第104話 城ではなく、心を攻める
【建興三年 春|成都(南征開始)】
南征が、始まった。
二年、待った。そして、三月に出た。
◆
建興三年の春。瀘水が、渡れる月である。五月から七月は、渡れない。
去年、龐統の測量隊が調べた。そして、八十一人のうち、七人が帰らなかった。
諸葛亮が、自ら行った。四十四である。そして、王連が止めた。
「丞相」
王連である。塩鉄の校尉を務めている。この人が評定で発言するのは、年に二度か三度だ。塩と鉄の数字を読み上げるとき以外、口を開かない。
そして、この日は、自ら立った。
「不毛の地、疫癘の郷でございます」
「はい」
「一国の望みを懸ける方が、危険を冒すべきではございませぬ」
正しい。
南中で、漢の軍が失った兵の数を、俺は知っている。後漢の百年で、七度。うち五度は、戦わずに退いた。
瘴気である。そして、王連は、その数字を読んで立った。
塩鉄の校尉が、である。数字を扱う人が、いちばん先に止めに来る。十七年、この国では、いつもそうだった。
そして、諸葛亮は、行った。
「先生」
「はい」
「王連どのの申されることは」
この人は、答えた。
「正しゅうございます」
「はい」
「そして、参ります」
「なぜですか」
諸葛亮は、少し黙った。そして、こう言った。
「去年、七人死にました」
「はい」
「測量の者でございます」
「——」
「そして、その者らは、私が行かぬために死にました」
俺は、そこで、止められなくなった。
◆
配置である。
【南征 配置】
中道 諸葛亮(本隊)
西道 李恢
東道 馬忠
随行 馬謖
記録 陳紀(成都で集計)
留守
成都 関羽
巴西 張飛
関羽を、行かせない。
「叔父上」
「うむ」
「南へは、行かれません」
関羽の眉が、動いた。
「……なぜだ」
俺は、答えた。
「成都に、残ってください」
「兵は、南に要る」
「はい」
「では」
俺は、言った。
「丞相が留守のあいだ、この国で最も偉いのは、私です」
「……うむ」
「十八です」
関羽が、動きを止めた。
「十八の皇帝に、反対できる人が要ります」
この人は、しばらく黙っていた。そして、こう言った。
「……董允がおろう」
「はい」
「あの者は、叱る」
「はい」
俺は、言った。
「叱るだけでは、足りません」
「……」
「止める人が、要ります」
関羽は、長いこと俺を見ていた。そして、こう聞いた。
「止めるとは、何をする」
俺は、答えた。
「座っていてください」
この人は、怪訝な顔をした。
「……座る」
「はい」
「それだけか」
「それだけです」
俺は、こう続けた。
「私が何か決めるとき、あなたが座っておられれば」
「……」
「一度、考えます」
五年前、馬岱が同じ職を受けた。「後ろに、立ってください」と、俺は言った。そして、職掌表には「従軍」と書いた。
今度は、座る職である。そして、これも、職掌表には書けない。
関羽は、それ以上聞かなかった。そして、承知した。
◆
三月に出た。成都を出る朝、俺は門まで行った。
兵は、一万二千である。そして、荷を運ぶ者が、三千。通訳が、五十人。薬師が、十四人。画工が、六人。
二年前に養成した者たちである。軍ではない。
画工は、地図を描く。そして、部族の印を写す。字が通じない土地では、印が名前の代わりになる。
諸葛亮は、輿に乗らなかった。馬である。四十四で、六百里を馬で行く。
俺は、一つだけ頼んだ。
「先生」
「はい」
「三日に一度、輿に乗ってください」
この人は、答えた。
「承りました」
そして、乗らなかった。後に、陳紀の記録で分かる。
《輿、使用——なし》
誤記発見九十一の男が、「なし」と書いた。ゼロではない。使用がなかった、である。
この人は、その区別を守る。
