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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第七部 北伐——取ったものを、手放す

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第112話 王平は、読めない命令書を守った


【建興六年 春|成都(街亭の報)】


張郃は、馬謖の軍へ攻め上がらなかった。


山を包囲する。水場を押さえる。山麓へ向かう道に弓兵を置く。荷車を焼く。補給兵を捕らえる。


そして、待った。


    ◆


馬謖(ばしょく)は、山の上から魏軍を見下ろしていた。


敵の配置。旗。騎兵。弓兵。全てが、よく見える。


兵法上、高所は有利である。だが、見えることと、攻撃できることは、違う。


「敵は、なぜ登ってこない」


若い将が尋ねる。馬謖は、答えなかった。


山上の井戸。ない。泉。小さなものが、一つ。兵一万五千と馬へ、水を供給できる量ではない。


初日は、持ち込んだ水があった。二日目、配給量を減らした。三日目、馬へ与える水を減らした。四日目、兵士の唇が割れ始めた。


【馬謖軍】


兵力 一万五千


飲料水備蓄

 作戦開始時 三日分

 現在    半日分


兵士疲労 71

脱水症状 中

馬匹能力 低下


馬謖

 自己評価 97 → 82

 失敗認識 12 → 47


まだ、失敗と認めきれていない。四十七である。半分より、少し下だ。


    ◆


王平(おうへい)は、麓の水場を守っていた。兵、五千。魏軍より、はるかに少ない。張郃軍が本気で攻めれば、長くは持たない。


だが、王平は、軍を大きく見せた。


夜、陣の数を増やす。複数の場所で太鼓を鳴らす。火を広い範囲へ置く。旗を何度も移動させる。兵士を少数ずつ動かし、大軍が交代しているように見せる。


読み書きは、不得意である。だが、音。火。地面。兵の動き。全てを使って、報告する。


そして、この人がやっているのは、報告ではない。嘘である。


そして、嘘をつく相手は、敵だけだった。


張郃は、王平陣へ軽率に攻め込まなかった。


「蜀の援軍がいる可能性がある」


魏軍の副将が言う。


「兵数は少ない」


「少ないように見せているかもしれぬ」


王平の、自己宣伝二。普段は、目立たない。そして、戦場では、存在しない兵まで大きく見せる。


九年前、俺はこの人の欄を見て、こう思った。


《自己宣伝二。この人は、自分を売り込まない》


売り込まないのではない。売り込む先を、間違えないだけである。


そして、箕谷である。同じ月、趙雲(ちょううん)は、曹真(そうしん)の主力と向かい合っていた。兵は、少ない。陽動だからである。


そして、この人は、負けた。報告は、こう来た。


《箕谷、利あらず》


《退く》


《輜重、焼き了る》


《兵、散らさず》


四行である。そして、四行目が、いちばん大事だった。


負けた。退いた。荷は自分で焼いた。そして、兵は、ばらばらにならなかった。


龐統(ほうとう)が、同じ軍にいた。作戦評価担当である。兜を被っている。そして、この人の報告は、一行だった。


《子龍どのは、退くのが上手うございます》


十九年、この男の報告で、褒め言葉を読んだのは、初めてである。


そして、その一行の下に、こう書いてあった。


《ゆえに、誰も功と申しませぬ》


    ◆


王平は、馬謖へ使者を送った。口頭で、伝える。


《夜間に小部隊で山を下りよ》


《王平軍が太鼓と攻撃で敵を引き付ける》


《全軍一斉ではなく、五百人ずつ》


《水場へ到達後、街道沿いに陣を組み直す》


書状も、作った。


王平本人は、多くの文字を書けない。部下へ話し、書記が記録する。そして、王平は最後に、自分の印を押した。


印を押す前に、この人は、書記に読み上げさせた。一度ではない。三度である。


読めない人が、書いたものを確かめる方法は、それしかない。


使者が、山上へ到着した。馬謖は、書状を読む。


「夜の下山?」


「はい」


「敵に背を向ける」


「王平将軍が援護します」


「五百人ずつでは、部隊が分断される」


「水が尽きます」


使者は言った。


「王平将軍は、今夜が最後だと」


馬謖の周囲には、若い将や参謀がいる。彼らも、喉が渇いている。だが、誰も、馬謖へ撤退を強く求めない。


馬謖は、諸葛亮が高く評価した人物である。皇帝から、作戦責任者に任命された。理論も弁舌も、優れる。


「王平殿は」


一人の参謀が言った。


「文字も十分に読めぬ男です」


馬謖の目が、動く。


「その者が、幼常様の策を否定するなど」


甘い言葉である。そして、危険な言葉だった。


王平が文字を読めないことと、水がないことは、関係がない。そして、関係のない一言のほうが、いつも、よく効く。


「敵は」


別の参謀が言う。


「我らが水不足と考え、油断しています」


