第106話 四人に分けた者と、一人に集めた者
【建興四年 夏|成都】
曹丕が、死んだ。
四十である。
そして、この男は、死ぬ前に四人を指名した。
◆
建興四年の夏。南征が終わって、一年である。
俺は十九になった。そして、即位して、四年目だった。
報せは、北から来た。法正の経路である。
商人と、宿駅と、降兵。十年かけて、この人が作った。そして、洛陽から成都まで、十四日で届く。正規の使者より、九日早い。
「陛下」
「孝直どの」
五十である。去年から、咳が止まらない。そして、敵情の報告だけは、欠かさない。
「魏帝が、崩じました」
「……いつですか」
「五月十七日」
「歳は」
「四十」
俺は、その数字を、二度聞いた。
四十である。父より、二十三若い。そして、俺より、二十一上だ。
七年前、この人は帝位に即いた。そして、七年である。
漢を終わらせた男が、漢を終わらせてから七年しか生きなかった。
俺は、年表を開いた。十九年、そうしてきた。誰かが死ぬと、まず年表を見る。丸があるか。四角があるか。
曹丕の名は、なかった。書いていない。
六年前、曹操のときも、そうだった。そして、俺はあのとき、こう書いた。
《救おうとしなかった人の死に、記号を描く資格はない》
俺は、筆を取った。そして、建興四年の行へ、書き足した。
曹丕 字・子桓 四十
記号は、描かなかった。
◆
「孝直どの」
「はい」
「後は」
この人は、答えた。
「曹叡でございます」
「歳は」
「二十二」
俺より、三つ上である。
「そして」
法正は、竹簡を置いた。
「輔政が、四名でございます」
「四人、ですか」
「はい」
広間が、静かになった。
輔政というのは、幼い皇帝を補佐する職である。そして、四人という数は、多い。漢では、たいてい一人か二人だった。
法正が、読み上げた。
「曹真」
「曹休」
「陳羣」
そして、四人目。
「司馬懿」
俺は、その名で、手が止まった。
新城の男である。二年前、孟達が転職願を出したとき、受け取る側にいた人だ。
そして、あのとき、孟達は残った。
「孝直どの」
「はい」
「四人の、出自は」
この人は、答えた。
「曹真——曹氏の養子」
「はい」
「曹休——曹氏の族子」
「はい」
「陳羣——潁川の名族」
そして、最後。
「司馬懿——河内の名族」
俺は、指を折った。
宗室が、二人。外臣が、二人。見事な配分である。そして、たぶん、意図的である。
宗室だけなら、外の名族が離れる。外臣だけなら、宗室が黙っていない。
四人という数は、二対二にするために選ばれている。
諸葛亮が、口を開いた。四十六である。そして、去年から、髪が白い。
「陛下」
「先生」
「曹丕は、職掌を分けました」
「はい」
「一人に、集めておりませぬ」
俺は、そこで、少し嫌な気持ちになった。
十一年前である。俺は職掌表を作った。八歳だった。そして、諸葛亮に十三項が集まった。移す先が、なかったからだ。
そして、いまも、三項ある。減らしたのは、俺である。そして、十一年かかった。
「先生」
「はい」
「曹丕は、一度で分けましたね」
諸葛亮は、答えた。
「一度でございます」
「……」
「そして、死ぬ床でございます」
「——」
「数日で、決めております」
◆
龐統が、口を挟んだ。四十七である。そして、酒杯を持っていた。評定中である。十九年、この人はこれを直さない。
「陛下」
「はい」
「決めやすかったのでございます」
「なぜですか」
この男は、答えた。
「死ぬからでございます」
広間が、静かになった。そして、龐統は、こう続けた。
「生きておれば、分けられませぬ」
「はい」
「分ければ、自分の権が減りますゆえ」
「——」
「死ぬと分かれば、減りませぬ」
「——」
「既に、全部失うからでございます」
俺は、そこで、木簡を出した。三年前のものである。
白帝城で、父が書いた。最後の週報だ。そして、様式は、執行評議のものだった。
《最終責任者・劉備》
「士元どの」
「はい」
「父も、死ぬ前に書きました」
「存じております」
「……」
「そして、名を一つしか書いておられませぬ」
正しい。父は、諸葛亮一人に託した。李厳を副に置いたが、実質は一人である。
そして、曹丕は、四人に分けた。同じ状況で、逆をやった。
そして、どちらが正しいかは、まだ分からない。
「陛下」
法正が言った。
「一つ、申し上げます」
「はい」
この人は、別の竹簡を出した。薄い。四行しか書いていない。そして、四人の歳が並んでいた。
聞かれる前に、用意していた。十四年、この人はそうである。
