第109話 皇帝の兄を、処刑しない
【建興五年|成都】
劉封は、父に似ていた。
血は、つながっていない。それでも、長く父のそばで育ったためだろう。
立ち方。人を見る目。兵へ声をかける姿。似ている。
ただし、父ほど柔らかくない。関羽ほど誇りが高くもない。張飛ほど感情的でもない。
全てが、少しずつ混ざっている。そして、混ざったものには、名前がつかない。
◆
【劉封】
統率 86
武力 89
知略 72
政務 61
魅力 83
皇族意識 94
軍事自信 91
継承権不安 100
劉禅への忠誠 67
劉禅への嫉妬 58
孟達への信頼 4
固有特性
【選ばれなかった長男】
後継候補から外れた経験により、評価へ強く敏感になる。
【父の息子でありたい】
劉備の期待を証明するため、危険な任務を選びやすい。
【疑われる皇兄】
本人が反乱を考えていなくても、周囲が危険人物として扱う。
反乱意思 11%
反乱発生危険度 本人意思と無関係に 34%
本人の意思は、低い。
だが、周囲が疑えば、監視する。権限を奪う。部下を減らす。そして、劉封は不満を持つ。その不満を見て、さらに疑う。
反乱は、本人の野心だけで起きるのではない。
そして、三十四という数字は、この人が何もしなくても下がらない。下げるには、こちらが何かをやめなければならない。
「陛下」
劉封は、広間で膝をついた。
「皇兄」
俺が呼ぶと、劉封の目が動いた。
これまで、正式な場では、将軍として扱われることが多かった。皇帝の兄と呼べば、継承権問題を刺激する。だから、避けられていた。
「その呼び方は」
「父上の養子です」
「陛下の兄でよいのですか」
「違うのですか」
劉封は、答えなかった。孟達も同席している。二人は、互いを見ない。
「最初に」
俺は言った。
「孟達殿からの申立てを確認します」
劉封の顔が、険しくなる。
「裏切りを企てた者の言葉を信じるのですか」
「相談をした者です」
「魏の使者と会っている」
「本人も認めています」
「ならば」
「皇兄も確認します」
劉封の目が、鋭くなる。
「私も疑われていると?」
「全員を確認します」
「皇族も?」
「特に皇族です」
父の家族だから、処罰しない。それも、不公平である。
父の家族だから、危険視して処刑する。それも、不公平だ。
◆
「孟達殿の功績を」
俺は尋ねた。
「正しく記録しましたか」
「しました」
蔣琬が、記録を確認する。
戦闘報告。劉封の名が大きく、孟達は補佐。別の現場報告では、作戦の一部を孟達が提案している。
「提案者の名がありません」
劉封は、答える。
「最終的に採用したのは私だ」
「提案した者の功績は」
「将の決定へ含まれる」
前世でも、あった。部下の案を、上司の成果にする。
悪意がなくても、意思決定者の名だけが残る制度なら、部下は評価されない。そして、二年後、その部下は提案しなくなる。
「今後は」
俺は言った。
「提案者と決定者を、両方記録します」
劉封は、不満そうだ。
「私の功績を減らすのですか」
「分けます」
「軍は、一人の将が責任を負う」
「責任も記録します」
成功時は将だけ。失敗時は部下へ。そのような組織には、しない。
次。侮辱である。劉封は孟達へ、こう言った。
《劉璋を裏切った者》
《次は我らを裏切る》
何度も、である。
「事実ではないか」
劉封が言う。
「私は劉璋様のもとを離れました」
孟達が答える。
「だから、次も離れると?」
「可能性はある」
孟達は、認めた。
「しかし」
「——」
「疑われ続ければ、可能性は上がります」
劉封が、笑う。
「脅しているのか」
「報告しています」
二人が、睨み合う。俺は、机を叩いた。音は、小さい。張飛に頼む必要はない。
「皇兄」
「はい」
「孟達殿を信用する必要はありません」
孟達の顔が、動く。
「信用しなくても」
俺は続ける。
「侮辱しないでください」
「敵へ去る者を」
「まだ去っていません」
「いずれ」
「未来の罪で、今の人を罰しません」
俺自身にも、同じことが言える。
陸遜は、将来父を破る男だった。孟達は、将来魏へ去る男だった。そして、劉封は、歴史では父に処刑される男である。
未来を知っているからといって、今の人間を、未来の罪で殺してはならない。
十九年、俺はそれを守れなかったことが、三度ある。そして、三度とも、心の中でだけ、やった。
◆
「次に」
俺は劉封を見る。
「皇兄自身の立場を決めます」
広間が、静まる。最も避けられてきた問題である。父の養子。俺の兄。継承権。
「私は」
劉封が言った。
「帝位を求めておりません」
「信じます」
「簡単に?」
「信用と確認は別です」
劉封が、苦笑した。蜀の共通語を知っている。
「継承順位を明文化します」
第一。皇帝の実子。
第二。皇帝の弟。劉永。劉理。
