34話目 言葉の十字架を背負う者、ガーナ
——ガーナ派が生まれた時を、忘れることはない
時は1823年。
「ノヴァラ、伝説の剣は実在しました」
「良かった。これで精霊共を倒せるんだね――」
―― ガーナ・ユラーク ――
この時のノヴァラ様は、人族の少女と妹のルナと三人で、
精霊族から逃げる為に旅をしていた。
俺は、一人でのんびりと釣りをしていたノヴァラの後ろで、木陰に身を潜めながら会話をする。
「ノヴァラが師匠と呼んでいる人物は危険です。
もしかしたら、時空の精霊が背後に居るのかもしれません」
「それは何故?」
「何処に居ても、見られているからです」
今もだ。
その人族の少女はおかしかった。
まるで、俺たちがどのタイミングで、どの場所に現れるか知っているようで、
どんなに場所を変えても、少女の視線は常にあったのだ。
だが、それだけ。それ以上の干渉はなく、常に見ているだけだった。
森の奥から突き刺さる一本の視線。それに息を呑む。
「でも師匠は何もしない。問題ない。それより何処にあるの?」
「詳しい場所はつかめてないですが、
人族の、ザーゲという貴族が保有している土地に剣があるみたいです。
ちょうど護衛を探しているようだから、行ってみたらどうです?」
「そうだね」
「しかし剣は選ばれた者しか抜けないと聞きましたが、抜けるのですか?」
「抜ける。理由は――きっと信じてもらえないと思おうけどね」
「言ってくださいよ。信じますから」
釣れずにため息を吐くノヴァラは、立ち上がり戻る支度をしつつ、
「同じ夢を見るの、私が最後、ヒョウズという村で殺される夢。師匠に似た人物にね。リアルで、説得力のある。だから分かるの」そう言って指をこちらに向けた。
「右から小鳥の死骸が落ちてくる、肩に当たって落ちるよ」
俺は反射的にそちらを見ると本当に死骸が降って来て、
思わず声を上げてしりもちをつく。
死骸にもびっくりしたが、何より彼女の力だ。
予言者や占い師は腐るほどいるが、
ノヴァラは、それらなんて話にならない程の力があった。
彼女は静かに笑い「まるで同じ劇を繰り返し見ているみたいなの」と空を仰いだ。
「そういえば。クリャトナ族を皆集めましたが、
精霊族に復讐しようという者たちは仲間に暗殺させられていました。
すべてノヴァラの予言通りだったので、
私は復讐心のある者だけを集めて他の場所に移ろうと思います」
「予言だなんて、見たことを伝えているだけ」
「ノヴァラ派と名付けようと思います。どうでしょう、ノヴァラも来ませんか?」
彼女は、初めてこちらを向く。
瞳は、底の無い闇が見えて、
何故だか危険だと本能が悟った。
黒く濁ったその目は遠くを見ていた——俺には届かない、どこか遠くを。
でも、危険だと感じながらも、目が逸らせなかった。
一生その存在に会えない気がして、俺はその姿を目に焼き付けた。
彼女も自分自身を知っていたのだろう、
「もう、私に関わらない方が良い」と、だけ言い残し去ろうとした。
「待ってください——」
追う俺の言葉を遮るように、「なら最後の予言です」そう彼女は足を止めた。
その予言が、破滅の始まりだったことは、この時の俺は知らなかった。
「1202年後の秋、ノルド大陸にティア・アイロラという魔剣使いの少女が現るから仲間にしな、
私の師匠と同じ見た目をしてるから、分かるはず。
彼女には勝てないから、直接対決しようなんて思わないでね」
声が震えていた。その人物はノヴァラ様にとっての何者なのか。
笑わない真剣なまなざしは、恐怖の色すら混ざっていた。
「分かりました」
「あと、ノヴァラ派ではなく、ガーナ派として、ユラークがこれからは皆を引っ張りなさい」
釣竿を肩にして、籠を持って歩く彼女の背中を、
俺はただただ見ている事しかできなかった。
目で見れば、すぐにでも追いかけられる距離だが、
何故だろうか。その距離が果てしないものに思えた。
人間には追い付くことができない、いや、追い付いてはいけない距離。そう感じた。
それが、ノヴァラ様との最後だった。
