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良い旅を、旅人さん  作者: 江戸前餡子
春の章

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最終回 新たに始まる16年目の春 part2

 わたくしは水の代金をテーブルに置き、皆を急かすように店を飛び出した。

 その刹那。

 ドッ、と押し寄せた真紅の花吹雪が、わたくしたちの姿を呑み込む。


 行かせるものか。

 余計なことをするな。


 舞い狂う花弁の一枚一枚が、そう警告しているようだった。


《気づかれちまったな》

「――飛びますわよ!」 

「なら安定して飛べるように、私が無属性魔法で壁を作るわ」

 

 それは、あまりにも異様な光景だった。


 大陸も、海面も、視界に映るすべてが真紅に染め上げられている。

 花だと分かっている。

 それでも、世界そのものが血に沈んだようにしか見えず、

 背筋へ氷の欠片を落とされたような寒気が走った。


 けれど、その美しくも禍々しい景色が何を意味するのか、

 わたくしには痛いほど理解できてしまう。

 かつて、師匠と同じ願いを抱いたことがあるからこそ。


 ――私の箱庭を、荒らさないで。


 この世界を覆う無数の赤い花は、そう告げていた。


「さすがは勇者の娘。規模が違いますわね」

「呑気に言ってるつもり?」

 

 と、その刹那——


「牙をむいてきたわね」


 柔らかく舞っていた花弁が、一斉に刃のような硬度を帯び、ルーちゃんの障壁へ突き刺さった。

 

「師匠が目覚めてないから、まだこんなもんで済んでいるけれど、

 目覚めたらきっと追ってくるわ」


 足元からは無数の蔓が這い上がり、

 四方八方からは刃と化した花弁が、

 わたくしたちを切り裂かんと襲いかかる。


 ルーちゃんは何も口にしない。

 けれど、奥歯を噛みしめ、苦痛に歪んだその表情が、

 障壁の限界が近いことを何より雄弁に物語っていた。


 ――今さらながら思いますけれど。


 わたくしは夏の頃、これほどの方を相手に戦っていたのですわね。

 あの時のティア師匠が、まだ未熟でいらして本当によかったと、心の底から思った。


「……これは、よろしくありませんわね」

《地面に降りて木々に隠れろ》

「その理由は何ですの?」

《ティアは自分の宝物は、守る為でも傷一つ、絶対に付けない。

 そういう奴なんだよ、アイツは》


 確かに、これほど激しい攻撃が続いているというのに、

 周囲の木々は一本たりとも折れていない。

 それどころか、枝葉の一枚さえ揺れてはいなかった。


 わたくしたちだけを選び、正確に排除しようとしている。

 この美しい世界には、傷ひとつつけまいとするかのように。


「全員、陸へ!

 急いでくださいませ!」


 ゴーストイーターの言う通りだった。

 わたくしたちにまとわりついていた刃のような花弁は、

 緑の海へ身を沈めた途端、それ以上追ってはこない。


 鋭く硬化していた輪郭は、たちまち本来の柔らかさを取り戻し、

 何事もなかったかのように風へ攫われていった。


 森を傷つけるつもりは、やはりないらしい。


 それを確認し、ほんの僅かに安堵した――その時。

 わたくしたちは、まだ師匠の恐ろしさを何ひとつ理解していなかったのだと、

 思い知らされることになる。


【ノヴァちゃん、

 綺麗なものを、綺麗なまま閉じ込めたこの世界こそ、

 あなたの理想だったはずでしょう?

 それなのに、どうして邪魔をするの?

 探さないで。

 中途半端なあなたじゃ、今の私には敵わない】


 脳に響くティア師匠の声。


【時空に閉じこもっていたルナさんが、今さら誰かのために動けるの?

