外伝・趙雲伝 『白い馬は、六頭いた』 (〜229年)
序 変わらなかった死亡記事
史書には、こう書かれるはずだった。
《建興七年、雲卒す》
——趙雲は建興七年に死んだ。
◆
そのとおりになった。
年は、一日も動いていない。
動いたのは、史書が書かない方の数字である。
《一万四千七百十》
この数の話を、これからする。
◆
馬は、白い。
趙雲は、三十九年、白い馬にしか乗らなかった。
洒落ではない。見栄でもない。
——退くとき、兵は後ろを見る。
後ろに白い馬があれば、そこが最後尾である。
そして、最後尾がいるなら、走らなくてよい。
走らなければ、転ばない。転ばなければ、死なない。
白は、そのための色である。
第1話 長坂坡
数え始めたのは、長坂坡からである。三十九だった。
一つ目は、赤子だった。
◆
三度、敵陣へ入った。
一度目——甘夫人と、赤子。
二度目——糜夫人。
三度目——誰も連れて帰らなかった。誰かがまだいる気がして入り、見つからず、一人で戻った。
趙雲は、三度目を数えなかった。
数えたのは、連れて帰った方である。
◆
赤子について、軍中には後年まで伝説が残った。
——趙将軍の懐に入った途端、若君は泣き止まれた。
——将軍の鎧の中は、揺れぬのだ。あの乱戦でだぞ。
——いや違う、将軍の心の音が、あまりに規則正しくて、眠くなるのだ。
本人に確かめた者がいる。趙雲は、生真面目に答えた。
「泣かれては、居場所が知れます。それだけのことかと」
「……若君が、それを分かって黙っておられたと?」
「私に分かるのは、静かであったことだけです」
赤子の側の証言は、四十年後に取れた。皇帝は、こう答えている。
「覚えていません。ただ、いまでも規則正しい音を聞くと眠くなります。朝議で兵站の読み上げが始まると、特に」
兵站官は、以後、読み上げに抑揚をつけた。
◆
帰りの馬上で、甘夫人が聞いた。
「子龍どの。三度目は、誰を」
「存じませぬ。……誰かが、まだいるかと思いました」
甘夫人は、しばらく黙っていた。そして、言った。
「次からは、数えてくださいませ」
「何を、でございましょう」
「連れて帰った方を」
趙雲は、意味が分からなかった。聞き返そうとして、やめた。前を見なければならなかったからである。
そして翌年、この人は死んだ。聞けなくなった。
◆
その夜から、趙雲は数えた。
木簡に、数だけ書いた。名は、書かなかった。
——書けば、覚える。覚えれば、連れて帰れなかった方も、覚える。
第2話 名を付けない男
趙雲は、馬にも名を付けなかった。
理由は、同じである。名を付ければ、覚える。覚えれば、死んだとき、止まる。
三十九年で、白い馬は六頭になった。全部、「馬」と呼んだ。
◆
困ったのは、厩の兵である。
「おい、趙将軍の馬に飼葉を」
「どの馬だ」
「白いの」
「白いのは三頭おるぞ」
「趙将軍の白いのだ」
「だからどれだ」
業を煮やした厩番が、勝手に名を付けた。
「しろ」である。
工夫の跡が見られない名だが、実用には足りた。そして、代替わりのたびに襲名された。二代目しろ。三代目しろ。
趙雲は、知っていて、止めなかった。
——兵が付けた名は、兵のものである。自分が呼ばなければ、勘定に入らない。
そういう理屈で、この男は三十九年、しろをしろと呼ばなかった。
厩番たちは、それも知っていた。知っていて、将軍の前でだけ「馬」と呼び直した。
双方が双方に気を遣った結果、誰の得にもなっていない。
◆
趙雲の報告書にも、癖があった。
功を、書かないのである。
漢水で魏軍を追い散らした日の報告は、三行だった。
《敵、退きました》
《風向きが、良うございました》
《怪我人、少のうございます》
法正がこれを読んで、珍しく声を出して笑ったという。
「風向き。……漢水の戦を、風向きで説明した男は、古今この者だけであろう」
以後、丞相府では、手柄を過小に書くことを「風向きが良い」と呼んだ。
用例——「この報告、やけに風向きが良いな。実数を出せ」
◆
建安十七年。
孫夫人が、五つの阿斗を連れて船に乗った。
趙雲は追った。張飛と、二人である。
船上で、張飛が斬ろうとした。趙雲が腕を掴んで止めた。
理由は、後で自分でも分かった。
——ここで人を斬れば、自分の木簡が、数えられなくなる。
◆
阿斗は、自分で船を降りた。抱かれなかった。
降りる前に、孫夫人へ何か言った。聞こえなかった。孫夫人は、泣いた。
帰りの船で、趙雲は聞いた。
「若君。何を、申されました」
「わすれない、といいました」
趙雲は、返す言葉がなかった。
——五つである。五つが、忘れないと言った。
そして自分は、三十九のときに、名を書かぬと決めた男である。
◆
その夜、木簡に、初めて名を書いた。
《孫夫人——連れて帰れなかった》
三十九年分の木簡で、名は、生涯この一つである。
第3話 消える訓練
建興七年。六十二である。
趙雲は、最後の訓練を組んだ。
——自分が、途中で消える訓練である。
◆
