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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第七部 北伐——取ったものを、手放す

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112/174

第110話 出師表には、休暇欄がありません


【建興五年|成都】


諸葛亮(しょかつりょう)の出師表は、美しい文章だった。


先帝への感謝。漢室への忠誠。国家の危機。賢臣を用いること。正しい意見を聞くこと。自らの責任。北伐への決意。


後世まで残る文章になるだろう。そして、俺は、それを知っている。


だが、俺は読み終えた後、一つ尋ねた。


「丞相」


「はい」


「休暇の記載がありません」


広間が、静まった。諸葛亮が、何を言われたか分からない顔をした。


    ◆


「出師表に、休暇を?」


「北伐中の丞相の休養計画です」


「必要ありません」


即答である。四年間、休沐制度を守ってきた。それでも、戦争となれば別だと考えている。


「北伐中は緊急です」


諸葛亮が言う。


「毎日が?」


「戦時ですから」


「何年続く予定ですか」


諸葛亮が、黙った。


魏は大国である。一度の戦で滅ぼせるとは考えていない。北伐が数年続けば、この人は数年間、休まないつもりなのか。


「陛下」


諸葛亮は言った。


「臣が北へ出る間、陛下には成都を」


「その前に」


俺は、出師表の別の部分を指した。


《臣、先帝の知遇を受け》


《北定中原》


《漢室を興復し》


《旧都へ還らん》


主語が、ほとんど諸葛亮一人である。


「丞相一人で、漢室を復興するのですか」


「臣の責任です」


「父上は、何と申しました」


諸葛亮の顔が、変わる。


《孔明一人へ、全てを背負わせるな》


白帝城での遺命である。


「これは」


俺は言った。


「丞相個人の出征ではありません」


蜀漢という国の作戦である。兵站。外交。人事。後方行政。情報。撤退。複数の担当者が、必要だ。


「出師表を書き直せとは申しません」


歴史に残る名文を、休暇申請書に変えるつもりはない。


「別紙を付けてください」


《北伐執行計画》。


諸葛亮が、非常に嫌そうな顔をした。


第一。北伐の目的。長安の即時攻略では、ない。隴右地域の離反促進。魏軍の防衛配置確認。蜀軍の山岳兵站検証。現地人材の獲得。


第二。期限。百二十日。それを超える場合は、追加承認。


第三。撤退条件。食料。病人。馬。天候。呉との同盟状況。魏軍増援。複数の数値で定める。


第四。諸葛亮不在時の成都体制。蔣琬(しょうえん)費禕(ひい)董允(とういん)法正(ほうせい)。そして、俺。役割を分ける。


第五。諸葛亮の代理者。前線政務——楊儀。軍需——李厳(りげん)。軍事助言——魏延(ぎえん)趙雲(ちょううん)。作戦評価——龐統(ほうとう)


