42話目 正義、それは絶望の光
「どうだ?お父さんは強いだろ?」
確かにザハールは強かった。
剣も持たず、わずか一秒の間にノヴァラを結晶の中に封印してしまったのだから。
しかも無詠唱で。
真正面から飛んでくるノヴァラは、瞬きさえも長く感じる程の時の中で、
馬車が10台以上は止められそうな、広いベランダを崩落させる程の魔法を幾度と放った。
それをザハールは、踊るようにひらりひらりとかわし、振り落とされた剣を手で弾く。
剣と手が触れたその瞬間、ノヴァラは結晶になっていた。
刹那、一瞬、須臾。
そんな短さを示すどの言葉も、あの戦いを目の前では長く感じた。
平然とやりのけるその姿に、勇者の実力を思い知らされて、
私は息を呑む。それでいて。恨んだ。
強い理由は、時空の精霊にひいきにされているからだ。
勇者達が、クリャトナ族の問題を放棄しなければ、
私が、無詠唱を使えていたのだから。
「こらこら動かないの、服が身体に混ざっちゃうから」
「ゴーレムって、魔力で原型をとどめていたんですね」
スライム状にとろけたザハールを部屋に運ぶと、
モグリさんはベッドに移すなり魔力を送り始めた。
もう終わった。そう分かっているのに、
私の心だけがまだ戦いの中に取り残されていて、緊張は解けなかった。
「魔王様の他に魔族はいないのですか?」
「居ないよ、世間では魔王が死んだという事になってるからね。
もう争いもないし、みんなをお家に帰したんだ。そっちの方が良いでしょ?」
「はぁ」
つくづく魔王とは思えない……
「それよりゴーストイーターを使えこなせるなんてすごいね」
「いや……別に」
「ゴーストイーターが寝息を立てるのは、信頼をしている証拠だよ。
彼は生真面目だから、初めて会った時は、寝なかったんだ
人族が襲ってくるかもしれないから、見張っておくって言ってね」
「邪神なのに」
「そう、邪神なのに。面白いよね」
貴方も魔王なのにギャップが凄いですよ。
肩書と性格が合わな過ぎる。
「ノヴァラ。復活しませんか?」
「安心しな。すぐには封印は解かれないよ」
「ならいつかは――」
細める目に不安の色を揺らすと、
モグリさんは「彼女はかなり封印されたみたいだからね。そりゃ慣れてるしいずれは」と、
椅子の上で足を抱える私の隣に来る。
魔王が隣に居るのに、緊張なんてしないどころか、
その物腰の柔らかさに、親戚のお爺さんと話している感覚だった。
だからだろう、私の右手が、モグリさんの手を握っていた。
お父さんのようにシワシワで大きな手から伝わる温もりは、
私に心の温もりを教えてくれて、わずかだけれど孤独感が薄れた。
「ごめんなさい、でも。こうしていたくて」
モグリさんは「大変な旅だったんだね」と、もう片方の手で私の頭を撫でた。
大変だった。でも、それ以上に、今は心のよりどころが欲しかった。
「今から私が話す言葉は、大きな独り言だと思って聞き流してください。
もう誰も、巻き込みたくないので」
それなら話さなければいい、そう自分で思ったけれど、
胸に溜まったものを吐き出したかったのだ。
モグリさんは静かに「はいはい」と頷いた。
「私の旅は、お父さん、ザハールさんと会うのが目的でした。
今それが果たされた。けれど、クリャトナ族と時空の精霊達の事を知りすぎてしまったんです。
スピちゃんの忠告があったにもかかわらず、私は足を突っ込んでしまった。
こんなつらい気持ちになるなんて知らなかったんです」
握る手が震える。
淡々と吐き出される私の言葉に、モグリさんは、言われた通り口を挟まず、
ただ頭を撫でていてくれた。
「これで……終わるんです。私の旅は。
でも、もう前みたいな日常には、戻れない。
今でも思い出す度に呼吸ができなくなる。
平穏が訪れたって、きっと眠れない。いや、もう眠れない。
だって——カイを犠牲にして逃げたんだから」
それに、既に分かっていた。
自分が近いうちに、人ではなくなることを。
魔力の高い生き物は、強い絶望を抱えたまま生きると、怨念から姿を変えて魔物になるのだ。
「私はもう生きられない。でも、死ぬのが怖い。
痛いのがやだ。苦しいのがやだ。
でも、だからって、また時を戻すのかと言われると。怖い」
全て吐き出した時、私の頬に一筋の涙が流れた。
心がまだ生きている事に、安心したけれど、
心があるからこんなにも苦しくなるのも実感した。
楽に死にたい。
「――止まっちゃえばいいのに。何もかも」
私のかすれた声は、沈黙の中で大きく、それでいて、重く聞こえた。
旅の結果がこんなものに、何故旅なんてしてしまったんだろうと、
私は抱えている膝に顔を突っ伏す。
モグリさんは本当に優しい。それに比べて、私の父親は、空気が読めない。
「やっぱり親子だな」なんて笑ったのだ。
「ルイも似たようなこと言ってたな~、
ノヴァラを助けるかどうか話した時だったっけ」
その呑気な言葉に私はカッと頭に血が上った。
「お父さんたちが解決していれば、
娘の私が背負う事はなかったんだよ!
