第129話 旗は、畳んで置いておく
【建興十四年 秋|成都】
三日目の朝、俺は講堂へ戻った。
地図が、広げたままだった。旗が、三本倒れている。そして、この人が、その上にいない。
七十七である。俺の知る歴史より、十七年長い。
◆
三日、誰も入らなかった。弟子が五十二人いる。そして、五十二人とも、扉の前で止まった。
理由は、たぶん、一つである。入れば、片づけることになる。そして、片づければ、終わったことになる。
糜芳が、来た。十二年前に入学した人である。そして、去年、卒えた。五十を過ぎている。
武備学舎で、最も歳の多い弟子だった。そして、卒えるのに、十一年かかった。
この人は、部屋へ入って、地図を見た。そして、何も言わずに、旗を三本、立て直した。
三本とも、同じ位置である。倒れた場所ではない。倒す前の場所だ。
「子方どの」
「……陛下」
「何を」
この人は、答えた。
「授業の途中でございましたゆえ」
「……」
「祭酒は、旗を立てて終えられます」
「——」
「十三年、そうでございました」
俺は、そこで、聞いた。
「三日、待たれましたか」
糜芳は、答えた。
「はい」
「なぜですか」
「——」
「誰かが、立てると思いました」
俺は、そこで、泣いた。
二十九である。皇帝である。そして、泣いたのは、十三年前の白帝城以来だった。
あのときは、父の前だった。寝台の横で、二人である。
そして、今日は——弟子が四十人、見ている。
十三年である。その間に、多く死んだ。黄忠。趙雲。翼徳叔父上。馬超。法正。
そして、一度も泣かなかった。
皇帝だからではない。数えていたからだ。
死亡年表に、記号を描いていた。丸か、四角か。
数えているあいだは、泣けない。
糜芳は、何も言わなかった。そして、立ったままだった。
十七年前、この人は辞表を書いた。荊州である。そして、関羽に「還らば、當にこれを治めん」と言われた。二十人の前で、である。
そして、その二十人のうち、十一人は既に死んでいる。
やがて、糜芳は、こう言った。
「陛下」
「はい」
「祭酒は、十三年、私を一度も名で呼ばれませんでした」
俺は、顔を上げた。
「……子方どの、と」
「呼ばれておりませぬ」
「では」
この人は、答えた。
「『還った者』と」
◆
三日後。漢中の諸葛亮から、書状が来た。短かった。
《雲長どのの訃、承りました》
《十七年でございます》
《樊城で旗を降ろされてより、十七年》
《その十七年が、何であったかを》
《私は、今、漢中で知りました》
俺は、次の行を読んだ。
《昨日、将が三人、退きたいと申し出ました》
《三人とも、学舎の者でございます》
《申し出た理由を、書いて参りました》
《そして、三人とも、同じ一行を書いております》
俺は、その一行を、読んだ。
《祭酒は、一度、退かれた》
俺は、その七文字を、長いこと見ていた。
十三年である。延べ二百七十一人。卒えた者、百六十四人。そして、十七人が、退いた。
理由は、一行である。祭酒が、一度、退いたから。
書状には、続きがあった。
《十七人のうち、十四人は、私の下にございました》
《そして、私は、十四度、退くことを許しました》
《許した日を、私は覚えておりませぬ》
《許さぬ日のことは、覚えております》
俺は、そこで、手が止まった。
《六年前、一度、許しませんでした》
《そして、その者は、死にました》
《名を、書いておきます》
一行あった。そして、俺は、その名を《名のない者》へ書き足した。
三十年で、九十九人目である。
◆
葬りで、学舎の旗は降ろさなかった。本人の希望である。
ただし、誰も掲げなかった。畳まれたまま、講堂へ置いた。
理由を、糜芳が書いている。
《降ろせば、終わったことになります》
《掲げれば、次の祭酒が決まったことになります》
《まだ、決まっておりませぬ》
畳んだのは、関興である。四十を過ぎている。そして、この人は、父の旗に触れたことがなかった。
「関興どの」
「陛下」
「畳めますか」
この人は、答えた。
「畳み方を、存じませぬ」
「……」
「見たことが、ございませぬゆえ」
俺は、そこで、糜芳を見た。そして、この人は、こう言った。
「私が、教えます」
「ご存じですか」
「——」
「十七年前、麦城で、降ろすところを見ております」
そして、こう続けた。
「降ろした後、祭酒は、ご自分で畳まれました」
「はい」
「——」
「そして、四つに畳んで、腋に挟まれました」
関興は、それを聞いて、しばらく動かなかった。そして、四つに畳んだ。
葬りは、簡素だった。本人が、そう書いていた。
去年の暮れ、この人は遺書を書いている。そして、三行だった。
《葬りは、軽くせよ》
