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良い旅を、旅人さん  作者: 江戸前餡子
冬の章

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45話目 とりあえず生きてみる。

「今日は寒いな」

「珍しいよね」

「雪でも降るんじゃないか?」

 

 ガーンバ村から離れた湖で、のんびりと釣り糸を垂らした。

 少し退屈になり、ため息を漏らす俺に対して、

 ティアは何処か楽しそうだった。


「暇じゃないのか?」

「暇?時間が止まっているようで、今が一番落ち着いて、好きなの」


 ルミアの言う、詩的でついていけないという事が理解できた。


「ルミアなら、飽きて湖に飛び込んでるな」

「泳ぐのが好きだからね」

「お前は、地面に絵をかいていたな」


 それに、「その私は私なの?」なんて不思議な事を口から漏らしながらも、

 俺の表情を見て「そう。だね」と直ぐに話を合わした。


 静かに、けれど、確実に。彼女の中で崩れているのだろう。

 常識か、はたまた、全てにおける認識か……


「ごめんなさい。お父さん、さっきは」

「剣の事か?」

「うん」

「良いさ」


 その時、彼女の釣り竿の先がピクピクと動く。

 でも、ティアはそれを眺めるばかりで、引こうとしなかった。


「どうした?釣らなきゃ逃げられるぞ?」

「釣る?

 今の時間は釣りをするのが目的じゃないはず。

 それに、この振動は、心地が良いの」

「心地が良い?」

「そう、だって、生命力を、命を感じられるから。

 魚が精一杯、私に抵抗している。

 死にたくないと叫ぶ命の声は、

 私に生きてる感覚を思い出させてくれるの」


 ティアはそう言うと、釣り上げてから再び湖に逃がし、言葉をつづけた。


「でも、それと同時に悲しくもある。

 そんな綺麗な物も誰かに奪われるのだと思うと」

「旅で誰かを守れなかったか?」


 その問いにティアは自分の掌を見て、

 「守れなかった――と言っていいのか。自分でも分からないの」と呟き青空を仰いだ。


「お父さんはな、まだ魔王軍と戦争が起こっていた時、兵士をしていた。

 その頃にな、学生時代からの友人を守れずに、ティアみたいに夜も眠れなかったし、

 生きている意味が分からなくなった」

「そう」

「眠らずに魔物を狩った。

 気晴らしになる。死を感じている時間が楽しかった。

 お前が来る前まで、村周辺は魔物だらけだったけれど――」


 「夜な夜なお前はその魔物を狩っているんだろ?」と、見る。

 ティアは「私じゃない。“私”がやったの」と水筒を渡してくれた。

 礼を言って受け取る俺に、何かを言いたそうに口を開くが、閉じた。


「言ってみろ」

「お父さんは、もし時間を巻き戻せる力を持っていたなら。

 そのお友達を助けた?」

「あぁ。助けた」

「何度も助けることができず、自分の心身に負荷がかかっても?」


 言っている意味が分からなかった。

 その問いは、目の前にいる娘を、ティアの形をした別の何かに見せた。

 人の時間から、少し外れてしまった存在のように。


 けれど、それが彼女の体験して来た旅なのだろう。

 成長して思想が変わっても、この子は俺の子供だ。

 向き合わなきゃいけない。


「あぁ」

「それで助けることができても、

 何度も死んだその人を人だと思える?」

「……あぁ」


 それに、ティアは分かり合えないと言いたそうな、

 孤独を匂わせる色を瞳に浮かべさせた。


「人間は時間に支配されるからこそ。

 刹那的な瞬きでも、削(けず)れゆく命に魅力を感じる」


 ティアは「そう思っていたの、秋までは」とまた釣り竿を振る。


「今は変わったと?」

「うん」

「どう変わった」


 その刹那、一瞬見せた妙な笑顔に、

 俺は剣を交えた時の、あの顔がフラッシュバックして、眉が動く。

 臓器に冷たいものが広がった。


 ティアは俺を見て「やっぱり今の話は忘れて」と、無表情に戻り、湖を眺めた。


「ごめん」

「いいよ、気にしないでお父さん。

 きっと私を分かってくれるのは、ノヴァラか時空の精霊だけなんだと思う」


 もう修正できない所まで、彼女の心は遠く離れてしまった気がする。

 俺だけじゃない、生き物自体とだ。


 今頃何かそれらしい事を言ったところで、距離が戻るとは思えなかった。

 でも、この子と血が繋がってなくても――生きてほしかった。


「とりあえず生きてみろ。

 俺は、それでルイに会った。

 お前たちにも会えた」


 「少しだけだけど、価値観が変わる」そう、

 家からこっそり持って来たリンゴを一つ渡した。


 受け取るティアは「価値観か」と呟いた。


「ルイには内緒だぞ?」

「お母さんリンゴ好きだもんね」

「生きるのは難しい。上手く行かない事ばかりだ。

 だからとりあえずで良い。ダラダラ生きてみろ」


 「ルミアは少しちゃんとしてほしいが」と笑って見せると、

 ティアは「……許されるのかな」と左眼を手で覆った。

 きっと今の話をティアは納得していないだろう。


「難しく考えるな。考えてもこればかりは理解できない」

「だろうね」

 

