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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第七部 北伐——取ったものを、手放す

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第118話 置いて行かれた男を、翌日に呼ぶ


【建興六年 春|漢中〜成都】


降った男が、一人いた。


二十六である。


そして、裏切っていなかった。


    ◆


建興(けんこう)六年の春。街亭(がいてい)の前である。


天水(てんすい)・南安・安定の三郡が、一つずつ降った。戦わずに、である。


報告は、十日ごとに来た。三通目に、一行あった。諸葛亮(しょかつりょう)の字である。様式の外に、書いてある。


《一人、使える者がおりました》


俺は、そこで、少し驚いた。


二十年で、初めてである。この人が、報告に人を書いてきた。数ではなく、名を、である。


二十年、この人の報告は、数と日付でできていた。そして、人を書くときは、必ず職掌の話だった。


「使える」という言い方を、この人は、めったにしない。


詳報は、七日後に来た。


天水の太守(たいしゅ)は、馬遵(ばじゅん)という。そして、蜀が来たと聞いて、城を出た。上邽(じょうけい)へ、逃げた。夜である。


そして、部下を連れていかなかった。


連れていかれなかった者が、四人いた。


功曹(こうそう)・梁緒(りょうしょ)。主簿(しゅぼ)・尹賞(いんしょう)。主記(しゅき)・梁虔(りょうけん)。そして、参軍(さんぐん)・姜維(きょうい)。


四人は、翌朝、上邽へ向かった。そして、城門が開かなかった。


次に、冀城(きじょう)へ向かった。姜維の生まれた城である。そして、そこも開かなかった。


俺は、その二行を、長いこと見ていた。


二度、閉められた。裏切ったのではない。閉められたのである。


報告に、続きがあった。


《四人、三日野に臥す》


《そののち、降る》


《降るに際し、一人が申しました》


《「母が、冀城におります」》


俺は、そこで、竹簡(ちくかん)を置いた。


母が、城の中にいる。そして、門が閉まった。


十三年前、馬超(ばちょう)に同じことが起きた。冀城である。同じ城だ。そして、あのとき、この人は妻と子を失った。


俺は、返書を書いた。三行である。


《名簿へ、載せてください》


《捕虜処遇規定、八項に拠ります》


《将校も、名簿に記載する》


八年前、俺が足した項である。于禁(うきん)が、一年半載っていなかった。そして、「名簿に載せてくれ」と言った。


返書は、十二日で来た。


《載せました》


《四名》


《一人が、自分で書きました》


添えてあった。写しである。そして、字が端正だった。


《姜維 字は伯約》


《天水郡冀県の出》


《年、二十六》


《降伏の日——建興六年、二月》


《率いていた者——なし》


俺は、最後の一行で、手が止まった。


なし。参軍である。兵を率いていない。


そして、欄外に、一行書き足してあった。姜維の字である。


《上に、三十人おりました》


俺は、その一行を、長いこと見ていた。


書かなくてよいことである。様式に、欄がない。そして、書いた。


八年前、于禁は「率いていた者、三万」と書いた。そして、この人は「上に、三十人」と書いた。


同じ欄の、逆側である。


    ◆


諸葛亮は、翌日、この人を呼んだ。理由を、後に聞いた。


六年後である。五丈原(ごじょうげん)から生きて帰った年だった。


「先生」


「陛下」


「伯約どのを、翌日に呼ばれましたね」


「はい」


「なぜですか」


諸葛亮は、羽扇(うせん)を止めた。そして、こう答えた。


「三日、野に臥しておりましたゆえ」


「三日」


「はい」


「門が閉まってから、降るまでに三日でございます」


「はい」


「一日なら、恨みでございます」


「——」


「十日なら、打算でございます」


そして、こう続けた。


「三日は、迷っております」


俺は、そこで、一つ理解した。


迷った人は、考える。そして、考えた人は、理由を言える。


「先生」


「はい」


「翌日に呼ばれたのは」


諸葛亮は、答えた。


「三日待てば、四日になりますゆえ」


俺は、そこで、少し笑いそうになった。


三日迷った人を、三日待たせる。そして、六日になる。


そして、六日待った人は、たぶん、もう迷わない。決めてしまうからだ。


「何を、話されましたか」


この人は、少し考えた。そして、こう答えた。


「一つだけ、聞きました」


「何を」


「『上の三十人は、何をしておられた』と」


俺は、そこで、息を呑んだ。


欄外の一行である。書かなくてよいことだった。そして、読んでいた。


「何と、答えられましたか」


諸葛亮は、答えた。


「『存じませぬ』と」


「……」


「『会ったことがございませぬゆえ』と」


俺は、そこで、動けなくなった。


三十人。上にいる。そして、会ったことがない。


「先生」


「はい」


「それで、決められましたか」


諸葛亮は、首を振った。


「決めておりませぬ」


「では」


「もう一つ、聞きました」


「何を」


「『三十人のうち、何人が使えるか』と」


俺は、そこで、顔を上げた。


会ったことのない三十人である。答えられない。


「何と」


諸葛亮は、答えた。


「『七人』と」


俺は、そこで、竹簡を置いた。


答えた。会ったことがないのに、である。


「根拠を、聞かれましたか」


「聞きました」


「何と」


諸葛亮は、こう答えた。


「『命令が、七人からしか降りて参りませなんだ』と」


十七年前、俺は木札を六つ並べて、全員に同じ盤を見せた。指揮とは、全部を決めることではなく、全員に同じものを見せることだ、と。


今日、その裏側が分かった。


組織図は、誰が命令できるかを書いている。誰が命令しているかは、書いていない。


前世で、俺は組織図を何百枚も引いた。箱があり、線があり、名前が入っている。三十人の上役がいれば、三十の箱を描く。


そして、俺は一度も、こう数えなかった。この一月で、実際に命令を出した箱は、いくつか。


数えれば、たぶん、三十のうち七つだった。残り二十三は、箱の中に座っていた。指示を待ち、承認を回し、責任の所在を確かめていた。そして、その二十三は、組織図の上では働いていることになっている。


