第101話 軍神に、退き方を教えさせる
【建興二年|成都】
関羽に、職がなかった。
前将軍である。荊州牧でもある。
そして、荊州は、四年前に半分を呉へ渡した。
◆
建興二年。俺は十七になった。即位して、二年目である。
南中は、二年待つと決めた。そして、その二年で、職掌の見直しをしていた。
書き出してみて、空欄が一つあった。
【前将軍・荊州牧 関羽】
職掌
——
空欄である。
名目の官はある。禄も出ている。朝には、評定へ出てくる。そして、ほとんど発言しない。
この人は、四年、そうしている。
四年前、旗を降ろした。そして、成都へ来てから、名簿を書いている。
三万人分。四千二百人分。三百四十二人分。そして、三千八百四十二人分。
全部、俺が頼んだ仕事である。そして、どれも、職掌表には書いていない。
きっかけは、董允だった。侍中である。二年前、俺が置いた。
《皇帝を叱る者を、置く》
「陛下」
「休昭どの」
「一つ、申し上げます」
この人が「申し上げます」と言うときは、たいてい、聞きたくない話である。
「どうぞ」
董允は、言った。
「前将軍のことでございます」
「はい」
「禄が、出ております」
「はい」
「そして、職掌が、書かれておりませぬ」
「……」
「陛下」
「はい」
「これは、叔父だからでございますか」
俺は、そこで、答えられなかった。
そうかもしれない。
十四年前、この人は俺に春秋を教えた。公安である。俺は六つで、この人は五十を過ぎていた。そして、二人で一年、暮らした。
四年前、この人は樊城で旗を降ろした。六十年の生涯で、初めてだった。
そして、俺は、その後の職を、書かなかった。
「休昭どの」
「はい」
「書きます」
「はい」
「そして、あなたに、叱られる前に書けなかったことを、覚えておきます」
董允は、頭を下げた。そして、こう言った。
「次は、早く申し上げます」
◆
その足で、俺は丞相府へ行った。諸葛亮は、南征の準備をしていた。
四十四である。地図が、三枚広げてある。そして、羽扇は膝の上だった。
「先生」
「陛下」
「叔父上に、職を作ります」
この人は、顔を上げた。そして、こう聞いた。
「軍でございますか」
「違います」
「では」
俺は、答えた。
「教える職です」
諸葛亮は、しばらく黙っていた。そして、こう言った。
「反対いたします」
俺は、そこで、少し驚いた。
この人が、正面から反対するのは、久しぶりである。三年で、二度目だった。
「理由を」
諸葛亮は、答えた。
「雲長どのは、教えられませぬ」
「なぜですか」
「自分が分かることを、人が分からぬ理由が、分からぬからでございます」
俺は、そこで、動けなくなった。
正しい。そして、それは、この人自身のことでもある。
「先生」
「はい」
「それは、あなたのことですか」
諸葛亮は、羽扇を止めた。そして、長いこと黙っていた。やがて、こう言った。
「……私のことでもございます」
「では、反対理由を書いてください」
「承りました」
そして、この人は、こう付け足した。
「一つ、申し上げます」
「どうぞ」
「雲長どのは、一度だけ退かれました」
「はい」
「私は、三度退いております」
「そして、三度とも、自分で決めました」
「はい」
諸葛亮は、こう言った。
「自分で決めた退却は、教えられませぬ」
「……」
「判断でございますゆえ」
「退き方では、ございませぬ」
俺は、そこで、理解した。
この人は、反対しながら、理由を渡している。関羽でなければならない理由を、である。
自分で決めて退いた人は、「そのとき、そう思った」としか言えない。命じられて退いた人は、何が起きたかを、順に言える。
「先生」
「はい」
「反対理由は、残します」
「はい」
「そして、やります」
諸葛亮は、頷いた。そして、こう言った。
「そうなさいませ」
◆
俺は、その日、関羽の部屋へ行った。成都の、東の邸である。
広い。そして、物がない。竹簡が、一巻だけ置いてあった。春秋左氏伝である。
十四年前、公安で見たものと、同じ巻だった。
「叔父上」
「……陛下」