 気のせいか、その横顔には、

 無気力の中に、葛藤が芽生えたような、苦しそうな色が混じった。

 

 無表情よりもずっといい。

 苦しそうでも、そこにはまだ、何かを感じる心が残っている。


 その事が確かめられただけでも、俺は一緒に釣りができてよかったと思えた。

 

〇 〇 〇


「――カイっ!」


 肩で呼吸をする私に、

 隣で寝ていたゴーストイーターさんは目を覚まして《いつもの夢か?》とあくびをする。


「うん」


 吐くことはもうなくなったけれど、

 やっぱり好きな人が死ぬのを見るのは、気持ちのいいものではなく慣れないものだ。


「夜風に当たりに行こう」

《はいはい》

「付き合わせちゃってごめんね」


 背負ったゴーストイーターさんは、

 《ばーか、慣れたよ。それに戦いは好きだからな》なんて笑う。


 きっと私を気遣ってくれたのだろう。

 長く共に過ごしたから分かっている。

 彼が綺麗好きが故に、そこまで戦いは好まないことを。


「あとで綺麗に拭くから」

《水でジャブジャブ洗いはやめてくれよな。

 美しい身体が錆びるから》

「分かったよ」


 家を出る。

 夜も深まり、村は死んだように静かだった。

 

《寒いなぁ、身体が冷えるぜ》

「ホントね、こんなに寒くなるのは異常だよ」


 他愛ない話をしながら、私はいつもの掲示板に向かった。

 

「依頼が無い」

《お前が全てやっちまったんだろ?帰るか?》

「帰ったって、嫌な記憶を思い出すだけ。

 少しだけ歩こう」


 ゴーストイーターさんは、それに《歩くだけで済むのなら良いけどな》なんてからかう。


「春の時さ、ゴーストイーターさんと会えて良かった」

《なんだよ急に。気持ちわりぃ》

「この出会いは、別世界線の私が仕組んだ必然なのだろうけれど。

 それでも、良かったと思うの。

 誰もいなかったら、きっとこの村に帰る前に死んでた」

《お前はそんな玉のちいせぇ女じゃないさ、

 邪神の俺様よりもワルだぜ》


 私はその軽口でいつも救われた。

 

「生きて何が見つかるんだろうね」

《さぁな》


 村を出て、無意識に歩いていたのは、春の時に辿っていた道のりだった。

 靴ずれをして蹲った岩に、私は腰を下ろし、隣にゴーストイーターさんを置いた。


《懐かしいな、この岩》

「そうだね、ルナさんと初めて出会った場所。

 旅が動き出した場所。

 すべてが悪い方向へ動いた……場所」


 ここにさえ来なければ、今頃、家族で笑っていたのだろうか。

 そんな事を考えても仕方ないのは分かっているけれど、

 時間を動かせるから、割り切る事が出来ないのだと思う。


「私も時間に支配された存在だったら、楽に生きれたのかな」

《それもそれで大変だぞ?

 悔いなく一日一日を過ごさなきゃいけないからな。

 魔王様なんて、その日の予定表まで作ってたんだぜ?

 何時に買い物して、何時から何時まで読書してみたいな》

「モグリさんって、真面目な人なんだね。

 いい人なのに、世界の敵になるなんて可哀想」

《真面目な人ほど生きづらいもんさ》


 草むらからウサギが出て来て私と目が合った。

 手を差し伸べてみると、ウサギは近づいてくる。


「捕まえた。可愛いね」

《野兎なのに人懐っこいな》


 その言葉に、クリャトナ族が一瞬脳裏をよぎる。


「誰かに見られてたりね」

《そうだな》

「こんな可愛いのに、

 誰かの道具にされるなんて可哀想。

 壊されちゃうのかな」


 そう思ったとき、私のさっきまで平穏だった心は、嵐の様に荒れ始める。


 許せない許せない許せない!

 美しいものを、壊す人は許せない!


