31話目 カイ・ベルカは盾を手放す
「寝てるな――情報通りだ」
ドラゴンの住むゴロッドマウンテンの頂上に、俺たちは居た。
眼前では、巨大なドラゴンが身を丸めて眠っていた。
鱗は鈍色の闇に溶け込み、深い鼻息が砂埃を舞い上げる。
「捕獲だろ?罠は仕掛けてあるのか?」
「あぁ……専門のギルドに頼んだから、仕掛けてはある——」
「わりぃ、ビビッちまった」そう苦笑を浮かべるイーサンの声は震えていた。
声だけじゃない、足もだ。とてもじゃないが、戦える状況ではない。
俺は、巨大な魔物を見慣れているお陰で、見る分には怖くはないが、正直一人で戦える自信がない。
一旦、作戦を練り直す為に、後ろを振り向いたその時。
ティアの自信のない顔が脳裏を過った。
「クソッ!ここまで来て……
全財産賭けて準備して来たんだ。バカみたいだろ?」
「馬鹿なもんか……」
あのティアだったら、怯えながらでも仲間の為に——
「馬鹿なもんかアァァァァア」
自分を奮い立たせて、岩陰から飛び出す。
俺の大声に、ドラゴンは目を覚まして、すぐさま空へ舞い上がった。
「ウアァァァァァァア」
正直、そこからの記憶はあやふやだ。
ドラゴンのブレスを盾で防いだ熱さも、そこから、イーサンが奥歯を噛みしめて、大剣を構えて突っ込んでいったことも。まるで夢のようで断片的だった。
気が付いたら、イーサンと罠を見て呆然と立っていた。
彼はカラカラと笑いながら後ろに倒れた。
「ハッハッハ!
罠に他の魔物が掛かってるなんて誰が予想するかよ!
あーあ、人生は上手くいかねえな!」
「何で笑えるんだ?」
「え?」
俺には分からなかった。
全財産賭けてここまでしたのに、なぜ笑って済ませられるのか。
俺なら、この失敗を一生引きずるだろう。前に進めないだろう。
でも彼は空を飛んで逃げるドラゴンを見て大笑いしていた。
「もう金ないんだろ?」
すると、イーサンは再び吹き出して腹を抱えた。
「どうかしてるぜ……」
「そうだな。でもよ、こうやって笑って済ませられたのは、
ベルカが前に出て俺に勇気をくれたからだ。
あそこで逃げていたら、俺も落ち込んでただろうな」
そうニッと白い歯を見せる。
「俺のお陰?」
「おうとも!いや~朝日が出るまで暴れたな。腹が減って来た」
昇る朝日が俺たちをオレンジ色に染め上げた時、
後悔よりも、達成感を感じ、俺も静かに笑った。
「失敗も悪くないな」
「失敗?これは成功だ」
「いや、失敗だろ」
彼は立ち上がり、「それでも男かよ!」なんて尻を叩く。
「お前は、一回告白が失敗したからって、その女を諦めるのか?」
「何度もアタックするのは、流石にキモイだろ」
するとイーサンは「常人の考えだな」なんて鼻で笑い、朝日を指さす。
「ビッグな男ってのは、一回の告白で失敗しても、学んでまた挑むってもんよ。
キモイの上等!生きている限りチャンスはあるさ」
「チャンス……か」
「おうよ!」
ティアとのあの日の記憶がフラッシュバックする。
その時、口から、自然と「酷い事を言ったとしても?」なんて言葉が零れた。
彼は首をかしげながらも、「立ってる限り挑戦権はあるさ」と肩を叩いた。
「良い言葉だな」
朝日を見つめる俺の横顔から、イーサンは何かを感じ取ったのだろう——
「ほら、これ持っていけ」
そう大剣を俺に押し付けてきた。
突然で、目を見開いたまま受け取ろうか迷っていると、
「俺と旅をしてる場合じゃないだろ?」なんて付け加えた。
「この失恋マスターにかかれば、その顔を見れば一瞬で分かるんだ。女の事を考えてるってね」
「いいのか?」
「バーカ、親友だろ?俺たち。
それともそう思ってたのは俺だけか?」
嬉しかった。
俺には友達すらいなかった。
今まで俺に親切にしてきた奴らは、みんな見返りを期待していた。
こんなふうに、ただ「親友だ」と言ってくれる奴はいなかった。
だから、嬉しかった。
「ありがとう」
「その笑顔、結構好きだぜ。いつものは芝居くさい」
「うっせ!」
俺は大剣を受け取り、代わりに——
「あぁ。なんだ?そのぉ。これ、お返しにやるよ、ドラゴンの炎で少し溶けちゃったけど」
大楯をイーサンに渡した。彼は満面の笑みで「えー!大楯って高いんだろ?良いのか?悪いぜ~」なんて、遠慮気味のセリフとは裏腹に、直ぐに手にとっては構えた。
「どうだ?似合う?」
「とても似合うよ」
「まあ持ってる人がイケメンだからな」
「ッハ!言ってろ」
貰った大剣を背中に担ぐ、それに彼は「似合ってる」と親指を立てた。
俺は背を向けて「じゃあ、花を摘んでくるよ」そう駆け出した。
後ろから「やっぱり返せ―!」なんて大声が飛んできたが、振り返らなかった。
リブロ・ディ・マージア都市に行こう。
もしかしたら、まだ。アイツが居るかもしれない!