曹真——五十前後
曹休——五十半ば
陳羣——五十前後
司馬懿——四十七
俺は、その四つを見た。
三人が、五十のあたりで並んでいる。そして、四行目だけ、数字が離れていた。
一人だけ、若い。三つか、四つである。それだけの差だ。そして、宗室では、ない。
三十年、生きればよい。この四人のうち、一人だけが、それを計算できる歳だった。
そして、二年前、馬謖が同じことを聞いた。
「三十年、待つ間に、魏も強くなりませぬか」
強くなる、と俺は答えた。そして、強くなる中身を、いま、見ている。
「士元どの」
「はい」
俺は、聞いた。
「この四人のうち、誰が最後まで残りますか」
龐統は、即答した。酒杯を、置きもしなかった。そして、地図も見なかった。
この男は、人事の質問にだけ、こういう答え方をする。
「若い者でございます」
「……」
「そして、宗室ではない者」
「なぜ、宗室ではないのですか」
この男は、答えた。
「宗室は、使われますゆえ」
「……」
「前に出されます」
「——」
「そして、前に出る者は、先に減ります」
俺は、そこで、背筋が冷たくなった。
正しい。そして、恐ろしい。
宗室の将は、大軍を任される。そして、大軍は、負けることがある。外臣は、後ろにいる。そして、生き残る。
負けない場所に置かれるのではない。負けても、責を負わない場所に置かれる。
諸葛亮が、羽扇を止めた。そして、こう言った。
「士元どの」
「はい」
「それは、我らにも申せますな」
広間が、静かになった。
俺は、そこで、数えた。
関羽。六十七。張飛。六十。趙雲。五十八。馬超。五十。龐統。四十七。諸葛亮。四十六。法正。五十。
そして、蔣琬。四十一。費禕。三十一。董允。三十六。王平。三十六。馬謖。三十六。郤正。二十一。
一番若い者が、二十一である。丞相に、子はいない。そして、俺にも、まだいない。
「先生」
「はい」
「我らも、同じです」
「はい」
「そして、一つ違います」
「何が、でございましょう」
俺は、答えた。
「我らは、まだ死んでいません」
諸葛亮の羽扇が、動いた。そして、こう言った。
「曹丕は、死ぬ床で分けました」
「はい」
「我らは、生きております」
「はい」
「——」
「では、分けるのが、難しゅうございますな」
◆
三日かかった。
【職掌 再分割】
丞相・諸葛亮
軍事/外交/人事の最終承認
—— 三項(従来 十三項)
尚書令・龐統
制度設計/新領土統合/技術
—— 三項
尚書・法正
敵情分析/特殊交渉
—— 二項
西曹掾・劉巴
財政/貨幣/府庫
—— 三項
侍中・董允
皇帝への諫言/後宮/記録監査
—— 三項
【諸葛亮】
職掌数 十三 → 三
権限委譲 8 → 34
三項である。十一年前、十三項だった。
「先生」
「はい」
「三十四です」
「……何が、でございましょう」
「権限委譲」
この人は、少し笑った。そして、こう言った。
「数えておられますので」
「十九年、数えています」
「初めは、いくつでございましたか」
俺は、答えた。
「三です」
諸葛亮は、羽扇を膝へ置いた。そして、こう言った。
「十九年で、三十一」
「はい」
「一年に、一と少しでございますな」
「——」
「遅うございます」
「先生」
「はい」
「曹丕は、数日でした」
「はい」
「そして、四人のうち一人が、全部取ります」
諸葛亮は、答えなかった。そして、しばらくして、こう言った。
「陛下」
「はい」
「十九年かけて分けたものは」
「はい」
「——」
「一年では、集まりませぬ」
そして、董允である。この人の欄が、三項になった。
《皇帝への諫言/後宮/記録監査》
そして、この人は、辞令を読んで、こう言った。
「陛下」
「休昭どの」
「一つ目が、職掌になっております」
「はい」
「叱ることが、職でございますか」
俺は、答えた。
「はい」
この人は、しばらく黙っていた。そして、こう聞いた。
「では、叱らねば、怠慢でございますか」
俺は、そこで、少し驚いた。そこまでは、考えていなかった。
「……はい」
「では、月に何度でございましょう」
「決めていません」
董允は、こう言った。
「決めてくださいませ」
「なぜですか」
この人は、答えた。
「決めねば、叱らぬ月がございましても、誰も気付きませぬ」
俺は、そこで、木簡へ書き取った。
四年前、俺は反対の数を数え始めた。
《月にゼロなら、制度が死んでいる》
そして、この人は、自分の職について、同じことを言っている。
「月に、一度以上」
俺は、答えた。
「はい」
「そして、ゼロの月は、理由を書いてください」