この人は、拝礼しようとした。俺は、手で止めた。
「やめてください」
「なりませぬ」
「二人です」
関羽は、しばらく黙った。そして、拝礼をやめた。四年で、初めてである。
「叔父上」
「うむ」
「お仕事を、お願いします」
この人の眉が、動いた。
「……職か」
「はい」
「兵は、要らぬ」
即答だった。そして、俺が言う前に、断られた。
「なぜですか」
関羽は、答えた。
「六十四だ」
「はい」
「馬に、半日しか乗れぬ」
「はい」
「そして、樊城で、旗を降ろした」
この人は、それを言った。四年、誰にも語らなかったことを。
「降ろした将が、兵を率いるべきではない」
俺は、そこで、聞いた。
「叔父上」
「うむ」
「曹沫は、どうですか」
関羽の動きが、止まった。
十一年前である。公安で、俺は馬良に「負けた人の話」を探させた。二か月かかって、曹沫が出てきた。
魯の将である。斉に三度負けた。そして、更迭されなかった。十数年後、柯の会盟で、匕首一本で全部取り返した。
あのとき、俺は五歳の音読で、この話を読んだ。そして、聞いた。
「このはなし、しってた?」
この人は、答えた。
「覚えておらなんだ」
「叔父上」
「……うむ」
「今は、いかがですか」
長い沈黙があった。部屋には、竹簡が一巻しかない。そして、その巻には、曹沫が入っている。
やがて、関羽は言った。
「……覚えた」
「いつですか」
「四年前だ」
俺は、そこで、動けなくなった。
四年前。樊城である。旗を降ろした日だ。
そして、この人は、その日に思い出した。十一年前、五歳の子が読んだ話を。
暗誦率九十七の人である。そして、残る三パーセントに、この話が入っていた。
十一年、この人はそれを持ち歩いていた。読んだのではない。持っていた。
◆
「叔父上」
「うむ」
「学舎を、作ります」
「……」
「武備学舎と申します」
「はい」
「そして、あなたに、祭酒をお願いします」
関羽は、聞いた。
「何を教える」
俺は、答えた。
「退き方を」
部屋が、静かになった。そして、関羽は、しばらく窓の外を見ていた。やがて、言った。
「陛下」
「はい」
「この国に、退き方を教える者は、おらぬのか」
俺は、答えた。
「おりません」
「……」
「十七年、探しました」
「子龍がおろう」
俺は、首を振った。
「あの人は、退いたことがありません」
「……」
「あの人は、退路を作る人です」
「——」
「作る人と、退く人は、違います」
関羽は、そこで、初めて俺を見た。
「……陛下」
「はい」
「私は、一度だけだ」
「はい」
「六十年で、一度」
俺は、答えた。
「だから、お願いしています」
「……」
「十度も退いた人は、退き方を教えられません」
「——」
「癖になっているからです」
「——」
「一度だけの人が、いちばん正確に覚えています」
関羽は、長いこと黙っていた。そして、竹簡へ手を伸ばした。春秋である。十四年前と、同じ巻だ。
そして、こう言った。
「条件が、三つある」
「一つ」
「はい」
「兵を、教えぬ」
「……」
「将を、教える」
「なぜですか」
関羽は、答えた。
「退くと決めるのは、将だ」
「はい」
「兵は、従うだけだ」
「——」
「そして、将が退けねば、兵は死ぬ」
「二つ」
「はい」
「負けたことのある者を、優先する」
俺は、そこで、顔を上げた。
「負けた者、ですか」
「うむ」
「なぜですか」
この人は、答えた。
「勝った者は、聞かぬ」
「……」
「四年前まで、私がそうだった」
「三つ」
関羽は、そこで、少し間を置いた。そして、言った。
「私が、樊城のことを話す」
「……」
「旗を降ろした日のことだ」
「……はい」
「全部、話す」
俺は、そこで、息を呑んだ。
四年、この人は語らなかった。誰にも、である。そして、俺にも。
「叔父上」
「うむ」
「辛くありませんか」
関羽は、答えた。
「辛い」
「……」
「だが、辛くない話を教えても、覚えぬ」
そして、この人は、こう付け足した。
「荀息の話は、一度で覚えた」
「はい」
「曹沫は、十一年かかった」
「——」
「同じ本に、書いてある」
