46話目 “私”による、“私”のための、「私」という誰かの物語
「貴女は誰?」
洗面所で顔を洗い、鏡を見た私は、ふとそんな言葉を零す。
お母さんにとって、私は誰なの?
別世界線の私の魂が入った封霊の宝玉を、お母さんに渡した。
宝玉の中の緑色の炎は、嬉しそうに揺れて、お母さんも「そう、やっと帰って来たんだね」と、
本当の娘に会えたような表情で抱きしめていた。
目には涙をにじませていた。
私と会った時は、そんな表情をしなかったのに——どうして。
「分からない。
これからどうすれば良いのかも、分からない。
人を助ければ満たされる。でも、すぐに心は空っぽになる」
そう思った時、何度も時間を巻き戻していた時のことを思い出した。
何度も同じ台詞を言うだけの人達を。
「私もティアに造られた"物"なの?」
信じたくなかった。
だって。皆と違って他の行動ができるから!
でも、現実は違った。
「満たされたい」
そう呟いた時だった。
後ろから影が現れる。
《あはは、満たされる為に人を助ける。
同じことを繰り返すだけの人形だね》
鏡に映る彼女の瞳は、光が射していた。
比べて私は――
「生き生きしていて羨ましい」
《それなら怒れば良いじゃん、悲しんでばかりじゃ前へ進めない》
「怒っても、前へは進めないよ」
影は横に立ち、私の肩に腕を回してニッと白い歯を見せた。
《違うね。歴史を辿れば分かるように、
人は悲しみ、怒るから前へ進める。
それを証明しているのが、魔法とか薬の技術だよ
"哀"は反省させて、"怒"が進化させる》
「でもノヴァラにはなりたくない」
《ならないよ、だって私は昔から。産まれた時から"私"が持っていた感情の一部なのだから》
ドアがノックされて、ルミアの声が聞こえた時、
影は《まあいいよ、私を必要とする時がすぐに来る》と消えていった。
その時見た、不敵な笑みはやけに脳裏に残るのだった。
「怒りたくないんだよ。私は」
ドア越しに何度も私を呼ぶルミアに、ため息をつきつつ、ドアを開けた。
「もう!誰と話してたの?」
「別に」
ルミアは、洗面所に誰もいないのを見て「お姉ちゃんって自分が特別な存在とか思い込んでるタイプ?」なんて馬鹿にしたようにクスクス笑う。が、私の死んだような顔に「いつもより顔色悪いけど……大丈夫?」なんて眉をひそめた。
「大丈夫、いつもの事だから」
「まったく。そんな顔ばかりしてたらいい男にも出会えないぞ~」
「用はなんなの?」
「あぁ、そうそう!
可愛いお客さんが来てるよ。
ティア師匠は居ますかってさ」
私を師匠と言うのは一人しかおらず、すぐに行こうとしたが。
鏡に映る自分が視界に入った時、足が止まった。
恥ずかしい。こんな姿を見せるのは。
「いっ、居ないって言って」
「いや何でよ!悲しむよ?あの子」
そういうルミアの後ろから、
「そうだぞ!師匠。私はずっと会いたかったんだから」なんて今だけは聞きたくない声が飛んできた。
「リコ……」
ルミアはリコの顔を見て「じゃあ私はこれで」と洗面所から出て行った。
リコはムッと頬を膨らませていた。
「私は、会いたくなかった。
夏の頃みたいにカッコよくないし
こんな姿……恥ずかしいよ」
「バカ言ってんじゃねーよ。
どんな師匠でも私は好きだぜ」
リコはそう言って手を握り「ルナ先生が呼んでるんだ」と引っ張った。
「ルナ?ルナ・フロストカース?」
「そう、私の先生だ!」
「そうか。私が紹介したんだもんね」
彼女は胸を張って「お陰で魔法はかなり上達したぜ!」なんて笑う。
海賊が抜けきれないその荒い言葉使いに、あの頃に戻れたようで、嬉しかった。
「先生が、渡した魔導書とナタ村で見つけた図面を持って来いだってさ」
その一言に、そんな感情も直ぐにかき消された。
そうか。
リコがここに来るのも、何もかも。ルナさんと"私"の考えた物語だったんだ。
私が少しだけ嬉しいと思ったことまで、全部。
上がりかけた口角は、下がり、
「そう。なら行こうか」と淡々とした口調に戻る。
私もまた、ルナさんの人形にすぎないのだ。
「もしかして会いたくないのか?」
「そういうわけじゃないよ、
むしろ今は会いたい気分」
そう会いたい。
ルナさんが何を企んでいるのかなんてどうでもいい。
