↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第七部 北伐——取ったものを、手放す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
113/174

第111話 街亭では、地図より井戸が偉い


【建興六年 春|成都(街亭の報)】


北伐の目的を、軍は知らなかった。


決裁書に、書いていないからである。


そして、書かせなかったのは、俺だ。


    ◆


出陣の前、馬謖(ばしょく)に一つ聞かれた。三十八である。


「陛下」


「幼常どの」


「今度の戦は、どこまで参りますので」


俺は、答えられなかった。


隴右(ろんゆう)である。そして、それを言えない。漏れるからだ。


魏の間者は、成都にもいる。法正(ほうせい)が、去年、四人捕らえた。そして、四人とも、処刑していない。泳がせている。


だから、口に出せることが、減った。


俺は、代わりに、こう言った。


丞相(じょうしょう)の命に、従ってください」


馬謖は、拝礼した。そして、何も聞かなかった。


後に、俺はそれを悔やむことになる。


どこまで行くかを知らぬ者は、止まる場所を、自分で決める。


    ◆


建興(けんこう)六年。西暦二二八年。第一次北伐は、予想以上に順調な始まりを見せた。


諸葛亮(しょかつりょう)は、趙雲(ちょううん)と鄧芝へ兵の一部を預け、箕谷へ向かわせた。魏軍に対し、こう思わせるための陽動である。


《蜀の主力は、褒斜道から郿へ進む》


趙雲の名は、大きい。白馬。長坂坡(ちょうはんは)。蜀の近衛将軍。魏軍が警戒するには、十分だった。


そして、この人は、五十九である。


俺は、出発の前に一つだけ聞いた。


「子龍」


「陛下」


「陽動です」


「存じております」


「敵は、来ます」


「はい」


「そして、勝たなくてよいです」


趙雲は、少し笑った。そして、こう言った。


「二十年、そればかりでございます」


一方、諸葛亮自身は主力を率い、祁山へ進んだ。魏は、驚いた。


蜀軍は山国へ閉じこもり、防御するだけ。曹丕(そうひ)曹叡(そうえい)も、そう考えていた。


だが、蜀軍は、想定より多い兵を、想定より速く、統制された補給線と共に、隴右へ出現した。


南安。天水。安定。三郡が、動揺する。


魏の地方官は逃げ、豪族は蜀への帰順を検討し、住民の一部は漢の旗を迎えた。


成都へ届いた最初の報告書には、こう書かれていた。


【第一次北伐】


開始後二十日


南安郡 蜀へ呼応

天水郡 一部蜀へ呼応

安定郡 一部蜀へ呼応


現地豪族支持 上昇

魏軍混乱 高


北伐初期達成率 128%


また、百を超えている。


俺は、その数字を見て、喜べなかった。


関羽(かんう)が樊城で勝ちすぎたとき。百四十三だった。犍為(けんい)郡が表彰されたとき。百三十一だった。そして、二千四百戸が消えた。


成功率が上がるほど、人は、自分の判断が正しかったと確信する。そして、安全条件を軽視する。


俺は、蔣琬(しょうえん)を呼んだ。


「公琰どの」


「陛下」


「百を超えた数字を、並べてください」


「……何と、でございましょう」


「過去、達成率が百を超えた件です」


蔣琬は、二日で持ってきた。七件あった。


そして、そのうち五件で、その後、人が死んでいた。


    ◆


諸葛亮から届いた週報にも、普段と違う文章があった。


《魏軍の対応は遅い》


《隴右の民心は、想定以上に漢へ傾いている》


《この機会を逃すべきではない》


正しい。そして、同時に、危険な文章だった。


十九年、この人の報告に、「逃すべきではない」という言い方が出たのは、初めてである。


俺は、その一行に、印をつけた。そして、返書を書いた。


《先生へ》


《決裁書には、期限が書いてあります》


《百二十日です》


《今日で、二十日です》


返事は、来なかった。


代わりに、董允(とういん)が来た。侍中である。三十八になった。


「陛下」


「休昭どの」


「申し上げます」


「はい」


「陛下は、いま、何を心配しておられますか」


俺は、そこで、少し詰まった。


街亭である。そして、それは言えない。


「勝ちすぎることです」


「はい」


「そして、それは、丞相に伝わっておりません」


俺は、顔を上げた。


「……なぜ、分かりますか」


董允は、答えた。


「返書を、拝見いたしました」


