最終回 新たに始まる16年目の春 part4
訪れたのはエスト大陸西部に位置する旧ワネラ街。
かつては街と呼ぶに相応しい賑わいを見せていたその場所も、
世界線が変わった今では、小さな村へと姿を変えておった。
人の営みとは、歴史がほんの僅かに違うだけで、こうも形を変えるものらしい。
「戦は文明を育む薬となり得る。
されど、その進歩と引き換えに、
人の世を暮らし難きものへと変える毒でもあるのじゃ」
「そーね」
「ですわね」
別の世界線の記憶を抱え、
時空を歪めてここまで辿り着いたルナとノヴァラには、
この言葉が持つ重みが分からぬのであろうか。
「別の世界線では交易が栄え、
あらゆる大陸が品々を通じて結ばれておったのであろう?
今の世はティアが見守っておるゆえ、
病に倒れる者もなく、糧も等しく行き渡り、誰もが天寿を全うできる。
ひとたびティアの目が失われれば——」
わらわが何を告げようとしているのか、
ノヴァラにはとうに分かっていたのであろう。
「人類はいずれ再び分裂し、戦争を始める――そう仰りたいのでしょう?」
わらわの言葉を遮るように、彼女は先回りして答えた。
そして、すれ違いざまにこちらを振り返り、口角をわずかに持ち上げる。
その眼差しは、これ以上何を聞かされようとも、
自らの答えは決して変わらぬと告げておった。
「わらわにも、別の世界線の記憶はある。
されど、わらわが生きておるのは、この世界じゃ。
お主らとは違う。悪いが、争いは御免こうむる」
「大丈夫よ、アイロラ師匠は魂を移されても、この結界は解かないでしょう」
「なにゆえ、そう言い切れるのじゃ?」
「勇者の娘なくせに、利他的な人ではないからですわ」
ノヴァラとルナの言葉には、否定しきれぬだけの説得力があった。
わらわがそう感じてしまうのは、きっと――
かつてティアと共に旅をした記憶が、この胸にも残っているからなのであろう。
「そうか」
「そーよ」
「ですわね」
二人の背を見送りながら、わらわは静かに手を打ち鳴らし、
近くに潜んでいた妖精を呼び寄せた。
「ならば悪いが、しばし眠っていてもらうぞ。
お主らは、あまりにも想いが強すぎるゆえな」
ただ救いの言葉を差し伸べるだけでは、あの者の心には届かぬ。
ティアにとってそれは、自ら選び取った結末も、
守り抜いてきたこの世界も、すべて間違いであったと否定されるに等しいからじゃ。
あの者が求めておるのは、己の行いを認めてもらったうえで、
もう一度、共に旅へ出ようと誘ってくれる声。
初めて赤い花を咲かせた時に見た、
あの寂しげな横顔を、今でも鮮明に覚えておる。
リコであった頃のわらわには、あの表情の意味が分からなかった。
けれど、神の使者と崇められ、一人の人間として扱われなくなった今のわらわになら――分かる。
己の望みを叶えながら、その望みによって、
誰よりも孤独になってしまった者の気持ちが。
……なるほど。
わらわとティアは、案外似た者同士なのかもしれぬな。
「世界線は、すでに変わったのじゃ。
再び旅へ出るか否かは、あの少女に託すとしようぞ。
これより先の物語には、もはや主人公などおらぬのじゃからな」
わらわの言葉に振り返った姉妹は、
石に変えられたかのように全身を強張らせ、その場に立ち尽くした。
動くことを許されたのは、その瞳だけ。
揃ってこちらを見つめる目が、声もなく「なぜ」とわらわへ訴えかけた。
「すまぬのう。杖と剣は、わらわがもらってゆく。パコ島で再び会おうぞ。
バルドよ、この者らをパコ島まで頼む。事が済み次第、わらわも向かうゆえな」