 また間違えるよ。

 後悔する前に引き返して。

 それでも来るなら、今度こそ消えろ】

【私は、あなたのことを全部覚えてる。

 なのにカイは、私の顔さえ思い出せないんだね。

 その程度だったんだ。

 もう来ないで。

 好きだったあなたを、傷つけたくない。

 結局あなたは、私を不幸にするだけだから】


 ルーちゃんとベルカさんの頭にも、

 あの声が容赦なく響き渡ったらしい。


 二人は頭を押さえ、その場で歩みを止める。

 額には脂汗が滲み、表情は耐え難い苦痛に歪んでいた。


「こんなの……ティアの言葉じゃねぇ」


 ベルカさんは自らの頬を強く叩き、

 霞みかけた意識を無理やり引き戻す。

 それから震える両脚へ力を込めて、

 苦痛を押し退けるように立ち上がった。


「どうしてわかるのよ」

「わからねえ!でも、俺の血肉がそう言ってる。

 俺の好きになったヤツは、

 そんな弱くて最悪なヤツじゃないってな」

「アイロラ師匠は最悪じゃない、好き勝手に時間を戻した私達が最悪だから許せずに怒ってるのよ」

「ティアは、そんなちぃさくねぇよ

 ヤツの器のデカさを見誤るなよ」


  けれど、ルーちゃんは苦痛に顔を歪めながらも、薄く笑った。


「ふっ……そんなの、嘘よ」


 そう言って、自らのこめかみへ人差し指を押し当てる。

 魔法使いが、その仕草を見せる意味は――


 考えるよりも先に、わたくしの背筋が凍りついた。


「ルーちゃん!」


 すかさずその人差し指を払いのけた。

 直後、指先から放たれた魔弾が、

 鋭い光の尾を引いて空へと飛んでいく。


 あと僅かでも遅れていたなら――その軌道は、空ではなくルーちゃん自身を貫いていた。

「まったく、世話のかかる」


 次の瞬間、ベルカさんは迷うことなくルーちゃんの背後へ回り、

 その首筋へ軽く手刀を落とした。

 トンッ、と小さな音が響き、

 ルーちゃんの身体から力が抜ける。


「お願いですわ。わたくしが再び道を踏み外す前に――

 どうか、この意識を奪ってくださいませ」


 ゴーストイーターへ伸びようとする自らの手を押さえつけることも、もはや限界に近づいていた。

 けれど、ここでわたくしたちまで倒れてしまえば、

 それは決してティア師匠が本当に望んだ結末ではない。

 きっと師匠は、また時間を巻き戻す。


 今度こそ救われる未来があると信じて――いいえ。

 救われることなどないと知りながら、それでも時を戻し続けるのでしょう。


 一度ではない。

 何度でも。


 終わりさえ許されぬまま、永遠に。

 そう、ルーちゃんのように。


◯


「まったく、この状況どうするんだよ」


 ティアとスピカについて知っている連中に、ようやく会えたと思ったんだが――

 今じゃ二人とも口もきけず、完全にお荷物だ。

 まったく、世の中そう都合よくはいかないらしい。


「お前だけが頼りだぜ、ゴーストイーター」

 

 腰にぶら下がったゴーストイーターが、

 《カイは、世界線が変わっても苦労人だな》

 なんて、完全に他人事のように笑いやがる。


 断片的に残っている記憶の中の俺も、

 そういえば似たような目に遭っていた気がする。

 ……まったく。否定できないのが腹立たしい。


《とりあえずこの世界の誰かと行動しろ、

 俺様が思うに、ティアは、別の世界線の記憶がある観測者とカイを狙う。

 さっきの瘴気が、花から出ているものと見た》

「なるほど、ティアの宝であるこの世界の住人を盾にすると?」


 「それ、なかなかのワルだな」そう茶化してやると、

 ゴーストイーターは、《邪神様だからな》なんて、妙に誇らしげな声で返してきた。


「でも、エスト大陸に行くならクルヴェポートに向かわなきゃいけねーな」

《ここにもあるのか?クルヴェポートって》

「大陸間を行き来する船を出してるのは、

 クルヴェポートっていうギルドしかいない」

《は~、てっきり港の名前かと思ってたぜ》

「大半の人間はそう思ってるさ、

 知ってるようで皆、それがギルド名だって知らないよ」


 とはいえ、金持ってたっけ?


「なぁ、このお姉さん達は金持ってるのか?」

《恐らくな。

 妹のルナの方は財布のひもが固かったから、それなりにあるんじゃないか?

 ティアを助けた後の旅費を溜めてたみたいだし》


 それは使っちゃ駄目じゃねぇか?


