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ガーゼのハンカチ

オリジナル短編小説集『また会えますか?』の一編です。


 あなたに、「また会いたい。」と思う人は、いますか?記憶の片隅にある、あの日、遊んだあの子、駅のホームで見かける人・・・「会いたい」。そんな気持ちを綴る短編集。


 小学校に入る前の健康診断・・・ママと離れ離れになった時に出会った人は・・・。


 お時間がありましたら、お読みくだされば幸いです。





「ヤダァァァッ~~!!」

 晁陽は泣き叫んでいた。


 秋の深まりを感じる今日この頃。

とある街の小学校には、一年生より小さい子達が集まっていた。

近くの幼稚園の年長組の子ども達と保護者である。

今日は、小学校で、入学前の健康診断が行われているのだ。

皆さんも覚えがないだろうか。


「ママァァァッ~!!!」


先程から叫んでいる晁陽も、健康診断を受けに来た幼稚園生である。


「あさ君。ママはね、先生達のお話を聞かなきゃいけないから、一緒に行けないのよ。」


「嫌だぁっ!!僕、ママといるっ!!」


先程から、母親のスカートを掴んで、抵抗する晁陽。


「あさ君、お願い。離して。」


「嫌だ嫌だぁ!!ママといるんだぁ~!!」


さらに、強くスカートを握りしめ、首を横に振る。


「・・・どうしましょう・・・。」



 母親は、晁陽と保護者説明会の会場である視聴覚室の扉を、交互に見つめ顔を歪める。



「ママぁ・・・。」


「はい、どうぞ。」


「・・・えっ?」


晁陽の前に、ガーゼのハンカチが差し出された。

ガーゼのハンカチを握る手を辿るように振り返ると、そこには、少し長めのおかっぱ髪の少女がいた。


「これで、涙を拭きな。」


「・・・・・・。」


晁陽は、恐る恐るハンカチを両手で受け取る。


「ありがとうございます。」


晁陽の母親は、少女に礼を言った。


「いえいえ・・・それでは、また。」


少女は、二人に頭を下げて、視聴覚室とは反対に向かった歩いて行った。


「お~い、晁陽!」


「た、武志君・・・。」


そこへ、晁陽の友達の武志が走って来た。


「何やってんだよっ!早く来いよっ!」


「で、でも・・・。」



晁陽は、ハンカチを強く握りながら、再び母親を見た。


「怖くねぇよっ!オレの兄ちゃんもやったけど、全然大丈夫だって言ってたぞっ!」


「ほ、本当?」


「おう!それに、終わったら、母ちゃん達が、ケーキ食べさせてくれるってっ!だから、行こうぜっ!」


「あっ!?まっ・・・。」


言いながら、武志は晁陽の手を掴んで、歩き出した。


「ま、ママ~・・・。」


「大丈夫よ~武志君と一緒に頑張ってね。」


母親は、不安に歪む顔を浮かべる晁陽を手を振って見送った。


 






 井戸端会議の巨大版とも言うべき、保護者達の話し声が響く視聴覚室。


「えっと・・・。」


「山端さ~ん!こっち、こっちっ!」


窓際の列から、声がする。


「仲野さん!」


晁陽の母親は、通路の一番後ろを通り声の主の下に行った。


「お待たせして、すみませんっ!」


「いいのよ。さぁ、座って座って。」


女性は、自分用のパンフレットを置いていたパイプ椅子を空ける。


「席、取っておいていただいて、助かりました。」


「いいのよ。それにしても、晁陽君、大変だったわね。」


「えぇ・・・幼稚園に入学する時も泣いて暴れて・・・今回もだなんて・・・あの子、小学校行けるのかしら・・・。」


晁陽の母親は、貰ったパンフレットを握りしめる。


「でも、晁陽君って、優しい子よ。あんなに泣いてても、最後は、ちゃんとスカート離したんだから。」


「武志君が来てくれたからですよ。来なかったら、まだ、グズっていたと思います・・・。」


「うちの子は、晁陽君がいないと寂しいんですよ。会場に着いて、晁陽君を探し回ったと思ったら、

『外に晁陽がいるから、行ってくるっ!』って言って、外に行っちゃったんです。落ち着いて待っていることも出来ないんですよ。」


「うちは、それで助かっています。」


「うちだって、そうよ。晁陽君がいないと、あの子、ねずみ花火にみたいに、あっちへふらふら、こっちへふらふら、落ち着かないったらありゃぁしないっ!授業中に逃げ出したりして、学校に呼び出されないか、今から不安ですよ・・・。」


