第98話 名を、つける
【建興三年 春|成都】
建興三年、春。丞相が、南へ発った。
そして、その前に、三十日休んだ。
通らないと思っていた。そして、通った理由は、黄夫人である。
◆
二月前である。俺は、詔を書いた。
《丞相に、三十日の休暇を与える》
そして、諸葛亮は、こう言った。
「南の支度がございます」
俺は、そこで、詰まった。
正しい。そして、正しいことに、俺はいつも負ける。
そして、董允が、竹簡を出した。
「陛下」
「はい」
「黄夫人より、預かっております」
俺は、それを開いた。そして、そこには、数字が並んでいた。二十年分である。
そして、その先に、二年分、別の字があった。董允の字である。
そして、最後に、一行あった。
《この二年で、七十日分、減りました》
俺は、そこで、諸葛亮を見た。
「先生」
「はい」
「二十二年分の記録があります」
「……」
「そして、この二年で、七十日分、眠りが減りました」
諸葛亮は、答えなかった。そして、羽扇を、膝に置いた。
「先生」
「はい」
「七十日、返してください」
「……三十日では、足りませぬな」
「はい」
「そして、三十日から、始めます」
◆
諸葛亮は、三十日、休んだ。そして、二十七日目に、俺のところへ来た。三日、早い。
「先生」
「陛下」
「まだ三日あります」
「存じております」
「そして、お願いがございます」
「何ですか」
諸葛亮は、竹簡を出した。そして、こう言った。
「名を、つけていただきたく」
俺は、それを受け取った。そして、開いた。粟の、記録である。
《一の畝 水多し 実り 少》
《二の畝 水中 実り 多》
《三の畝 水少 実り 中》
《四の畝 水なし 枯れる》
《二の畝を、来年に用う》
俺は、そこで、手が止まった。
二年前である。十日の休暇で、この人は畝を四つに分けた。そして、秋に、黄夫人が刈った。そして、南へ、一行送った。
ではなく、この人は、二年、続けていた。
「先生」
「はい」
「二年、続けておられましたか」
諸葛亮は、答えた。
「はい」
「休みの日に、でございます」
「……」
「そして、休みは十二日でございました」
俺は、そこで、笑ってしまった。
十二日である。そして、この人は、その十二日で、二年分の実験をやった。
「先生」
「はい」
「名とは、何の名ですか」
諸葛亮は、答えた。
「粟でございます」
俺は、そこで、聞き返した。
「……粟に、名をつけるのですか」
「はい」
「二の畝の粟でございます」
「はい」
「四年、選んでまいりました」
俺は、そこで、黄夫人のことを思い出した。三年前である。この人は、こう言った。
「あの人は、畑が上手でございました」
「隆中で、粟を作っておりました」
「畝を細かく分けて、水の入り方を変えて、どちらが実るかを試すのでございます」
そして、こう言った。
「あの畑を、誰かに引き継いでほしいと、思っておりました」
「七年目に、諦めました」
「先生」
「はい」
「四年、と仰いましたね」
「はい」
「二年ではないのですか」
諸葛亮は、しばらく黙っていた。そして、こう答えた。
「……隆中から、数えております」
俺は、そこで、動けなくなった。
隆中。二十二年前である。そして、この人は、三顧の礼で出てきた。そして、六年、帰らなかった。
「先生」
「はい」
「二十二年、覚えておられましたか」
諸葛亮は、答えた。
「……忘れておりました」
「はい」
「そして、二年前に、思い出しました」
俺は、そこで、聞いた。
「何を、思い出されましたか」
諸葛亮は、答えた。
「畝の分け方でございます」
手が、覚えていた。二十二年、使わなかった手が。
そして、十日の休暇で、それが出た。
俺は、その竹簡を、もう一度読んだ。そして、こう聞いた。
「先生」
「はい」
「なぜ、私に名をつけさせるのですか」
諸葛亮は、答えた。
「私がつければ、私のものになりますゆえ」
俺は、そこで、息を呑んだ。
十六年である。権限委譲、三から八。
そして、いま、この人は、自分が四年かけたものを、渡そうとしている。
「先生」
「はい」
「私がつければ、私のものになります」
「……」
「それは、同じではありませんか」
諸葛亮は、少し笑った。そして、こう言った。
「陛下は、四十年、生きられます」
「……」
「私は、あと九年でございます」
俺は、そこで、動けなくなった。
九年である。建興三年。そして、二三四年まで、九年。
この人は、数えている。
「先生」
「はい」
「なぜ、九年ですか」
諸葛亮は、答えた。
「妻が、数えております」
俺は、そこで、目を閉じた。
三年前である。黄夫人は、こう書いていた。