龐統が言った。


「私は別働隊を希望します」


「評価担当です」


「つまらない」


「兜を被るなら、現地視察を認めます」


龐統は、兜を抱えた。十三年前、俺が九通の書状で被らせたものである。そして、この人は、いまも同じ兜を持っている。


第六。諸葛亮の休養。十日に一日。完全休養は難しい。少なくとも半日、執務を代理者へ渡す。医官による食事・睡眠確認。


董允が言った。


「前線休暇監察官も必要です」


諸葛亮が、俺を見る。


「陛下」


「必要です」


「戦場へ、休暇監察官を?」


「丞相が隠れて働くからです」


候補は、董允本人である。しかし、成都を離せない。代わりに、蔣琬の部下で、諸葛亮へ遠慮が少なく、記録能力の高い官吏を付ける。


諸葛亮の不満は、高い。


【諸葛亮】


北伐意欲 100

休養受容度 43

前線休暇監察官への好意 2


二である。法正の許靖への好意より低いかもしれない。


    ◆


そして、北伐人事の中に、一人の名前があった。


馬謖(ばしょく)。字を幼常。馬良(ばりょう)の弟。諸葛亮が高く評価する若手である。


理論。弁舌。軍略。非常に優秀である。


父は生前、馬謖について、こう警戒していた。


《言葉が実力を超える》


俺は、能力画面を開いた。


【馬謖 字・幼常】


統率 71

武力 42

知略 96

政務 84

魅力 90


軍事理論  100

地図理解  98

弁論    100

敵心理分析 91


現場経験  37

補給現実性 41

部下傾聴  28

失敗時修正 32

自己評価  97


固有特性


【地図の上では勝っている】

 理論上の最適地点を選ぶが、

 現場の水・疲労・地形変化を軽視する。


【丞相の期待へ応えたい】

 諸葛亮の評価を失うことを恐れ、

 無理な判断を修正できない。


【高所を好む】

 地形的優位を過大評価する。


将来重大危機 街亭

予測年 西暦二二八年

死亡危険度 赤

組織被害危険度 極大


街亭である。第一次北伐。


馬謖は、諸葛亮の命令へ反して山へ陣を置く。水を断たれ、魏の張郃に破られる。そして、北伐全体が崩れる。


諸葛亮は、泣いて馬謖を斬る。


俺は、馬謖を見た。自信に満ちた顔である。諸葛亮から期待されている。兄の馬良も、弟の才能を信じている。


「幼常殿」


「はい」


「今回、どの任務を希望しますか」


「重要拠点の独立指揮を」


迷いがない。


「経験は」


「理論により補えます」


危険な答えだった。


「どの拠点を想定していますか」


馬謖は、地図を指した。街亭である。


「ここを押さえれば」


熱を込めて説明する。隴右と関中をつなぐ道。魏軍の進路。高地。敵を見下ろせる位置。


理論は、正しい。そして、水の話がない。


食料。退路。住民。補給隊。何も、ない。


「平地の街道を守る案は」


俺が尋ねる。


「敵に見下ろされます」


「水は」


「山麓から運べます」


「敵が遮断したら」


「高所から攻め下ります」


「失敗したら」


馬謖が、止まる。


「失敗しません」


視界が、赤く染まった。


    ◆


「丞相」


俺は諸葛亮を見る。


「馬謖殿へ、独立指揮を与える予定ですか」


諸葛亮は答えた。


「才能を試したいと考えております」


「父上の言葉は」


「承知しております」


「それでも?」


「人は、経験を与えなければ成長しません」


正しい。責任を与えなければ、後継者は育たない。失敗させなければ、学べない。


十二年前、この人自身が俺に言った。


《小さく、誤らせます》


そして、街亭は、小さくない。


「経験は与えます」


俺は言った。


「独立指揮は認めません」


馬謖の顔が、強張る。


「陛下」


王平(おうへい)殿を副将にします」


王平。読み書きは得意ではない。華やかな理論も語らない。だが、現場。地形。兵士。退路。それらを見る。


【王平 字・子均】


統率 84

武力 78

知略 79

政務 48


現場判断  98

防御    96

兵士統制  95

地形確認  97


読み書き  23

自己宣伝  2


固有特性


【地図より地面を見る】

 作戦図と現地が異なる場合、現地を優先する。


【敗軍をまとめる】

 部隊崩壊時、少数を組織し被害を抑える。


【書けないが忘れない】

 文書能力は低いが、現場情報の記憶に優れる。


馬謖と、正反対である。理論と現場。高所と水場。弁舌と沈黙。


そして、読み書き二十三。九年前、この人は十字も読めなかった。そして、教える係になって、いま二十三である。


「最終指揮官は、どちらです」


馬謖が尋ねる。


「共同です」


「軍令が二つになります」


「役割を分けます」


馬謖。全体作戦。敵心理。周辺部隊との連絡。


王平。陣地位置。水。食料。退路。防御配置。


地形に関する最終判断は、王平。作戦目的は、馬謖。


「私が、地形判断をできないと?」


馬謖の自尊心が、傷つく。


「できます」


俺は答えた。


「だから確認する人を置きます」


「信用されていない」


「信用と確認は別です」


馬謖は、納得していない。諸葛亮も、若干不満そうだ。自分が見込んだ人物を、皇帝が制限する。


「陛下」


諸葛亮が言った。


「幼常へ機会を与えなければ、いつまでも成長しません」


「与えます」


「地形判断を副将へ委ねれば」


「それも経験です」


自分の専門外を、他者へ任せる。それができなければ、大軍の指揮官にはなれない。


俺は、そこで、一つ足した。


「丞相」


「はい」


「二十年前、あなたは十三項を持っておられました」


「……はい」


「そして、今は三項です」


「はい」


「——」


「渡すのに、十九年かかりました」


諸葛亮は、羽扇を止めた。


「幼常どのには、一度で渡していただきます」


「……一度で、でございますか」


「はい」


「——」


「そして、渡すのは、水と退路です」


十七年前、俺は父に言った。入る前に、条件を書け、と。そして、あのとき覚えた見分け方を、今日、また使うことになった。


戦略と名の付く文書のほとんどは、目標の羅列である。効いた文書には、必ず二つ書いてある。やらないことと、どうなったらやめるか。