タイプの違う子供を持つ母親同士、それぞれ悩みは尽きないようだ。









 子ども達が集まる体育館。


甲高い声や走りまわる足音が反響する。


「皆さん、集まって下さいっ!」


 反響する音を断ち切る声が木霊した。小学校の先生だ。


話をしていた子は止め、走っていた子は急いで整列する位置まで走って来た。


「みなみ幼稚園の皆さん、こんにちは。」


「「こんにちは~!」」


先生の挨拶に皆、返す。


「皆さん、元気ですね。今日は、この南条小学校で、健康診断をします。皆さんの体重や身長、身体に病気が無いかを調べます。分かりましたか~?」


「「は~い!」」


「では、これから小学生のお兄さん、お姉さんが、案内してくれます。皆さん、お兄さん、お姉さんの言うことをよく聞いて、全部調べ終わったら、ここに戻って来て下さい。いいですね~?」


「は~い!」


「分かりました~!」



「武志君。」


「ん?何だ?」


「武志君のお兄ちゃんも、やるの?」


「案内?兄ちゃんはやらないよ。」


「どうして?」


「兄ちゃんが言うには、やるの五年生と六年生なんだって。兄ちゃん、四年生だからやらないって。」


「そっか・・・武志君のお兄ちゃんなら、優しいから・・・。」


晁陽は、残念そうに下を向いた。


「晁陽・・・。」


仲野武志なかのたけし君、山端晁陽やまばたあさひ君。」



晁陽に、どう声を掛けるべきか悩んでいると、名前を呼ばれた。


「あぁ、はいっ!」


「はい・・・あっ!?」


晁陽が顔を上げると、


「こんにちは。」


「さっきのお姉ちゃんっ!」


先程、泣きじゃくる晁陽にハンカチを渡した少女が立っていた。


「さっき?」


事情を知らない武志だけが首を傾げる。


「さ、さっき、僕にハンカチ貸してくれた、お姉ちゃんなんだ。」


「へぇ~。」


「フフフ・・・今日、二人の担当をします、正司しょうじです。よろしくね。」


自然と膝を曲げて、二人に笑いかける少女。


「しょうじ?お姉ちゃん・・・もしかして、オネニイさん?」


武志は、目を見開き聞きにくそうに聞く。


「えっ?!」


「た、武志君っ!?何言ってるのっ!?」


聞かれたお姉さんも晁陽も驚き、声を上げる。


「だ、だって、しょうじって、男の名前じゃんっ!!だから・・・。」


「あぁ、『しょうじ』って、名字なんだ。」


「名字?名前じゃないの?」


武志は、目を皿のようにして聞く。


「うん。仲野君の『仲野なかの』や山端君の『山端やまばた』って言うのと一緒で、名字なんだよ。」


「名字なんだ・・・じゃぁ、お姉ちゃん、名前何て言うの?」


嘉弥かやって言うの。」


「じゃぁ、カヤ姉ちゃんだっ!」


「うん。そう呼んでくれていいよ。」


「じゃぁ、オレも武志って呼んだ!仲野って、何か嫌だっ!」


「分かった。じゃぁ、武志君。よろしくね。」


「うん!」


二人が笑い合って、握手をしようとすると、


「あっ、あのっ!!」


晁陽の声が、それを遮った。


「ん?どうしたの?やま、」


「ぼ、僕も、晁陽って呼んで下さいっ!!」


嘉弥の声も遮り、晁陽は叫んだ。手には、ガーゼのハンカチが握られていた。


「えっ?」


「あ、晁陽?」


「はぁはぁ・・・。」


「・・・名前で呼んでいいの?」


叫んだ晁陽に驚いた嘉弥だが、すぐに冷静になり、晁陽に問いかけた。