「はい」


「四行でございます」


「はい」


「そして、四行とも、日数でございました」


俺は、そこで、動きを止めた。


日数だけを、書いた。理由は、書いていない。


「休昭どの」


「はい」


「何を、書けばよかったですか」


この人は、答えた。


「……分かりませぬ」


【解決策を持たない】である。そして、こう続けた。


「ただ、日数を四つ並べれば、督促でございます」


「はい」


「——」


「督促は、読んだ者を、急がせます」


俺は、そこで、二通目を書いた。


《先生へ》


《先の書状は、急かすつもりで書いたのではありません》


《百二十日という数字を、私が覚えているという意味です》


《そして、私は、二十日目に一度、それを申し上げました》


三行である。そして、これも、返事は来なかった。


来ないことが、答えだったのだろう。


    ◆


魏の皇帝・曹叡は、すぐに動いた。大将軍・曹真。将軍・張郃。関中方面の兵を、集める。


蜀軍が隴右を支配するには、関中から来る魏軍を止めなければならない。その要所が、街亭(がいてい)だった。


街亭を失えば、祁山へ進んだ蜀軍と、漢中をつなぐ道が脅かされる。


現地へ派遣された指揮官は、馬謖と王平(おうへい)。俺が定めた、共同指揮体制である。


馬謖——全体作戦。敵心理。周辺部隊との連絡。


王平——陣地。水。食料。退路。地形に関する最終判断。


街亭へ到着した馬謖は、最初に山を見た。


街道の南。高い丘。周囲を広く見渡せる。敵の動きが分かる。上から攻め下れば有利。


兵法書にも、こう書かれている。


《高きを占め、低きを制す》


「ここへ陣を置く」


馬謖が言った。


王平は、山ではなく、麓を見ていた。井戸。川。街道。村。荷車が通れる幅。


この人は、着いてから半刻、地面しか見ていない。


「なりません」


王平が答えた。馬謖の顔が、険しくなる。


「理由は」


「水がありません」


「山麓から運べばよい」


「敵が街道を押さえます」


「その前に、高所から破る」


「兵は、水なしで何日戦えます」


馬謖は、山を指す。


「張郃軍が来るまでに、陣地を作る」


「陣地を作る兵も、水を飲みます」


王平は、兵法書を多く読んでいない。地図に細かな文字を書くこともできない。


だが、兵士が一日に必要とする水量を知っている。馬が何度水を飲むかも。夏の坂を、鎧を着た兵が登ったとき、どれほど喉が渇くかも。


この人は、それを兵として経験した。四十年、荷を担いで坂を登る側にいた。


「平地へ陣を置けば」


馬謖が言った。


「敵騎兵へ踏み潰される」


「柵を作ります」


「山から敵を見下ろせぬ」


「斥候を置きます」


「敵に包囲される」


「山は、水を断たれます」


二人の意見は、平行線だった。


共同指揮制度では、地形判断は王平である。本来なら、麓へ陣を置くべきだった。


しかし、馬謖は言った。


「これは、地形だけの問題ではない」


王平の眉が、動く。


「街亭を守るだけでは足りぬ」


「——」


「張郃軍を破り」


「隴右の諸郡へ、蜀軍の強さを示す必要がある」


確かに、作戦全体は、馬謖の担当だった。守るだけか、敵軍を破るか。それは、地形だけの判断ではない。


制度の境界に、隙間がある。


そして、隙間は、いつも、両方の担当者が同時に正しいときに開く。


    ◆


「高所を使えば」


馬謖は続けた。


「張郃は攻め上がらなければならない」


「敵が攻めなければ」


王平が問う。


「我らの水が尽きるのを待つだけです」


「張郃ほどの将が、我らを放置するか」


「します」


王平は、即答した。


「勝てるなら」


馬謖の顔が、硬くなる。


王平の言葉は、馬謖の作戦へ反対しているだけではない。張郃の方が、馬謖より状況を正しく判断すると言っているように聞こえる。


自尊心、九十七。諸葛亮の期待へ応えたい。独立指揮の機会。初めての大任。


馬謖は、ここで王平へ従えば、自分が指揮官ではないと示すように感じた。


「兵を分ける」


馬謖が決めた。


「主力は山へ」


「王平殿は麓に陣を置き、街道と水を確保せよ」


妥協のように、見える。だが、主力は山である。王平の部隊は五千。馬謖側は一万五千。


地形判断を王平へ任せるという決定を、実質的に無視している。


「諸葛丞相へ確認を」


王平が求めた。


「魏軍は近い」


「早馬なら」


「返事を待つ間に、陣地構築が遅れる」


