47話目 最後の魔法(哀)
「レイラは紅茶を入れてきて、私とティアは上に居るから」
そうリコをどかしたルナさんは「こちらへ」と私を家に招き入れた。
「ガーナ派を静めてくださりありがとうございます」
「私がしたくてしたまでです。貴女の為じゃない」
「それでも。感謝したいんですよ」
階段を上るルナさんは振り向かなかったけれど、
寂しそうな色の混ざった小さい声は、容易に表情を想像させた。
どんな言葉を言えばわからず、「そうですか」と言うと、
気のせいか彼女の背中は猫背になる。
「旅はどうでした?」
「どうもなにも、ルナさんと別世界線の私が描いた通りの物語です。
それ以上でもそれ以下でもない」
部屋に入ると、ルナさんは向き合う私に、
どう話そうかと、言葉を探すように視線を泳がせた。
壁に掛けられた振り子時計の、規則正しく刻む秒針の音が、やけに大きく聞こえる。
しばらくして、リコが紅茶を持ってきてくれたけど、
その重い空気に耐えきれず、「掃除してきます」なんて逃げる様に部屋を出て行ってしまった。
ティーカップから立っていた湯気が消えた頃、
私は待つのをやめた。
「持ってきました。魔導書と図面」
テーブルに置かれた二つに、ルナさんは何も言わずに、
本を指先で撫でて、ゆっくりと視線を私に向けた。
「ねぇ、ティア。
みんなを幸せにする魔法があるとしたら、
何だと思いますか?」
その問いに、私は花畑を思い出す。
あれを見た時、必ずみんな笑顔になる。
「花畑の魔法」
その答えにルナさんは、
「それが最後のページに書かれている魔法です」と、
魔導書を私に返し「そしてティア・アイロラが創った魔法」と付け加えた。
「ありえない。だって魔王のモグリさんは――」
(もし花畑の魔法を、私が、1000年の時かまた別の時代の中で見せたとしたら?)という、
思考が働いた時、言葉が途切れる。
「いや、でもありえない」
「何故そう思うのですか?」
「花畑の魔法が1000年の時に完成させていたのなら、
既にクリャトナ族は救われているはずだからです。
この魔法を、モグリさんは精霊祭の時に毎年披露していた。
そう考えると、やっぱりおかしい……」
すると、ルナさんは「大事なことを見落としていますよ」と人差し指をたてた。
眉をひそめる私に、彼女は微笑む。
「花を咲かせるだけの魔法が何でクリャトナ族を救うのか。
考えたことはありますか?」
「それは――」
答えられなかった。
そもそも、こんな魔法がクリャトナ族を救うカギだった事すら思ってもいなかった。
この魔法はただ人を笑顔にするだけだ。
救う?噓でしょ?
「この魔法は優しい。けれど使い方によっては恐ろしい魔法でもある」
「どういうこと?」
「簡単に言ってしまえば洗脳に近いんです。
眠れる大地よ、春の夢を見て
風よ、光の花を呼び覚まして
咲け、咲け、私の心の庭に——
この詠唱には、この魔法を創ったアイロラ師匠、本人の思想が込められています」
眠れる大地、つまり繰り返されるこの世界
春の夢は、ティアの夢
風は魂、光の花は人々、
私の心の庭は、己の思想
この説明に、私は少し背筋が凍りついた。
幸せという名の箱庭に、人々を閉じ込めるために、
別の私はこの魔法を作ったのだ。
やっている事は違うけれど、思想はノヴァラのそれで、
私は結局平和は思想の押し付け合いなのだと、
そう思った瞬間、本当の悪がどこにあるのか分からなくなった。
「アイロラ師匠は、幸せに、平和にという思想を叶えるために、この魔法を作った」
「でも、それなら何故クリャトナ族は、1000年後派閥争いを始めたの?
しかも、もし上手くいったとしても、時空の精霊に滅ぼされるだけなんじゃ?」
「全ては花の色に関係しています。
そうだ、試しに外で魔法を唱えてみましょうか。
その花を見たレイラの反応を見たら分かるでしょう」
これもまた何か試されているのか。
「図面は?」
「綺麗な花を咲かせることができたなら、教えます」
「何故」と眉間に不穏な気配を漂わせる私に、
ルナさんは「意地悪で言ってるんじゃないの!」と必死に説明した。
その瞳には、何かに恐怖する色すら感じる。
ルナさんには、今の私がどう写っているのだろうか。
「今のティアに教えれば、貴女はきっとそのまま行ってしまうから。
だから、今は教えられない」
ここで逃げたらきっと時間が巻き戻される。
私が言うべき言葉は一つしかなかった。
「分かりました」
「なんだ?師匠凄い魔法を見せてくれるのか?」
「凄くなんかないです」
家を出て、ルナさんとリコの前に立ち、大杖を構えた。
一応視界の端にある数字を確認し、3000以上ある事にホッとしつつ、
目を閉じて呼吸を整えた。
《ティア、花の色は、詠唱者の魂の色そのものだ。
言っておくが、今のお前じゃ分が悪い、影を使え》
「うるさい。怒りに私は任せない」
《今の抜け殻なお前に綺麗な花なんて難しいぞ?》
私は息を吸って。吐いた。
もともと揺れ動かない心だ。こんなパフォーマンスは必要ないけれど。
人間らしく緊張したかったのか、無駄な事をしてみた。
「唱えます」
ゆっくりと瞼を開く。
目の前のリコは瞳をかがやせて、
ルナさんは不安そうに肘を抱える手に力が入る。
「眠れる大地よ、春の夢を見て
風よ、光の花を呼び覚まして
咲け、咲け、私の心の庭に——」
木々はざわめき、
冷たい風が吹き荒れる。
地面からは、小さな蕾が目を覚まし——
「フローレ・リュミエール」
杖の先で地面を突くと、地面を覆う蕾はいっせいに花を咲かせた——
—— ガラス細工みたいな透明な花を ——
綺麗、だった。
花なのに、香りがしない。
それがかえって安心させた。
思想は争いしか生まない。
ならば、無こそ正義。
私はそう思った。
「どう?綺麗でしょ?」
でも、リコは言葉に迷っていた。
迷いながらも、私を傷つけないように、言葉を紡いだ。
「綺麗……でも。何と言うか。寂しいというか悲しい」
分からなかった。
何故?こんなにもキラキラしているのに?
