↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第七部 北伐——取ったものを、手放す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
123/174

外伝・趙雲伝 『白い馬は、六頭いた』 (〜229年)


   序 変わらなかった死亡記事


史書には、こう書かれるはずだった。


《建興七年、雲卒す》


——趙雲(ちょううん)は建興七年に死んだ。


    ◆


そのとおりになった。


年は、一日も動いていない。


動いたのは、史書が書かない方の数字である。


《一万四千七百十》


この数の話を、これからする。


    ◆


馬は、白い。


趙雲は、三十九年、白い馬にしか乗らなかった。


洒落ではない。見栄でもない。


——退くとき、兵は後ろを見る。


後ろに白い馬があれば、そこが最後尾である。


そして、最後尾がいるなら、走らなくてよい。


走らなければ、転ばない。転ばなければ、死なない。


白は、そのための色である。


   第1話 長坂坡


数え始めたのは、長坂坡からである。三十九だった。


一つ目は、赤子だった。


    ◆


三度、敵陣へ入った。


一度目——甘夫人と、赤子。


二度目——糜夫人。


三度目——誰も連れて帰らなかった。誰かがまだいる気がして入り、見つからず、一人で戻った。


趙雲は、三度目を数えなかった。


数えたのは、連れて帰った方である。


    ◆


赤子について、軍中には後年まで伝説が残った。


——趙将軍の懐に入った途端、若君は泣き止まれた。


——将軍の鎧の中は、揺れぬのだ。あの乱戦でだぞ。


——いや違う、将軍の心の音が、あまりに規則正しくて、眠くなるのだ。


本人に確かめた者がいる。趙雲は、生真面目に答えた。


「泣かれては、居場所が知れます。それだけのことかと」


「……若君が、それを分かって黙っておられたと?」


「私に分かるのは、静かであったことだけです」


赤子の側の証言は、四十年後に取れた。皇帝は、こう答えている。


「覚えていません。ただ、いまでも規則正しい音を聞くと眠くなります。朝議で兵站の読み上げが始まると、特に」


兵站官は、以後、読み上げに抑揚をつけた。


    ◆


帰りの馬上で、甘夫人が聞いた。


「子龍どの。三度目は、誰を」


「存じませぬ。……誰かが、まだいるかと思いました」


甘夫人は、しばらく黙っていた。そして、言った。


「次からは、数えてくださいませ」


「何を、でございましょう」


「連れて帰った方を」


趙雲は、意味が分からなかった。聞き返そうとして、やめた。前を見なければならなかったからである。


そして翌年、この人は死んだ。聞けなくなった。


    ◆


その夜から、趙雲は数えた。


木簡に、数だけ書いた。名は、書かなかった。


——書けば、覚える。覚えれば、連れて帰れなかった方も、覚える。


   第2話 名を付けない男


趙雲は、馬にも名を付けなかった。


理由は、同じである。名を付ければ、覚える。覚えれば、死んだとき、止まる。


三十九年で、白い馬は六頭になった。全部、「馬」と呼んだ。


    ◆


困ったのは、厩の兵である。


「おい、趙将軍の馬に飼葉を」


「どの馬だ」


「白いの」


「白いのは三頭おるぞ」


「趙将軍の白いのだ」


「だからどれだ」


業を煮やした厩番が、勝手に名を付けた。


「しろ」である。


工夫の跡が見られない名だが、実用には足りた。そして、代替わりのたびに襲名された。二代目しろ。三代目しろ。


趙雲は、知っていて、止めなかった。


——兵が付けた名は、兵のものである。自分が呼ばなければ、勘定に入らない。


そういう理屈で、この男は三十九年、しろをしろと呼ばなかった。


厩番たちは、それも知っていた。知っていて、将軍の前でだけ「馬」と呼び直した。


双方が双方に気を遣った結果、誰の得にもなっていない。


    ◆


趙雲の報告書にも、癖があった。


功を、書かないのである。


漢水で魏軍を追い散らした日の報告は、三行だった。


《敵、退きました》


《風向きが、良うございました》


《怪我人、少のうございます》


法正(ほうせい)がこれを読んで、珍しく声を出して笑ったという。


「風向き。……漢水の戦を、風向きで説明した男は、古今この者だけであろう」


以後、丞相府では、手柄を過小に書くことを「風向きが良い」と呼んだ。


用例——「この報告、やけに風向きが良いな。実数を出せ」


    ◆


建安十七年。


孫夫人が、五つの阿斗を連れて船に乗った。


趙雲は追った。張飛(ちょうひ)と、二人である。


船上で、張飛が斬ろうとした。趙雲が腕を掴んで止めた。


理由は、後で自分でも分かった。


——ここで人を斬れば、自分の木簡が、数えられなくなる。


    ◆


阿斗は、自分で船を降りた。抱かれなかった。


降りる前に、孫夫人へ何か言った。聞こえなかった。孫夫人は、泣いた。


帰りの船で、趙雲は聞いた。


「若君。何を、申されました」


「わすれない、といいました」


趙雲は、返す言葉がなかった。


——五つである。五つが、忘れないと言った。


そして自分は、三十九のときに、名を書かぬと決めた男である。


    ◆


その夜、木簡に、初めて名を書いた。


《孫夫人——連れて帰れなかった》


三十九年分の木簡で、名は、生涯この一つである。


   第3話 消える訓練


建興七年。六十二である。


趙雲は、最後の訓練を組んだ。


——自分が、途中で消える訓練である。


    ◆


理由は、三つあった。


一つ。指揮官が消える訓練というものが、この世にない。


二つ。自分が、間もなく消える。


三つ目は、誰にも言わなかった。


——自分がいなくても帰れるところを、見たい。


言えば、手加減される。手加減された訓練では、見えない。


    ◆


若い将が、百二十人集まった。王平(おうへい)関平(かんぺい)。張苞。馬謖(ばしょく)姜維(きょうい)


