最終回 新たに始まる16年目の春 part1
咲いた。咲きましたわ。
それは、長き旅の終幕を祝う花なのか。
それとも――新たな絶望の幕開けを告げる花なのか。
光の粒が降り注ぐ、紅蓮の花の海。
その中心で、大杖と魔剣を携えた小さな踊り子が、何も知らぬ者たちと共に舞っている。
人々はただ、その光景を美しいと称えた。
花に隠された意味も、踊り子が背負った運命も知らぬまま、無邪気に手を取り合って。舞っている。
精霊が人の世を訪れなくなった、歪でありながら穏やかな世界。
その中で、失われたはずの記憶を抱えていたのは、わたくしとルーちゃんだけ。
皆が美しさに見惚れる中、わたくしたちだけは理解していた。
この花が告げているのは、祝福などではない。
静かに、けれど確かに――
新たな戦いが始まろうとしているのだと。そう告げている。
「準備は万端、だいじょうぶ——大丈夫」
自らに言い聞かせるように、「大丈夫」と繰り返すルーちゃん。
だが、その声には、姉のわたくしには隠しきれない震えが、微かに滲んでいた。
わたくしは死にゆく精霊の光へ目を向ける。
美しく瞬いてはいるものの、それは命の最期に放たれる、儚い残光にすぎない。
「どうやら、反クリャトナ派の時空の精霊は、息絶えたようですわね」
少なくとも、師匠の封印が解けるその時までは――
すべて、別の世界線のティア師匠が綴ったとおり。
あまりにも正確で、整いすぎていて。
まるで結末まで書き終えられた物語を、
わたくしたちだけが後からなぞっているようだった。
「ノヴァラ姉さん、杖と剣を貰ったらノルド大陸に行こう、
必要な材料がそこでしか揃えられないの」
「よろしくてよ。ルーちゃんについて参りますわ。
けれど……師匠を待っているだけでは退屈ですわね。
わたくしたちも、踊りませんこと?」
わたくしの差し伸べた手を素っ気なく弾き、
ルーちゃんは空を仰ぐ。
「呑気ね、この先何が起こるか分からないのに」
「どうにかなりますわ。
……けれど、変化のない時空で長い時を過ごしてきたルーちゃんには、
そう簡単に割り切れることではございませんわよね」
ルーちゃんは「悪かったわね」と、小さく舌を出してみせた。
まったく、素直じゃない子ですこと。
わたくしは咲き乱れる花々の香りに誘われるまま、
紅蓮の海を悠然と進み、
その中心で舞うティア師匠の前へ立った。
「わたくしのお相手をしていただけますかしら?」
ティア師匠はわたくしに気づくと、可笑しそうに目を細めた。
「幼いのに、ずいぶん大人びた話し方をするんだね。なんだか不思議」
わたくしの手を取り、紅蓮の花々を従えるように、くるりと舞い始めた。
「ノヴァちゃん、お母さんの大杖とゴーストイーターさんを託すから。
3025年、封印から目覚めた私を殺してね。今度の勇者は貴女達姉妹だよ」
「ふふ……
わたくしを殺すために生み出された大杖を、
わたくしが手にすることになるなんて——
運命とは、本当に気まぐれですわ」
「ホントだね――」
ねえさ——
バ ノヴァ ねえ——
何度もわたくしを呼ぶ声に、意識は引き上げられ、重い瞼をゆっくりと開く。
目の前には、頬を膨らませたルーちゃんが立っていた。
それだけなら微笑ましい光景だったのだけれど――
振り上げられた片手に気づき、わたくしは間一髪で目覚められた幸運に胸を撫で下ろす。
「……先ほどのは、夢でしたのね」
《ノヴァラも呑気なものだな、
ルナなんて緊張しっぱなしでほぼ寝れてないぜ?》
3025年――現在。
二千年以上もの時を越え、とうとう、あの日交わした約束を果たす時が訪れた。
ティア師匠の旅が、ここで静かに幕を閉じるのか。
それとも、新たな旅路へと続いてゆくのか。
その結末を選び取る役目は、今、わたくしたちの手に託されていた。
「わたくしは夜更けまで器を作っておりましたのよ?