「リコ、信じているからな」
「うむ、任せておけ」
彼らをその場に残し、わらわは一人、村の中へと足を進めた。
ワネラ村は、ティアの魔法によって咲いた花々の加護を、最も色濃く受けている土地。
ゆえに、ティアが眠る、花を咲かせた蔓で編まれた繭は、
雨風に晒されぬよう、大きな祠の奥で大切に祀られておった。
「ずいぶんと偉うなったものじゃのう。
ただの村娘であったお主が、今や神ときたか。
のう、ティアよ」
わらわが祠の前に立つと、閉ざされていた戸が軋んだ音を響かせ、
ひとりでにゆっくりと開き始めた。
「神がお目覚めになったぞ……」
「家の中へ隠れろ!」
「再び眠られるまで、決して頭を上げるな!天罰が下るぞ!」
村人たちは口々に叫び、我先にと家々の中へ逃げ込んでいく。
ほどなくして、祠の前に残されたのは、わらわ一人となった。
村から人の気配が消え、辺りは不気味なほどの静寂に包まれる。
祠の奥から――魔物へと変わったティアの、奇妙に歪んだ魔力が流れ出し、
わらわは、思わず息を飲んだ。
「青きキリアの花が咲き誇る蔓の衣に、地に着く程の長き緑の髪……
そうか、今は精霊祭の頃であったのう。花の姫君」
祠を出たティアが、ゆっくりと石段を下りてくる。
その足が地へ触れるたびに花が咲き、どこからともなく蝶が集まってきた。
彼女は辺りをひと巡り見渡すと、左目を覆っていた花をそっと取り外す。
露わになったのは、黄金にも似た、濁りのない黄色の瞳だった。
「ティアよ、お主の許嫁は後から参る。
しばし、わらわと話をせぬか?」
「ワタシ ニワ アラシニキタ。ノ?」
「わらわはティアのおかげで、こうして別の世界線におった頃よりも、
ずっと良き暮らしをさせてもろうておる。そのような真似はせぬよ。
むしろ、感謝しておるくらいじゃ
別の世界線では、戦のために両親から捨てられておったからのう」
そう告げながらわらわがゆっくり座ると、
ティアは茶色の右目と、黄色の左目で、
こちらをじっと見つめてきた。
無言の時間が流れる。
殺気は感じぬ。今ならば、言葉を交わすこともできたはずじゃ。
それでもわらわは、声を発することができなかった。
別の世界線で、彼女が何を背負い、どのような結末へ辿り着いたのか――
その記録が、わらわの内にも残っていたからじゃ。
やがてティアは、確かめるようにゆっくりと片手を伸ばし、わらわへ手の平を向けた。
「ナゼウゴカナイノ」
「信じておるからじゃ」
「アイカワラズダネ」
その表情は、少しも動かなかった。
それでもティアは、わらわに倣うように膝を折り、
その場へ静かに腰を下ろした。
奇妙なことであった。
人の理を外れ、魔物へと変わったはずの者が、
なぜこれほどまでに理性を保っておるのか。
わらわには、まだその理由が分からなかった。
「ワタシハ、ゴースト。ダカラ、マモノトハチガウ」
「大したものじゃのう。分かるのか?」
ティアは、わらわの隣に咲く赤い花へ、静かに目を向けた。
「フローレ・リュミエールで咲かせた花か。
まこと、便利な術じゃのう」
ティアは「ドウダロウネ」と答えると、
遠い過去を辿るように目を細めた。
この魔法の神髄を、もっと早く知っておれば――
あれほど多くの血を流さず、自らもまた、あれほど苦しまずに済んだのではないか。
おそらく彼女は、そう考えておるのであろう。
「のう、ティア。ひとつ聞きたいのじゃが……
お主は、いかにしてゴーストになったのじゃ?」
「ン?」
「なにせ、そうであろう?