勇者の前に父親なら、守ってよ!」
やっと会えた実のお父さんなのに、
嬉しいなんて気持ちは、少しも湧かなかった。
けれど、あらゆる犠牲を払ってまで会いたかったのに、こんな再会は嫌だ。
「まあまあティアちゃん、落ち着いて、
魔王のおじさんがお菓子あげるから、ね?
ザハール君も、空気を読みなさい、
ティアちゃんは疲弊してるんだから、もうちょっと他の言い方があるでしょ!」
形が戻ったザハールは、ベッドから降りて服と髪を整えてから私の方に来る。
何故この状況で身なりを整える余裕があるのか。
私に向ける笑顔は、何処か他人事のようにも感じた。
所詮私はこの人と血がつながっているだけで、
本当の娘とは思われていないのか。
最愛の人を犠牲にしてまで、ここまで頑張った自分が滑稽に思えた。
本当にバカだった。
「ちょっと二人で話そう、なんで僕らがクリャトナ族を助けなかったのか、教えるよ」
私の手を取る彼に、「何故別の場所で話すのです?」と振り払った。
「いいから、せっかくなら、良い景色で話した方が良いだろ?
話しやすいし。そっちの方が」
「私は別に」
そういうと、彼は「僕がだよ」と真剣な表情になる。
ザハールの瞳を見た時、胸がざわつき、膝を抱える腕に力が入った
あぁ、また真実を告げられるのか。
「どっ、どうせ、人族として、魔王を倒すのがお仕事だったから、
他種族の間で出来た問題には首を突っ込まなかったんでしょ」
「違う、俺とルイに関係するからだ」
「え?」
「まあ来なよ、全て話すから。
真実を知るために、僕に会いに来たんでしょ?
スピカから話されて、ナンヌの婆ちゃんから僕の写真を貰って、
知ってるよ、本当はヒョウズ村のオーロラを見るのが最初の目的だったことは」
「怖いんだよ、真実を知るのが」
ザハールは「ティアは昔の自分が嫌で旅をしているんじゃないのかい?」と、
ひざをついて俯く私の顔を覗き込む。
「壊れるのが成長と言うのなら、私はもう昔のままで良い!
ねえ、教えてよ。こんなにも苦しい気持ちになって得られるものは何なの?