それなのにゴーストイーターったら、
いびきをかいてぐっすり眠っておりましたわ。
まったく、良いご身分ですこと」
「しっかし随分と姉さんの趣味が出てるわね、
アイロラ師匠、背は140センチくらいよ、少し高くない?しかも胸も大きいし」
「あのままでは抱き心地がよろしくありませんもの。
ふふっ!よろしいではありませんか。
きっと、お喜びになりますわ」
《ティアはずっと背と胸を気にしていたから、むしろ怒るんじゃないか?》
このように軽口を交わしてはいるものの、
この器を形にするまでには、実に二千年もの時を費やしている。
どのような身体であれば、ティア師匠に喜んでいただけるのか。
背丈は、髪は、指先は。抱きしめた時の温もりに至るまで、ルーちゃんと幾度となく語り合った。
それほど長く考え抜いたというのに、
この身体を師匠が気に入ってくださるのかと考えると、
胸の奥には今も言いようのない不安が残っていた。
魔石を砕いた粉と、特殊な泥によって造られた泥人形。
静かに瞼を閉じるその姿を見つめていると、
運命に縛られたまま、今も師匠がわたくしたちを待っているように思えてならない。
脳裏をよぎったあの寂しげな横顔に、
わたくしの表情から、自然と笑みが消えた。
「姉さん、師匠を助けるのがゴールじゃない。
それだけは、忘れないでね」
「ええ、存じておりますわ。
これもまた、旅支度のひとつなのでしょう?」
静かに頷くルーちゃんへ笑みを返し、
わたくしは、ティア師匠から託されたゴーストイーターを腰へ差した。
二千年もの時を経て、ようやく迎えた旅立ち。
扉を閉じれば、もう後戻りはできない。
それでも迷いはなかった。
わたくしは、師匠の帰る場所をあとにした。
「ノルドは春とはいえ、まだまだ冷え込みますわね。
まったく、困ったものですわ」
「姉さんあの人じゃない?」
精霊とクリャトナ族が争うことのなかった、この新たな世界線。
そこでカイ・ベルカは、ひとり旅をしていた。
「そう……
クリャトナ族が二つに分かれなかったおかげで、
あの子は目を失わずに済んだのですわね」
「それどころか、相当良い育ちをしてきたんじゃないの?
髪の艶といい、貴族よあれ」
運命とは、ほんのわずかに筋書きが変わるだけで、
人の境遇も立場も、こうまで鮮やかに塗り替えてしまうものらしい。
傷ひとつない瞳に、健やかな身体。
随分と上等な暮らしを送ってきたことが窺える、艶やかな髪。
この姿をティア師匠がご覧になったなら、
きっと我がことのように喜ばれるのでしょうね。
そう思った途端、自然と口元が綻び、
足は彼のもとへ駆け出していた。
「カイ・ベルカさん」
紙を片手に、どこか呑気そうに空を仰いでいた彼は、
わたくしの声に気づいてゆっくりと振り返る。
だが、その視線はわたくしの腰にあるゴーストイーターを捉えた途端――
穏やかだった表情を変え、こちらへ向かってきた。
「あ、アンタどうしてティアの剣を?」
「あら……わたくしのことはお忘れになったのに、
この剣だけは覚えていらっしゃるのですね」
「ナンパかい?お姉さん」
違いますわよ!
「それよか、どうしてなんだ?」
「わたくしは、ノヴァラ・フロストカースと申しますわ」
その名を耳にした瞬間、彼の眉がほんの僅かに動いた。
「なーんか、引っかかる名前なんだよなぁ」
彼は隣に立つルーちゃんへ視線を向けると、
腕を組み、記憶の奥底を探るように顎をつまんだ。
「あんた達みたいな美人と会ったことないのに、
その魔剣と杖は確かにティアが使っていた——
不思議な感覚だ、ティアのなんなんだ?あんたら」
「弟子。ねっ、ルーちゃん」
「まあ、今はそういうしかないでしょうね、
それよりも、ティア・アイロラの事をしっかり覚えてるの?」
ベルカさんは小さく首を横に振った。
「いや、曖昧なんだ。起きた出来事は覚えているのに、
どんな顔をしていたのかは、いくら思い出そうとしても鮮明には思い出せない」
そう言って少し考え込んだかと思えば、
「まあ、きっと良い女なんだろうな!」
などと、最後には実に呑気な笑みを浮かべる。
「その紙は?」
「んあ?これか?」
ベルカさんは、手にしていた紙をわたくしたちへ差し出した。
けれど、そこに描かれていたものを目にした途端――わたくしの目は点になる。
なんと申しましょうか……
記憶の手掛かりよりも先に、
彼の絶望的な絵心ばかりが目に飛び込んできてしまい、
わたくしはしばし言葉を失った。
「実に遊び心に溢れた作品ですこと」
紙には、二人の人物が描かれていた。
一人は、おそらくティア師匠。
そして、その隣に描かれているのは――
「スピカなんたらかんたらだ、名前が長くて覚えてないんだよ。
時空の精霊?の王だったっけ?」
「会ったの?」
「いーや、夢に出てくるんだよ。
ただ、夢の中のそいつはいつも無理して笑顔を作っているような感じでな、
なんか会わなきゃいけないと思って探してるんだ。
ティアを救うカギになりそうだから」
「ふふっ、無謀ですわね。
これほど果てしない大地を、当てもなく探し続けるなんて」
「うっせ、んで?俺に何の用だよ?