用心棒の間でしか知られていない、決して口外してはいけない近道を、俺は馬で駆け抜けた。
馬車なら一日半かかる道のりを一日で走り切り、リブロ・ディ・マージア都市へ戻った。
「あの、これぐらいの背の女の子を見ませんでしたか?」
そこからというもの、二日間息が切れるまで走り続けて街中を探した。けれど——
「もうティアも居ないよな」
時間は昼過ぎになっていた。
良い匂いに腹が鳴り、諦めかけるが、頬を叩き、ベンチから腰を上げる。
諦めちゃ駄目だ。
「すみません——」
汗を拭い。人々に聞いて。ティアが行きそうな場所を行く。
必死になって探した。けれど―—
「その子なら見たよ。大杖を持った魔法使いだろ?」
そんな声が聞こえて振り向いた時、俺の背筋は凍り付いた。
現実は何処までも残酷だった。
まるで、過去の過ちを、全て清算するまで許さないぞと言うように、俺を絶望の奈落へ陥れる。
「ガーナ派」
細い裏路地、大通りに出れる後ろへすぐ引き返そうとしたが、5つの人影がゆらりと塞ぐ。
目の前の女は、虹色の瞳を細めて「ごきげんよう。ワンちゃん」なんて、わざとらしく弧を描くように、右手を下におろして一礼した。
「何の用だ」
「聞いてよ~手紙をあげたのに、ティアちゃんったら来てくれないのよ?酷くな~い?」
「ティアの居場所は俺も知らねえ」
女は、舌打ち混じりに、「ゴロッド族の分際で勝手に話してんじゃねえよ。耳が腐るだろ?」と
低い声で言い、指を鳴らすと、俺を光の箱に閉じ込めた。
「私達はアンタらみたいな、自分の身体の一部を売らなきゃ生きていけない種族とは違うの。
場所ぐらい魔物達に把握させてるのに決まってるでしょ?」
「行かねえぞ」
女は、怪しい笑みを浮かべて手を叩く。すると、箱は小さくなり、俺を中腰にさせた。
「生意気なんだよ、奴隷の分際が」
「——俺は。奴隷じゃねえ」
「フフフ、いつまでそんな強がりを言えるかなぁ?」
三回手を叩く。と、四つん這いで身体を丸くしなければ耐えられないほどまで、箱は小さくなった。
身体の節々が痛み、次小さくしたら、死ぬのを悟った。
でも、俺は確信していた。
「お前、俺を殺せないだろ?」
「何でそう思うの?」
「だってそうだろ?
初めは、魔物でティアを確保しようとしたが、失敗して。
リックを使って闘技場に出場させて、アイツの強さを思い知った時だ。
お前らは敵わないと確信した。
だから、最終手段で直接会って手紙を渡した。けれど来なかった。
ティアは既にガーナ派がどんなのかを理解していたからな。
だから俺で釣ろうという魂胆だろ」
「う~ん、9割正解。
リックを雇って闘技場へ誘導させたのは正解。
ただ、アイロラ様がノルドに上陸した時魔物を仕向けたのは、ノヴァラ様の助言を確かめるため。
クリャトナ族を——我らガーナ派を導くにふさわしいかどうかを見る為。
惜しかったわね」
「見てばっかで、やっぱりお前らは臆病だな。
誰かの導きがなきゃ動けねえか?」
女の、さっきまでの涼しそうな表情が崩れた瞬間、俺は鼻で笑う。
「それなら、死よりも恐ろしいものを体験させてやるよ。
きっと直ぐ、子供の時みたいに泣きわめいていう事を聞くようになるでしょうね」
その言葉に、腹の古傷が疼く。
ナイフで刺されては、回復させて、永遠の苦痛を与える方法だ。
思い出しただけで、奥歯が鳴る。でも、頷かなかった。
もう、あの時の俺じゃない。
「死ぬまでやりやがれ、このクソビッチが!」
「こいつをガーナ様の所に運ぶよ!」
あーあ、あの時。素直に言葉を口から出せていれば。
きっと今頃、馬鹿話をしながら、背伸びをする彼女を見て笑っていたんだろうな。
直ぐにお金が無くなって。仕事をしながら野営して。
いろんな綺麗な風景を見ながら、クリャトナ族の事を調べる旅をしていたんだろうな。
俺はここで終わりか——
「最後に、人らしい思い出が作れて良かった」
〇
「村長、ありがとう」
村に帰って来たかと思えば、"私"は二日間部屋に閉じこもっていた。
