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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第七部 北伐——取ったものを、手放す

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第117話 敗北を持ち帰ることも、北伐です


【建興七年|成都】


建興(けんこう)七年。西暦二二九年。


趙雲(ちょううん)が、六十二で死ぬ年である。


そして、俺は、それを知っていた。


    ◆


その年の冬、出兵が一つあった。甲種である。


陳式が率い、武都(ぶと)陰平(いんぺい)を取った。二郡。そして、返さなかった。


決裁の前、俺は一つ聞いた。


「先生」


「陛下」


「去年、隴右(ろんゆう)を返しました」


「はい」


「今度は、保てますか」


諸葛亮(しょかつりょう)は、竹簡(ちくかん)を置いた。そして、こう答えた。


「保てます」


「理由を」


漢中(かんちゅう)より、西でございます」


五年前、劉巴(りゅうは)が赤い線を引いた。漢中である。そして、武都と陰平は、線の内側だった。


劉巴が、数字を出した。七十を超えている。そして、この人が数字を出さなかった日は、二十年で一度もない。


「維持費でございます」


【武都・陰平】


人口 推定 一万八千戸

駐留兵 推定 四千

年間費用 歳入の 四%


参考

 隴右三郡 四十三%


四である。俺は、その二つを並べた。


四十三と、四。十倍を、超えている。


「子初どの」


「はい」


「なぜ、十分の一ですか」


劉巴は、答えた。


「漢中から、近うございます」


「はい」


「そして、山でございます」


「——」


「平地は、守るのに兵が要ります」


「——」


「山は、道を塞げば済みます」


広い土地のほうが、高い。隴右は、益州(えきしゅう)の三分の一あった。そして、武都と陰平は、山である。


俺は、そこで、一つ聞いた。


「子初どの」


「はい」


「山を取ると、山が減りますか」


この人は、少し黙った。そして、答えた。


「減りませぬ」


「では」


「守る側の山が、増えます」


取った山は、こちらの壁になる。そして、平地は、取っても壁にならない。


俺は、決裁書に、こう書いた。


【建興七年 出兵】


種 甲


目的 武都・陰平の占領および維持


終了条件

 占領——または、

 維持費が歳入の一割を超えた時点で撤退


評価

 五年後の維持費比率


終了条件に、数字を書いた。初めてである。


「陛下」


諸葛亮が聞いた。


「一割を超えれば、捨てますので」


「捨てます」


「……」


「去年、四十三で捨てました」


「——」


「今度は、十で捨てます」


諸葛亮は、しばらく黙っていた。そして、こう言った。


「去年は、取ってから数えました」


「はい」


「今年は、取る前に数えております」


五年後、維持費は三パーセントになった。減っている。(きょう)との交易が、通るようになったからである。


そして、三十四年後。鄧艾(とうがい)は、この陰平を越えてくる。


    ◆


そして、その春。蜀漢の朝議に、奇妙な木簡が三通提出された。


表題《前線職務離任願》。


一通目、関羽(かんう)。二通目、張飛(ちょうひ)。三通目、趙雲。


俺は、三枚を並べた。


「全員、同じ日に出す必要がありましたか」


「私が最初だ」


関羽が答える。七十である。


「雲長が出すなら、俺も出す」


張飛が続く。六十三。


「私は以前から、前線を離れております」


趙雲は静かに言った。


「正式な文書を出していなかっただけです」


趙雲叔父上。いつの間にか引退していたらしい。


だが、軍学校で教える。近衛の訓練を見る。王平(おうへい)から相談を受ける。若い将の演習へ同行する。危機が起きれば、最初に呼ばれる。


それは引退とは言わない。


「子龍叔父上」


「はい」


「これまで何度、引退したつもりでしたか」


「三度ほど」


三度。全て、失敗している。


俺は、関羽の文書を読む。


《離任理由》


《老い》


簡潔だった。次に、張飛の文書。


《離任理由》


《雲長が辞めるため》


「これは理由として認められません」


「なぜだ」


「叔父上自身の理由を書いてください」


張飛は、筆を取る。


《老い》


関羽の文書を写した。


「本当に?」


「雲長が老いなら、俺も老いだ」


「身体状態を確認します」


【張飛】


前線戦闘能力 依然高

長距離行軍耐性 低下

飲酒後回復時間 大幅延長

翌朝の記憶 低下


本人認識 全盛期と同等


「老いています」


「誰の表示を見ておる!」


本人には、見えない。


俺は、そこで、一つ聞いた。


「翼徳叔父上」


「うむ」


「石は、いくつになりましたか」


張飛は、袋を出した。そして、こう言った。