一目惚れしたならやめときな、俺にはティアという心に決めた女性がいるんだ」
時間を巻き戻す以前の記憶は、ある程度まで残すことはできる。
けれど、記憶に結びついた想いまで持ち越す術は、
未だ誰にも見つけられていないはずなのに――
顔も声も思い出せないのに、彼の心にはティア師匠への想いだけが強く残っている。
人とは、なんと不可思議で、美しい可能性を秘めた存在なのでしょう。
思わず感嘆していたわたくしの背を、ルーちゃんが容赦なく叩いた。
「感心してないで、さっさと誘いなさいよ。バカ姉」
横を見れば、そこには心底呆れ果てた顔があった。
「どう?私達も大精霊を探してるの、一緒に来る?」
「フロストカースさん達はあるのかよ」
「ふふっ、ございませんわ」
わたくしが気楽に笑ってみせると、
ベルカさんは「本当に大丈夫なのか」とでも言いたげな、呆れ顔を浮かべた。
「でもまぁ、これも何かの縁だろう、着いてくぜ!」
こうしてカイ・ベルカを仲間に迎え、
ティア師匠を筆頭とするギルドの再結成まで、残るはあと一人。
しかし――
「ナタ村にもサジィ村にも立ち寄りましたけれど……
別の世界線で精霊と縁のあった村々は、
この世界では誰も知らないようですわね」
最後の一人を捜し出すことが、
どれほど無謀であるか。
現実は、早くもその事実を容赦なく突きつけてきた。
ティア師匠は、この状況さえ見越したうえで、
わたくしたちに大杖とゴーストイーターを託されたのでしょうか。
精霊王たるスピカの命令によるものなのか。
時空の精霊に限らず、あらゆる精霊が、人族や魔族との関わりを完全に断ってしまっていた。
この世界には精霊の存在を知る者が、誰一人として残されていないのがその証拠だった。
「そうですわね。
空を飛び続けていたせいでしょうか。
珍しく、お腹が空いてしまいましたわ」
「昼だしな、しゃーない、あそこの村で飯食おうぜ」
――とは言ったものの。
店のメニューを目にした瞬間、わたくしたちは揃って口を閉ざし、互いの顔を見合わせた。
「野菜と水と白湯以外売り切れって、何だよこれ」
「誰か離島の暮らしに飽きて、気分転換にでもいらしたのかしら?」
「こら姉さん、カリカリしないの。お腹減るとすーぐ昔みたいになるんだから」
叩かれた手のひらへ視線を落とし、
薄い氷が張りついていることに気づく。
わたくしは何事もなかったかのように微笑みながら、
その手をそっとテーブルの下へ隠した。
「離島といえば、今年になってから、
パコ島から帆船が大量に行き来してるらしいな。
クルヴェポートじゃ、宝を見つけたんじゃないかなんて噂だぜ?」
「パコ島——ティア師匠のご友人の故郷でしたわね。
ルーちゃん、何方だったかしら?」
「あ~……リコちゃんね、バルド海賊団の」
その時、テーブルの脇を通りかかった店員が、
ふと思い出したように足を止めた。
「そういえば、さっきの団体客も似たようなことを言っていたわ」
わたくしたちが揃って首を傾げると、
店員は壁に掛けられたタペストリーを指さす。
「ずいぶん変わった人たちでね。
神の使者であり、千里眼を持つレイラ様を、
自分たちの娘だと言っていたの。
居場所を知らないかって聞いてきてさ」
示された先へ視線を向けた、その瞬間――
わたくしとルーちゃんは揃って息を呑み、弾かれたように席を立った。
「レイラ……そうか!リコちゃんの本名はレイラ・フィンスパークだったわね」
「なるほど……。
世界線が変わったことで、リコさんの運命も変わったのですわね。
親に捨てられずに済んだ、と。
……この絵、席でじっくり拝見してもよろしくて?」
「構わないわ、レイラ様に興味ある人は大歓迎よ」
名もなき海賊に拾われた娘が、今や神の使者ですか。
運命とは、本当に気まぐれなものですこと。
タペストリーには、真横から捉えたレイラの全身が描かれていた。
不安げに、両の手を空へと差し伸べるその姿は、
祈りというよりも――胸の奥に抱えた切なる願いを、
遠く離れた誰かへ届けようとしているように見えた。
「でも千里眼って、どういう事かしら
変動で誰かが新しい能力に目覚めたなんてことはありえないだろうし……」
「そうですわね。
どこまでも見通す力は、精霊だけに許された資質ですもの。
人族が手にできるはずはございませんわ。恐らく——」
