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転生したら劉禅だったので、諸葛亮に有給休暇を取らせます~MBAホルダーの阿斗、関羽の孤立・張飛のパワハラ・孔明の過労死を組織改革で止める~  作者: 東雲 諒杏
第六部 皇帝劉禅、諸葛亮から仕事を取り上げる

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第105話 官を置かない、という統治


【建興三年 十二月|成都】


南中(なんちゅう)が、平らいだ。


十二月である。三月に出て、九月。


戦死、四百十二。病死、六百八十。病のほうが、多い。そして、二年前の想定より、三割少なかった。


そして、諸葛亮(しょかつりょう)は、官を置かなかった。一人も、である。


    ◆


建興(けんこう)三年の暮れ。評定が、開かれた。そして、それが問題になった。


「丞相」


声を上げたのは、譙周(しょうしゅう)だった。二十五である。巴西(はせい)の出。


諸葛亮が学問所を作ったとき、最初に招いた一人だ。天文と暦に詳しく、経書を諳んじている。


そして、政に口を出したのは、これが初めてである。


「なぜ、官を置かれませぬ」


広間が、静かになった。諸葛亮は、羽扇(うせん)を止めた。そして、こう言った。


「三つ、ございます」


羽扇を、膝へ置いた。この人が羽扇を置いて話すのは、数えるときである。


「一つ」


「はい」


「外の官を置けば、兵を残さねばなりませぬ」


「二つ」


「はい」


「兵を残せば、糧が要ります」


そして、三つ目である。この人は、そこで、少し黙った。そして、言った。


「夷(い)は、破れたばかりでございます」


「……」


「父兄を、失っております」


「……」


「恨みが、残っております」


「——」


「そこへ官を置けば、その官が最初に殺されます」


俺は、その三つを聞いて、動けなくなった。


十一年前である。益州(えきしゅう)を取った後、この人は俺の書状にこう返してきた。


《斬られた者の一族は、三十年、覚えております》


同じである。十一年、この人は同じことを言っている。


そして、十一年前は、俺が書いた。今日は、この人が言っている。


「丞相」


譙周が、聞いた。


「はい」


「では、治めぬということでございますか」


諸葛亮は、答えた。


「治めさせます」


「……」


「彼の者らに、でございます」


「反しませぬか」


この人は、こう言った。


「反します」


広間が、静かになった。


「いつか、反します」


「……」


「そして、官を置いても、反します」


「——」


「違うのは、何年後か、でございます」


前世で、俺は国が豊かになる条件を調べた本を読んだ。国境を挟んで、同じ言葉を話し、同じものを食べている二つの町が、片方だけ栄えている——そういう例がいくつも並んでいた。


違いは、資源でも、気候でも、人の勤勉さでもなかった。


取る側が、取るためだけの仕組みを置いたかどうかである。


役所を置き、税を集め、集めた分を外へ運ぶ。それを続けると、その土地の人は、働いても自分のものにならないと学ぶ。学べば、働かない。働かなければ、取れる量が減る。減れば、もっと強く取る。


その本には、そういう仕組みを「収奪的」と呼ぶ、と書いてあった。そして、収奪的な仕組みは、たいてい、悪意で作られていない。効率で作られている。


官を置くのは、正しい。置けば、税が確実に入る。命令も届く。数も分かる。


そして、置いた瞬間から、この土地の人は「取られる側」になる。


丞相が置かないと言っているのは、統治を諦めることではない。取られる側を、作らないということである。


俺は、そこで、口を開いた。


「允南どの」


「はい」


「数えましょう」


譙周は、怪訝な顔をした。


「数える、でございますか」


「はい」


「何を、でございましょう」


俺は、答えた。


「次に反するまでの年数です」


    ◆


【南中統治 方式】


一 現地首領による自治

二 庲降都督(李恢)を置く。ただし兵は最小

三 交易の窓口を、成都に置く

四 首領の子弟を、成都の学舎へ受け入れる

五 通訳を、双方に置く


【評価】


 次に反乱が起きるまでの年数を、記録する

 官を置いた場合の想定と、比較する


評価の欄である。そして、これを書いたのは、俺だ。


「陛下」


諸葛亮が言った。


「想定は、誰が書きますか」


俺は、趙雲(ちょううん)を見た。五十七である。そして、危機評価役を、十五年やっている。


「子龍どの」


「陛下」


「官を置いた場合を、書いてください」


この人は、頷いた。そして、三日で持ってきた。


【想定 官を置いた場合】


一年目 平穏

二年目 徴税をめぐる衝突(小)

三年目 現地首領の一部が離反

四年目 官の殺害(推定)