理由は、三つあった。
一つ。指揮官が消える訓練というものが、この世にない。
二つ。自分が、間もなく消える。
三つ目は、誰にも言わなかった。
——自分がいなくても帰れるところを、見たい。
言えば、手加減される。手加減された訓練では、見えない。
◆
若い将が、百二十人集まった。王平。関平。張苞。馬謖。姜維。
趙雲の説明は、以下で全部である。
「私は、途中でいなくなる」
「……は」
「探すな」
「いなくなられて、どうすれば」
「帰れ」
「どこへ」
「漢中だ」
「道は」
「知らぬ」
以上である。
若い将たちは、この五往復を「趙将軍の全五問」と呼んで、生涯語り草にした。世で最も短い軍学の講義である。
◆
二日目の昼、趙雲は消えた。
沢の手前で馬を降り、木の陰へ入った。それだけである。
四半刻、誰も気付かなかった。
気付いたのは、王平である。
「趙将軍は」
百二十人が、止まった。探そうとした者が、十一人いた。
王平が、止めた。
「探すな、と申された」
「では、どうする」
「帰る」
「道は」
「今から、決める」
◆
趙雲は、木の陰から見ていた。
隊が、二つに割れた。戻る組と、沢を渡る組である。言い争いが起きた。姜維が地図を出し、馬謖が何か言った。
王平は、字が読めない。地図も読めない。
そして、言った。
「日が沈むまでに決めよ。決まらねば、野宿だ」
趙雲は、木の陰で頷いた。
——正しい。決まらぬときに動くのが、一番人が死ぬ。
◆
日没前に、沢と決まった。荷車を六台捨てた。
捨てる順を決めたのは、王平である。
一番目——武具。
二番目——糧の半分。
最後まで残したもの——負傷者の担架。
趙雲は、それを見て、木の陰から離れた。
見なくてよい、と思ったからである。
◆
その夜、天幕で、三十九年分の木簡を開いた。
合計を、数えた。初めてである。
数えると止めたくなる、と思っていた。そして、もう止めるからだ。
《一万四千七百九人》
長いこと、見ていた。
——多い。
そして、一つ気付いた。
——覚えている顔が、一つもない。
名を書かなかったからである。一万四千七百九人が、数になった。
趙雲は、初めて恐ろしくなった。
——自分は、何を残したのか。数である。そして、数は、人ではない。
終章 役に立たない日
訓練の翌日、趙雲は倒れた。
医官は、二日と言った。
皇帝が来た。二十二である。
趙雲は、望みを二つ言った。
一つ——葬儀で、訓練を止めるな。
二つ——翌日、同じ訓練をやれ。
皇帝は、両方受けた。そして、聞いた。
「他には」
◆
趙雲は、長いこと言葉を探した。三十九年、探したことのない種類の言葉である。
「私は」
「はい」
「役に立たない日も」
「……」
「ここにいてよかったのでしょうか」
◆
聞いた理由は、一つである。
——数しか、残っていない。一万四千七百九。そして、顔が一つもない。
役に立たなかった日の自分を、この男は知らない。三十九年、なかったからである。
◆
皇帝は、すぐに答えなかった。
代わりに、聞いた。
「叔父上。昨日、沢で最後まで捨てられなかったものは、何でしたか」
「……担架でございます」
「叔父上が、教えられたことです」
「教えておりませぬ」
「教えておられます。二十一年前、長坂坡で」
「……」
「叔父上は、三度入られました。そして、糧を一つも持って帰られませんでした」
趙雲は、動けなくなった。
覚えていない。持って帰る余裕が、なかったのである。
そして、鎧の中から、見ていた者がいた。
◆
「当然です」と皇帝は言った。
「何もしなくても、叔父上は、叔父上です」
趙雲は、そこで一つ理解した。
——数では、ない。
そして、二十年前の甘夫人の言葉が、今、分かった。
「次からは、数えてくださいませ。連れて帰った方を」
——連れて帰れなかった方を、数えるな、という意味である。
趙雲は、少し笑った。
「もっと早く」
「……」
「聞けばよかった」
◆
その夜、趙雲は眠った。
朝、目を覚まさなかった。
◆
遺品の木簡は、数が並び、名は一つだけだった。
《孫夫人——連れて帰れなかった》
そして、最後の頁に、前日の震えた字で、一行足してあった。
《一万四千七百十》
一つ、増えている。
訓練の日、誰も連れて帰っていない。
皇帝は、それを見て、意味が分かった。
——自分である。
三十九年、人を連れて帰り続けた男が、最後の日、自分を勘定に入れた。
帰れる百二十人を見て、ようやく、自分も帰ってよいと思ったのである。
◆
翌日、同じ訓練が行われた。趙雲は、いない。
そして、前日より早く、全員が帰った。
◆
白い馬は、訓練場の端に繋がれた。六代目しろである。
誰も、乗らなかった。
——後ろに白い馬があれば、そこが最後尾である。最後尾がいるなら、走らなくてよい。
馬は、十九年生きた。訓練のたびに、端に繋がれた。
厩番は代替わりしても、飼葉の注文書の宛名だけは、変えなかった。
《趙将軍の馬》
名で呼ばれなかった馬が、最後まで、その人の馬だった。