「私が守らなきゃ。だよね?」


 そう言った時には、ウサギは動かなくなっていた。

 冷たく凍り付いていたのだ。


「可愛い、これでずっと私が守れるね」

《それで本当に満足なのか?》


 真剣な声色だった。


 ゴーストイーターさんの言う通りかもしれない、

 どうしてだろう、可愛いのだけれど、動かなくなった瞬間、心は虚しくなった。

 興味が薄れた。寂しくなった。


「何でこんな気持ちになるんだろう、釣りでもそうだった。

 釣り上げたとき、魚を手の平に包んだ時、

 こんな気持ちになった」

《見つかればいいな。その答えが》


 凍ったウサギを岩に置いて、また歩き出そうとする私に、

 ゴーストイーターさんは止める。


《おいおい、捨ててくのかよ》


 私が鼻を鳴らし、凍ったウサギを地面に埋めた。――その時。


 遠くの方から、大木の折れる音とともに、助けを求める声が聞こえてきた。

 その必死な声に、言葉にならない何かが胸の奥で揺れる。

 気がつけば、私の足はそちらへ向かっていた。


《どうするんだ?》

「分からない、でも。この気持ちの意味を知りたい」


 音と声が近くなっていき、目の前の光景に、私は興奮のあまり言葉が消える。

 本当は駄目なのに、笑顔になってしまう。

 頬が高揚して、ゾクゾクした。

 胸が熱くなった。


「助けてくれー!」


 片足と片腕を、巨人の足で踏みつぶされても尚、

 生きようと抗い続けている。

 

 転がって避けて。

 そんなの無駄なのに、滑稽に抗っている。


 普通の人なら、目を伏せるだろうけれど、

 何故か目を離せなかった。

 空っぽだった胸に熱が戻ってくる。

 命の温もりを感じられた。

 それでも、何か足りなかった。


「お願いだ!あんた助けてくれー!」

《ティア!》

「生きている……けれど、違う。

 美しくない。

 私が見たいのは、これじゃない」


 男がこちらを懇願するように見る。

 もっと見ていたい。

 けれど、その時、夏の記憶が脳裏に浮かんだ。

 古代遺跡でノヴァラと戦い、

 守り切ったあとに見た、リコの顔。


「そうか。それが私を満たすんだ」


 生きて帰れた時の、彼女の笑顔。

 安堵と、生き残れた喜びに震えるあの笑顔が、眩しくて綺麗だった。


 気がつけば、身体は動いていた。


 巨大な足が、男を覆うその刹那。

 私はゴーストイーターさんを振り抜いた。

 巨人の足首と首が宙を舞い、

 土煙を上げて巨体が倒れる。


「ありがとうございます、剣士さん」

「動かないでください」


 男は涙を流していた。

 「嫁に会える」と、何度も何度も繰り返して。


「痛みを包む母なる光よ、

 失われし温もりをもう一度。

 癒しの輪よ

 かの者の命をそっと抱け。

 リカバリー・サークル」


 失った腕と足は、戻ってこなかったが、

 それでも、残った手を動かして、

 生きている事に、心から喜んだ。


 この先、生活に苦労するだろう。

 私なら、こんな身体になったら、死にたいと絶望するかもしれない。

 なのに、この人は泣きながら笑っていた。

 

 なぜこの人は、そこまで喜べるのか。

 気になった私は、無意識にそれを口に出していたのか、男は笑いこう答えた。


「生きていればどうにかなるものですよ。不思議と」


 釣りをしていた時の、お父さんの横顔を思い出した。

 生きていれば、何か見つかる……か。 

 

 助けてよかった。

 忘れかけていた気持ちが、

 ようやく蘇り、胸がいっぱいになった。


「本当にありがとうございます」

「ウチの夫をありがとうございました。

 少ないですが、これを……」


 いつぶりだろう、

 こんなに感謝されてお金まで渡されたのは。


 どう言葉を返せば良いかわからず、

 ただ「助けることが出来て良かったです」と、

 お金は受け取らずに背を向けた。


《野うさぎを凍らせた時は、正直引いたけど、

 やっぱりティアはティアだな。

 俺様が認めた相棒だ》

「助けたけれど、

 その気持ちがあの人の為か分からない」

《それでも良いんじゃねえか?

 それより、人を助けて何か見つかったか?》

「生きているって分かった時、

 あんなふうに泣いたり、笑ったりできるんだね。

 命って、そういう時に光るのかもしれない。

 私は、それが見たかったのかも」

《殺すよりもずっと良いだろ?》


 歩きながら、私は星のない退屈な夜空を眺めて、

 「私もとりあえず生きていれば、出会えるのかな」と呟くのだった。

 

 何もない日だったけれど、

 私の中で、大切な日になった気がした。


 その時、暗い空をいくつもの野鳥が横切った。

 星は見えないのに、鳥だけが妙に多い。


「野鳥が沢山飛んでるね」

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