董允は、頭を下げた。そして、こう言った。
「……ゼロの月は、たぶん、ございませぬ」
◆
関羽は、四人の名を聞いて、こう言った。六十七である。武備学舎の祭酒を、二年やっている。
「陛下」
「叔父上」
「四人のうち、三人は、知らぬ」
「はい」
「一人は、知っておる」
俺は、そこで、顔を上げた。
「……どなたですか」
関羽は、答えた。
「陳羣だ」
意外だった。俺は、司馬懿だと思った。
「なぜですか」
この人は、こう言った。
「許におった頃、見た」
二十六年前である。曹操の下にいた一年だ。
「どういう人でしたか」
関羽は、しばらく黙った。そして、こう言った。
「人を、九つに分けておった」
「……九つ」
「うむ」
九品官人法である。十年ほど前に、この人が作った。
「叔父上」
「うむ」
「それは、良い制度ですか」
関羽は、答えた。
「知らぬ」
「……」
「そして、一つだけ分かる」
「何ですか」
この人は、こう言った。
「分けた者は、分け方を変えられぬ」
「……」
「三十年、同じ分け方が続く」
俺は、そこで、動きを止めた。
制度を作った人は、その制度に縛られる。そして、縛られた制度は、作った人が死んでも残る。
十九年、俺は制度を作ってきた。そして、俺が作った分け方も、たぶん、三十年残る。
◆
その夜、俺は木簡を出した。そして、書いた。
《四人に分けても、四人とも死ぬまで待てば、一人になる》
そして、その下に。
《分けるだけでは、足りない》
《次を、書かねばならない》
俺は、そこで、筆を止めた。
次。曹丕は、四人を書いた。そして、その四人が死んだ後を、書いていない。
当たり前である。死ぬ床だ。
俺は、もう一行書いた。
《俺は、生きている》
そして、その下に。
《だから、次の次まで書ける》
書けるはずだ。そして、十九年、書いていない。
理由は、分かっている。次の次を書くというのは、次の人が死んだ後を書くことである。
そして、いま、その「次」は、全員、生きている。
最後に、俺は別の木簡を出した。新しい一枚である。そして、表題を書いた。
《四人のうち、誰が残るか》
一行目に、書いた。
建興四年
曹真 曹休 陳羣 司馬懿
そして、その下に。
《士元どのの見立て——若い者。宗室でない者》
二年後、一人目が死ぬ。曹休である。そして、五年後に、二人目。曹真。十一年後に、三人目。陳羣。
残るのは、一人である。そして、そのときの俺は、三十二になっている。
このときの俺は、まだ知らない。司馬懿が、何年生きるかを。
そして、その男が死ぬ年に、誰が同じ年に死ぬかを。
〈あとがき〉
「決めやすかったのでございます」「なぜですか」「死ぬからでございます」——生きている人には、分けられません。分ければ、自分の権が減るからです。
十九年前、俺は自動車会社の記録を読んだ。決めることを二つに分け、紙に書いた話である。
あのとき、書いていなかったことが一つある。
その分け方を書いたのは、創業者が退いた後だった。
創業者が座っているうちは、誰も分けられない。分けるというのは、自分の決められる範囲を、自分で減らすことである。生きて、働いて、これからも決めるつもりの人間が、それをやる理由がない。
だから、分権の設計は、たいてい二つの時期にしか進まない。創業者が死んだ直後か、死ぬと決まった後である。
曹丕は、後者を選んだ。四十で、死ぬと分かって、四人に分けた。
そして、この国は、前者を選んだ。父が死んだ後、丞相に集めた。
どちらも、正しい。そして、どちらも、生きている人が自分から分けたのではない。
十九年で、三十一である。一年に、一と少し。
生きている人が、生きているうちに、自分から分けた数としては——たぶん、それが世界の相場だ。
四人の歳。三人が五十で並び、一人だけ四十七。「三十年、生きればよい。この四人のうち、一人だけが、それを計算できる歳だった」。
「宗室は、使われますゆえ。前に出されます。そして、前に出る者は、先に減ります」——負けない場所ではなく、負けても責を負わない場所です。
権限委譲、三から三十四。十九年で三十一。「一年に、一と少しでございますな。遅うございます」。そして「十九年かけて分けたものは、一年では、集まりませぬ」。
《劉禅文庫 再読『My Years with General Motors』——分権の設計が書かれるのは、創業者が死んだ直後か、死ぬと決まった後である。生きている人は、自分の範囲を自分で減らさない》
次回、第107話「費禕は、孫権に笑われても怒らない」。