五年目 鎮圧のための出兵


推定 五年以内に、再度の出兵が必要


五年である。


「子龍どの」


「はい」


「根拠は」


この人は、答えた。


「十一年前の益州でございます」


「……」


「あのとき、漢中(かんちゅう)に官を置きました」


「——」


「そして、三年で、一度揉めております」


俺は、そこで、自分が忘れていたことに気付いた。


記録が、ある。そして、誰も見ていなかった。


十一年前の帳である。俺が作らせた。そして、作らせたことすら、忘れていた。


十五年、この人は危機評価役をやっている。そして、その仕事は、たいてい、他人が忘れた帳を読むことである。


    ◆


そして、四番目である。首領の子弟を、学舎へ受け入れる。


「陛下」


譙周が言った。


「四番目は、人質でございますか」


広間が、静かになった。そして、俺は、答えた。


「半分は」


譙周の目が、細くなった。


「残る半分は」


俺は、答えた。


「二十年後に、官になります」


「南中の者が、でございますか」


「はい」


「朝廷に、でございますか」


「はい」


譙周は、長いこと黙っていた。そして、こう言った。


「前例が、ございませぬ」


俺は、答えた。


「知っています」


そして、こう続けた。


「前例は、最初の一度で作られます」


譙周は、何も言わなかった。そして、拝礼して退がった。


後に、俺は知る。この人は、その日、竹簡(ちくかん)に一行書いた。三十八年後、降伏を説く人である。


《前例なきことを、前例とせらる》


《善きことか、悪しきことか、分からず》


分からず、と書いてある。反対とは、書いていない。


そして、この人は、この日から三十八年、その竹簡を持ち続ける。


    ◆


そして、庲降都督である。李恢(りかい)が、南に残った。


建寧(けんねい)の出である。南中の生まれで、漢の官になった。


十七年前、この人は自分から劉備のところへ来た。そして、馬超(ばちょう)を説きに行った男でもある。


「李恢どの」


「陛下」


「兵は、何人残されますか」


この人は、答えた。


「五百でございます」


俺は、そこで、聞き返した。


「……五百」


「はい」


「一万余の部族を、五百でですか」


李恢は、頷いた。そして、こう言った。


「多ければ、守ることになりますゆえ」


「……」


「五百なら、守れませぬ」


「——」


「守れぬと分かれば、話をいたします」


俺は、そこで、この人の見立てを理解した。


兵を置くと、その兵を守る必要が出る。そして、守り始めた瞬間から、外と内ができる。


五百は、守るには少なすぎる数である。そして、話をするには、充分な数だった。


「李恢どの」


「はい」


「殺されませんか」


この人は、少し笑った。そして、こう答えた。


「殺されるときは、五千でも殺されます」


三番目である。交易の窓口を、成都に置く。劉巴(りゅうは)が、これを設計した。


「子初どの」


「陛下」


「南と、何を交わしますか」


この人は、竹簡を出した。そして、二列に分けてあった。


《南より——金、丹、漆、耕牛、戦馬》


《我らより——塩、鉄、布》


俺は、そこで、手が止まった。


塩である。三年前、馬謖(ばしょく)が一年かけて持ち帰った答えだ。


「止めてはなりませぬ。止めれば、呉から買います」


「子初どの」


「はい」


「塩は、いくらで売りますか」


劉巴は、答えた。


「安く」


「なぜですか」


この人は、こう言った。


「高ければ、呉から買いますゆえ」


「——」


「そして、呉から買えば、呉の話を聞きます」


俺は、そこで、木簡へ書き取った。


安く売るというのは、施しではない。その相手が、他所へ行かないようにする費用である。


そして、それは、兵を置くより安い。


【交易 初年度】


南より 金・丹・漆 推定 年三千斤相当

我らより 塩 年四千石


差引 我らの持ち出し わずか


備考

 この差引は、兵五百分の糧より、少のうございます。


備考を書いたのは、劉巴である。


    ◆


無当飛軍(むとうひぐん)である。諸葛亮は、南中の勇士を編成した。一万余。青羌の精鋭である。


そして、この部隊には、一つ、他と違うところがあった。


「陛下」


王平(おうへい)が言った。三十五である。そして、漢中から呼び戻された。


「この者らへ、命を伝える方法がございませぬ」


「漢語が、ですか」


「通じませぬ」


「通訳は」


この人は、答えた。


「五十人では、足りませぬ」


「……」


「一万でございます」


俺は、そこで、思い出した。六年前である。漢中で、作ったものがある。


十字教練。進む。退く。待つ。水。火。北。南。敵。味方。止め。


「子均どの」


「はい」


「十字を、絵にできますか」


王平は、しばらく考えた。そして、答えた。


「……できます」


「なぜ、分かりますか」


この人は、言った。


「私が、そうやって覚えましたゆえ」


俺は、そこで、動けなくなった。


識字、十字に満たず。六年前、定軍山(ていぐんざん)の後に降ってきたとき、そう表示された。


そして、この人は、絵で覚えた。誰にも教わらずに、である。「進む」という字を、足の形として覚えた。意味を知らずに、形だけを覚えた。


そして、それが、いま、一万人に効く。


十日かかった。王平は、十の絵を作った。


【十字 図示】


進む  足跡が前を向く

退く  足跡が後ろを向く

待つ  足跡が二つ、並ぶ

水   波

火   三本の線

北   山

南   川

敵   黒い旗

味方  白い旗

止め  横線


十である。そして、線が少ない。


「子均どの」


「はい」


「なぜ、線が少ないのですか」


この人は、答えた。


「多いと、覚えられませぬ」


「はい」


「そして、急ぐと、書けませぬ」


「——」


「命は、急ぐときに書きますゆえ」


俺は、そこで、一つ聞いた。


「子均どの」


「はい」


「試されましたか」


王平は、答えた。


「はい」


「どのように」


「暗くしました」


「……」


「そして、書かせました」


夜である。命令は、夜に出る。そして、夜に書ける絵だけが、残った。


三月かかった。一万が、十を覚えた。


【無当飛軍】


編成 一万余

命令伝達 図示十種


伝達所要(試験)