《この減り方であれば、還暦には届きませぬ》
そして、俺は、それを読んだ。そして、この人は、読んでいないはずだった。
「見せれば、あの人は数え方を変えます」
そう言った人が、見せた。
「先生」
「はい」
「いつ、ご覧になりましたか」
諸葛亮は、答えた。
「二年前でございます」
「……」
「陛下が、十日の休暇を命じられた日に」
俺は、そこで、理解した。
あの十日である。この人は、畑へ行った。そして、黄夫人に会った。そして、二十二年分の竹簡を、見せられた。
「先生」
「はい」
「数え方を、変えられましたか」
諸葛亮は、しばらく黙っていた。そして、こう答えた。
「……変えておりませぬ」
「なぜですか」
諸葛亮は、答えた。
「変えれば、妻が、数えられなくなりますゆえ」
俺は、そこで、何も言えなくなった。
二十二年である。そして、この人は、見せられて、変えなかった。
変えなかったことが、この人にできる、いちばん大きな返事だった。
◆
俺は、その粟に、名をつけた。そして、三日、考えた。候補は、四つあった。
一つ。隆中粟。土地の名である。そして、この人が出てきた場所だ。
二つ。丞相粟。役職の名である。そして、いちばん、この人が嫌がる。
三つ。孔明粟。字である。そして、それは、この人のものになる。
そして、四つ目。
俺は、黄夫人のところへ行った。
「夫人」
「陛下」
「名を、つけます」
「はい」
「一つ、伺ってよろしいですか」
「何でございましょう」
俺は、聞いた。
「隆中で、粟を作っていたのは、どちらですか」
黄夫人は、しばらく黙っていた。そして、こう答えた。
「……二人でございます」
「どちらが、畝を分けましたか」
「あの人でございます」
「はい」
「そして、どちらが、刈りましたか」
黄夫人は、答えた。
「……私でございます」
「二十二年、ですか」
「はい」
「一人で、でございます」
俺は、そこで、名をつけた。そして、詔を出した。
【詔】
丞相の畑にて選ばれし粟を、
《二畝》と名づける。
董允が、聞いた。
「陛下」
「はい」
「にほ、でございますか」
「はい」
「二つの畝、でございましょうか」
俺は、答えた。
「はい」
「そして、二人でもあります」
董允は、しばらく黙っていた。そして、こう言った。
「……陛下」
「はい」
「これは、書かれませぬな」
俺は、答えた。
「はい」
「そして、詔には、残ります」
十六年である。俺は、四人の女性の名を聞いた。そして、四人とも、書いていない。
そして今日、五人目の名を、書かずに残した。粟の名として、である。
◆
そして、十六年目に、ようやく分かったことがある。母が「その板に書くな」と言った理由だ。
俺の帳は、直すための帳である。載った名は、直すべきものの印になる。そして、直らなかった名は、書いた者を責める行になる。母は、それを二歳の俺の手つきから見抜いていた。母だけではない。孫夫人も、糜夫人も、そして黄夫人も、同じものを見たのだろう。この男は、書いた名を背負う。だから、背負わせない。
四人とも、同じ場所を選んだ。名の残らない人たちの場所である。侍女。乳母。粥を炊く老女。長坂で名も告げずに子を抱えて走った兵。この国は、そういう人たちの上に立っている。四人は、名を消したのではない。そちら側に、立ったのだ。
だから俺は、名を別の形で置くことにした。実って、毎年、呼ばれるものの名として、である。
◆
諸葛亮は、翌日、南へ発った。そして、発つ前に、こう言った。
「陛下」
「先生」
「《二畝》は、よい名でございます」
「気に入られましたか」
諸葛亮は、答えた。
「はい」
「そして、私は、意味を存じませぬ」
俺は、そこで、答えた。
「はい」
「秋に、奥方さまにお聞きください」
諸葛亮は、少し笑った。そして、こう言った。
「……秋には、南におります」
俺は、答えた。
「では、書状で聞いてください」
「……」
「一行です」
〈あとがき〉
「名を、つけていただきたく」。二年、休みの日だけで続けた粟の記録です。休みは十二日でした。
「四年、選んでまいりました」「二年ではないのですか」「……隆中から、数えております」——二十二年、使わなかった手が、十日の休暇で出ました。
「私がつければ、私のものになりますゆえ」「陛下は、四十年、生きられます。私は、あと九年でございます」。数えているのは、妻です。そして、見せられて、数え方を変えませんでした。「変えれば、妻が、数えられなくなりますゆえ」。
粟の名は《二畝》。二つの畝で、二人です。五人目の名を、書かずに残しました。
次回、九年前の約束を、覚えていた人。