《学舎は、続けよ》
《次の祭酒は、負けたことのある者にせよ》
そして、四行目。
《退いた十七人の名を、学舎の壁に掲げよ》
俺は、その四行目を、長いこと見ていた。
掲げよ。
三年前、翼徳叔父上は「殴った数を掲げろ」と言った。そして、この人は、「退いた者の名を掲げろ」と書いた。
二人とも、恥を掲げている。そして、意味が逆である。
翼徳叔父上のは——してはならないことの数。この人のは——してよいことの名である。
俺は、そこで、郤正に一つ聞いた。
「令先どの」
「はい」
「十七人に、聞いてください」
「何を、でございましょう」
俺は、答えた。
「名を掲げてよいか、です」
郤正は、筆を止めた。そして、こう言った。
「陛下」
「はい」
「祭酒の遺言でございます」
「はい」
「本人の許しが、要りますので」
俺は、答えた。
「要ります」
「……」
「掲げられるのは、本人ですゆえ」
十日かかった。十七人のうち、十五人が承知した。そして、二人が断った。
「令先どの」
「はい」
「二人は、理由を言われましたか」
郤正は、答えた。
「一人は、申しませんでした」
「はい」
「もう一人は」
「——」
「『まだ、退いた気がしておりませぬ』と」
俺は、そこで、頷いた。
そして、壁には、十五の名が掲げられた。十七ではない。
そして、その下に、一行書かせた。
《ほかに、二名おります》
名は、書かない。数だけ、書く。
三十年、俺は同じことを何度もやった。書けないものは、数で残す。
◆
遺書の三行目である。
《次の祭酒は、負けたことのある者にせよ》
そして、名前が書いていない。
「季常どの」
馬良を、俺は呼んだ。四十九である。そして、白い眉が、少し薄くなった。
「陛下」
「次の祭酒を、決めます」
「はい」
「条件は、一つです」
「——」
「負けたことのある者」
馬良は、竹簡を出した。そして、こう言った。
「百六十四人のうち、百五十二人が該当いたします」
「——」
「残る十二人は」
この人は、答えた。
「負けたことが、ございませぬ」
「季常どの」
「はい」
「その十二人の名を、書いておいてください」
「……はい」
「別の簿に」
馬良は、白い眉を下げた。そして、聞いた。
「何という簿に、でございましょう」
俺は、答えた。
「《まだ、負けていない者》」
馬良は、しばらく黙っていた。そして、こう聞いた。
「陛下」
「はい」
「この十二人は、悪うございますか」
俺は、首を振った。
「悪くありません」
「では」
「——」
「まだ、教えられないだけです」
そして、こう続けた。
「そして、十年後、この簿が空になっていれば」
「はい」
「——」
「この国は、うまくいっています」
次の祭酒は、百五十二人から選ぶことになった。三月かかった。そして、決まらなかった。
理由は、簡単である。全員が、断った。
「令先どの」
「はい」
「なぜですか」
郤正は、答えた。
「同じことを、申しております」
「何と」
「——」
「『祭酒の後では、務まりませぬ』」
俺は、そこで、少し笑った。そして、笑えなかった。
十七年前、俺は同じ問題に当たった。
「関羽以上に荊州を守れる人間が、この軍に存在しない」
そして、代案がなかった。今度も、同じである。
俺は、三つ足した。
【武備学舎 祭酒 規定 改定】
一 祭酒は、三人置く
二 任期は、三年とする
三 三年で、必ず交代する
備考
一人で務まらぬなら、三人で務めます。
そして、三年で辞められるなら、引き受けられます。
三人である。そして、三年である。
「陛下」
郤正が聞いた。
「祭酒が三人では、教えが割れます」
俺は、答えた。
「割れます」
「……」
「そして、割れたほうがよいのです」
「なぜでございましょう」
俺は、答えた。
「一人だと、その人の負け方しか教えられません」
三十年前、俺は成都で、四百年流れている水を見た。作った人の名だけが残り、毎年春に、名前のない数千人が川底を浚っていた。
あのとき覚えた言い方を、俺は長く、半分しか使っていなかった。
時を告げるのではなく、時計を作れ。
時を告げる人は、正確なほど、必要とされる。必要とされるほど、誰も自分で時を見なくなる。そして、その人が止まった日に、時間が分からなくなる。
だから、時計を作る。
そこまでは、やった。二十七年、制度を作ってきた。
今日、その先が分かった。時計は、一つでは足りない。
一つしかなければ、それが狂ったとき、誰も気付かない。比べる相手が、ないからである。二つあれば、ずれが見える。三つあれば、どれが狂っているかが分かる。
祭酒を三人にする、というのは、そういうことだ。
辞表を書いた人。殺すはずだった人。そして、負けた側の人。