「よ、呼んで、下さい・・・。」


下を向いて、今度は、搾り出すような声で言った。


「フフ・・・じゃぁ、晁陽君って呼ぶね。」



嘉弥がそう言うと、


「うん!」


晁陽は、顔を勢いよく上げ、満面の笑みを浮かべて、元気を良く頷いた。


「晁陽、どうしたんだ・・・?」


いつもと違う友達の姿に、武志は首を傾げるしかなかった。


「まずは、身長と体重を測るよ。」


「よぉし、オレからっ!」


「はい。武志君は…百二十六センチ!」


「やっったぁ!五センチも伸びたっ!」


武志は、飛んで喜んだ。


「いいなぁ、武志君。」


「晁陽君も測ろうね。」


「うん!」



晁陽は、ゆっくりと、測定台に乗った。


癖の強い髪が押されるように、バーが晁陽の頭に当たった。


「晁陽君は・・・百十九センチ。」


「えっ!?・・・。」


数字を聞いて、晁陽はまた下を向いた。


「どうしたの?」


「ぼ、僕…二センチしか、伸びてない・・・。」


「気にすんなよっ!晁陽っ!牛乳飲めば大きなるってっ!」


「僕、毎日、牛乳飲んでるよっ!お魚もいっぱい食べてるよっ!なのに・・・。」


「あっ、えっと・・・。」


慰めたつもりが、余計なことを言ってしまったと思い、次の言葉が出てこない。


「ぼ、僕・・・武志君みたいに、早く大きくなりたい・・・大きくなって・・・。」


晁陽は、ふと顔を上げて、嘉弥の方を見た。


「晁陽・・・?」


「晁陽君。気にすること無いよ。人が大きくなるのには、人それぞれ時期が違うの。」


「・・・じき?」


「どういうこと?」


「武志君のように早く大きくなる人もいれば、晁陽君みたいにゆっくり大きくなる人もいるってことだよ。」


「どうして、オレは早くて、晁陽はゆっくりなの?」


「それは、神様が決めた事だからね。でも、大きくなるのが、早い人も、普通の人も、ゆっくりな人もいるの。」


「僕も・・・大きくなる?」


晁陽は、不安に瞳を揺らす。


「なるよ。私の従兄のお兄ちゃんも、中学生まで、小さくて、運動の時間だと、ずっと一番前だったんだって。でも、高校生になったら、急に大きなって、大きい方から数えた方が早くなったんだ。だから、晁陽君。そんなに慌てず、ゆっくり大きくなればいいんだよ。」


嘉弥は、晁陽の頭を優しく撫でる。


「あっ・・・。」


晁陽のクセのある髪の毛に添うように、嘉弥の手が滑る。


ほんの少しの間の筈なのに、晁陽はその時間が永遠に続くように感じた。





それから晁陽達は、目の検査や耳や鼻、心臓の検査等を済ませ、現在は耳の検査を受けていた。


「二人とも、頑張ったね。次で最後だよ。」


「やったぁ~!にしても、さっきの耳の検査、気持ち悪かったなぁ~。」


「うん。僕もあれ、嫌い・・・なんか、蚊が耳に入ってきたみたいな音がして・・・。」


「だよなぁ~何で、あんな検査するんだろ?蚊に刺されない為かな?」


「フフ・・・あの機械から聞こえた音が聞こえることは、耳が『健康』、つまり『元気』だってことなんだよ。」


「へぇ~オレら『健康』なんだっ!」


「そう。検査は、気持ち悪いかもしれないけど、自分が『元気』だって分かることだから、ちゃんとやらないとね。あっ、二人とも、その角を右に曲がって、左の部屋に入ってね。」


「は~い。」


「はい。」


 返事をして、扉を開けた。


 