趙雲の説明は、以下で全部である。


「私は、途中でいなくなる」


「……は」


「探すな」


「いなくなられて、どうすれば」


「帰れ」


「どこへ」


「漢中だ」


「道は」


「知らぬ」


以上である。


若い将たちは、この五往復を「趙将軍の全五問」と呼んで、生涯語り草にした。世で最も短い軍学の講義である。


    ◆


二日目の昼、趙雲は消えた。


沢の手前で馬を降り、木の陰へ入った。それだけである。


四半刻、誰も気付かなかった。


気付いたのは、王平である。


「趙将軍は」


百二十人が、止まった。探そうとした者が、十一人いた。


王平が、止めた。


「探すな、と申された」


「では、どうする」


「帰る」


「道は」


「今から、決める」


    ◆


趙雲は、木の陰から見ていた。


隊が、二つに割れた。戻る組と、沢を渡る組である。言い争いが起きた。姜維が地図を出し、馬謖が何か言った。


王平は、字が読めない。地図も読めない。


そして、言った。


「日が沈むまでに決めよ。決まらねば、野宿だ」


趙雲は、木の陰で頷いた。


——正しい。決まらぬときに動くのが、一番人が死ぬ。


    ◆


日没前に、沢と決まった。荷車を六台捨てた。


捨てる順を決めたのは、王平である。


一番目——武具。


二番目——糧の半分。


最後まで残したもの——負傷者の担架。


趙雲は、それを見て、木の陰から離れた。


見なくてよい、と思ったからである。


    ◆


その夜、天幕で、三十九年分の木簡を開いた。


合計を、数えた。初めてである。


数えると止めたくなる、と思っていた。そして、もう止めるからだ。


《一万四千七百九人》


長いこと、見ていた。


——多い。


そして、一つ気付いた。


——覚えている顔が、一つもない。


名を書かなかったからである。一万四千七百九人が、数になった。


趙雲は、初めて恐ろしくなった。


——自分は、何を残したのか。数である。そして、数は、人ではない。


   終章 役に立たない日


訓練の翌日、趙雲は倒れた。


医官は、二日と言った。


皇帝が来た。二十二である。


趙雲は、望みを二つ言った。


一つ——葬儀で、訓練を止めるな。


二つ——翌日、同じ訓練をやれ。


皇帝は、両方受けた。そして、聞いた。


「他には」


    ◆


趙雲は、長いこと言葉を探した。三十九年、探したことのない種類の言葉である。


「私は」


「はい」


「役に立たない日も」


「……」


「ここにいてよかったのでしょうか」


    ◆


聞いた理由は、一つである。


——数しか、残っていない。一万四千七百九。そして、顔が一つもない。


役に立たなかった日の自分を、この男は知らない。三十九年、なかったからである。


    ◆


皇帝は、すぐに答えなかった。


代わりに、聞いた。


「叔父上。昨日、沢で最後まで捨てられなかったものは、何でしたか」


「……担架でございます」


「叔父上が、教えられたことです」


「教えておりませぬ」


「教えておられます。二十一年前、長坂坡で」


「……」


「叔父上は、三度入られました。そして、糧を一つも持って帰られませんでした」


趙雲は、動けなくなった。


覚えていない。持って帰る余裕が、なかったのである。


そして、鎧の中から、見ていた者がいた。


    ◆


「当然です」と皇帝は言った。


「何もしなくても、叔父上は、叔父上です」


趙雲は、そこで一つ理解した。


——数では、ない。


そして、二十年前の甘夫人の言葉が、今、分かった。


「次からは、数えてくださいませ。連れて帰った方を」


——連れて帰れなかった方を、数えるな、という意味である。


趙雲は、少し笑った。


「もっと早く」


「……」


「聞けばよかった」


    ◆


その夜、趙雲は眠った。


朝、目を覚まさなかった。


    ◆


遺品の木簡は、数が並び、名は一つだけだった。


《孫夫人——連れて帰れなかった》


そして、最後の頁に、前日の震えた字で、一行足してあった。


《一万四千七百十》


一つ、増えている。


訓練の日、誰も連れて帰っていない。


皇帝は、それを見て、意味が分かった。


——自分である。


三十九年、人を連れて帰り続けた男が、最後の日、自分を勘定に入れた。


帰れる百二十人を見て、ようやく、自分も帰ってよいと思ったのである。


    ◆


翌日、同じ訓練が行われた。趙雲は、いない。


そして、前日より早く、全員が帰った。


    ◆


白い馬は、訓練場の端に繋がれた。六代目しろである。


誰も、乗らなかった。


——後ろに白い馬があれば、そこが最後尾である。最後尾がいるなら、走らなくてよい。


馬は、十九年生きた。訓練のたびに、端に繋がれた。


厩番は代替わりしても、飼葉の注文書の宛名だけは、変えなかった。


《趙将軍の馬》


名で呼ばれなかった馬が、最後まで、その人の馬だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。