起き上がろうとして、咳き込んだ。太子が寝台へ押し戻す。袖の密輸の実数《本日の来客九。うち袖に木簡、七》が、証拠として添えてあった。数えられていたのは知っていた。罪状に仕立てられるとは、思っていなかった。
◆
それでも、法正は抵抗した。抵抗は、性分である。
太子は、最後の札を切った。
「孝直どの。今から四十日間、働いた場合」
「……」
「許靖どのを、孝直どのの代理にします」
法正の顔から、血の気が引いた。
「それは」
「外交と名士調整を、担当していただきます。孝直どのの文書も、許靖どのが確認します」
「それだけはなりません」
「では、休んでください」
「……卑劣です」
法正から卑劣と言われた人間は、古今この十三歳だけである。そして、言われた側は後にこう記している。
《孝直どのに言われるとは、思わなかった》
◆
——この子は、私の性分で、私を縛りに来た。
法正は、恩も怨みも必ず返す男である。そして、評議の決定には、必ず従う男であった。
◆
四十日、法正は休んだ。
正確には、三十八日目に密輸を一件試みて、摘発され、二日延長された。
四十二日目、熱が引いた。
春が来て、法正は死ななかった。
医師は首をひねり、見立て違いを詫びた。法正は、詫びを受けなかった。
「見立ては、正しかった。……直させた者が、いただけだ」
その夜、白い簡は四枚になった。五枚目は、同じ年の冬である。荊州の始末で、あの子が恩を売らなかったのを見た夜だった。
◆
なお、快癒後の法正には、新しい持ちネタができた。
宴で龐統に会うたび、こう言うのである。
「士元どの。貴公、休職の経験は」
「ない。休みなら常にとっておる」
「私は、ある。国から正式に命じられた休みである。……格が違う」
「働かぬ自慢で儂に勝つ気か。三十年早い」
「勝ち負けではない。制度の話をしておる」
この不毛な問答も、宴の風物詩に加わった。端の席は、相変わらず二人のものである。
終章 七枚目
法正は、その後、十六年生きた。
四十五で死ぬはずだった男の、余りの十六年である。
尚書令として、北伐の帳尻を合わせ続けた。祁山で、五丈原で、彼の数字は常に丞相の隣にあった。丞相が「行ける」と言い、法正が「行けるが、高くつく」と言い、間を取ると、だいたい正しかった。
◆
白い簡は、六枚になっていた。
六枚目は、職務停止の四十日が明けて、春に生き残った日である。
恩か、と考えた。命を拾われた。恩簿に載せようとした。
載せられなかった。
——恩の簡に載せれば、返さねばならない。返すとは、同じものを渡すことである。
四十日の休みと引き換えに拾われた命を、どう返す。同じものが、この世にない。
白いまま、置いた。
◆
建興十四年、法正は死んだ。六十一である。
今度は、医師の見立てどおりだった。本人が、そう望んだ節がある。晩年、侍臣にこう漏らしている。
「二度も見立てを覆しては、医師という職が立たぬ。……一度で、十分だ」
◆
死の三日前、皇帝が来た。二十九である。
法正は、枕元の三つの束を示した。
「陛下。帳簿の整理を、お目にかけます」
右の束——怨み、五十八枚。
「これは、焼いてください。建安二十一年から、増えておりませぬ。増やさなかった理由は、九つの陛下が書かれた二行目です。……増やせば、あの二行目が、書き直されますゆえ」
左の束——恩、一枚。
「これは、張松の墓へ。州の代金の、受取証でございます」
そして、白い束。
「これは、陛下へお返しします」
◆
「私に、ですか」
「七枚とも、陛下の分でございますから」
皇帝は、束を受け取った。
六枚。全部、白い。
「……七枚と、仰せでは」
「七枚目は、これから置きます」
法正は、枕の下から、白い簡を一枚出した。
そして、生涯で初めて、白い簡に字を書いた。
四十年、事実しか書かなかった男の、最後の一行である。
《勘定、合いましてございます》
◆
働いた量と、生きている年数。
十のあの子が「合わない」と言った勘定を、この男は十六年かけて、年数の方に合わせた。
◆
皇帝は、七枚の束を持ち帰った。
そして、八枚目を足した。
白いままである。
侍中が、恐る恐る尋ねた。
「陛下。その一枚は」
「私の分です」
「……何と、お書きに」
「書きません。……あの方に頂いたものを、私もまだ、分類できていないので」
◆
八枚の束は、いまも宮中にある。
七枚目にだけ、字がある。
《勘定、合いましてございます》
恩簿より軽く、怨簿より重い束だと、目録には注記されている。
注記を書いた官吏は、意味を問われて、こう答えたという。
「分かりませぬ。ただ、そう書けと、上から」