第三。先帝の養子である劉封。
ただし、執行評議と皇族会議の承認が必要。
「私を」
劉封が言う。
「継承候補に残すのですか」
「完全に外せば」
俺は答えた。
「皇兄を恐れていると、天下へ示します」
「候補へ残せば、私を担ぐ者が出ます」
「だから条件を公開します」
秘密にするほど、陰謀が生まれる。誰が継承できるか。どの条件か。誰が承認するか。先に、決める。
そして、公開された順位は、担ぐ者から見れば、いちばんつまらないものである。
順位が三位だと分かっていれば、担ぐ意味がない。分からないから、担ぐ。
「皇兄には」
俺は続けた。
「皇族としての俸禄と地位を保証します」
「軍権は」
「持てます」
周囲が、ざわめく。
「ただし」
独立した領地軍では、ない。任期制。副官、兵站責任者、監察官。三者を別に置く。重大な軍事行動は、皇帝または執行評議の承認。
「私を信用していない」
「皇兄だけではありません」
全ての将に適用する。関羽も。張飛も。趙雲も。
皇族だから制限するのではない。軍を持つ者全員を、同じ制度へ入れる。
「任務は」
劉封が尋ねる。
「若手将の訓練です」
「前線ではないのですか」
「前線へも行きます」
「——」
「ただし、自分が先頭へ立つだけではなく」
「次の指揮官を育ててください」
父へ、自分の価値を証明するため、危険な戦へ進む。その必要を、なくす。
「皇兄は」
俺は言った。
「父上の息子だと、戦功で証明し続けなくてよいのです」
劉封の表情が、変わった。
「私は」
声が、少し震える。
「本当に、父上の息子だったのでしょうか」
父は、劉封を養子にした。そして、俺が生まれた。立場が、変わった。父自身も、どう扱うべきか迷ったのだろう。
「白帝城で」
俺は答えた。
「父上は、国を誰か一人へ背負わせるなと言いました」
「皇兄も、その皆の中に入っています」
劉封は、目を閉じた。
父から、最後に直接言葉を受け取れなかった。その痛みは、消えない。俺が代わりになれるとも、思わない。
そして、俺は、そこで一つ足した。
「皇兄」
「はい」
「一つ、お渡しするものがあります」
俺は、竹簡を出した。三年前のものである。関羽と張飛が書いた。
《四十年で、陛下が失った者》
三千八百四十二人分。九本ある。
「これを」
「……何でございましょう」
俺は、答えた。
「父上が、白帝城で読まれたものです」
「はい」
「そして、三百人ほど、覚えておられました」
劉封は、竹簡を受け取った。そして、こう聞いた。
「私の名は」
俺は、答えた。
「ありません」
「……」
「生きておられますゆえ」
◆
「皇兄」
俺は立ち上がる。
「私は、兄上を処刑しません」
歴史では、劉備は劉封へ死を命じる。孟達の離反。関羽を救援しなかった責任。将来の継承争い。複数の理由がある。
そして、この世界では、関羽は生きた。孟達は相談した。そして俺は、兄を恐れて殺すつもりはない。
「反乱を起こせば?」
劉封が尋ねる。
「裁きます」
「皇族でも?」
「はい」
「起こしていない今は」
「兄です」
劉封は、深く頭を下げた。
「承知しました」
次に、劉封は孟達を見た。
「子度」
孟達が、身構える。
「私は」
劉封が言う。
「お前を、裏切り者として扱った」
「はい」
「今も、完全には信じていない」
「私も、陛下を信じておりません」
正直すぎる。
「だが」
劉封は続ける。
「功績を私一人の名にしたことは、謝る」
孟達の目が、動く。
「侮辱したことも」
劉封は、頭を下げた。
「悪かった」
孟達は、すぐには答えなかった。最後に、こう言った。
「忘れません」
法正に似ている。
「しかし」
「——」
「次の職務では、別々に働けます」
和解では、ない。関係の解消である。互いに距離を取り、国には残る。
そして、それでよい。
十九年、俺は多くの人を仲直りさせようとした。そして、成功したのは、二度しかない。
別々に働かせたほうは、十度以上、成功している。
【劉封・孟達問題】
孟達離反危険度 26% → 11%
劉封反乱発生危険度 34% → 8%
両者信頼 4 → 9
共同勤務適性 低
別部門配置適性 高
【劉封】
新規特性
【選ばれなくても息子】
全員を仲良くさせる必要はない。仲が悪くても、同じ国で働ける仕組みがあればよい。
国内の大きな火種が、一つ消えた。
◆
その後、四年が過ぎた。
蜀と呉の同盟は、三年ごとに更新された。孟達は、国境交易と離反予防を担当。劉封は、若手将の訓練へ回った。
諸葛亮は、十日に一度、不満そうに休んだ。法正は、以前より仕事を減らし、それでも許靖への不満を持ち続けた。
そして、建興五年。西暦二二七年。
諸葛亮が、一通の上奏文を持ってきた。
表題——《出師表》
北伐。魏を討つための、正式な計画が始まろうとしていた。