荀息は、約束を守って死んだ人である。そして、曹沫は、負けて生き延びた人だ。
同じ本に、両方載っている。そして、この人は、片方を一度で覚え、もう片方に十一年かかった。
◆
【武備学舎】
祭酒 関羽
教科
一 春秋
二 退却
三 守城
四 報告
入学
将官および候補
負けた経験のある者を優先する
備考
この国で、退却を教えられる者は、
実際に退いたことのある者だけです。
備考の一行を、俺が書いた。そして、四つ目の教科を足したのは、董允である。
「陛下」
「はい」
「報告を、入れてください」
「なぜですか」
この人は、答えた。
「退けと言えぬ将は、まず、報告ができませぬ」
最初の入学者は、十七人だった。そのうち、十一人が東方大演習の帰還者である。そして、四人が樊城の生き残りだった。
そして、二人。
「陛下」
馬謖が、名簿を持ってきた。三十四である。越巂の太守になっている。そして、二年前から、南中の情報を集めている。
「糜芳どのが、願い出ておられます」
俺は、その名で、手が止まった。
四年前。この人は、辞表を書いた。関羽に、二十人の前で「還らば、當にこれを治めん」と言われた人である。
そして今、成都の商業調達部門にいる。
「幼常どの」
「はい」
「子方どのは、将ではありません」
「はい」
「なぜ、入学を」
馬謖は、答えた。
「願書に、書いてございます」
そして、竹簡を差し出した。俺は、それを開いた。
《私は、四年前、逃げようとしました》
《そして、辞表を書きました》
《書いてよいと、殿下が仰せになりましたゆえ》
《ですが、あれは、退いたのではございませぬ》
《ただ、辞めただけでございます》
《退き方を、学びとうございます》
俺は、その三行を、長いこと見ていた。
辞めることと、退くことは、違う。この人は、四年かけて、それに気付いた。
そして、関羽に習いに行くと言っている。四年前、自分を「処分する」と言った人に、である。
俺は、関羽のところへ、その願書を持っていった。この人は、それを読んだ。そして、長いこと黙っていた。やがて、言った。
「入れる」
「よろしいのですか」
「うむ」
そして、こう付け足した。
「この者は、負けた者だ」
「……」
「そして、逃げなかった」
俺は、そこで、一つだけ聞いた。
「叔父上」
「うむ」
「謝られますか」
関羽は、答えなかった。そして、しばらくして、こう言った。
「……授業で、話す」
「はい」
「二十人の前で申したことは」
「——」
「十七人の前で、取り消す」
◆
授業が、始まった。俺は、一度だけ、それを見に行った。傍聴である。十七だが、皇帝である。
入ると、全員が立った。そして、関羽だけが、立たなかった。祭酒だからである。これは、俺が決めた規定だ。
その日、この人は樊城を講じていた。地図が、床に広げてある。そして、旗が立ててある。木で作った、小さな旗だ。
「ここで、于禁を降した」
「はい」
「三万である」
「はい」
この人は、旗を一本、動かした。
「そして、糧が足りなくなった」
「——」
「捕らえた三万を、食わせねばならぬからだ」
俺は、そこで、この人の教え方が変わったことに気付いた。
十四年前、この人は音読しかしなかった。「分からぬ」と言うと、同じ速度で同じ文を読んだ。
今は、旗を動かしている。分からない人のために、見えるものを作っている。
諸葛亮の反対理由は、たぶん、四年前までは正しかった。
「では、問う」
関羽が言った。
「この時、退くべきか」
十七人が、黙った。そして、一人が答えた。
「退くべきです」
「なぜだ」
「糧が足りませぬ」
関羽は、頷いた。そして、聞いた。
「では、捕虜三万は、どうする」
その将は、答えられなかった。
「置いていけば、また兵になる」
関羽は、言った。
「連れていけば、遅くなる」
「……」
「斬れば、終わる」
部屋が、静まり返った。そして、この人は、こう言った。
「私は、斬らなかった」
「……」
「そして、遅くなった」
「——」
「そのために、四十時間を、買わねばならなかった」
俺は、そこで、立ち上がりそうになった。
