第10話 伏龍面接
沈黙が続いた。
諸葛亮が俺を見ている。劉備も俺を見ている。関羽、張飛、趙雲、糜竺、そして倉庫番まで、全員が俺を見ている。
逃げ場はない。
◆
俺は一歳児である。
発言を撤回しても、誰も責めないだろう。
だが、諸葛亮の能力画面に出た警告は、無視できなかった。
解析が完了する。
【諸葛亮 字・孔明】
統率 94
武力 38
知略 100
政務 100
魅力 95
戦略構想 100
制度設計 100
兵站 100
外交 97
危機管理 98
人材育成 78
権限委譲 3
身体疲労 12
使命感 96
自己犠牲 91
固有特性
【臥龍】
国家規模の複数課題を、同時に処理できる。
【天下三分】
不利な状況から、長期的な生存戦略を構築する。
【私がやった方が早い】
部下へ任せた仕事を、自ら処理する確率が上昇する。
【完全主義】
小さな誤りを放置できない。
重大組織リスク
業務集中/後継者育成遅延/過労死
予測死亡要因
長期疲労/睡眠不足/責任集中
——知略、百。
政務、百。
兵站、百。
制度設計、百。
権限委譲、三。
俺は何度も見直した。表示は変わらない。
父の財務三十一。張飛の感情制御八。関羽の組織適応十二。
そして、諸葛亮の権限委譲三。
蜀の英雄たちは、必ずどこか一つ壊れている。
◆
「不採用、でございますか」
諸葛亮が微笑んだ。
怒ってはいない。
むしろ、興味を持ったようだ。
劉備が俺を抱き直した。
「阿斗。孔明は、父が三度も訪ねて、ようやく迎えた先生だ」
知っている。三顧の礼である。
その人物へ、息子が初対面で不採用を宣告した。
普通の企業なら、家庭内で大問題になる。
「なぜ不採用なのだ」
劉備が尋ねる。
一歳児へ理由を求めるな。
俺は考えた。
諸葛亮の能力は、絶対に必要である。採用すべきだ。
しかし、このまま使えば一人に仕事が集中する。
そして、最終的に過労死する。
採用しないのではない。
採用条件を、付ける必要がある。
「しごと」
俺は言った。
「仕事、でございますか」
「ぜんぶ」
「すべて?」
「だめ」
諸葛亮が、羽扇で口元を隠した。
そして、ゆっくりと言った。
「……私に、すべての仕事をさせてはならぬ。若君は、そう仰せですか」
——通じた。
一語ずつしか出ない言葉を、この男は三秒で組み立てた。
さすが知略百である。
「う」
◆
劉備が笑った。
「孔明がすべての仕事をするはずがなかろう」
する。
必ずする。
軍事も内政も外交も人事も裁判も、全部抱える。
諸葛亮は、俺をじっと見た。
「若君は、私が仕事を抱え込むとお考えですか」
「う」
「まだ、私が働く姿をご覧になっておりません」
「わかる」
「何を根拠に」
——根拠はない。
俺は時間を稼ぐために、適当なものを指差した。
羽扇である。
意味はない。
しかし諸葛亮は、真剣に自分の羽扇を見た。
「この扇に、何か」
「ずっと」
「ずっと?」
「もってる」
諸葛亮が、瞬きをした。
張飛が吹き出した。
「孔明! 阿斗は、お前が扇を他人へ預けられぬから、仕事も預けられぬと言っておるのではないか!」
——その解釈でよい。
張飛が、この物語で初めて有能に見えた。
諸葛亮は、自分の羽扇を長く見つめた。
そして、少し笑った。
「なるほど。……耳の痛い、ご指摘です」
まだ働き始めてもいないのに認めるな。
自覚があるのか。
自覚があって直らないのが、一番厄介なのだ。
◆
劉備が楽しそうに言った。
「孔明。せっかくだ。阿斗に挨拶してやってくれ」
諸葛亮は俺の前へ進み、膝をついた。
目線が同じ高さになる。
近くで見ると、本当に若い。
目の下に疲労の影はない。髪も黒い。指も、まだ荒れていない。
——今なら、間に合う。
この人を、五丈原で死なせない組織を作れる。
「若君」
諸葛亮が言った。
「私は諸葛亮。字を孔明と申します」
「こめ」
「……孔明、でございます」
「こうめ」
「近づいてまいりました」
◆
俺は、最も重要な質問を考えた。
前世の面接なら、志望動機を聞く。強みと弱みを聞く。五年後の目標を聞く。
だが、この人物については既に知っている。
能力も分かる。問題点も分かる。
確認すべきなのは、この人が何のために働くのかである。
「なに」
「はい」
「つくる」
諸葛亮の表情から、笑みが消えた。
「……何を作るか、と」
「う」
劉備は口を挟まなかった。
関羽たちも、静かに見ている。
諸葛亮は、少し考えた。
「漢室を再興し、民が戦乱に怯えず暮らせる天下を作ります」
——模範解答である。
だが俺は、もう一度尋ねた。
「あと」
「後?」
「できた、あと」
——漢室を再興した後。天下が安定した後。
あなた自身は、どうする。
諸葛亮は、すぐに答えなかった。
この時代の人物にとって、使命を果たした後の人生など、考える必要がないのかもしれない。
忠義を尽くし、死ぬまで働く。それが美徳とされる。
「……考えたことが、ありません」
諸葛亮は、正直に答えた。
自己犠牲 91 → 93
上がるな。
俺は、首を横に振った。
「だめ」
「何が、駄目なのでしょう」
「いきる」
諸葛亮の瞳が、わずかに揺れた。
「使命を果たした後も、生きよと」
「う」
「なぜです」
——なぜ。
そんなものは決まっている。
死なせたくないからだ。
しかし、初対面の一歳児が言えることではない。