四月。軍は、三つに分かれた。西へ李恢。東へ馬忠。そして、中を諸葛亮。
報告は、七日ごとに来た。様式は、十二項目である。二年前、測量隊のために作ったものだ。
五月、瀘水を渡った。報告に、一行あった。諸葛亮の字である。
《渡るに先立ち、川の水を煮て飲ませました》
《生で飲んだ者、十一人》
《うち、臥した者、九人》
《煮て飲んだ者、一万四千》
《臥した者、百三十》
俺は、その五行を、長いこと見ていた。
二年である。測量隊が、瘴気の出る月を調べた。七人が、帰らなかった。そして、水を煮れば減ることが、分かった。
理由は、誰にも説明できない。そして、数えれば、分かる。
十一人のうち、九人。一万四千のうち、百三十。八割と、一分である。
そして、この五行を書くために、去年、七人が死んだ。
◆
高定は、越巂で敗れた。そして、斬られた。朱褒は、牂柯で敗れた。そして、馬忠に降った。雍闓は、去年、高定の部下に殺されている。
二年、待った結果である。三人のうち一人は、待っているあいだに、味方に殺された。
そして、四人目が出てきた。
報せは、六月に来た。馬謖の字である。三十五。越巂の太守をやっている。そして、この人は、南征に随行した。
《孟獲と申す者あり》
《夷・漢、ともに服す》
夷と漢、両方である。
雍闓は、漢の豪族だった。そして、夷に従われていなかった。この男は、違う。
俺は、竹簡を開いた。そして、馬謖は、献策を書いていた。
《南中は、険しきを恃み、遠きを恃み、久しく服せず》
《今日破るとも、明日復た反せん》
《用兵の道は、心を攻むるを上と為し、城を攻むるを下と為す》
《心戦を上と為し、兵戦を下と為す》
《願わくは、その心を服せしめよ》
俺は、その四行を、長いこと見ていた。
二年前である。馬超が、同じことを言った。
「首領を、斬ったからでございます」
「斬れば、次の首領が出ます」
「そして、次の首領は、我らを知りませぬ」
涼州の男が、先に言っていた。
俺は、馬超を呼んだ。四十九である。そして、後ろに馬岱が立っている。
「孟起どの」
「陛下」
「これを」
俺は、竹簡を見せた。この人は、それを読んだ。そして、こう言った。
「同じでございます」
「はい」
「誰が、書きましたか」
「馬幼常です」
馬超は、少し黙った。そして、こう聞いた。
「私の話を、聞いておりましたか」
俺は、答えた。
「書き取りました」
「……」
「そして、渡しました」
馬超は、長いこと動かなかった。そして、こう言った。
「陛下」
「はい」
「私の言が、南で使われております」
「はい」
「三十年、涼州で申しておりました」
「……」
「誰も、聞きませなんだ」
俺は、そこで、一つだけ言った。
「孟起どの」
「はい」
「書き取った日を、覚えています」
「……」
「二年前の、冬です」
この人は、そこで、初めて俺の顔を見た。
普段、この人は、少し横を見て話す。壁を背にする癖と、同じ理由である。
そして、その日は、正面から見た。
◆
そして、七度である。
報告は、一月に一度、来た。そして、陳紀が集計した。数字が、出た。
【南中 鎮撫】
孟獲 捕獲 一度目/解放 一度目
捕獲 二度目/解放 二度目
捕獲 三度目/解放 三度目
捕獲 四度目/解放 四度目
現地部族の追随率
一度目 十一%
二度目 十九%
三度目 三十四%
四度目 五十八%
追随率である。そして、この項目を作ったのは、陳紀だった。
「陳紀どの」
「陛下」
「追随率とは」
この人は、答えた。
「孟獲に従っていた部族のうち」
「はい」
「我らに付いた数でございます」
「数えられますか」
「数えております」
「——」
「通訳が、五十人おりますゆえ」
二年前に養成した。そして、今、数えている。
「陳紀どの」