〇
——時は戻し現在。ガイスト町
「ガーナ様、ティア・アイロラ様が西の方から飛んで来ています」
夜9時。
「分かった、全員町中に散らばり、魔物と共に、警戒しとけ!」
そよ風と共にガイスト町に、ティア・アイロラが舞い降りる。
月光を背に受ける黒髪のアイロラ様は、凶暴な魔力と相まって——
「死神だな」
町中が緊張していた。空気は張り詰めて静寂が耳を狂わす。
息を呑む俺に対して、涼しげな表情のアイロラ様はこちらに歩いてきた。
「お待ちしておりました。アイロラ様」
俺はガタイには自信があったが。彼女を目の前にした瞬間、
自分が、小さなネズミのように感じた。
「ガーナという男を探してる」
鋭い瞳は一瞬で死を感じさせて、額から脂汗が垂れてくる。
想像以上、魔力で言えば勇者以上……いや、魔王のアドルフ以上か。
でも――ノヴァラ様ではない。
ノヴァラ様という、神にも等しい人物像を壊したくないが故の、信仰心から出た強がり。
だが、その時。ノヴァラ様の「ティアを探して」と言った時の、彼女の瞳が脳裏を過った。
生暖かい粘り気のある殺気が、全身に絡まるようで、動きはおろか、声さえも出なくなっていた。
「わ、私で——ございます」
その一言は、良くも悪くも俺を生かすのだった。
「そう、ならノヴァラ・フロストカースについて聞きたいことがある」
左手で握られた黒い十字架のような、禍々しい魔剣をリュックに刺して殺気を瞳から消す。
予想外の話の流れに、俺は戸惑うが、こちら側に引き込むチャンスでもあった事は確かだ。
「なら、私の家で話しましょう」
「分かった」
「その前に見せたいものがあります。来てくれますか?」
アイロラ様は不思議な少女だ。
きっとベルカを救出するために来たはずなのに、
話しぶりからして、俺たちを理解しようとしているように感じた。
善か悪かで判断せず、自分の興味でしか判断していないのだろう。それが怖かった。
力があるからこそできる、無邪気さ。
言葉を間違えれば、その前に、彼女の興味をそぐことをしたら——
殺される。
「これです」
銅像を前にしたアイロラ様は、「ノヴァラ」と言葉を漏らした。
出会った時の印象とは裏腹に、優しい声。
俺は、少しの兆しが見えた気がした。
アイロラ様は、ガーナ派の思想を理解してくれる器を持ち合わしている。
アイロラ様なら——
「他の勇者像は、きっとザハールの像になっているでしょう。けれど、史実はこれが正しいのです」
「なら、何故ザハールは勇者の剣を持ってたの?」
「ノヴァラが抜いた勇者の剣は、その時仕えていた貴族に没収されて、国王の手に渡ったのです。
だからザハールは勇者の剣を持っていた。
けれどザハールは勇者の剣を使いこなすことができず、もう一本の剣で戦っていたんです」
「そういえば、シルバーの剣と、金色の勇者の剣を持ってた」
「そう、有名な彼の二つ名、双剣の勇者は、そういう背景があったんですよ」
彼女はコクコクと頷きながら、凄い腑に落ちた顔をしていた。
それもそうだ、この子もまた、時空の精霊に捻じ曲げられた歴史の中で生きていたのだから。
「ここが、ガーナ派の拠点兼私の家です」
「普通のお家なんですね」
「まあ、少数民族ですから、大きな城とかは持てませんよ」
鍵を開けてドアを開き、「どうぞ」とアイロラ様を入れる。
彼女は警戒することなく、頭を下げて入った。
「パパおかえりー!」
やんちゃな足音と共に、娘が走ってくると、アイロラ様はそこで初めて驚いた顔を見せた。
「ただいま、ミミ」と抱き上げてから、驚きで口を押えた彼女に「悪者にだって家族は居るんですよ」と言いリビングに居る、妻にミミを渡した。
「あなた、あの方って」
「ノヴァラ様の予言の救世主様だ」
廊下で待っているアイロラ様を見ては、「駄目よ、これ以上——戦わないで」そう俺の身体にしがみつき、頭を下げた。
苦しそうな声だった。それもそうだ、彼女のお腹には、新たな命が宿っているのだから。
「分かってる」
「分かってないわよ!ねえ、私達のように、他の村にも家族がいるのよ?