 従来(通訳経由) 半刻

 図示       一息


備考

 この部隊は、

 言葉が通じないほうが、速うございます。


備考を書いたのは、王平である。


「子均どの」


「はい」


「速い、とは」


この人は、答えた。


「漢語は、言い方が多うございます」


「はい」


「『退け』『下がれ』『引け』『戻れ』」


「……」


「絵は、一つでございます」


俺は、そこで、前世を思い出した。


標準化である。言葉を減らすと、速くなる。そして、間違いが減る。


多国籍の工場で、標識を絵にした会社があった。そして、事故が四割減った。


あのとき、俺は「文化の壁を越えた」と報告書に書いた。


越えていない。言葉を、十まで減らしただけである。


    ◆


そして、翌年の春。首領の子弟が、成都へ着いた。十四人である。いちばん若い者が、九つだった。


俺は、門まで行った。十九である。そして、皇帝である。普通は、行かない。そして、行った。


十四人は、馬から降りて、並んだ。そして、誰も、拝礼の仕方を知らなかった。教えられていない。


馬謖が、慌てて前へ出ようとした。俺は、手で止めた。そして、通訳を呼んだ。


「一つだけ、聞いてください」


「はい」


俺は、言った。


「名を、どう呼ばれたいか」


通訳が、訳した。十四人が、顔を見合わせた。


そして、いちばん年上の少年が、答えた。十六か、十七である。通訳が、こう訳した。


「『こちらでは、漢の名を付けられると聞いております』」


俺は、答えた。


「付けません」


通訳が、訳した。そして、十四人の顔が、変わった。


「そちらの名で、簿に書きます」


「——」


「音のまま、書きます」


「——」


「そして、その横に、こちらでどう呼ばれているかを書きます」


三年前、関羽(かんう)が言ったやり方である。そして、この人は、そのために、南の音を写す字を三百、選んでいた。


六十七である。そして、目が悪くなっている。


その夜、俺は木簡(もくかん)を出した。《名のない者》である。


そして、十四人を書いた。音のままである。そして、その横に、成都でどう呼ばれるかを書いた。


二行になった。一人につき、二行である。


十九年、俺は一人につき一行で書いてきた。そして、初めて、二行必要な人が来た。


    ◆


その夜、俺はもう一枚、木簡を出した。そして、書いた。


《言葉が通じないほうが、速い》


そして、その下に。


《ただし、十しか言えない》


十で足りるのは、命令だけである。不満は、十では書けない。


そして、この部隊が不満を持ったとき、それを伝える手が、まだない。


俺は、その一行を書き足そうとして、やめた。


書けば、対策を作らなければならない。そして、いま、作れない。


代わりに、別の木簡へ回した。


《まだ、手のないもの》


十九年で、三行目である。


最後に、俺は別の木簡を出した。新しい一枚である。そして、表題を書いた。


《次に反するまでの年数》


一行目に、書いた。


南中 建興三年 平定


《官を置いた場合の想定——五年》


《官を置かなかった場合——?》


「?」である。そして、この欄は、埋まらない。埋まるのは、反したときだからだ。


俺は、その疑問符を、長いこと見ていた。


十九年、俺は簿を作ってきた。そして、埋まらないことが成功である欄を作ったのは、これが初めてである。


三十八年後、俺はこの木簡を焼くことになる。


そして、そのとき、この欄は、まだ、空白のままである。



〈あとがき〉


「反します」「いつか、反します」「そして、官を置いても、反します」「違うのは、何年後か、でございます」——十一年前、主人公が書いた《斬られた者の一族は、三十年、覚えております》の、返信のような回答です。


「四番目は、人質でございますか」「半分は」「残る半分は」「二十年後に、官になります」。譙周が書いた一行は「反対」ではなく「分からず」でした。そして三十八年、持ち続けます。


そして王平の十の絵。「暗くしました。そして、書かせました」——命令は夜に出ます。夜に書ける絵だけが、残りました。


《次に反するまでの年数》。埋まらないことが成功である欄を、十九年で初めて作りました。


《劉禅文庫 蔵書その五十『国家はなぜ衰退するのか』——収奪する仕組みは、悪意で作られない。効率で作られる。そして、置いた瞬間から、取られる側ができる》


次回、第七部開幕。曹丕が死に、四人が指名されます。


    (西暦226〜231年)


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