「夜襲すれば」


勝てる。その可能性も、ある。


馬謖は、地図を見る。山上から攻め下る。敵の包囲線を一点突破。王平軍と合流。


理論上は、成立する。


「夜襲を行う」


馬謖が決めた。使者が、顔を上げる。


「王平将軍の案は」


「結果は同じだ」


山を下り、王平と合流する。ただし、五百人ずつ隠れて下りるのではない。主力で、敵を破る。


「王平殿へ伝えよ」


「子の刻に太鼓を鳴らし、魏軍を引き付けよ」


「我らが上から攻める」


使者は、戻った。王平は、命令を聞き、しばらく地面を見た。


「山上の兵は」


「一万を超えます」


「狭い坂を、一度に下りれば」


隊列が、伸びる。前方が止まれば、後方が詰まる。夜。渇き。疲労。混乱。


「太鼓は鳴らす」


王平が言った。


「ただし」


自分の兵を、敵陣へ突撃させない。張郃を攻撃するふりをして、騎兵を水場から引き離す。同時に、山から下りてくる馬謖軍の退路を確保する。


「命令違反では」


副将が尋ねる。王平は、答えた。


「太鼓を鳴らせと書いてある」


「攻めろとは」


王平は、書状を見た。文字を読むのは、遅い。指で、一字ずつ追う。そして、この人は、二度追った。


「ここに書いてあるか」


「敵を引き付けよ、と」


「引き付ける」


「——」


「攻めるとは書いていない」


命令を、文字どおり守る。同時に、兵を無駄な突撃へ出さない。


王平も、制度を自分の判断へ利用している。ただし、目的は、馬謖の面子ではない。兵の生存だった。


そして、この人が文字を一字ずつ追ったのは、十字教練を作った九年前からである。


読める人は、速く読む。速く読む人は、書いていないことを、書いてあると思う。


一字ずつ追う人だけが、書いていないことに気付く。


    ◆


子の刻。王平軍の太鼓が、鳴った。一つ。二つ。十。二十。


魏軍は、蜀の援軍が動いたと考える。一部の騎兵が、水場から西へ移動。


山上で、馬謖が剣を上げた。


「下るぞ!」


一万を超える兵が、暗い斜面を下り始めた。


最初は、静かだった。次に、一人が転ぶ。後ろの兵がぶつかる。馬が足を滑らせる。鎧の音。叫び。松明。


魏軍の弓兵が、斜面へ矢を放つ。馬謖軍の隊列が、崩れた。


「止まるな!」


馬謖が叫ぶ。


だが、前へ進む者。上へ戻ろうとする者。負傷者を助ける者。水場へ走る者。命令が、届かない。


四十年前、涿郡(たくぐん)で、張飛(ちょうひ)が同じことを見た。


「戦場は、うるさい」


「そして、俺の声は、届かなんだ」


そして、この人は、それから大声を出すようになった。


馬謖は、大声を出さなかった。出し方を、知らないからである。


張郃は、山を下りる蜀軍を見た。


「今だ」


魏騎兵が、動く。逃げる兵の横へ回る。山へ戻る道を塞ぐ。水場へ向かう道へ圧力をかける。


馬謖は、初めて、自分が完全に読まれていたことを理解した。


    ◆


王平が動いたのは、その直後である。


太鼓を、止めなかった。そして、増やした。山から下りてくる兵が、音のする方へ走るからである。


「陣を、開けよ」


副将が聞いた。


「開ける、とは」


王平は、答えた。


「柵を、三か所、外せ」


「敵も入ります」


「入れ」


そして、こう続けた。


「入った者は、後で出す」


柵を閉じたままなら、味方は入れない。そして、混乱した兵は、閉じた柵の前で止まる。止まった兵は、後ろから射られる。


王平は、柵を開けた。そして、内側に、二重目の柵を作っていた。三日前からである。


「いつ作られましたか」


後に、馬良(ばりょう)が聞いた。王平は、答えた。


「陣を張った日でございます」


「なぜ」


「——」


「山へ登った者は、下りて参りますゆえ」


最初から、そう思っていた。そして、それを、馬謖には言わなかった。言えば、山へ登ることを認めたことになるからだ。


反対しながら、受け入れる支度をしていた。そして、その二つを、同じ日に、両方やった。


夜明けまでに、五千二百人が、柵の内側に入った。そして、王平は、そこから退いた。


魏軍は、追った。そして、途中で止まった。理由は、後に張郃の側の記録に残っている。


《蜀軍、退くに乱れず》


《太鼓、絶えず》


《伏あるを疑う》


伏兵は、いなかった。そして、太鼓は、鳴らし続けていた。


九年前、王平は十字を覚えた。進む。退く。待つ。水。火。北。南。敵。味方。止め。


そして、この夜、この人が使ったのは、そのうち三つだった。


退く。待つ。止め。


    ◆


報せは、成都へ十日で届いた。そして、俺は武備学舎(ぶびがくしゃ)へ行った。


関羽(かんう)は、授業をしていた。六十九である。そして、去年から、三日に一度になっている。


弟子が、三十七人いた。四年前は、十七人だった。


「叔父上」


「……陛下」


「街亭(がいてい)の報せです」


この人は、旗を置いた。そして、待った。


「馬謖が、山へ登りました」