私はその時、リコたちとの感覚のずれが、
人として大事な何かを失ってしまったのかと錯覚して、杖を握る手に力が入る。
「嘘……でしょ?」
「ごめん師匠」
その一言が、本当にどうかしてしまったのだと気づかせた。
でも、だからといって、どうすれば良いのかも分からなかった。
ただ。今の私には笑顔を取り繕うのが精いっぱいだった。
「ティア、気づいているはずです」
私の花が、誰にも届かない。
私の気持ちが――伝わらない。
こんなにも、平和を思っているのに。
「嘘だ。やだ、私は人だよ。
違う、化け物じゃない。人だよ、心はある。
なんでそんな悲しそうな顔をするの?ねえ、リコ?
いつもみたいに笑顔で綺麗って言ってよ」
ルナさんに分からなくても、リコだけは笑ってくれると思った。
今でも私を師匠と呼んでくれるリコなら!!
私は地面に生える透明な花を摘んで、リコに近づいて必死に見せた。
「ほら、綺麗でしょ?
何でそんな顔をするの?
ねえねえねえってば!
そうか、ルナに洗脳されてるんだ
私の知ってるリコは——」
その時、ルナさんは私を乱暴に押して杖を向けた。
「あは……あはは――あんまりだよ。
あんまりだよぉぉぉぉぉお!」
思想を持たないこともまた悪だというの?
人間じゃないの?
なら、人間こそが悪なの?
「ティア、まだ涙を流せるのなら救いはあるわ」
「私は何?」
その問いにルナさんは「魔物でも人間でもない、狭間の存在、魔女よ」と、
膝を曲げて私と目線を合わす。
「ルーブル町へ行きなさい。
ティアの力が必要な人が居ます」
「そうか。こうなることは分かってたんだ」
ゆらりと立ち上がり、大杖からゴーストイーターさんを握る。
すべてこうなることをコイツは知っていたんだ。
"哀"の感情は、怒りよりも強い恨みへと変化する。
「ねえ、楽しい?不幸になる私を見て……
痛いんだよ?辛いんだよ?
なんでそんな顔をしていられるの?
人でなし人でなし人でなし人でなし——」
ゴーストイーターさんを振り上げた。その時だった。
「退けリコ!」
ルナさんの前でリコが守るように手を広げて仁王立ちした。
「師匠はそんなこと言わねぇ!」
「私はこういう人間なんだよ!
知ったような言葉を言うな」
その刹那、凄い勢いで左の数字が減っていくのに気づく。
《お前の魔力を俺が食ってる。
ちょっと暴れ過ぎだ》
放り投げる私にゴーストイーターさんは、
《ティア、リコまでも失うつもりか?》と静かに言う。
その言葉で、ようやくリコが視界に映り、全身から力が抜けた。
「ごめんなさい。違うの。どうしてこうなるの?私って本当に……」
もう私の大切な宝を失いたくない。
怒りの感情は無いはずなのに、何でこうなってしまったんだ。
怒れないはずなのに。
「師匠。行こうぜ、ルーブルへ」
リコはそう言った。
いつもの大好きな笑顔で。
「でもまた——」
「切羽詰まったら誰だって感情をコントロールできねーよ。
しかも私も悪かったから。ごめん」
「そんな、悪いのは私……だから」
深く頭を下げると、
ルナさんは強く抱きしめて「まだ旅は終わってない。人として戻ってきなさい」と囁き、
祈るように私の額にキスをする。
「アイロラ師匠も、この世界線じゃあ、
透明な花しか咲かせることができなかった、
私のお姉ちゃんが透明な花しか咲かせないのはそれに影響されたから」
「どうしていいのか分からない、どうすればいいの?」
「今までの旅に答えはある。
出会ってきた人を思い出しなさい
3日間の有余をあげる。
だからその間に花を咲かせて。
もうすぐ、再び世界は凍結する」
そう私の背中を押した。
「師匠、ルーブルに行こう!」
《ティア、俺様も忘れるなよ》
これで何か見つかるなんて、
正直分からなかった。
けれど、どうしてだろう。
私をまだ師匠だと信じてくれる声が、
少しだけ、世界に色を戻してくれた気がした。