 しかし、まだ、漢字の読めない二人は気づかなった。その扉に書かれた二文字を・・・。


「失礼します。山端晁陽君と仲野武志君を連れて来ました。」


「ご苦労様。じゃぁ、二人ともいらっしゃい。歯科検診するから。」


「えっ・・・し、しか・・・って、まさか・・・。」


武志の顔が、青くなっていく。


「歯の検診だよ。あの仕切りの向こうに、歯医者さんが・・・。」


「嫌だぁ~!!」


嘉弥の説明を遮るように、武志が突然大声を上げ、普段はランドセルが入っているであろうロッカーの上に飛び乗った。


「た、武志君っ!?」


「どうしたのっ!?危ないから降りてっ!」


「嫌だっ!!歯医者さんは、嫌だぁ!!」


「武志君、見るだけよっ!」


「嫌だぁ!!嫌だぁ!!絶体嫌だぁっ!!歯医者とニンジンは、俺の敵だぁっ!!」


晁陽の声も届かない。

それどころか、つま先立ちするように立ち、背中をピッタリと壁に貼り付けている。

簡単には、剝がせそうにない。武志にとって歯医者とは、それだけ嫌なものなのだ。


「武志君、これで終わりだから・・・。」


「嫌だぁ~!!帰る~!」


そう叫ぶと、ロッカーの上から飛び降り、出口に向かって走り出した。


「武志君っ!」


「待ってっ!」


「うわぁっ!?」


追いかけようとした二人の目の前で、武志が吹っ飛んだ。

別に爆発したわけではない。

出口の扉を開けた瞬間、何かにぶつかった武志は反動で宙に浮き床に倒れたのだ。


「「・・・。」」


二人とも、この状況ならすぐに駆け寄って、武志を起こしただろう。

しかし、二人は動くことが出来なかったのだ。なぜなら、


「仲野武志君ね。入ってこないから、迎えに来たわよ~。」


扉の前に、とてもグラマラスな看護士が立っていたのだ。

どうやら、この看護士は歯科担当であって、逃げ回る武志を迎えに来たようだ。


「ヒっ?!」


武志は、床を這って逃げようとするが、


「はい。逃げない。」


看護士の動きは早かった。

逃げる武志を軽々と抱き上げ、


「いつかは見せるんだから、早く先生に歯を見せちゃいましょうっ!」


大きな口をニコッとさせて諭す。


「い、いやだぁっ~!!」


逃げようとしても、身体が思うように動かない武志は、今までで一番大きな声を上げた。


その間に、グラマラスな看護師は、先生が待つであろう、仕切りの向こうに入って行った。



もちろん、武志も抵抗の叫びをあげたが、すぐに聞こえなくなった。



「武志君、大丈夫かな?」


「大丈夫だよ。ちょっと、見るだけだから。」


嘉弥が、膝を折り笑って、晁陽に言う。その笑顔に、


「うん・・・。」


晁陽の顔も綻んだ。


「次、山端晁陽君。」


「は、はいっ!」


名前を呼ばれて、再び顔が歪んだ。


「いってらっしゃい。」


嘉弥は、晁陽の肩に手を置いて、そう言った。


「・・・いってきます。」


同じ目線になった嘉弥から言われた晁陽は、はにかんで言った。


時計の秒針が一周する。


晁陽が、仕切りの隙間から顔を出した。



「終わったの?」


「うん。せ、先生が、どこも悪くないって。僕の歯、キレイだって・・・。」


「良かったね。」


「うん!えへへ・・・。」


「ねぇ、晁陽君は、歯医者さん怖くないの?」


「怖くないよ!僕の叔父さん、歯医者さんなの。」


「そうなんだ。」


「叔父さん、お医者さんだから、痛いの治してくれるの。ドリル、怖いって思うけど、それを我慢すれば、美味しいもの、いっぱい食べられるようになるって。」


「そうだね。」


「でも、歯磨きをいっぱいすれば、怖い思いしなくていいって。だから、僕、歯を大切にする。美味しいもの食べたいから。」


「そっかぁ・・・晁陽君は強い子だね。」


「えっ?どうして・・・?」


「晁陽君ぐらいの子は、皆、歯医者さんが苦手なの。武志君も怖がってたでしょう。」


「うん・・・。」


「でも、晁陽君は怖がらないから、強いよ。」


「・・・ありがとう・・・。」


嘉弥に言われ、晁陽は頬を赤く染めながら言った。


「・・・あさひぃ・・・。」


反対側の仕切りから半泣きの武志が顔を出した。

首元が濡れ、耳や頬が赤くなっているのを見るに、相当泣いたようだ。


「た、武志君、大丈夫・・・?」


「うぅ・・・怖かった・・・お前、よく歯医者さん平気だな・・・。」



「先生、優しかったよ。」


「先生『は』、優しかったよっ!!でもでも、オレを捕まえた・・・。」


「仲野君っ!しっかり、歯磨きするのよっ!」


「は、はいぃぃっ!!」


仕切りから顔を出した看護士さんの言葉に、武志は敬礼する勢いで返事をした。


「・・・武志君・・・。」


「あの、看護師さん怖かった・・・。」


「げ、元気だして!このあと、ケーキ食べに行くんだから・・・。」


「あっ!?ケーキっ!!よしっ!行くぞ、晁陽っ!!」



 『ケーキ』と言われ、先程までの沈んだ顔はどこへやら。