「はい」
「なぜ、この項目を作られましたか」
この人は、少し黙った。そして、こう答えた。
「捕らえた数だけでは、進んでいるか分かりませぬゆえ」
【前例どおり】の人である。改革意思十二。
そして、この人が新しい項目を作ったのは、十七年で二度目だった。一度目は、命令照合の帳である。
五度目。七十一パーセント。六度目。八十四パーセント。
六度目の報告に、注記があった。李恢の字である。
《孟獲、自ら降らんとす》
《部下、これを止む》
《部下、曰く。「まだ早い」》
俺は、その一行で、笑ってしまった。
部下が、止めている。「まだ降るな」ではない。「まだ早い」である。
この時点で、勝敗は関係なくなっている。部族が、まだ揃っていない。だから、降るのは早い、と言っている。
孟獲の部下が、諸葛亮の作戦の進行を管理し始めていた。
七度目。孟獲は、言った。
《公、天威なり》
《南人、復た反せず》
諸葛亮の報告には、その一行の後に、こう書いてあった。
《この者は、七度、逃げる機会を得た》
《そして、七度とも、戻ってきた》
《ゆえに、信ずる》
俺は、その三行を、長いこと見ていた。
七度、逃げられた。そして、七度とも、戻ってきた。
逃げなかったのではない。戻ってきたのである。
そして、俺は、十九年前を思い出した。孟達である。
「逃げる、とき」
「逃げる、前に」
「言って」
そして、法正が、こう言った。
「逃げ道がないと、逃げます」
十九年である。そして、あの人は、いまも上庸にいる。そして、「まだ、決めておりませぬ」と書いてきたきりだ。
◆
その夜、俺は木簡を出した。そして、書いた。
《七度、逃げられた》
そして、その下に。
《七度とも、戻った》
そして、その下に。
《逃げ道があると、戻ってくる》
俺は、そこで、筆を止めた。
七度である。そして、七度目に降ったのは、孟獲が折れたからではない。部族が、揃ったからだ。
時間を、かけた。
十七年、俺は「間に合わない」と言い続けてきた。そして、この戦は、間に合わせなかったことで、勝った。
十二月。諸葛亮が、帰ってきた。成都の門で、俺は待っていた。そして、関羽が隣にいた。六十六である。
そして、九月、この人は一度、俺を止めた。
九月である。南から、捕虜の扱いについて問い合わせが来た。そして、俺は「全員、解き放て」と言おうとした。
そのとき、関羽が、座っていた。広間の隅である。そして、何も言わなかった。
俺は、一度、考えた。そして、条件を付けた。
「名を記してから、解き放て」
名を記さずに解けば、二度目に捕らえたとき、同じ人か分からない。
そして、七度、解いた。もし名を記していなければ、追随率は数えられなかった。
「叔父上」
「うむ」
「九月に、助けていただきました」
関羽は、怪訝な顔をした。
「何もしておらぬ」
「はい」
俺は、答えた。
「座っておられました」
〈あとがき〉
「その者らは、私が行かぬために死にました」——去年、測量で七人が帰りませんでした。丞相が自ら行った理由です。
《煮て飲んだ者、一万四千。臥した者、百三十》。八割と、一分。この五行を書くために、去年、七人が死んでいます。
「私の言が、南で使われております。三十年、涼州で申しておりました。誰も、聞きませなんだ」——壁を背にする人が、初めて正面から顔を見ました。
「部下、曰く。『まだ早い』」。この時点で、勝敗は関係なくなっています。
そして「座っておられました」。五年前、馬岱に頼んだ「後ろに立つ職」と同じで、職掌表には書けません。
《劉禅文庫 三読『人を動かす』——城ではなく、心を攻める。十九年前、父が読まずにやっていたことが、今日、国策になった》
次回、第105話「官を置かない、という統治」。