下から見れば、分かる。降りてくる命令の数を数えれば、生きている箱の数が出る。


数えたのは、上へ行きたい人ではない。降ってこないことに困っていた人である。


俺は、そこで、少し笑った。


三十人のうち、二十三人は、命令を出していない。職に、就いているだけである。


「先生」


「はい」


「それで、決められましたね」


諸葛亮は、頷いた。そして、こう言った。


「決めました」


そして、こう続けた。


「上を数える者は、多うございます」


「はい」


「上のうち何人が働いているかを数える者は」


「——」


「おりませぬ」


    ◆


諸葛亮は、書状を書いた。蔣琬(しょうえん)宛である。そして、こう書いた。


《姜伯約は、忠勤時事、思慮精密なり》


《其の所有を考うるに、永南・季常の諸人も及ばず》


《涼州の上士なり》


姜伯約は忠実に務め、時勢をよく見、思慮が細やかである。その持てるものを考えれば、馬良ら諸人も及ばぬ。涼州きっての人物である。


馬良(ばりょう)より上である、と書いてある。白眉の人である。そして、生きている。


俺は、馬良に見せた。四十五である。そして、この人は、白い眉を下げた。


「季常どの」


「陛下」


「不快ですか」


馬良は、答えた。


「不快ではございませぬ」


「……」


「正しゅうございます」


「なぜ、そう思われますか」


この人は、こう言った。


「私は、命じられたことを多くやります」


「はい」


「あの人は、命じられる前に、上を数えております」


俺は、そこで、一つ気付いた。


五部と言ったら、十四部作った人である。そして、それは命じられた後の話だ。


そして、この人は、それを自分で言った。


自分の限界を、正確に言える人が、この国に何人いるだろうか。


俺は、そこで、一つ足した。


「季常どの」


「はい」


「私は、命じるほうです」


「はい」


「そして、あなたは、命じられたことを十四部にされました」


「……」


「伯約どのは、まだ、命じられていません」


馬良は、少し笑った。そして、こう言った。


「では、命じられてから、分かりますな」


    ◆


姜維は、奉義将軍(ほうぎしょうぐん)になった。当陽亭侯に封じられた。降って、三月である。


評定で、反対が出た。三人である。そして、三人とも、同じことを言った。


「早うございます」


俺は、聞いた。


「何年なら、よろしいですか」


三人は、答えられなかった。


「三年ですか」


「……」


「五年ですか」


「……」


俺は、言った。


「決めておられないなら、それは反対ではありません」


広間が、静かになった。そして、一人が、こう言った。


「降人でございます」


俺は、答えた。


「王平(おうへい)どのも、降人です」


「……」


「九年前に降られました」


「——」


「そして、先月、四千二百を連れて帰られました」


反対は、記録に残った。三名の署名である。そして、理由の欄は空いていた。


俺は、そこへ一行書き足させた。


《理由——降人であるため》


「陛下」


董允(とういん)が聞いた。


「なぜ、書かせますので」


俺は、答えた。


「二十年後に、読むためです」


「……」


「そのとき、正しかったかどうかが分かります」


董允は、しばらく黙っていた。そして、こう聞いた。


「陛下」


「はい」


「三人の名も、残りますが」


俺は、答えた。


「残します」


「……」


「そして、正しかった場合は、この三人が正しかったことになります」


反対を記録するというのは、両方を残すことである。十年前、諸葛亮がそう言った。


《反対した者の名も、賛成した者の名も、同じ簿に載ります》


二十五年後。俺は、この記録を出すことになる。大将軍(たいしょうぐん)が、降人に刺された年である。


そして、同じ評定で、姜維が降人の扱いを改めろと言う。


    ◆


その夜、俺は木簡(もくかん)を出した。


《正しく呼ばれていない者》


二十三年で、三十一人である。


俺は、そこへ書こうとして——止めた。