こんなこと辞めましょ?いつも寝れてないの知ってるのよ?」
「綺麗ごとで平和は手に入らない」
ミミにアイロラ様のお茶を用意するように言い聞かせて、
小さな足音が消えた時、静かに口を開いた。
「これが最後だ。これで、1000年からの悪夢は終わる」
「でも、ユラークは?震えながら毎晩夜泣きをしてるの、
私が気づいていないとでも思っているの?」
「やめてくれ、ノヴァラ様から頂いた役割だ。
どんなに辛くても。成し遂げなければ」
「いい加減目を覚まして!」
このままじゃ埒が明かない。
「アイロラ様の料理を作ってくれ、二階で彼女と話すから。
悪いけど持ってきてくれ」
「あの子はきっとユラークのいう事を聞かないわ」
背を向けて「それでもいい」とだけ言い残し、
廊下で待つアイロラ様を二階の会議室に案内した。
「すみませんね」
「いえ、でも意外でした」
「何がです?」
アイロラ様は服の裾を握り、「ガーナ派は皆戦争を望んでいるかと思っていました」と小さく息を吐いた。
息を吐く意味、そしてその言葉の意味が、ノヴァラ様の顔を脳裏でちらつかせた。
「好き好んで戦争をする種族なんていませんよ」
椅子を引いて彼女を座らせた。
大きな円卓を挟んで向かいに座ると、
「ならどうして魔物達を進行させるのですか?」とこちらを見た。
その言葉は、否定と言うよりかは、ガーナ派の思想への興味から出た台詞だった。
俺は嬉しかった。他種族で、耳を傾けてくれた人はいなかったから。
「私達は、魔物達と心を通わせても、制御することはできない」
「なら何故力ではなく言葉で止めなかったのですか?」
「言葉は呪い、精霊族は巧みに言葉を操り、人間達を操って来た。
俺達は、ノヴァラ様は、そんな汚れた武器に縋らない」
その時、アイロラ様は、フッと笑みをこぼした。熱くなるわけでもなく、冷静になる訳でもなく、
ただ、「確かに呪いですね」なんて呟いた。
「でも、仲間を守るのには必要です。私を追ってきた巨人族は何人倒されましたか?
もし、あの魔物達が、自分の意思で私の所に来たのなら、何故止めなかったのです?
それは貴方が見殺しにしているのと同じじゃないですか?」
面白い方だった。
ただの小さな少女なのに、客観的に物事を見れるのは、大人でも出来ない事だ。
だからこそ、理解してほしかった。俺達を——ノヴァラ様の思いを。
「魔物達はどうして生まれたと思いますか?」
「分かりません」
「忘れたこともありません——1900年、ガーナ派が本格的に動き出した年。
それと同時に、魔王派と精霊族派で大きく世界が割れた頃のことです。
森の空気は、焼けた鉄みたいな匂いがしていました。
あらゆる種族の魔力がぶつかり合って、世界が軋んでいた。
その時、私は森を歩いていると、草を食べていた鹿の――」
耳の奥で、鹿の鳴き声が蘇り、
緊張でのどが焼けるように渇く。
瞼裏に映る異常な光景に、俺は思わず言葉が途切れた。
けれど、伝えなければ。そうしなきゃ。
ノヴァラ様ならそうするだろう。
「鹿の、身体が膨れあがって、苦しそうに牙をむいて私にとびかかって来た事を」
俺はその鹿を殺した——震えながら。
けれど、その鹿も、目は怯えていた。
襲っているのに、まるで別の意思で突き動かされたようで。
あの時、俺は身に染みた。
綺麗ごとじゃ守れない。
だから、力のない俺は縋った。
それが、俺にとっての勇者の剣だった。
——あの人の言葉が。
「そういえば、授業で、魔族の魔力は異質なものだと学びました……」
「勝手に望まない姿に変えられて、理不尽に殺される。
……あれは、鹿だけの話じゃなかった」
「似たもの同士、ですか」
妻の運んできた料理とスープに、
アイロラ様は「いつもこのような食事を?」とまじまじと見た。
「肉は食べません。動物は私達の兄弟ですから」
俺は皿を持ち上げて「だからと言って野菜もまた心がないとも言い切れませんが」そう彼女の方を見た。
「野菜は苦手ですか?」
「いえ、ただ驚いてしまっただけです。野菜しか食べないことに」
「これが、ガーナ派の真実です。ノヴァラ様は常に命の平等を考えてきた。
我々は平和の為に戦うんじゃない。仲間たちの為に、戦うのです」
「その為には幾人の命を葬っても構わないと?」
冷静で、落胆したような一言に、俺は思わず声が大きくなった。
「アイロラ様はその剣で、その魔力で、誰も殺さなかったと?