三人とも、勝ち方を知らない。そして、負け方を三通り知っている。
郤正は、そこで、筆を止めた。そして、こう書いた。
《祭酒 三名》
《理由——負け方は、一種類ではないゆえ》
三人は、七日で決まった。
一人——糜芳。十七年前、辞表を書いた人である。
一人——范彊。十三年前、翼徳叔父上を殺すはずだった人である。
そして、もう一人。無当飛軍の者だった。
名を、音のまま書く。漢語は、まだ通じない。そして、十字教練の絵で教える。
「令先どの」
「はい」
「三人目は、なぜ引き受けられましたか」
郤正は、通訳を通して聞いた。そして、答えを持ってきた。
「『退いたことがございますゆえ』と」
「いつですか」
「——」
「十一年前、南中で」
俺たちに、負けた側である。そして、いま、教える側にいる。
◆
その夜、俺は木簡を出した。
《渡したもの》
一行目、黄忠。《六十を過ぎた者の、使い方》
二行目、張飛。《殴らない方法》
三行目、馬超。《羌の首領百四十一名の名》
四行目、法正。《敵情、千二百本。様式を統一して》
俺は、五行目を書いた。
関羽
《退き方》
そして、その横に、小さく書き足した。
《百六十四人。うち十七人が、実際に退いた》
そして、その下に、もう一行。
《そして、十五人が、名を出してよいと言った》
最後に、俺は死亡年表を開いた。
二一九。関羽。四角。
十七年前、削って書き直したものである。竹の表面が、白く毛羽立っている。汚い削り跡だ。そして、その上に、歪んだ四角が描いてある。
俺は、筆を取った。そして、建興十四年の行を、新しく作った。そして、書いた。
関羽 字・雲長 七十七
記号は、描かなかった。寿命である。黄忠と、同じだ。
そして、俺は、十七年前の四角を、指でなぞった。
消さない。書き換えない。
十七年前、この四角を描くのに、十一人かかった。
馬良。潘濬。趙雲。馬岱。龐統。糜芳。士仁。呂蒙。魯粛の遺した協定。そして、四十時間。
一人でも欠ければ、丸だった。
そして、十七年で、この人は百六十四人に教えた。
俺は、その横に、一行書いた。
《四角の分は、十七年だった》
そして、その下に。
《そして、百六十四人になった》
俺は、そこで、筆を止めた。
一つ、書いていないことがある。
十七年前、俺は十二歳だった。そして、樊城へ行って、旗を降ろせと言った。理由は、言わなかった。
言えば、この人は理で返す。そして、俺は理で勝てない。
三日前、この人は「よかった」と言った。
俺は、その一行を書こうとして——やめた。代わりに、こう書いた。
《言わなくてよかったことが、一つある》
そして、その下に。
《そして、十七年、言えなかったことでもある》
◆
翌朝、講堂へ行った。地図が、片づけてあった。そして、旗が三本、立ててあった。
糜芳である。
「子方どの」
「陛下」
「立てられましたね」
この人は、答えた。
「はい」
「なぜですか」
糜芳は、少し黙った。そして、こう言った。
「授業を、始めますゆえ」
「……」
「三本目から、でございます」
三本目である。曹沫が、三度目に負けたところだ。
そして、次に来るのは、こうである。
《十数年後、この将は全部取り返した》
俺は、そこで、聞いた。
「子方どの」
「はい」
「『退くというのは』の続きは」
この人は、答えた。
「存じませぬ」
「はい」
「——」
「そして、講じます」
「知らないのに、ですか」
糜芳は、答えた。
「知らぬと申して、講じます」
「……」
「そして、弟子に考えさせます」
俺は、そこで、頷いた。そして、講堂を出た。
後ろで、糜芳の声がした。
「諸君」
「祭酒は、ここで止まられた」
「十一度、止まられた」
「——」
「そして、私も、知らぬ」
〈あとがき〉
三日、誰も講堂へ入りませんでした。入れば片づけることになり、片づければ終わったことになるからです。
「祭酒は、十三年、私を一度も名で呼ばれませんでした」「では」「『還った者』と」。
「掲げられるのは、本人ですゆえ」——十七人のうち十五人が承知し、二人が断りました。壁には十五の名と、《ほかに、二名おります》。
「一人だと、その人の負け方しか教えられません」。祭酒は三人になりました。辞表を書いた人、殺すはずだった人、そして十一年前に負けた側の人です。
四角を描くのに、十一人かかりました。そして十七年で、百六十四人になりました。
「知らぬと申して、講じます。そして、弟子に考えさせます」。
《劉禅文庫 再読『ビジョナリー・カンパニー』——時計を作れ。そして、時計は一つでは足りない。一つしかなければ、狂っても誰も気付かない》
次回、第130話「袋の中を、数えた人」。