魔物となるには、異なる種族の怨念が入り交じった強き魔力に、その身を余さず晒さねばならぬ。
それにゴーストとなるには、一度命を落とさねばならぬはずじゃ」
リコとして生きていた別の世界線に残る、
魔物が産まれた記録をもとに導き出した考えに過ぎぬ。
もしそこに例外があるというのなら――わらわはただ、純粋にその理由を知りたかった。
「ワタシハ、アキノナカゴロカラ、マジョニヘンカシタ
セカイセンヲカエルト、ジカンガマキモドルブン、ニンゲンニモドル」
「そうか。人の身であったティアと、魔女となったティア――
その二つの魔力が入り交じり、互いに反発したことで、ゴーストへと変じたのじゃな」
もとより、その肉体は幾度となく時間を巻き戻した代償により、とうに限界を迎えておった。
永い時を経るうちに朽ち果てたか……
「はっはっは!胸のつかえが取れたわ。
礼を申すぞ、ティア」
思わず笑みを零したわらわに、ティアは目を丸くした。
「ホントウニ、ナニシニキタノ」
その声には、呆れと戸惑いが入り交じっていた。
「なに、わらわはただ、リコであった頃の師匠に会いたかっただけじゃ」
「ソレダケ?」
「ああ。わらわはこの世界が好きじゃ。
皆が神を信じ、自然と寄り添うて生きる、この穏やかな世界がのう。
じゃからティアよ、どうかこれからも、この世界を守っていてほしいのじゃ」
「邪魔はせぬ」確かに、そう告げたはずじゃった。
けれどティアは安堵するどころか、どこか寂しげに表情を曇らせる。
その理由は、分かっておった。
されど――それを埋めるのは、わらわの役目ではない。
「悪いがのう。
わらわにとってティア・アイロラという者は、
思い出の中に生きる者ではなく、記録として知る者にすぎぬ。
ゆえに、ノヴァラやルナのようなことは申さぬよ」
わらわは傍らに置いていた魔剣と大杖を手に取り、
ティアの前へ静かに差し出した。
「ゆえに、その選択はお主に委ねるとしよう。
されど、あえてもう一度だけ申しておくぞ。
わらわは、今のこの世界が心より好きなのじゃ」
そう告げて微笑むと、ティアは少し困ったように剣と杖を見つめた。
受け取るべきか、なお迷っておるのであろう。
それでもやがて、ゆっくりと、恐る恐る手を伸ばす。
そして――旅を共にした友であり、相棒でもある魔剣ゴーストイーターと、
母の大杖を、その手に取った。
《お前も変わらねえな》
ゴーストイーターの声に、
それまで微動だにしなかったティアの口角が、
ほんのわずかに持ち上がった。
「ゴメンナ……サイ」
《カッカッカ!これが最強のゴーストとはな》
ティアの閉ざした心へ、本当の意味で触れられるのは――
ゴーストイーターと、カイだけなのかもしれぬ。
そう悟ったわらわは、二人の邪魔をせぬよう、音もなくその場を離れた。
「あとは任せたぞ、カイ・ベルカよ」
〇
リコの背中は、花吹雪に飲まれ消えていった。
膝に乗せたゴーストイーターさんは、
彼女を追う私の目線に気づき、
《行かなくて良いのか?》と静かに聞く。
「いい、あの子は、もう自由にさせてあげなくちゃ」
《そうか》
しばらくの沈黙。
答えを求められることも、励まされることもない。
ただ隣にいてくれる。
その沈黙が、今の私には心地よかった。
赤い花弁がゆったりと舞う。
《村の人達が出てきたな》
「だね」
リコと話しているのを見て、安心して出てきたのだろう。
村人の中には、赤い花畑の中央にいる私を、
美しいものでも愛でるように見つめる者もいれば、
気を引こうと踊ったり、楽器を奏でたりする者もいた。
「精霊祭。そういえばちょうど今の時期だね」
《だな、もし旅に出るとしたら何処に行きたい?》
その問いに直ぐには答えられず、
私は目を瞑り音楽に身を任せながら考えた。
「何処へ行きたいんだろうね。私は」
何故きれいな景色を見たかったのかも、今となっては分からない。
でも、何処かへは行きたかった。
私は探り探りに、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「行けるのなら――あの時間。あの場所へ」
けれど、もう前とは違う。
戻りたいんじゃない。
「みんなの笑顔がある――そんな場所へ行きたい」
そうだ、皆で綺麗な景色を見て、何気ない話をしながら笑いたかったんだ。
《カッカッカ!》
「笑わないでよ」
《悪い悪い、でもまぁ、行きたい場所あるじゃねぇか》
ゴーストイーターさんが「なら――」と言いかけた時だった。
ドッと花弁が舞い上がる。
「なに?」
すると、見慣れたにやけ面の男が、花弁を払いながら現れた。
背中には大剣を背負い、無精ひげを触りながらこちらを見る、
その深い緑色の瞳に、頑張ってきてよかったと、心の底から思えた。
「ごきげんよう!花のお姫様。
旅に出るのなら、大剣のイケメンはどうだい?」
「――カイ」
目の前に立つ彼は、「随分可愛くなったじゃねえか」と手を引き上げて立ち上がらせた。
バランスを崩した私は、ゴーストイーターさんを落として、彼の身体に全身で飛び込む。
「はっはっは、おっちょこちょいだな」
「う、うるさい」
カイは、膝をついて目線を合わせて、
「ありがとう」と真剣な眼差しで言った。
「ティア、眼で見る風景は綺麗なものだな!