姜維は、正しく呼ばれている。字も、出身も、書いてある。自分で書いたからだ。


代わりに、俺は別の木簡へ書いた。


《名のない者》


二十三年で、六十九人。


俺は、三行書いた。


梁緒。尹賞。梁虔。


そして、その下に。


《同じ日に、同じ門を閉められた》


俺は、そこで、筆を止めた。


四人である。そして、一人だけが名を残す。


残る三人は、同じ三日を野で過ごした。同じ門を、二度、閉められた。


そして、名が残るかどうかは、たぶん、三日目に何を考えたかで決まった。


一人だけが、欄外に一行書いた。そして、その一行を、読む人がいた。


最後に、俺は一行書いた。


《置いて行かれた者を、翌日に呼ぶ》


そして、その下に。


《三日待てば、四日になる》


十七年前、俺は馬超に同じことをした。部屋へ入って、壁を背にする人である。そして、後ろに立つ人を置いた。


効くまでに、五年かかった。


今度は、一日である。そして、効くまでに、三十五年かかることになる。


    ◆


一つだけ、やり残したことがある。母である。


冀城にいる。そして、門は閉まったままだ。


俺は、法正(ほうせい)を呼んだ。五十二である。座っている。


「孝直どの」


「陛下」


「冀城に、人を入れられますか」


この人は、少し考えた。そして、こう答えた。


「入れられます」


「では」


「そして、出せませぬ」


俺は、そこで、聞いた。


「なぜですか」


法正は、答えた。


「入るのは、商人でございます」


「はい」


「出るのは、人でございます」


「——」


「そして、人が一人減れば、魏が数えます」


俺は、そこで、諦めた。連れて来られない。


そして、俺は、代わりのことを頼んだ。


「孝直どの」


「はい」


「生きておられるかだけ、確かめてください」


この人は、頷いた。そして、四月後に、一行持ってきた。


《生きておられます》


俺は、それを姜維へ送らせなかった。


送れば、この人は帰りたくなる。そして、帰れない。


代わりに、諸葛亮へ送った。そして、この人が、どう伝えたかは、聞いていない。


後に、姜維は、母から書状を受け取ることになる。そして、こう返したという。


《良田は百頃あれど、一畝にあらず》


《但だ遠志あるのみ、当帰にあらず》


当帰という薬草がある。「当に帰るべし」と、読める。そして、この人は「帰らぬ」と返した。


二十六である。


そして、その返事を書いた日、この人はまだ、母が生きているかどうかを知らなかった。


知らせたのは、法正の四文字である。そして、それを、俺は姜維に言っていない。



〈あとがき〉


「一日なら、恨みでございます。十日なら、打算でございます。三日は、迷っております」——そして「三日待てば、四日になりますゆえ」。


《上に、三十人おりました》。様式に欄のない一行を、この人は書き、丞相はそれを読みました。八年前、于禁は「率いていた者、三万」と書いています。同じ欄の、逆側です。


「『命令が、七人からしか降りて参りませなんだ』と」——上を数える者は多く、上のうち何人が働いているかを数える者はいません。


「私は、命じられたことを多くやります。あの人は、命じられる前に、上を数えております」——白眉の人が、自分の限界を正確に言いました。


そして三人の反対理由。二十五年後に読まれます。


《劉禅文庫 再読『チーム・オブ・チームズ』——組織図は、誰が命令できるかを書く。誰が命令しているかは、書いていない。降りてくる数を数えれば、生きている箱の数が出る》


次回、第119話「軍神の退職届には、後継者の名前を書かない」。


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― 新着の感想 ―
久しく、こういう戦を見ておらぬ。 表に見えない、記録に残らない戦いを覗くことができるというのは静かに興奮しますね。
「百八十日との噂です」 こういう重要事項がすでに敵に伝わってる時点でダメでは? こちらの制度では臨機応変に動き辛いのが難点
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