俺は、上奏文を読んだ。そして、三年前の竹簡を出した。
【国是】
一 領土を、増やさない
ただし、失わない
「先生」
「陛下」
「国是の一に、反しませんか」
広間が、静かになった。三年、誰も口に出さなかったことである。
諸葛亮は、羽扇を止めた。そして、こう答えた。
「反しませぬ」
「……」
「領土を、増やしませぬゆえ」
俺は、そこで、顔を上げた。
「増やさない」
「はい」
「——」
「北伐でございます」
「取りに参るのでは、ございませぬ」
「では、何を」
この人は、答えた。
「魏に、西を見させます」
俺は、そこで、地図を見た。
魏は、三方に敵がいる。西に蜀。東に呉。北に烏丸と鮮卑。
そして、蜀が動かなければ、西を見る必要がない。
「先生」
「はい」
「西を見させると、どうなりますか」
諸葛亮は、三つ挙げた。
「一つ。関中に、兵を置き続けます」
「はい」
「二つ。呉へ向ける兵が、減ります」
「はい」
「三つ」
「——」
「呉が、同盟を続けます」
俺は、そこで、理解した。
同盟の維持費である。
蜀が動かなければ、呉は一つで魏と向き合う。そして、一つで向き合えば、降る話が出る。
五年前、孫権は一度魏に臣従している。そして、そのとき、この国は東征をしていた。
「先生」
「はい」
「それは、同盟のための戦ですか」
諸葛亮は、少し黙った。そして、こう答えた。
「半分は」
「残る半分は」
この人は、答えた。
「人でございます」
俺は、そこで、息を呑んだ。
「国是の三でございます」
諸葛亮は、続けた。
「人を、育てる」
「はい」
「今、大軍を率いたことのある将が、六人おります」
「はい」
「六人とも、六十を超えております」
俺は、そこで、数えた。
関羽。六十八。張飛。六十一。趙雲。五十九。そして、馬超。五十一。
六人のうち、二人は、既に死んでいる。
大軍を率いたことのある人は、毎年、減る。そして、増えていない。
「先生」
「はい」
「実戦を、経験させるためですか」
諸葛亮は、首を振った。
「違います」
「……」
「実戦は、人が死にます」
そして、こう続けた。
「退かせるためでございます」
俺は、そこで、動けなくなった。
「大軍を退かせたことのある者が、おりませぬ」
諸葛亮は、言った。
「進ませることは、誰でもできます」
「はい」
「退かせるのは、一度やった者しかできませぬ」
「——」
「そして、退かせるには、一度出ねばなりませぬ」
俺は、そこで、三年前の自分の言葉を思い出した。武備学舎を作ったときである。
「退き方を教える者は、この国にいません」
「十七年、探しました」
そして、この人は、そのとき反対した。反対理由を、書いた。
そして今日、同じ理屈で、北伐を提案している。
学舎で教えられるのは、聞くことだけである。やったことのある者を作るには、出すしかない。
◆
俺は、承認した。そして、一つ、間違えた。
決裁の文面である。執行評議で、五人が署名した。そして、そこには、こう書いてあった。
《建興六年 北伐》
《漢の賊を討ち、旧都を復す》
それだけである。
同盟の維持とは、書いていない。退かせる訓練とも、書いていない。そして、終了条件も、書いていない。
俺は、それに気付かなかった。
二十歳である。即位して、五年。そして、十九年、終了条件を先に書けと言い続けてきた。
理由は、たぶん、こうだ。議論で、三つとも聞いた。そして、聞いたことは、書かれていると思ってしまう。
会議で合意したことと、紙に書いてあることは、別である。十九年、俺は他人にそれを言い続けた。
三年後、俺は、この決裁書を出させることになる。そして、こう聞く。
「旧都とは、どこですか」
その夜、俺は木簡に書いた。
《北伐を、承認した》
そして、その下に。
《国是には、反していない》
そして、その下に。
《だが、書いていないことが多すぎる》
〈あとがき〉
「反乱は、本人の野心だけで起きるのではない」——三十四という数字は、本人が何をしても下がりません。こちらが何かをやめないと、下がりません。
「継承順位を明文化します」。公開された順位は、担ぐ者から見れば、いちばんつまらないものです。分からないから、担ぎます。
「私の名は」「ありません。生きておられますゆえ」——三千八百四十二人分の簿を、皇兄に渡しました。
そして「和解ではない。関係の解消である」。十九年で、仲直りに成功したのは二度。別々に働かせたほうは、十度以上成功しています。
北伐承認。そして「会議で合意したことと、紙に書いてあることは、別である」。
《劉禅文庫 再読『両利きの経営』——混ぜない。分けて、上でつなぐ。十九年で、仲直りは二度。別々に働かせたほうは、十度以上》
次回、出師表には、休暇欄がありません。