お前の世界は好きだ、
おかげで楽しい人生を送れてる」
「私こそカイが居なきゃ、この景色を見れなかった。ありがとう」
でも、カイは少し悲しそうな表情で「でも、お前が居ない人生は、ただ綺麗なだけで終わっちまう。俺は欲張りな人間だから、楽しくなくちゃ意味が無い」そう言い二ッと笑う。
「今度は俺が剣になる、だから、ティアは鞘になってくれ。
これからは独りになんてさせない、ニコイチで旅をしよう。
俺は、お前と二人で居たから、何気ない日々に価値を見出せた。
お前が必要だ」
カイは自分で言って恥ずかしいのだろう。
一拍置いて耳の先まで赤くする。
可笑しくて、でもそこが可愛くて、少し意地悪をしたくなった。
「ふふっ、その言葉じゃ~まだ40万ギルですね」
「じゃあこれならどうだ?釣りはきっちりもらうぜ」
そう言って彼は優しく唇を重ねた。
私を求める様に、そして、新しい旅へと、背中を押すように。
答える代わりに、ゆっくり目を瞑り身を委ねた。
「どうだ?」
「はい、確かに受け取りました。
お釣りは私の人生で――ふふっ、これで私も負け知らず。ですね」
「まだ早いんじゃないか?」
「え?」
カイはポケットから木箱を出して、
透き通る小さな玉がちょこんと乗っかった指輪を取り出す。
ガラスの質感と、シルバーのリングに刻まれた文字列に、見覚えがあり眉が動く。
「これで、俺と同じ負け知らずだ」
カイのその言葉に合わせて、地面の花畑が、赤から青へと。
キリアの花で咲き乱れた。
何が起きたのかと、魔力の方に視線を奪われた私は、
カイと同じく耳まで真っ赤に染める。
穴があったら入りたいとも思ったけれど、
表情は、不思議と笑顔になった。
恥ずかしさに勝るくらい、心を満たす幸福感で、自然と口角が上がった。
青い花々の向こうに、三人が立っていたのだ。
スピちゃんは顔をぐしゃぐしゃにして泣き、
ルナさんは涙を堪えながら微笑んでいる。
二千年もの時を越えて私を待ち続けたノヴァちゃんも、
笑顔のまま頬を濡らしていた。
「ディ゛ーヂャン”……オ゛メ゛デドウ゛~」
「コラ大精霊、私の服で鼻を拭かないでよ!」
「師匠は私の物師匠は私の物師匠は私の物……」
三人の姿に、私の目じりは熱くなった。
「ティア、また来てくれるか?」
差し出された手に、私は「勿論です」と左手を乗せた。
薬指に指輪が通ったその時、ガラス玉は光だし、それに全身も共鳴して淡く光りだした。
「待っててね、絶対早く起きるから」
「当たり前だ、直ぐに起きなきゃ、スピカに叩き起こされるからな」
「えへへ、怖いね」
みんなが笑っている。
私の目に映る世界は、笑顔で満ちていた。
それが嬉しくて、
大好きだった時間へ、ようやく辿り着けた気がして、
我慢して溜めていた涙が、頬を伝う。
消える刹那、口から出た”大好きだよ”と言う言葉は届いただろうか。
——いや、そんなこと考えなくてもいいか、
これからたくさん伝えていけばいいのだから。
すべての私たちへ、ありがとう。
私、来れたよ。