リコちゃんを取り囲む、幾つもの淡い光。
その輝きに目を細めながら、
わたくしはタペストリーの表面を指先でそっとなぞった。
「もしかすると、リコちゃんは人族でありながら、
唯一、精霊と干渉できる存在なのかもしれませんわね」
「大精霊と繋がってそうね、
まったく、そのつもりなら初めから言いなさいよ」
「ティア師匠に聞かれるのを恐れたのでしょう」
「でも、このガキは何処にいるんだよ」
ベルカさんの言葉に、
わたくしたちは揃って顔を見合わせ、深いため息を零した。
これで、ようやくティア師匠を救い出す手掛かりが得られたと思いましたのに――。
わたくしは肩を落とし、
何とはなしにタペストリーの裾を持ち上げる。
その時、指先に触れた僅かな感触に、ふと違和感を覚えた。
「不思議ですわね。
紙のはずなのに重い……
重ねられている様子もございませんのに」
タペストリーをルーちゃんへ手渡すと、彼女は一度だけ表面を眺め、
「気のせいじゃない?」と、さして興味もなさそうにテーブルへ戻そうとした。
けれど、次の瞬間。
何かに気づいたように目を見開き、動きを止める。
「よく気づいたわね、姉さん」
ルーちゃんは感心したように呟き、
紙を縁取る布の一角を指さした。
「この布の模様、ルーン文字を崩したものよ
それにこの玉の位置——ちょっと水を頼んで!」
水が運ばれてくるや否や、ルーちゃんは指先を浸し、
タペストリーに描かれた光球を一つずつ繋いでいった。
濡れた指先が軌跡を描くたび、
隠されていた何かが、淡い輪郭を伴って少しずつ姿を現してゆく。
その全貌に気づいた瞬間、わたくしは思わず息を呑んだ。
「これは……精霊族の魔法陣ですわ」
「どうしてここまでして隠しているのかしら
まるでアイロラ師匠に監視されているみたいね」
「とにかくこれが魔法陣なら、魔力を込めてみようぜ!
何か手がかりが見つかるかも」
ベルカさんの言うとおりですわ。
わたくしは陣の中央へ手のひらを重ね、静かに魔力を流し込む。
すると、黒い線だけで描かれていた絵が、淡い光を帯び始めた。
わたくしが手を離すと、横顔を向けていたリコちゃんがゆっくりと動き、こちらを振り返る。
先ほどまで浮かべていた不安げな表情は、もうどこにもない。
その顔に咲いたのは――
長い時を越えてようやくわたくしたちに出会えたと告げるような、
安堵の微笑みだった。
「封印の解ける刻が迫っておる。
ノヴァラ、ルナよ。カイ・ベルカを伴い、エスト大陸の西にある村――ラウフへ参るのじゃ。
大精霊スピカが、そなたらを待っておる」
そして最後に、リコちゃんは声を潜めるように告げた。
「ティア師匠は見ておる。決して、悟られるでないぞ」
それだけを残し、彼女の動きは再び止まった。
先ほどまで宿っていた安堵の笑みも消え、
タペストリーは何事もなかったかのように、ただの絵へと戻っていた。
「師匠が見てる?どういう事よ」
「近くにティアが居るってのか?」
違う。
胸の奥を冷気で撫でられたような、嫌な予感がした。
わたくしはすぐに窓へ行き、空に向けて人差し指と親指で作った輪を向ける。
その内側へ薄く魔力を張り、映し出されたものは――
「まるで、自分自身を相手にしているようですわね」
魔力のレンズ越しに見えた空は、僅かに屈折していた。
流れる雲も、空を横切る鳥たちも、
水面に映した景色のように輪郭を歪ませている。
これほど拡大しなければ気づけないほど薄く、精巧に張り巡らされた魔力の層。
それは大陸を覆っている――いや、違う。
見渡す限りの全土を、余すところなく包み込んでいる。
あるいは、この星そのものを丸ごと囲んでいるのかもしれませんわ。
「一目見ただけで、ここまで再現なさるなんて。
さすがですわ、師匠」
「どうしたのよ」
「急いでくださいませ。お食事は中止ですわ。
ティア師匠が空からご覧になっています」
《果たして見てるだけかな、ティアなら行動に出る》
「根拠は?」
《アイツと一番長く居た時間さ》
するとベルカさんが窓の外へ目を向け、
訝しげに指をさした。
「おい。あんなに赤い花、咲いてたか?」
赤い花。
その言葉を耳にした瞬間、背筋を冷たいものが走る。
「とにかく、エストへ向かいましてよ!」
あれを見てはならない。
見てしまえば、きっと――動けなくなる。