「うむ」


「水を断たれました」


「うむ」


「——」


「そして、王平が、退きました」


関羽は、動かなかった。そして、こう聞いた。


「何人だ」


俺は、答えた。


「四千二百」


部屋が、静かになった。三十七人の弟子が、誰も喋らなかった。


四千二百である。六年前、夷陵(いりょう)で、七所が焼けた。そして、四千二百人が死んだ。


同じ数である。そして、俺は、その数字を、報告書で見た瞬間に気付いた。


やがて、関羽は、旗を一本、取った。そして、地図の上へ置いた。倒さない。立てた。


「諸君」


「はい」


この人は、こう言った。


「今日は、授業をやめる」


弟子が、顔を上げた。


「四年、教えた」


「はい」


「——」


「そして、今日、一人が退いた」


「覚えておけ」


そして、関羽は、こう言った。


「退いた者の名は、王平。字は子均」


「はい」


「——」


「字が、読めぬ」


俺は、そこで、息を呑んだ。


馬謖が、王平を軽んじた理由である。そして、この人は、同じことを、逆に使った。


「字が読めぬ者が、退いた」


「はい」


「——」


「読める者が、登った」


三十七人が、動かなかった。そして、関羽は、最後に一つだけ言った。


「四年、私はここで、樊城の話をした」


「はい」


「——」


「私も、読める者だ」


その日、入学の願書が、十一届いた。そして、全員が、同じ一行を書いていた。


《字が読めぬ者が、退いたと聞きました》


俺は、その十一枚を、長いこと見ていた。


四千二百人が、死んだ。そして、十一人が、来た。


十九年、俺は制度で人を救おうとしてきた。そして、この十一枚は、制度ではない。


一人が退いたという事実だけが、集めた。


    ◆


そして、馬謖である。生きている。王平の柵の内側に、入った。そして、そこから、漢中(かんちゅう)まで退いた。


視界に、表示が出た。


【馬謖】


失敗認識 47 → 100


心理状態

 ・諸葛亮への恐怖

 ・皇帝への恐怖

 ・部下への罪悪感

 ・自己否定

 ・失敗隠蔽衝動


失敗隠蔽危険度 62%


六十二である。失敗を、認めた。


そして、次に問われるのは、それを隠すか、報告するかだった。そして、兵を救うために、自分の名誉を捨てられるかである。


十九年前、俺は夏口で決めた。


《報告者を、罰しない》


そして、この制度は、二十年経って、いちばん高い相手に試されようとしている。


その夜、俺は木簡(もくかん)を出した。そして、《渡したもの》を開いた。


一行目——黄忠(こうちゅう)。《六十を過ぎた者の、使い方》


二行目——張飛。《殴らない方法》


俺は、三行目に、書いた。


王平


《読めない者の、読み方》


そして、その横に、小さく書き足した。


《一字ずつ、二度追う》



〈あとがき〉


「自己宣伝二」——売り込まないのではありません。売り込む先を、間違えないだけです。


「太鼓を鳴らせと書いてある。攻めろとは」「引き付ける」「攻めるとは書いていない」。読める人は速く読み、書いていないことを書いてあると思います。一字ずつ追う人だけが、気付きます。


四千二百人。六年前、夷陵で焼けた七所と、同じ数です。


「退いた者の名は、王平。字は子均。字が、読めぬ」「そして、読める者が、登った」。そして最後に——「四年、私はここで、樊城の話をした。私も、読める者だ」。


二十一年前、長坂坡で、俺は二つの速さの話を思い出した。恐怖で即断する速いほうと、数えて比べる遅いほう。あのとき覚えたのは、数えるから冷静なのではなく、数えることで冷静を保っている、という順序だった。


今日、その本のいちばん怖い部分を思い出している。


速いほうは、空白を埋める。


人の目は、書いてある文字を読んでいない。書いてあるはずのものを、読んでいる。だから、抜けた字に気付かず、途切れた文をつなぎ、書いていない結論を、書いてあると感じる。


前世で、俺は一日に何十通も資料を読んだ。速く読めることを、能力だと思っていた。そして、いちばん大きな見落としは、いつも、一行で済むはずのところにあった。


「太鼓を鳴らせ」と書いてある。「攻めよ」とは書いていない。


速く読める人は、その二行の間を、自分で埋める。埋めた自覚がないまま、埋める。


一字ずつ、二度追う人だけが、そこに何もないことに気付く。


読めないというのは、速く読めないということである。そして、この戦では、それだけが、四千二百人を連れて帰った。


願書が十一枚。全員が同じ一行を書いていました。制度ではありません。一人が退いたという事実だけが、集めました。


《劉禅文庫 再読『ファスト&スロー』——速いほうは、空白を埋める。人は、書いてある文字ではなく、書いてあるはずのものを読む》


次回、第113話「馬謖、失敗を報告する」。


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