四十時間である。四年前、俺が呂蒙から買ったものだ。馬良を使者に立てて、交渉した。三十八時間まで値切られた。
そして、この人は、それを知っている。知っていて、四年、何も言わなかった。
「買ったのは、誰だ」
将の一人が、聞いた。関羽は、答えた。
「そこにおられる」
十七人が、一斉に振り返った。俺は、傍聴席にいた。
そして、関羽は、こう言った。
「十二であった」
その日の終わりに、この人は、もう一つ話した。
「一人、名を挙げる」
十七人が、姿勢を正した。そして、関羽は、糜芳を見た。
「四年前、私はこの者に、還らば処分すると申した」
十七人が、糜芳を見た。この人の背が、少し丸くなった。
「二十人の前で、である」
「……」
「あれは、誤りであった」
部屋が、静かになった。
「なぜ、誤りか」
関羽は、旗を一本、倒した。
「処分すると言えば、その者は、還らぬ道を探す」
「……」
「そして、この者は、還った」
そして、こう続けた。
「還ったのは、この者が強いからではない」
「——」
「還る道が、用意してあったからだ」
前世で、俺は管理職の教科書に、一つだけ数字で書いてある章を見つけた。
教育は、いちばんテコが大きい。
その本の著者は、こう計算していた。四回の講義に、準備を入れて十二時間かける。聞くのは、十人。その十人が、来年一年、少しずつ良く働く。十時間ずつでも、百時間である。
十二時間で、百時間。こんなに割のいい仕事は、他にない。そう書いてあった。
俺は、それを読んで、正しいと思い、そして一度もやらなかった。
やらなかった理由も、はっきりしている。十二時間かけても、その期の数字は一つも動かないからである。動くのは、来年だ。そして俺は、来年もその席にいるとは限らなかった。
いま、十七人が座っている。
この人が話しているのは、四十年で一度だけ、自分が誤ったと認めた話である。十七人が、それを持って帰る。そして、来年、十七人が別の場所で同じ話をする。
割がいい、という言い方は、たぶん、正しくない。
ここでしか作れないものだ、と言うべきである。
◆
その夜、俺は木簡を出した。そして、書いた。
《叔父上に、職を書いた》
そして、その下に。
《四年、書かなかった》
《書けなかったのではない》
《書きたくなかった》
書けば、この人が「戦わない人」になるからだ。そして、俺は、それを認めたくなかった。
董允が、叱ってくれなければ、あと何年か、そのままだった。
最後に、俺は死亡年表を開いた。
二一九——関羽。四角。
四年前、削って書き直したものである。竹の表面が、白く毛羽立っている。汚い削り跡だ。
俺は、その四角を、指でなぞった。
生きている。六十四である。そして、今日から、教えている。
何年、あるだろうか。
俺は、そこで、筆を置いた。
数えない。
十七年、俺は人の残り時間を数えてきた。そして、数えるたびに、優先順位がついた。
十四年前、母を後回しにした。「年表にないから」という理由で。
だから、今日は、数えない。代わりに、俺は一行書いた。
《十七人が、聞いた》
そして、その下に。
《次は、十七人が、教える》
〈あとがき〉
「これは、叔父だからでございますか」——四年、空欄でした。書けなかったのではなく、書きたくなかった。書けば、この人が「戦わない人」になるからです。
「自分で決めた退却は、教えられませぬ。判断でございますゆえ」——諸葛亮は、反対しながら、関羽でなければならない理由を渡しています。
「曹沫は、十一年かかった」。暗誦率97の残り3%に、この話が入っていました。読んだのではなく、持っていた。
そして「あれは、誤りであった」。二十人の前で言ったことを、十七人の前で取り消しました。「還ったのは、この者が強いからではない。還る道が、用意してあったからだ」。
《劉禅文庫 再読『HIGH OUTPUT MANAGEMENT』——教育は、いちばんテコが大きい。十二時間で、百時間。そして、その期の数字は一つも動かない》
次回、第102話「七十歳の後将軍と、四千人の老兵」。