「まあ運賃程度なら良いか」

《どうだかな、姉妹そろってティアの事となると人が変わるからなぁ》


 コワッ!


《でも本当に大丈夫なのか?カイは》

「この言葉がティアの本心ではないとはいえ、頭の中で騒がれると疲れて来るな」

《だろ?さっきから歩きっぱなしだ、少し休め》


 そうしたいところだが、

 なぜか今日中にティアへ会わなければならない気がしていた。


 理由なんて分からない。

 ただ、以前にも似たような場面で、取り返しのつかない何かを逃したことがある

 ――そんな得体のしれない奇妙な不安が、胸の奥をざわつかせるのだ。


 潮の香りと波音を頼りに歩いていると、

 前方から眼鏡をかけた海賊らしき男が、ひょっこりと姿を現した。


 腰には、いかにも物騒な剣を下げている。

 だが、その穏やかな目つきと気の抜けた雰囲気を見る限り、

 自分から喧嘩を売るような男には見えなかった。


「おや?お兄さん大丈夫ですか?

 凄い汗ですけど」

「大丈夫だ」


 この世界の住人と遭遇した途端、

 さっきまで頭の中で響いていた声が、嘘みたいに消えた。


「大丈夫じゃないでしょ」


 男は助けようと近づいてきたものの、

 俺が両肩に担いでいるフロストカース姉妹を見るなり、

 眼鏡をかけ直して怪訝そうに眉をひそめた。


「……アンタ、山賊か?」


 その一言に、腰のゴーストイーターが堪えきれずに吹き出す。


《ははっ、確かにそう見えるな》


 うるせえ。


 まあ、気を失った美女二人を、

 俺みたいな男が雑に担いで歩いていれば、そう思われても仕方ないか。


「山賊なら馬車でも用意してる。

 アンタこそ海賊だろ?分かるだろ、この状況を見て」

「人攫いはしませんよ、失礼な。

 でもどうしたんですか?」


 その問いに、思わず一拍返事が遅れた。

 どう説明したものか、すぐには言葉が出てこなかったからだ。


 頭の中に響く声のせいで、この姉妹が暴れ出して――

 なんて正直に話したところで、信じてもらえるとは思えない。


 だが、何も答えないのも、

 自分から人攫いだと認めているようなものだ。

 

「こいつら虫が苦手でね、肩に虫が止まった瞬間にこの通りさ」


 いや、適当にもほどがあるだろ俺!


「そうなんですか、疑ってしまいすみません」


 信じるのかよ!

 海賊のくせに疑わないのか?


「僕はバルド海賊団のヨーン・タッセルです」

「ご丁寧にどーも、海賊に見えねえな」

「良く言われます」


 頭を掻きながらへらへら笑うその姿を見ていると、

 普段から仲間に散々いじられているんだろうなと思えて、少しだけ同情した。


「俺はカイ・ベルカ、右肩の女性がノヴァラ・フロストカーストで、

 左肩がルナ・フロストカースト」

「船に案内します」

「ヨーンは何か用があって森に居たんじゃねーのか?」

「そうですが、無理ならあきらめて帰って来いと言われていたので、

 無理でしたって言います」


 なんて緩い海賊なんだ。


「因みに何を取りに行こうとしてたんだ?」

「レイラ様のタペストリーです。

 うちの船長が自分の娘だとか言っていまして、

 どうしても欲しいから譲ってもらえとか」

《おいカイ、さっきの店じゃないか?》


 だとしたら、ここからじゃかなり遠い。

 歩きなら半日以上は軽くかかるだろう。


 だが――これは、案外いいことを聞いたかもしれない。


「なあ、その娘に会わせることができるって言ったら、

 そこまでそっちの船で送ってくれるか?」


 ヨーンはぴたりと足を止めると、

 「ホントですか!」なんて満面の笑みでこちらへ食いついてきた。


 その人の好さそうな反応を見ただけで、

 バルド海賊団がどんな連中なのか、なんとなく想像がついた。


 ナイフを舐め回しているような、

 血の気の多い連中の集まりだと思っていた俺が馬鹿だったらしい。

 

「船長も喜びます」

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