俺は言葉を探した。
「つぎ」
「次?」
「おしえる」
諸葛亮の目が、大きくなった。
「……私が自らすべてを成すのではなく、次の者へ教える。そのために、生き残れと」
「う」
◆
諸葛亮は、しばらく俺を見つめていた。
やがて羽扇を置き、両手を床についた。
幼児に対するものとは思えない、正式な礼だった。
「若君のお言葉、胸に刻みます」
諸葛亮から劉禅への評価
主君の幼児 → 観察対象
興味度 12 → 61
——観察対象。
採用する側のつもりが、こちらが評価される側になった。
諸葛亮が顔を上げた。
「では、若君。私からも一つ、お尋ねしてよろしいでしょうか」
——嫌な予感がする。
「う」
「若君は、どのような国を作りたいのですか」
一歳児へ国家観を問うな。
しかし、俺は答えなければならないと思った。
劉備も、関羽も、張飛も、趙雲も、俺を見ている。
◆
前世の俺なら、こう答えたかもしれない。
競争力のある国家。持続可能な制度。優秀な人材が活躍できる社会。
どれも正しい。
どれも、長坂坡では何の役にも立たなかった。
俺は、趙雲を指差した。
「しりゅ」
次に、劉備。
「とと」
関羽。
「うんちょ」
張飛。
「よくと」
甘夫人。
「かか」
最後に、部屋の外にいる兵士と民衆のほうへ、手を向けた。
「みんな」
諸葛亮は、静かに待っている。
俺は、一語だけ言った。
「しなない」
◆
——誰も死なない国。
現実には、不可能である。
戦争がなくても、人は病気や老いで死ぬ。俺だって分かっている。
だから俺は、言い直したかった。
無駄に、死なない国。
だが、その二語が繋がらない。
一歳の口では、「むだ」と「しなない」を続けて言えない。
俺は口を開けたまま、言葉に詰まった。
部屋が、静まり返っていた。
——そのとき。
諸葛亮が、静かに言葉を継いだ。
「……無駄には、死なせぬ国を」
俺は、顔を上げた。
諸葛亮は、俺を見ていた。
「そう、仰せでございますな」
「う」
「う」
俺は何度も頷いた。
首が据わらないので、頷きすぎて後ろへ倒れた。
趙雲の手が、当たり前のように支えた。
◆
部屋の空気が変わった。
趙雲が目を伏せた。長坂坡で死んだ兵たちを思い出しているのかもしれない。
張飛は腕を組んだまま、何も言わない。
関羽の表情からも、笑みが消えていた。
劉備が、俺を抱く腕に力を込めた。
諸葛亮は、ゆっくりと頷いた。
「難しい国です」
「う」
「漢室再興よりも、難しいかもしれません」
「やる」
「若君が?」
「みんな」
諸葛亮は、目を閉じた。
そして初めて、心から楽しそうに笑った。
「なるほど」
彼は羽扇を拾い上げた。
「では——私一人で働くわけには、まいりませんな」
分かっているではないか。
◆
俺は、片手を挙げた。
そして、人差し指と親指で、小さな輪を作った。
丸である。
諸葛亮が、それを見た。
「……丸、でございますか」
「う」
「合格、ということでよろしいので」
「う」
劉備が吹き出した。
張飛は腹を抱えて笑った。
関羽さえ、口元を緩めている。
諸葛亮は、深く頭を下げた。
「ご採用いただき、光栄に存じます」
【重要人材を発見しました】
諸葛亮
推奨職務
最高執行責任者/国家戦略責任者/制度設計責任者/兵站統括
警告
単独で複数職務を兼任させないでください。
将来貢献度 極大
将来危険度 極大
登用状態 劉備配下
劉禅による正式登用条件 皇太子または皇帝への就任
——まだ、俺の部下ではない。
父の配下である。
それでも構わない。今は関係を作ればよい。
俺が大人になるまでに、この男の働き方を変える。人材を育てる。仕事を分ける。休ませる。
五丈原で倒れる未来を、回避する。
◆
そう決意したとき、表示の一番下に、新しい文字が現れた。
【隠された評価項目が解放されました】
諸葛亮
劉備への忠誠予測 100
劉禅への忠誠予測 測定不能
忠誠転換条件 劉備の死
笑っていた俺の顔が、固まった。
——劉備の死。
この人が俺の本当の臣下になるためには、父が死ななければならない。
視界の向こうで、劉備と諸葛亮が笑い合っている。
二人はこれから、君主と軍師として、歴史に残る絆を築く。
俺はその未来を知っている。
そして、その絆が終わる日も知っている。
二二三年。白帝城。
残り、十五年。
◆
俺は劉備の衣を握った。
「どうした、阿斗」
劉備が優しく尋ねる。
俺は首を横に振った。
——まだ言えない。
父上。
あなたがいなくなった後、俺はこの人を託される。
だが俺は、あなたを死なせるために、諸葛亮を待っていたのではない。
できるなら、二人とも生かしたい。
歴史を変えるなら、都合のいい部分だけでは足りない。
関羽を救う。張飛を救う。法正を救う。父を救う。諸葛亮を救う。
全員を救おうとすれば、全員を失うかもしれない。
それでも。
長坂坡で趙雲へ命じた、あの一音を、俺は忘れない。
——な。
死ぬな。
みんなで生きる。
その無謀な目標こそが、俺がこの世界へ来た理由である。
◆
諸葛亮が、羽扇を動かした。
「主公。江東との同盟について、策がございます」
赤壁の戦いが、始まろうとしていた。
そして俺の蜀漢再建計画は、ようやく最初の人材を得たのである。
——残り、五十五年。
次回 第11話「先生は二歳児を試験する」
次回 第11話「先生は二歳児を試験する」