ただ、今は、この渇いた喉を潤わせたかった。
クリャトナ族を助ければ、きっともっと満たされる。
それだけが、今の私をこの場に繋ぎ止めていた。
だから——会いたかった。
「ならレッツゴーだ!」
「うん」
私は小さなリュックに本と図面を入れて、腰にゴーストイーターさんを差し、
対ノヴァラ用の大杖を片手に握った。
その姿に、玄関で待っていたリコは「魔物は居ないぜ?」なんてカラカラ笑った。
「落ち着くから持ってるんだよ。独りじゃないって —— 思えるから」
「私が居るだろ?」
リコはいつも救ってくれる。
でも、裏表ない言葉だから、私は胸を締め付けられた。
その言葉も、また仕組まれた言葉なのだと疑う自分が嫌で。
申し訳なかったから。
「ごめん」
「謝るなって。ほら行こ―!」
村を出ると、昨晩見た野鳥が数匹頭上を飛び去った。
すでにルナさんに見られているのだろう。
空を見上げている私に、リコは「なんか鳥が多いな」なんて不思議そうな顔をしていた。
ルナさんは隠しているのか。それとも、あえて教えていないだけなのか。
「ルナさんが見てるんだよ」
「どうやって?」
「鳥たちの目を使って。クリャトナ族は動物の目を借りて周囲を見る事が出来るの」
「は~、ならどうして家の周辺で起きた事には気が付かなかったんだろう」
その言葉に、私の眉が跳ねる。
「何かあったの?」
まさかと思った。
野鳥や、人懐っこいウサギは、ルナさんの仕業だと薄々気づいてはいたけれど。
まさか——
「昨日、木が折れる音がしたかと思えば、不自然に地面が揺れたんだよ。
ズーン。ズーンって。まるで巨人が大暴れしてるみたいに」
巨人はルナさんの差し金か。
試されていたのは、昨晩からだった。
「そうか、あの時、見殺しにしていたら。時は戻っていたんだね」
「ん?何か言ったか?」
「いや。そんな事があったんだね。家は大丈夫だったの?」
リコは胸を張って「この私が守ったんだ!」と自慢げにドヤ顔をする。
「そう、凄いね」
「だろ?」
リコはころころ表情が変わって可愛い。
影もそう。
どうやったら、表情を変えられるのだろう。
笑顔を作るのはそんなに大変だったっけ?
「師匠の村は音聞こえなかった?
結構大きかったけど」
「私は寝てたから。もしかしたら聞こえてたかもね」
その時、リコはジッと私を見た。
何も言っていないけれど、その寂しさが混ざる瞳で何を言いたいのか分かり、
私は思わず目線を逸らす。
「別に無理して言わなくて良いけど。
私だって成長したんだ、頼りたく成ったら頼ってくれよな」
そう私の背中を叩いた。
夏の時小さいと思っていたその手は、大きく感じさせる。
「ほんと、私よりも大人になったね」
「背も師匠と変わらないしな!」
「だね」
「あと、本名で生きようと思って、
今はリコ・ローハートじゃなくて、レイラ・フィンスパークに変えてるんだ」
「そう、じゃあレイラって呼ばなきゃだね」
リコはそれを聞いて、
「やっぱり師匠はリコって呼んでくれ、距離を感じるからさ」なんて、
恥ずかしそうに頬をほのかに染める。
時間は動いている。
心臓の音が、しっかり時を刻んでいる。
でも、私だけがこの時空に置き去りにされている気がした。
他愛ない話をしながら、やっとルナさんの家に着いた。
「待っていたわ。春ぶりねティア」
ドアに寄り掛かっていたルナさんが、待ちくたびれたように背を伸ばす。
「家が綺麗になりましたね、ルナさん
生徒さんが増えましたか」
「ティアの助言のお陰よ」
ルナさんは優しかった。春から変わらない安心する微笑み、
でも。心はもう警戒しか生まなかった。
私を苦しめたのはこの人なのだから。
顔に出ていたのだろう、ルナさんは「今まで黙っていてごめんなさい」と深く頭を下げた。
それに私の心は大きく揺れることなく、「別に。気にしてません」と無機質な声しか出なかった。
もし影を。怒りの感情を取り込んでいたら。
その首をはねていただろうか?
ゴーストイーターさんの柄を握る手を見て、
そんな事を思いながら息を吐いた。
リコにはきっと、私とルナさんが仲の良い関係には映っていないだろう。
私の冷たい眼差しをみて、ただただ「本当にどんな関係なんだよ」なんて不満そうに言うのだった。