そんな彼女から発せられた第一声は、何かが吹っ切れたというよりも、
何もかも消えた。抑揚のない空っぽな声だった。
"私"は手の中の封霊の宝玉を見下ろしていた。
「反応がないの。ははは……まだ生きたいだなんて。
もしかして、そう思っているのは、私ではなく、この子だったり」
空気が一気に凍り付き、耳障りな静けさが耳を狂わせる。
似ていた。アイツに——
「まってティア、今あなたには何が見えているんですか?」
私の細胞が騒いでいる。
そう、居ないはずの誰かと手を握るその姿が。
その虚ろな眼が。
狂気だけを残した、眼が――
「ふふふ。この子は私の感情。疲れたの。一喜一憂するのが」
—— 魔女であるスノーホワイトになる前のノヴァラ・フロストカースに ——
額から滑り落ちる、季節外れの嫌な汗を拭い、
息を呑んだ。
放り投げられた封霊の宝玉を私は両手で受け止める。と、掌から何かが吸われる感覚に、一瞬左目が痙攣した。
宝玉が淡く光り始めると、ティアは「良いな」と呟いた。
その声に、私は思わず左目の眼帯へ手をやった。
あの夜の香りが蘇る。
ノヴァラの揺れる髪からフワリと香る優しい香りが、私の身体に重く纏わりつく。
世界線は変わったはずだった。
なのに、同じ匂いがする。
「ティア!どこに行くの?」
「外。久しぶりに、お外に出たい」
「ティア!」
彼女は、無機質な表情で振り返る。
その顔に、一瞬。でも、確かに。
ノヴァラの幻影が映り、私は言葉が消えて頭が真っ白になった。
まただ。また、私は救えないのか?
「なんで貴方達はその選択しかできないの?」
「楽なの。考えなくていいから。
旅は楽しくなくちゃって、この子が言うの」
彼女は私の血の気が引く表情に、不気味な笑みをこぼし「村長の言いたいことは分かるよ、ノヴァラと一緒だって」と後ろに手を組んで上目遣いで言う。
まるで、私の今までしてきたことをあざ笑っているようで、
目を瞑り耳を塞ぎたくなった。
ありえない。こんな事あってはならない。
「ノヴァラの思い通りになって良いのですか?」
「私はあの人を肯定する。だってほら——」
手を広げて、くるりと踊るように一回転する。
まるで、重荷が取れたとでも言いたいように。
「最高な皮肉だな」
「皮肉?」
なら私は、全力で"私"を否定してやる。
「私と旅をしよう、なーに少しで良い」
「良いよ。してあげる」
「朝食をしっかりとって待ってなさい」
彼女を部屋に戻して、代わりに私が外へ出た。
どちらが外へ出るかで、未来は変わる。
私は疼く左目に眼帯越しに触れて大きく息を吐いた。
たとえ時が否定しても、
——私はこの子を救う。
これで終わると思ったのに、まさかノヴァラがすべてを予言していたなんて。
「最悪だ。どうする私」
あらゆる時空を飛んできたすべての自分に問いかける。
広場のベンチで、朝からそんな風に呻いていたせいで、周りは心配そうに遠くから眺めている中、
一人だけは、容赦なく近づいて頭を軽く叩いた。
「リックが更生して旅に出たかと思えば、次は村長が壊れたのかい?」
「雑貨屋のおばさん」
「お・ね・え・さ・ん。今度言ったら殴るよ」
今はアンタに構っている暇はないのに。
何の用だろうか……
「顔に出てるよ」
「だって……」
「何があったのかは分からないけれど。
これ、お弟子さんと見て来れば?」
「お客さんに貰ったんだけど、踊りは興味ないから」と二枚のチケットを差し出す。
「リックを救ってくれたお礼、お弟子さんにね。アンタじゃないよ」
彼女は少し笑って「じゃーね」なんてベンチから去っていった。
チケットには、舞台の光を浴びて踊るミアの姿が、白黒で印刷されていた。
その姿を見た瞬間、頭の中に稲妻が走った。
「……言葉を捨てたから踊りで伝えるようにした。か」
私が旅をしていた中で、唯一、師匠と呼んでいた人物の言葉だった。
その人の言葉が耳の奥で蘇った気がして、少し勇気が出た。
「口で語れないのなら、全身で語ろうじゃないか」