それでも真実を知れっていうの?」
「真実を知ったからって、進まなきゃいけないわけじゃない、
ただ、正しい判断をするための材料だよ。
聞き心地の良い事ばかり聞いていたって、盲目になるばかりだから」
彼は「これを聞いたうえで、決めればいい。救うかどうかを」と真剣なまなざしで手を差し伸べた。
モグリさんは私の両肩に手を置いて「ザハール君の言葉を信じてあげて」と微笑む。
「実の父として、娘にこんなことを告げるのは勇気がいるんだ。
だから笑顔でごまかすしかないんだよ。
正直言って、ティアが魔王城に来た時、僕は逃げたかったんだ。
大好きだから。ティアが」
差し伸べられた手に伸ばす私の手は、迷いながらも掴む。
握った瞬間、ザハールは「沢山戦ったんだね」の顔に影が落ちた。
「じゃあ、行こうか」
「中庭までノヴァラに壊されなくて良かった。
ここで良くモグリと夜空を見上げているんだ」
魔王城の中庭、星降る空を見上げる私の頭に、ザハールは手を乗っける。
優しく微笑む顔に、私はお父さんに会えた実感が湧き、
少し気恥ずかしくなってしまい、目を逸らした。
「ごめんね、僕は最低な父親だったよ。
娘に何もかも背負わせてしまうなんてさ。
ヒューズの方がよっぽど父親らしかっただろうな。無口な奴だけど」
でも、真実からは目を逸らせない。
小さく頷くと、ザハールは真剣な表情になり、
「初めに言っとくけれど、ティアは勇者でも何でもない、ガーンバ村のどこにでもいる普通の少女だ。
だから、強制じゃない」と、頭にのせていた手を、降ろして空を仰ぐ。
重い空気と耳障りな無音が、緊張を煽り私は息を呑んだ。
「精霊族とクリャトナ族が仲良くなったら、ティアは――」
そこからの言葉は、ショックのあまり耳に届かなかった。
胸の底から冷たい感触が広がり、頭が真っ白になる。
「私の存在が……消える」
どれだけ頑張っても、結局この世界は私を幸せにしてくれない。
胸の奥が、冷たくひび割れた。
——壊したい。この”筋書き”ごと
「あぁ……もう駄目だ」
私をあざ笑うように見下ろす満天の星空が、残酷なほど綺麗で、私は運命を恨んだ。
頭を抱えて、必死に暴走する魔力を抑えた。
暴走に身を任せてしまったら、私が私では、無くなってしまうから。
ザハールはそんな私を抱きしめて慰めようとしたが、
そうさせたのが自分だと思った時、その手はそっと私の背中に着いた。
「本当にごめん。無理して日常に戻れとは言わないし、
クリャトナ族と時空の精霊の問題を解決してくれとも言わない。
僕の願いはただ一つ、生きて欲しい」
「生きるって何?私は魔力を使ったら時間が巻き戻る呪いにかかってるの。
それに、ノヴァラだって。どうせ封印を解いて私の前に現れる」
私は「いっそのこと、世界を壊しちゃおうかな。綺麗な物が生まれないように」と、
満天の星空に手を伸ばした。
こんなに綺麗だから、私は期待してしまう。
綺麗な星が、綺麗な花が、綺麗な人々が――今はもう、憎らしかった。
綺麗な星が、綺麗な花が、綺麗な人々が――今はもう、許せなかった。
綺麗な星が、綺麗な花が、綺麗な人々が――今はもう、見ていられなかった。
ザハールはそんな私に、
「そんなのノヴァラと一緒だ。間違ってる」と伸ばす手を強く握った。
「なら教えてよ!何が正しいの?みんなの言う間違えって何?
私は馬鹿だから分からないの!」
「大丈夫、ノヴァラは復活させない、お父さんとモグリで封印させるから」
「私も封印させてほしい、もう生きるのに疲れた」
濁りきった瞳に、勇者は何を感じたか。
これが貴方の娘だよ?殺すことに生きる喜びを感じて、死を懇願する。
それが私。どう?それでも大好きでいてくれる?
己の正義を、正しさを私に突き付けるか。
共感してくれるのか——
「一回書斎にいって落ち着くと良いよ。
そしたら、また話そう」
私の父はどちらも取らなかった。
答えを放棄した。
でも、それが一番いい答えかもしれない。
沈黙しか、今の私には聞こえないかもしれないから。
「そうするよ。お父さん」
「あぁ」
私は立ちあがり背を向ける。
「勇者——か。僕にも正しさが分からないんだよ」
背中越しに聞こえたが、振り向くことはなかった。
月光の落ちる影の中へ、私の小さな背中は溶けていった。