誰かを守るためであっても、命を取らなかったのですか?」
沈黙、それが答えだった。
「守る規模が大きい程、被害を小さくするのは難しくなってくるものなんです。
貴女は知らないでしょう、精霊族に反旗を翻したクリャトナ族が、
1700年から1900年まで、同じクリャトナ族に暗殺されてきたのを」
アイロラ様は、本当に知らなかった。
見開くその目がすべてを語っていた。
「俺達のしている事を、正義とは言わない。
けれど!生き延びる為に。家族を守るために必死だったことを、分かってほしいのです!
ノヴァラ様の言葉が我々を今日まで生かせてくれた」
アイロラ様は静かに聞いてくれた。
全てを聞いてくれた上で「ガーナさん達が大変だったって事も、そう考えてしまう事も分かった」と静かに語り始めると同時に、温かかった空気は一瞬で冷え切った。
全身に感じた。
眼には見えないけれど、
身体のいたるところに、刃物のようなものを突き付けられている事に。
「けれど、私は私の仲間を傷つける人を許せないです。
神じゃないんですよ、私は」
「お願いです!お救いください、ノヴァラ様は、アイロラ様しか救えないと仰ったのです!」
彼女は「可哀そうに」と、そんな俺を憐れむような色を瞳ににじませた。
何が可哀そうか分からず眉をひそめた時、彼女の放つ一言に胸がざわついた。
「今のノヴァラはもう、ガーナさんの知っている人じゃない、
ただ、誰かに殺されるのを待っている。殺人兵器になってるの」
アイロラ様はポケットから、金色のホイッスルをテーブルに置いた。
ホイッスルに刻まれた精霊族の紋章に、何故彼女がそれを持っているのかと言う疑問と、彼女もまた、精霊族側だったと絶望した。
「それって——」
「時代は変わり、時空の精霊族で今生きてい居るのは、
クリャトナ族を虐殺するのに否定的だった派閥だけ。
だから、もし、この戦いを平和に終わらせたいのなら、
私と一緒に時空の精霊族の居る世界に行きましょう。
でも、それでも尚、ノヴァラを信仰するのであれば、ヒョウズ村行ってみたらどうですか?
そこが彼女と約束した場所なので」
彼女は指を鳴らしたその刹那、外では魔物達の断末魔が聞こえてきた。
それと同時に、俺の頬にも長く深い切り傷を刻んだ。
「全てはベルカの分」
「アイロラ様……アンタは何故精霊族とクリャトナ族に関わったのですか?」
「過去の馬鹿共に背負わされた大荷物を下ろす為です。
正直、私には精霊族とクリャトナ族の仲なんてどうでも良いのです」
彼女はそう言ってスープだけ飲むと、
床に置いたリュックを背負い、呆然と座る俺の手を握った。
「でも、歴史の被害者である、貴方達とノヴァラを助ける。」
彼女はそう言って腰にぶら下げたナイフを抜くなり——
「それだけは。約束する
これは、ノヴァラの分」
俺と同じ場所に、長く深い傷をつけると、
「今度は終わらせる」そう強く宣言した。が、瞳には不安の色が揺れた。
でも何故だろうか、その一言で、胸が少し軽くなった。
「魔物達は、これで苦しみから解放された」
「ありがとうございます、アイロラ様。
でも――でも!ノヴァラ様は間違っていないのです。
貴女なら信じてくれますよね?」
彼女は「そうだね」と、それだけ言い残して部屋を静かに部屋を出たのだった。