「知らぬ」


「数えていないのですか」


「——」


「重くなった」


そして、こう続けた。


「持って歩くのが、辛い」


俺は、そこで、この人の老いを、初めて数字で見た。


石の重さは、変わらない。そして、持つ人が、変わった。


    ◆


関羽は、既に前線軍権を離れ、軍学校と監察を担当している。


それでも、重要な戦略会議では、全員が関羽の顔を見る。


関羽が反対すれば、若い将は黙る。賛成すれば、それだけで決まったような空気になる。


役職を離れても、軍神という権威は残る。


「陛下」


関羽が言う。俺は皇帝になっている。それでも、関羽は二人きりの時も、朝議でも、時々、昔の呼び方へ戻る。


「はい」


「私が軍議へいることで」


「——」


「若い者が意見を変えている」


気付いていた。


「王平は言う」


関羽は続ける。


「私と異なる意見でも、最後には私へ合わせようとする」


「子均殿が?」


「あの者でさえだ」


王平は、現場を見れば、諸葛亮へも馬謖(ばしょく)へも反対できる。それでも、関羽の前では、一瞬、言葉を選ぶ。


「私が正しいからではない」


関羽は言った。


「関羽が言ったから正しいと思われる」


軍神の権威が、判断の質を下げ始めている。


そして、それを本人が言うまでに、四年かかった。俺は、その四年、気付いていて、言えなかった。


「ですから」


俺は尋ねた。


「全ての会議から退かれますか」


「いや」


即答である。


「完全には退かぬ」


張飛が、笑う。


「未練があるではないか」


「お前には言われたくない」


関羽は、文書をもう一枚出した。


《退役後職務案》


一。毎月一回、軍事評議へ出席。


二。緊急事態で、皇帝から求められた場合のみ助言。


三。軍学校で失敗事例を講義。


四。関羽本人の過去の命令書を教材として公開。


五。関平、関興を含む血族の人事へ、最終決定権を持たない。


最後の項目で、俺は関羽を見た。


「ご子息へ、軍権を継がせないのですか」


「能力があれば用いよ」


関羽は答える。


「私の子だから、私の職を与えるな」


関平(かんぺい)は、麦城から生還した。実戦経験。撤退経験。父へ反対した経験もある。十分に、優秀である。


だが、関羽の後継者という理由だけで、軍の最高位に置けば、新しい英雄依存が生まれる。


そして、四番目である。


「叔父上」


「うむ」


「四番目は、辛くありませんか」


関羽は、答えた。


「辛い」


「では、なぜ」


この人は、こう言った。


「私の勝った命令書は、既に皆が読んでおる」


「はい」


「——」


「負けた命令書は、私しか持っておらぬ」


    ◆


張飛の顔が、少し曇った。


「張苞もか」


「同じです」


俺は答えた。


「張苞殿が、翼徳叔父上の職を自動的に継ぐことはありません」


「俺の息子だぞ」


「だからです」


「強いぞ」


「知っています」


「酒も」


「そこは継がせないでください」


張飛は、黙った。


張苞(ちょうほう)は、父ほど短気ではない。武勇もある。兵からも慕われている。しかし、それだけで国家軍の最高指揮官にはできない。


「では」


張飛は言った。


「俺が辞めた後、誰が俺になる」


「誰もなりません」


張飛が、目を見開く。


「俺の代わりがいないのか!」


「叔父上を、一人で代わろうとしません」


張飛が持っていた役割を、分ける。


前線突破——魏延(ぎえん)。防御と撤退——王平。兵士訓練——劉封(りゅうほう)。騎兵——張苞。危機対応——関平。軍規監察——複数の文官。


一人の張飛を、五人へ分ける。


関羽も、同じ。軍略。教育。外交。監察。兵站。旗。


一人の英雄へ集まっていたものを、役割ごとに渡す。


「私の後継者は」


関羽が言った。


「一人ではないのだな」


「はい」


俺は答える。


「それでこそ、叔父上を超えられます」


一人が、関羽の武力も、統率も、忠義も、威圧も、全て持つ可能性は低い。だが、組織全体なら、関羽一人より強くなれる。


「では」


張飛が尋ねる。


「俺の後継者も一人ではない?」


「はい」


「酒を飲む役は」


「不要です」


「重要だぞ」


「不要です」


三度言えば、諦めた。十九年前、母が同じ方法を使った。そして、俺は、それを二十年、使い続けている。


    ◆


趙雲は、自分の退役後職務案を持っていなかった。


「子龍叔父上」


「はい」


「退役後、何をしたいですか」


父の最後の命令である。


《自分の望みも、阿斗へ言え》


趙雲は、以前、若い兵へ撤退を教えたいと答えた。それは、実現した。今、もう一度尋ねる。


「何をしたいですか」


趙雲は、長く考えた。


「最後の訓練を」


「最後?」


「指揮官不在訓練です」


趙雲が、説明する。


演習開始後、最高指揮官を突然、場から外す。次の者も。その次も。部隊が、誰か一人を待たずに動けるか確認する。