いつもの武志に戻っていた。



「二人とも、お疲れ様。体育館に戻るよ。」


「はい。」


「ケーキ!ケーキ!」


「フフ・・・。」


謎のケーキ行進をする武志の背を追いながら、晁陽は、嘉弥の隣をゆっくり歩いた。


武志を見て笑う嘉弥の横顔を、何度も何度も見つめながら。





体育館。


「あさ君~!」


「ママっ!!」


「ケーキっ!ケーキっ!母ちゃん、ケーキっ!!」


「こらっ!周りの人に迷惑だから、静かにしなさいっ!!」


「はぁ~い!」


 待っていた母親達に、抱き付く子。目もくれず、周りとはしゃぐ子。皆、それぞれに動く。



「晁陽君、武志君。検査お疲れ様。」


「えっ?」


母親の懐にいた、晁陽は嘉弥の声に振り返った。


「嘉弥姉ちゃん、ありがとうっ!」


「うちの武志が、お世話になりました。この子、大変だったでしょ。」


「晁陽君のことありがとうございました。ご迷惑かけませんでしたか?」


「大丈夫です。二人とも良い子でしたよ。」


「か、嘉弥、お姉ちゃん・・・。」


「晁陽君、気をつけて帰ってね。」



嘉弥は、そう言って去ろうとする。


「あ、あの・・・。」


 晁陽は呼び止めようとするが、その声は周りの反響する音にかき消され、嘉弥の姿も、人の波に見えなくなった。



「お姉ちゃん・・・。」


晁陽は、嘉弥の姿が見えなくなった方向を見て呟いた。


「・・・晁陽・・・晁陽っ!」


「!?武志君・・・。」


「美味いケーキ食べようぜっ!」


「う、うん・・・。」


下を向いていた晁陽の瞳が、少しだけ弧を描いた。



その夜、晁陽は自分の部屋のベットの上に寝転んで、嘉弥のハンカチを見上げていた。


「返せなかった・・・。」


電燈によって透けるハンカチは、部屋を照らす光を和らげる。


「お姉ちゃん・・・。」


寝返りをうち、ハンカチを握りしめる。


「また、会えるよね・・・。」


手の中にあるハンカチに向かって言った。







あれから、一年の時が流れた。


南条小学校には、半年前まで肩から黄色い鞄を下げていた子どもは、今はその背に黒い鞄を背負っている。


「晁陽!お前、今度の三連休何処に行くんだ?」


「僕は、叔父さん家族と一緒に遊園地に行くのっ!武志君は?」


「オレ、家族全員で温泉に行くんだっ!」


「温泉かぁ~いいねぇ。」


「おう!もう、準備したんだぜっ!着替えだろ、お菓子だろ、水中眼鏡だろ、あと・・・。」



「えっ?水中眼鏡?プールも有るの?」


指を折りながら、荷物を並べる武志に、晁陽は疑問をぶつける。


「温泉で泳ぐに決まってるじゃんっ!」


「お、怒られるよっ!」


「大丈夫!男湯だから、母ちゃんいないもんっ!」


「で、でも・・・。」


「心配すんなっ!兄ちゃんと男と男の勝負、素潜り対決の道具だっ!」


「え~・・・。」


胸を張る武志に、晁陽は次の言葉が出てこなかった。



休日の予定を話す二人。楽しい話は、人を夢中にさせる。



例え目の前で、青い光が点滅していても。




「危ないっ!!」


「えっ?」


「うわあっ!?」


身体擦れ擦れに通った車を、武志は飛び退いて何とか避けた。


「あっ、あぶねぇ・・・。」


右手を胸に手をやり、早くなった鼓動と連動するように息を吐く。


「・・・た、たけし、くん・・・。」


晁陽は、驚きすぎて動けずにいた。


「何しているのっ!?ぶつかったらどうするのっ!!」


「ご、ごめんなさいっ!!」


「す、すいませんっ!!」


二人は、ランドセルの中身が出る勢いで、頭を下げた。


「怪我が無かったから良かったけど、事故にあったら大変なんだよ。」


「はい・・・。」


「ごめんない・・・あっ!?」



晁陽が顔を上げると、前には少しだけ髪が伸び、紺色の制服に身を包んだ嘉弥が立っていた。



「本当に、気をつけてね。楽しい連休が壊れないように。」


「はい!」


「は、はいっ!」


二人は深々と頭を下げた。


「それじゃぁね。」


嘉弥は手を振って、青になった信号の横断歩道を渡って行った。



「今の人、どっかで見たような・・・。」


「・・・いた・・・。」



「えっ?」


「いたっ!!」


「おいっ!晁陽!!」


武志の声など耳に入らず、点滅を始めようとする青信号にも目もくれず、晁陽は横断歩道を駆け抜けた。





「待ってっ!嘉弥お姉ちゃんっ!!」



あの時、呼べなかった名前を呼んだ。



「えっ?」



 嘉弥が振り返ると、そこには母親のスカートを握っていた子どもでは無く、ガーゼのハンカチを握りしめ、頬を秋空に映える紅葉のようにした少年がいた。



「あさ、ひ君?」


二人の間を秋の風が通り過ぎ、昂揚する心に彩られた紅葉が舞った。







読んでいただき、ありがとうございました。

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