出師表には、どちらも書いていない。


そして、俺はこの文章を、悪い文書だとは思わない。むしろ、これ以上のものを、俺は前世でも見たことがない。


先帝への恩。国の危機。賢臣を用いること。正しい意見を聞くこと。自らの責任。


全部、本当である。全部、この人が二十年やってきたことである。そして、読めば、誰でも一度は動きたくなる。


動きたくなる文章には、止まる場所が書けない。書けば、その瞬間に、動きたくなくなるからだ。


だから、二枚に分ける。


一枚目は、そのままでいい。後世に残る。


二枚目に、いつやめるかと、誰が代わるかと、何日休むかを書く。そして、二枚目は、後世に残らない。


馬謖は、最後に頭を下げた。


「承知しました」


声には、承知していない感情が残る。


【街亭配置】


作戦責任者 馬謖

地形・防御責任者 王平


独立指揮 禁止

重大決定 両者合意

意見不一致時 趙雲または諸葛亮へ緊急報告


街亭敗北危険度 82% → 39%

馬謖死亡危険度 赤 → 黄


大きく下がった。だが、三十九。まだ高い。


なぜなら、制度があっても、馬謖が現場で従う保証はない。諸葛亮が、才能を信じて例外を認める可能性もある。王平が、高名な馬謖へ反対できない可能性もある。


三つのうち、二つは、人の話である。そして、人の話は、制度で三十九までしか下がらない。


    ◆


蜀軍が成都を出発する日。諸葛亮は、先帝の廟へ頭を下げた。俺も、隣へ立つ。


「陛下」


「はい」


「必ず、成果を持ち帰ります」


「成果より」


俺は答えた。


「生きて帰ってください」


諸葛亮が、少し笑う。


「先帝と同じことを申されますな」


「父上の遺命です」


「承知しております」


「休暇も」


諸葛亮の笑みが、消える。


「それも、承知しております」


蜀軍が、北へ進む。趙雲。龐統。魏延。馬謖。王平。多数の将と兵。


視界に、新しい表示が現れた。


【第一次北伐開始】


主要目標

 ・隴右への影響拡大

 ・魏軍配置の確認

 ・現地人材登用

 ・兵站検証

 ・後継指揮官育成

 ・諸葛亮を生きて帰す


新規危機 街亭


対象 馬謖/王平/北伐軍全体


最大の問題

 馬謖は、まだ、自分が間違う可能性を認めていません。


関羽を救った。張飛を救った。父は、帰ってきた後に亡くなった。


そして、次に救うのは、天才の期待によって失敗できなくなった若者だった。


    ◆


そして、その年。丞相府に、子が生まれた。諸葛亮の、実子である。四十六である。


俺は、その報せを聞いて、動けなくなった。


「先生」


「はい」


「お子の、お名前は」


「瞻と」


「字は」


諸葛亮は、少し黙った。そして、答えた。


「思遠」


俺は、その二文字を聞いて、動けなくなった。


思遠。遠くを、思う。


この人は、四十六である。そして、今年、出師表(すいしのひょう)を書いた。


《臣、身を鞠して力めを尽くし、死して後已まん》


死ぬまでやる、と書いた。そして、同じ年に、子が生まれた。そして、その子に「遠くを思え」と名付けた。


自分は、遠くまで行かないと知っている人の、付け方だ。


俺は、そこで、一つだけ聞いた。


「先生」


「はい」


「字を、いつ決められましたか」


諸葛亮は、答えた。


「生まれる前でございます」


「……」


「男なら、思遠と」


俺は、聞いた。


「女なら」


この人は、少し黙った。そして、こう答えた。


「決めておりませぬ」


決めていない。そして、この人が何かを決めていないのは、十九年で、数えるほどしかない。


「先生」


「はい」


「喬どのは」


諸葛喬(しょかつきょう)。十年前、呉から来た養子である。次男の字から、長男の字へ、名を変えられた人。そして、糧道にいる。


「谷におります」


「まだ、ですか」


「はい」


「十年です」


「はい」


俺は、聞いた。


「戻されませんか」


諸葛亮は、答えなかった。そして、しばらくして、こう言った。


「瞻が生まれましたゆえ、喬を戻せば——」


「……」


「実子が生まれたので、養子を下げた、と申す者が出ます」


「では」


「戻せませぬ」


俺は、その論理の前で、しばらく黙った。


正しい。そして、この人は、また、正しいことをして人を苦しめている。


十年前、俺はこの人にこう聞いた。


「なぜ、そんな任を」


そして、この人は答えた。


「そうせねば、他の者が納得いたしませぬ」


十年、同じ答えである。


俺は、そこで、一つだけ言った。


「先生」


「はい」


「喬どのに、瞻どのの字を、書いて送ってください」


諸葛亮の動きが、止まった。


「……なぜでございましょう」


俺は、答えた。


「弟の字を、兄が知らないのは、おかしいです」


この人は、しばらく黙っていた。そして、こう言った。


「……承知いたしました」


その夜、俺は木簡を出した。


《正しく呼ばれていない者》


一行目、孟達(もうたつ) 字・子度(旧・子敬)


二行目、諸葛喬 字・伯松(旧・仲慎)


《今、十七》


俺は、その《十七》を、線で消した。そして、書き直した。


《いま、二十七》


十年である。十年、谷にいる。そして、俺は、この人の名を正しく呼ぶ以外に、何もしていない。


俺は、その下に、一行足した。


《弟の字を、送らせた》


そして、その下に。


《それも、名前の話でしかない》


〈あとがき〉


「出師表に、休暇を?」——後世に残る名文に、別紙を付けさせます。《北伐執行計画》。目的、期限、撤退条件、成都体制、代理者、そして休養。


「前線休暇監察官への好意 2」。法正の許靖への好意より低いかもしれません。


「渡すのに、十九年かかりました。幼常どのには、一度で渡していただきます。そして、渡すのは、水と退路です」。


そして「思遠」。生まれる前から決めてありました。女なら、決めていません。十九年で、この人が何かを決めていないのは、数えるほどしかありません。


《劉禅文庫 再読『良い戦略、悪い戦略』——動きたくなる文章には、止まる場所が書けない。だから、二枚に分ける。二枚目は、後世に残らない》


次回、第111話「街亭では、地図より井戸が偉い」。


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