「私がいなくなった後に」


趙雲は言った。


「本当に動けるか、見たいのです」


冗談では、なかった。


【趙雲】


長距離行軍 困難

呼吸機能 低下

心拍 不規則

関節痛 持続


生命危険度 黄


本人認識 十分働ける


また、本人認識だけが間違っている。


俺は、そこで、聞かなかった。聞けば、この人は「問題ありません」と答える。二十年、そうだった。


    ◆


俺は、三人の退役願を受理した。関羽。張飛。趙雲。前線常任職から、離れる。


ただし、仕事を完全になくさない。相談。教育。記録。次世代の評価。退役後の役割も、明文化する。


【英雄退役制度】


第一段階 前線常任職から離脱

第二段階 教育・監察・助言

第三段階 緊急時のみ参加

第四段階 完全休養


禁止事項


 ・元職への無期限復帰

 ・血族への自動継承

 ・本人の善意による常時出勤

 ・「少し見るだけ」と称する執務


最後の禁止事項で、三人が俺を見た。


「誰のための文言ですか」


趙雲が尋ねる。


「全員です」


特に、趙雲叔父上である。


関羽は、自分の軍旗を持ってきた。麦城(ばくじょう)で一度下ろし、俺へ預け、その後、軍学校の講堂へ置いていた旗である。十年、そこにある。


「陛下」


今度は、正式な呼び方だった。


「この旗を」


関羽は言った。


「特定の将へ渡さないでください」


「では」


「軍学校へ残す」


勝利の旗では、ない。撤退した旗。下ろされた旗。再び掲げられなかった旗。


「旗を掲げる者より」


関羽は続けた。


「下ろす時を決められる者を育ててください」


俺は、受け取った。


軍神が、自分の後継者を指名しなかった。代わりに、自分がいなくても判断できる者たちを、国へ残そうとしていた。


    ◆


三通の離任願を、俺は受けた。そして、三通とも、後継者の名が書いていない。


「令先どの」


「陛下」


郤正(げきせい)である。二十六。そして、この人が文書の様式を作るようになって、三年になる。


「退職届の様式を、作ります」


「はい」


「一つ、欄を入れないでください」


「何を、でございましょう」


俺は、答えた。


「後継者の名です」


郤正は、筆を止めた。そして、こう聞いた。


「書かせぬのですか」


「はい」


「——」


「書かせれば、その人が後を継ぎます」


「そして、他の者が、育ちません」


【離任願 様式】


一 離任の理由

二 引き継ぐべき職務

三 引き継ぎに要する期間

四 残す文書の一覧


備考

 後継者の名を書く欄は、設けません。


備考を書いたのは、俺である。そして、郤正が、一つ聞いた。


「陛下」


「はい」


「では、誰が決めますので」


俺は、答えた。


「残った人が、決めます」


「……」


「そして、決めるまでに、時がかかります」


「——」


「その時が、要ります」


前世で、俺は偉大な会社の長の条件を読んだ。強い意志と、自分の話をしないこと。そして、もう一つ、当時の俺が軽く見ていた条件があった。


その人がいなくなった後に、会社が良くなっているかどうか。


いる間に良くするのは、まだ易しい。難しいのは、いなくなった後である。そして、その本には、名を上げた長の多くが、後の代を悪くしていたとも書いてあった。


理由は、たぶん、二つある。


一つ。強い長は、自分より強い人を作れない。作れば、いる間に自分の役目が減る。


もう一つ。指名するからである。


指名すれば、その日から、指名された人以外は育たなくなる。育つ理由が、消えるからだ。そして、指名された人も、育たない。もう決まっているものを、人は取りに行かない。


十年前、俺は「二人目を作る」と書いて、名前の欄を空けたままにした。書けなかったからである。


今日、この人は、書かないと決めた。書けないのではなく、書かない。


空けておく、というのは、こういうことだった。


三人とも、書かなかった。そして、三人とも、理由が違った。


趙雲は、訓練を残した。翼徳叔父上は、数を残した。


そして、関羽は、旗を残した。掲げられない旗である。



〈あとがき〉


「山を取ると、山が減りますか」「減りませぬ。守る側の山が、増えます」。そして三十四年後、鄧艾はこの陰平を越えてきます。


「石は、いくつになりましたか」「知らぬ。重くなった。持って歩くのが、辛い」——石の重さは変わりません。持つ人が、変わりました。


「私の勝った命令書は、既に皆が読んでおる。負けた命令書は、私しか持っておらぬ」。


そして「後継者の名を書く欄は、設けません」「では、誰が決めますので」「残った人が、決めます。そして、決めるまでに、時がかかります。——その時が、要ります」。


《劉禅文庫 再読『ビジョナリー・カンパニー2』——指名すれば、その日から、指名された人以外は育たない。そして、指名された人も育たない》


次回、趙雲の最後の撤退訓練です。


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