緊急時、現地指揮官は、本国の承認を待たず決定できる。必要な制度である。


そして、例外規定は、自分の判断を通すためにも使える。


十九年、俺は例外規定を書いてきた。そして、例外を使う人は、たいてい、いちばん急いでいない人である。


王平は、もう一度、山を見た。


「私は反対です」


「記録せよ」


馬謖が答える。


「しかし、命令には従ってもらう」


「地形判断は、私の責任です」


「全体作戦は、私の責任だ」


どちらも、制度上の言葉を使っている。役割の境界が、逆に争いの武器になっていた。


    ◆


王平は、最終的に山へ行かなかった。


「麓の水場を守ります」


「命令違反と記録するぞ」


「構いません」


「王平殿」


「街亭を守るために」


王平は言った。


「井戸を守ります」


二十年前、俺は工場を止めた。全員を百パーセント働かせようとして、いちばん弱い工程で全部が詰まった。


あのとき覚えたのは、二つだった。全体の速さは、いちばん弱い工程で決まる。そして、どこが弱いかは、数字を見ても分からない。


今日、三つ目を覚えた。


弱いところは、たいてい、図面に描かれていない。


工程表には、機械が描いてある。人と、時間と、順番が描いてある。詰まっていたのは、そのどれでもなかった。二つの棟の間の、屋根のない通路である。雨の日だけ、そこで全部が止まっていた。


図面には、通路は描いてある。屋根の有無は、描いていない。


描く欄が、なかったからだ。


地図には、山が描いてある。道が描いてある。城が描いてある。そして、井戸は描いていない。


井戸は、地形ではないからである。そして、井戸がなければ、五千人は三日で終わる。


守るべきものは、地図の上にはない。地図に描く欄がなかったものの中に、いつもある。


後に、俺はこの一行を、何度も読み返すことになる。


街亭を守るために、井戸を守る。そして、地図には、井戸が描いていない。


後に、王平は、こう報告した。


《幼常どのの申されたことは、書に合うております》


《そして、井戸は、書に載っておりませぬ》


《載っておらぬものは、見に行かねば分かりませぬ》


そして、こう続けてあった。


《私は、書が読めませぬゆえ、見に参りました》


王平の兵は、五千である。そして、山へ登らないと決まったとき、二人が逃げた。記録に、残っている。


《逃亡 二名》


そして、王平は、追わせなかった。副将が聞いた。


「捕らえますか」


王平は、答えた。


「よい」


「軍法では」


「——」


「山へ登らぬ将の下におるほうが、恐ろしいのだろう」


そして、こう付け足した。


「戻ってくれば、入れる」


二人は、三日後に戻ってきた。そして、水場の守りに入った。


後に、この二人のうち一人が、王平の伝令になる。


【街亭共同指揮】


馬謖 主力一万五千 山上へ配置

王平 兵五千    街道・水場へ配置


意見不一致 未解消


指揮統一度 91% → 43%

街亭敗北危険度 39% → 67%


制度は、完全には機能しなかった。


だが、王平が全軍を山へ上げなかったことで、史実とは違う配置になった。


史実では、この人は「数度諫めた」とだけ記録に残っている。そして、千人を率いて、退いた。


今回は、五千である。そして、水場を持っている。


張郃軍が、到着した。敵将は、山上の馬謖軍を見た。次に、麓の王平軍。井戸。街道。物資。全てを、見た。


「山へ登る必要はない」


張郃は言った。馬謖の予測とは、反対の判断だった。


魏軍は、王平の麓陣へ正面攻撃をかけず、山と水場の間へ、騎兵を進めた。



〈あとがき〉


「今度の戦は、どこまで参りますので」——答えられませんでした。決裁書に書いていないからです。「どこまで行くかを知らぬ者は、止まる場所を、自分で決める」。


達成率128%。過去、百を超えた七件のうち、五件で、その後、人が死んでいます。


「街亭を守るために、井戸を守ります」。そして、地図には井戸が描いていません。


「役割の境界が、逆に争いの武器になっていた」——制度の隙間は、両方の担当者が同時に正しいときに開きます。


《劉禅文庫 再読『The Goal』——全体の速さは、いちばん弱い工程で決まる。そして弱いところは、たいてい図面に描かれていない。描く欄が、なかったからである》


次回、王平が、読めない命令書を守ります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。